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【神ノ槍】  作者: 黒崎蓮【原作:みなぎゆう】
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【第二十話】神々の黄昏

 ——スヴェント本部治療室。

 目の前のモニターに映し出された映像は、とても現実のものだとは思えなかった。

 画面には人間の形をした、それでも決して人間とは呼べない鈍色の巨人が炎の中を行進していた。


「……エル。この世界は、どうなっちゃうのかな」


 グングニルは隣に眠るエルウィンを横目に呟く。

 昨日、グングニルたちをワープの魔法でこのスヴェント本部に転送してから、眠るように意識を失ってしまった。

 目を覚まさない彼は、まだ外の世界の光景を見ずに済んでいるから幸せなのかもしれない。

 一夜にして、世界は黄昏を迎えた。

 ユミルがレーヴァテインを破壊したことにより、ラグナロクが発動した。

 十の神ノ力をその身に宿したユミルの叫びに、空から無数の招かれざる客――異形の巨人が喚び出され、街を、自然を、人を破壊し始めた。

 ルバヴィウス、ファードランド、ペナンシア、サイドバリー……各地に降り立ち、進行してきた彼らに太刀打ちできる戦力を備えているのは守護者を要する都市部のみ。

 力を持たない人々は建物内に身を隠すか、逃げ惑うほかない。ただそれは無意味な延命措置で、巨人たちに破壊されるのが遅いか早いかの違いだった。

 まさかラグナロクがこんな形で現れるなんて、ビドーをはじめ誰もが予想できないことだったはずだ。


「入るぞ、起きてるか」

「起きてます」


 ドアがノックされ、ビドーが野太い声と共に部屋に入ってくる。

 サングラスを外した彼の目には隈が浮かんでいて、現状への対応がどれほど厳しいものなのかを物語っていた。


「情報がある程度まとまった。エルウィンは……まだか」

「はい。私だけでも行きます」


 グングニルはベッドから立ち上がり、ビドーの大きな背中に付いて行った。



*****



 スヴェント本部会議室。

 時計の針は太陽が一番昇る時刻を指しているのに、窓から日の光は一筋も差してきていなかった。

 重く、暗い雰囲気の中、ビドーが口を開く。


「だいたいの情報は朝伝えた通りだが、街の被害状況がだんだんと分かってきたのでその情報と、今後の動きについて説明する」


 長机に揃っているのはプリル、スヴェントのメンバー数人、フェンリルの姿まであった。

 その中に懐かしい顔を見つけて、グングニルは思わず駆け寄る。


「ラルク……もう大丈夫なの?」

「おう、グングニル。この通り、俺は大丈夫だぜ……って痛ぇ?!」


 ラルクは腕を持ち上げるも、顔を歪めてすぐに下げてしまう。

 二日前に負った大怪我からはだいぶ回復したようだが、まだ満足に動けるような身体ではないらしい。

 思い出すのは、あの時何もできなかった自分の無力さ。


「お前は今回役に立たねぇんだから静かに聞いとけ!」

「ひぃ、けが人にも容赦ねーぜビドーさん」


 ラルクは白い歯を見せて笑って、ひらひらと手を振る。

 グングニルは喉元まで出かかった言葉を抑えて、空いてる椅子に座る。


「空から降ってきた巨人たちの攻撃で崩壊した街も出てきた。国はできるだけ能力者の居る街に避難するように呼びかけてはいるが、誘導が間に合っていないのが現状だ。そこで俺たちも手分けして人々を誘導し、このスヴェント本部に避難させることにする。すでに現地のメンバーといくつかの街には声をかけたが、巨人に襲われた場合はとても太刀打ちできる状況じゃない」


 ビドーは淡々と説明を始め、背後のボードに三つの円を描き、そこにグロークス、パルテミア、ルバンナの文字を書き足していく。


「グロークスは能力者が残っているから良いとして、パルテミアとルバンナには守護者すら残っていない状況だ。ロビンとヴェル、お前ら二人を分隊長に、メンバーを半分に分けて二つの大陸に向かって人々の誘導を。んで、残りのお前らは……」


 ビドーは幹部らしいメンバー二人に指示を出した後、グングニルたちに目を向ける。


「好きに使ってもらって構わねぇ。あのヘタレ所長にはウンザリしてたんでな。少なくとも、このボロボロの疑似能力者よりは使えるんじゃねーの?」

「てめー、怪我が治ったら覚えとけよ」


 真っ先に口を開いたのはフェンリルだった。突っかかるラルクを受け流し、真っ直ぐとビドーにその氷のような瞳を向ける。


「分かった、好きに使わせてもらう。守護者でも今は貴重な戦力だからな。フェンリル、お前はロビンとルバンナへ向かってくれ。戦力の薄さをカバーして一人でも多くの人を逃してほしい。グングニル、それならお前には……」

「お父さん! パルテミアにはあたしが行くよ」

「……」


 プリルの宣言に、いつものような反射的な否定の言葉は飛んでこなかった。

 ただ一瞬口を閉ざして、静かに頷いただけ。


「分かった、プリル。ただし、」

「無茶はしない。分かってる。お父さんとの約束だからね! お母さんが眠ってる場所を、巨人なんかに好き勝手させないんだから!」

「ああ、お前ならできるさ。お前は天才魔導士の娘で――俺の娘だからな」


 ビドーは口元を上げて言う。少しの後悔と誇らしさが混在した、複雑な表情だった。


「ビドーさん、私はどうしたら良いかな? やっぱりプリルの方に加勢した方が……」

「いや、だったらグングニルはここで避難してきた人たちを守る役割だ。幸いこの小島には巨人が現れていないが、それがいつまでも続くとは限らねぇ。けが人もいるこの場所が襲われちゃ、誰も対応できないからな」

「面目ねぇなグングニル。せめて俺が戦えりゃ良かったんだが……」

「ううん。そういうことなら分かった。任せて」


 グングニルの返事にビドーが頷いたところで、部屋の雰囲気が張り詰める。

 帝国の兵士とも能力者とも異なる、正体不明の巨人との戦い。

 各々の持ち場も決まり、緊張感は高まっていた。


「気負うことはない。いつもの俺たちでいれば良い。なに、刃向うのが政府から化け物に変わっただけだ。守るものは変わらねぇ。家族を友人を、それを持つ、この地に生きる同じ人たちを守ることを考えていれば良いんだ」


 そんな雰囲気を突き破るビドーの野太い声。不敵な笑みで発せられた底抜けに前向きな言葉で、メンバーたちにも笑みが伝染していく。


「へっ、ビドーさん、簡単に言ってくれやがる」

「単純に物事を考え過ぎなんだよなぁ!」

「でも、だからこそ今まであんたに付いてこれた」


 返される軽口を受け止めて、ビドーは白い歯を見せながら叫ぶ。


「生きて、この世界を生かすぞ! 必ず生きて帰ってこいッ!!」


 剣を、拳をつきあげながら、怒号にも似た雄叫びを上げるメンバーたち。

 その中でグングニルも、静かに拳を握りしめていた。


*****


「酷い、酷すぎるよ……」


 プリルの小さな身体が震えたのは、きっとこの夜の寒さからだけではない。

 空飛ぶ箒にまたがって地上を見下ろすプリルの視界は、灰色と赤で染まっていた。

 建物も自然も、おそらく人も、破壊し尽されていて、より凄惨な状況がその幼い目に映らないだけまだましなのかもしれない。


「ルールポルカは守護者がいないせいで巨人の進軍を抑えきれず、都市機能は壊滅。ルールポルカ研究所所長の機転で、緊急用に研究所に配備してあった船でかなり多くの人はスヴェント本部に逃げているみたい」


 前で同じく箒にまたがって飛ぶ魔法使い――ビドーにヴェルと呼ばれていたスヴェント幹部の女性が、状況を説明する。

 あの声の大きい所長――ラシュガンの顔を思い出して、胸が苦しくなる。地上の炎の中で見知った人が苦しんでいるのかと思うと、すぐにでも行かなければとプリルの気持ちは逸った。

 せめてヴァルハラが居ればと、今はいない仲間の顔も頭に浮かぶ。


「だけど、その所長を始め、駐屯兵はまだ残っているし、逃げ遅れた人もいるかもしれない。ということで、俺たちはここで分かれる。プリル、残りのメンバーで、俺たちの故郷を頼んだぜ」


 前を行く魔法使い数人が進路を変え、変わり果ててしまったルールポルカ研究所らしき建物へと向かって行った。

 遠くに目を凝らすと、人間より頭二つ分くらい大きい、手が異様に長い人型の何かが、ゆっくりと歩いているのが見えた。


「大丈夫よプリル。巨人たちにはどうやら魔法が効きやすいらしいの。能力者と同じで、神ノ力を原動力にしているみたいなのよ。守りましょう、私たちの故郷を」

「……うん!」


 ヴェルの言葉に応えるが、恐怖は確かに、その小さい四肢に纏わりついて凍り付かせていた。

 人型で、けれど人ではない何か。それはプリルにとって、今まで帝国の兵士や能力者と相対した時とはまったく別物の恐ろしさだった。


「負けない……仲間もいる、お父さんだって、あたしを信じて送り出してくれた……!」


 自分を奮い立たせるために、プリルは箒の柄をぎゅっと握り、呟く。

 目を向ける方向には、生い茂る森と、ぽつぽつと建つ木造の建物。

 炎や光が断続的に発せられるところを見ると、村の魔法使いたちが応戦しているようだった。


「まだ大きな被害は出ていない! 行くよ!」


 ヴェルの掛け声を合図に、後ろに続いていた魔法使いたちも一斉に攻撃魔法を準備し始める。

 距離を詰めて見えてきたのは、無機質に木々をなぎ倒す巨人たちの姿。

 近くで見ると、人間というより、機械のような見た目をしていた。


「痺れろーっ!」


 ただそれだけの理由だったが、プリルの戸惑いは若干和らいだ。

 小さな指先から迸った雷撃は一直線に巨人の頭部に直撃し、爆音を鳴らす。


「みんな、大丈夫?!」

「おお、プリルちゃん! こっちは無事だよ!」

「お子ちゃまに心配されるほど、落ちぶれちゃいないぜこの村は!」


 滑るように箒から着地し、地上で応戦していた魔法使いたちに声をかける。

 傷を負っている人たちもいたが、見える限りではかすり傷程度で済んでいるようだった。


「ある程度倒せたらみんなも逃げてって、お父さんが!」

「分かった! 周辺の村の人たちは仲間に護衛を頼んで船まで誘導してもらっているところだ。敵の数も減ってきたし、そろそろ俺たちも……」


 仲間の男が言いかけたところで、大きな地響きと共に足元が大きく震える。よろけて転びそうになったプリルは、隣にいたヴェルに身体を預けながら空に赤い光が上っていくのが見えた。


「あれは、危険を知らせる信号弾だ! 誘導隊に何かあったんだ、きっと!」

「行きましょう。だけどみんな忘れないで、優先するべきは避難誘導よ。巨人と戦うことじゃないわ」


 ヴェルは素早く指示を出し、魔法使いたち数人が頷いて森の奥へ箒を飛ばす。


「あたしも……!」

「プリルはちょっと待って。渡すものがあるの」

「えっ、渡すもの?」


 後に続こうとするプリルの細腕を掴んで、ヴェルは真っ直ぐに村の方角へ足早に歩いていく。

 立ち止まった先は、懐かしさすら覚えるプリルの家。母マルカと過ごし、グングニルと出会った場所だった。


「ビドーさんから頼まれてね。プリルが巨人と戦うようなことになったら、渡してほしいものがあるって」


 ヴェルは言って、家の扉を開ける。

部屋の中は出て行った時と変わっていなかった。誰かが定期的に掃除をしてくれていたのだろうか、家を空けて経った数十日の日数を感じず、プリルは安心する。


「村のみんな、綺麗にしてくれてたんだね……嬉しい」

「そりゃ、大魔法使いマルカの家だし。ビドーさんやプリルがいつでも帰ってきて良いようにね。それで、渡したいものってのがあれよ」


 ヴェルが指さす机の上には、長方形の大きめの木箱が置かれていた。

 近づいてみると、かなり強力な魔力と、胸にじんわりと残っていた懐かしさが強まった気がした。

 恐る恐る開けてみると、そこには木でできた杖が横たわっていた。

 光沢のある紅褐色に、とぐろを巻いた先端には丸い宝石のようなものがはめ込まれている。シンプルだが、存在感のある魔法杖だった。


「これって、お母さんの……」

「そう、マルカ=スヴェントが使っていた杖。才能を受け継いだプリルなら使いこなせるだろうって、ビドーさんが」

「お父さん……」


 プリルは杖を手に取る。自分の身長ほどもあって、少し重かったが、その重さが気持ちを引き締めてくれた。

 スヴェントのリーダーとして、娘がこれから生きる世界を変えようとする父親。

 家に残り、最期まで見守ってくれた母親。

 二人の気持ちを直接聞いたわけではなかったが、それでも二人の願いや選択が自分に向けられたものだということは、この杖の重みが教えてくれた。

 置いて行った父親が憎かった。母親にさよならを言えなかったのが悔しかった。

 それでも受け取った願いは、プリルが生きて未来に繋げなければいけないものだった。


「行こう。誰も死なせない。この天才プリルちゃんが、世界ごと救ってやるんだから!」


 いたずらっぽい笑みを浮かべながら、プリルはその小さい身体で走り出す。

 後に続くヴェルはその背中に、かつての親友の姿を見たのだった。


*****


 ――これ以上、私から何を奪うのよ。

 ペナンシアの街では家が、物が、人が、全て燃やされて破壊し尽されていた。

 守護者としてアバン研究所周辺に留まるようになってから、久しくここまで凄惨な状況を目にすることはなかった。

 恐怖か興奮か、妙な胸騒ぎがフェンリルを掴んで離さなかった。


「俺たちは住人の救助を最優先する。幸い周りに巨人は見えないが、もし現れたら撃退に回ってくれ。……分かっているとは思うが、こんな時におかしな真似はするなよ」

「はっ、分かってるよ。今はお前たちにおとなしく従っていた方が安全。それくらいの判別はつく」


 スヴェントの幹部――ロビンは仲間を引き連れて、炎が燃え盛る住宅街の方へと走っていった。


「……なんだよ。巨人が暴れ回ってるんじゃなかったのか。やけに静かじゃねーか」

 残されたフェンリルは一人舌打ちをする。耳に届くのは残骸の一片も蝕もうとする火の、チリチリという嫌な音だけ。

 胸騒ぎの中には懐かしさと安心感が混ざっていることを自覚して、思わず顔をしかめる。

 ここが。こういう場所こそが、自分にはふさわしい。

 殺戮と死。一時の快楽と引き換えに自分に渡されるのは、それだけ。

 ――人間に戻りたくはないのか。

 そんな問いを、今更投げかけられる資格などないのだ。この災厄で世界が滅びようと、フェンリルの生き方は変わらないし、変えられない、誰からも許されることは無い。


「……けて」


 得物を探す敏感な耳に、声が微かに届いた。殺気は無いが生気もない。今にも消え入りそうな声に、フェンリルは辺りを見回す。


「たす……誰か、助けて!」


 絞り出すような声で、場所を特定する。破壊されたコンクリートや木材が高く積まれた場所に、かすかに息遣いを感じる。近づくと、すすり泣く声も聞こえてきた。

 声からして幼い女の子が下敷きになっているのか。そんな予想がついた。だが別に助ける必要はない。殺すことしかできない自分はただ巨人を倒しさえすれば良い。人助けはスヴェントの仕事だ。


「……」


 そう自分に言い聞かせながらも、腕は確かに瓦礫を押しのけようと動いていた。

 ごつごつとしてたコンクリートが、破砕した木材が手に刺さって痛かった。こんなもの、力を使えば一瞬で吹き飛ばせるのに、そんなこと頭には全く思い浮かばなかった。


「何なんだよ俺は。こんなことをして、今さら何になるってんだよ……!」


 自分でも自分の行動の意味が分からない。何かを求めるように、フェンリルは手を動かし、瓦礫をどかし、時に壊し続ける。

 間に合わないかもしれない。下に待っているのは冷たい死体だけかもしれない。だからなんだ、今さら死体なんて見飽きている。

 けれど――。


「……!」


 大きな瓦礫に手をかけた時、同時に下から微かに温かいものを感じて手を止める。聞こえる泣き声は近くなっていたが、徐々に弱弱しくなっていくのを感じていた。

 力を込めて、板状のコンクリートを持ち上げる。予想通り、そこには小さな女の子が倒れていた。瓦礫が複雑に入り乱れて隙間を作っていたのだろう、足を挟まれている以外に目立った外傷は見えなかった。


「話せるか。これをどかせば立てるか」


 足をはさんでいた瓦礫を取り除いて、フェンリルは声をかける。女の子は顔を涙でぐしゃぐしゃにしながら、もぞもぞと動いて抜け出そうとしていた。


「おい、手」

「う、うぅ、ありがとう……ありがと、うわああああああん!!」


 フェンリルがぎこちなく伸ばした手を掴んで立ち上がった途端、女の子は堰を切ったように大きな声をあげて泣き始めた。


「あまり大きい声を出すな。デカブツが周りにいるかもしれない」


 悪態を吐きながら、フェンリルは強く握られた手を、さらに強く握り返す。

 ――生きていて、良かった。

 自分でも素直なほどにそう感じていた。

 過ちを犯し、能力者になったあの日から、ありがとうだなんて言葉も、こんな気持ちになることも無いと思っていた。


 ――ありがとう、****。


 思い出したのはもう戻れない過去。歪めてしまって、もう一生見ることができないであろう女の子の笑顔と言葉。

 能力者になる前の彼にとって、それは救いだったもの。暴力と謀略しかなかったかつての生まれ故郷で唯一の光。この光を感じられるのならば、俺は殺し続ける獣のまま牙と爪を振るおう。

 目の前で泣いている女の子は、昔の自分のそんな決意を思い出させた。

 人間をやめて、能力者になって、殺すだけの獣のままで在り続けた理由を。


「この道を真っすぐ行ったところに、人がたくさんいる。助けを求めて、生きろ」


 立ち上がって、フェンリルはまだ泣き続けている女の子に言う。

 しばらく呆然としていた女の子も、言葉の意味を理解して頷いた後、足を引きずりながら歩き始めた。

 スヴェントと合流するまで付いて行くべきだが、あえて手助けはしなかった。怪我は奇跡的に足の軽い内出血、そう遠くまで行っていないスヴェントのメンバーの誰かと遭遇できるだろうと判断したから。

 それと、できるだけこの場から遠ざけたかったから。


「カミ、ノ、チカラ、ノ、ハンノウ。チカラ、ハ、カエシテ、モラウ」


 巨人が数体、近づいているのを感じた。

 今までに感じたことのない無機質な殺気が、フェンリルの背中を刺していた。それに呼応するように、依然として自分の中の獣が昂るのを感じる。

 あの時救ってくれた光はもう戻らない。あの時彼女の父親を殺してしまった自分が消してしまった光だ。

 だが、殺さなければ消えてしまう光もある。

 殺すことで生きる光がある。


「殺して、生かす。獣のまま、俺はそうやって生きるんだよ」


 神ノ力を開放し、淡い水色のオーラを全身に纏う。耳と尾を生やし、爪を研ぎ澄ませる。

 ‛神ノ狼’の力はいつも通り、フェンリルを半獣半人の姿に変えていた。しかしその瞳は紅くも、氷のように冷徹に、屠るべき獲物を見つめていた。


*****


 ――とうとう始まったな。

 朦朧とする頭の中で声がした。その声は地の底から響くように重く低かったが、同時に天高くから降るように遠く高い響きも混ざっているような、奇妙な感覚に襲われた。

 エルウィンの最後の記憶は、神ノ力を得るために実験室のベッドに横たわったところで切れている。

 頭に響く声は今初めて聞くのに、ずっと昔から聞いてきたような馴染みがあった。


「驚いたな。宿した神本人と話せるなんて今までの研究になかったのに」


 起きたばかりで朦朧とする意識をはっきりさせようと、エルウィンは声を出す。老人のように掠れて、まるで自分の声ではないかのような感覚だった。


 ――自惚れるなよ人間。我らの力のみを利用する技術は大したものだと褒めてやるが、そのすべてを理解したと思わないことだ。特にこのオーディンの前ではな。


 不遜な態度とその言葉に怒りは覚えない。身体に漲っている力で、自分の身に宿した神ノ力がどれほど強大か分かるから。

 オーディン。オーディニアの語源ともなったその神は、まだ人間が神と呼ばれる存在に支配されていた神治時代に、すべての神の頂点に立っていたとされる存在。

 彼から名乗るまでもなく、意識が戻ると同時にその身に誰がいるのかを認識させられた。


「さっき始まったと言ったけど、何が始まったんだ。というか、僕はどれくらい眠っていたんだ?」


 ――ふん、我が神ノ王と知って尚、臆さず言葉を発するとはな。


 怖くないわけがなかった。まさかこんな強大な力を引くとは思わなかったが覚悟はしていた。実験を受け入れたのは、力を手にしてよりグングニルを救う可能性を広げるため。怖くても前に進むために状況を把握しなければならない。


 ――まぁ良い。貴様は三日眠っていた。その間に我が同胞の力を喰らったあの若造はラグナロクを起こすに至った。今世界は炎に焼かれた愉快な地獄と化しているぞ。


 エルウィンの覚悟とは裏腹に、オーディンはさも愉快そうにこの空白の三日間を語り始めた。ユミルが能力者を殺し続けたこと、エルウィンの身体を使ってユミルと交戦したこと、レーヴァテインを破壊してラグナロクを起こしたこと。


「ラグナロクが……とうとう起きたのか。グングニルは、みんなは無事なのか」


 ――あの若造との戦いでお前の身体が消耗した後の状況は知らぬ。我も眠っていたからな。


「……ずいぶんと呑気に言うじゃないか。世界が滅びるかもしれないのに、神として見過ごして良い状況じゃないはずだけど」


 危機的状況であることは間違いないのに、聞き手の神張本人の態度へ、エルウィンは苛立ちと違和感を口にする。


 ――元々我は人間など滅びても良いと考えていたからな。その愚かさ故に滅びるというのなら、楽しく見届けさせてもらう。ただし、返すべきものを返してもらってからだがな。


 今一番多くの神ノ力を溜め込んでいるのは間違いなくユミルだ。内に存在する神との利害は一致している。


「なら、あなたは力を取り戻すために。僕はこの災厄を止めて、グングニルを助けるために力を合わせても良いってことだよね」


 ――力を合わせるなどと驕るなよ。お前は我の手足となれば良い。我がいなければ貴様は死人も同然。指先一つも動かせぬ脆い入れ物に過ぎないのだからな。


 顔は見えていないが、神が笑ったような気がした。

 遠回しの承諾を理解して、エルウィンはベッドから立ち上がる。確かに普通に動けはするが、常に何かに支えられているような、操られているような奇妙な浮遊感は付きまとっていた。


「グングニルを助けられるなら、僕は神だって利用するさ」


 はっきりと声にして、エルウィンは拳に、足に、腰に力を入れる。神はもう答えないが、浮遊感も消えない。

 窓の外、少しずつ近づいてくる爆音と悲鳴は、そんな浮遊感を意識の外に追いやるほどエルウィンの心を急がせていた。


*****


 こうなることも時間の問題だと分かってはいた。

 呼吸は浅くなり、槍を持つ手に力が入らなくなり始めていた。何時間経ったのか、もう何体の巨人を破壊したかも数えられていなかった。

 世界各地を脅かしていた巨人たちがとうとう海を越え、スヴェント本部のあるこの小島までたどり着いていた。


「私が、なんとかしなくちゃ」


 いくらスヴェントの本拠地と言えど、あの巨人の前では一般人と大差はない。未だ眠っているエルウィンや手負いのラルクもいるこの場所で、確実にこの脅威を撃退できるのはグングニル一人だけだった。

 巨人の急所は頭部中心にある目のような機関。戦いの中でその情報は得られたが、そこから発射される熱線が容易に近づけさせてはくれない。移動を繰り返し、隙を狙って急所を突く。最初は快調に巨人を撃破できたグングニルも、数的不利を覆す体力を持ち合わせてはいなかった。


「くっ!」


 巨人の長い手が迫る。そこまで速さは無いものの、今のグングニルには避けるので精いっぱいだった。

 地面を蹴って、ひたすら走って林に入る。なるべくスヴェント本部から離れて巨人たちの注意を引きつけなければならない。

 頭髪を一本引き抜き、素早く槍に変えて左斜め前方に投げつける。通常の視覚では捉えられない距離から、金属が拉げたような鈍い音が鳴った。

 同じ神ノ力を持つ者同士だからなのか、周りにいる巨人のおよその位置と距離は分かる。しかしだからこそ、その残数に絶望に似た感情が顔を覗かせ始めいていた。


「エルが、ラルクが、みんながいるんだ。私が諦めたらダメだ!」


 絶望を振り切るようにグングニルは叫んで、再び槍を放つ。前方の巨人の目を貫き、さらに頭髪を引き抜いて槍を構える。

 複数の気配は四方から、決して早くないが着実に近づいている。

 どれから倒すべきか。判断能力が低下していることを身に染みて自覚させられる。判断を下す前に、目から発射された熱線をすんでのところで躱し槍を投げる。

 背後から無機質な手が伸ばされていることには気づいていたが、反応することができない。

 冷たい殺気と冷や汗を背に感じ、振り返りざまに槍を出現させる。


「ぐうっ!」


 巨人の打撃は紙一重のところで槍で受けられたが、大きく吹き飛ばされてしまう。

 脳内が揺らぎ、視界が定まらない。けれど自分が巨人四体ほどに囲まれている状況だけは理解できた。

 ――まだ。

 立ち上がろうとするが、腰から下が石のように重く動かない。

 巨人の目が熱を帯び光る。長い手は振り上げられ、グングニルに狙いを定めている。


「動いて、動いてよ……!」


 神ノ力が底を尽きたわけではない。心が挫けたわけではない。身体だけが悲鳴を上げ、叫ぶ声も掠れていた。

 手は動くが、反撃をするにはあまりにも遅すぎる。

 ――なんとも情けない姿だな我が愛槍よ。

 巨人たちの機械的な駆動音の中で突然、低い男の声が耳に届いた。

 聞き覚えのあるその声とともに、金属が擦り切れるような甲高い音が空気を張り詰めさせた。

 音の次は眩い光。目を焼かんとする黄金色がグングニルの視界を埋め尽くした。


「……エル?」


 名前を呼びはしたものの、今目の前にいる少年がエルウィン=ラックハイムでは無いことは分かっていた。

 白衣の背中に色の抜けた同じ色の髪が、閃光の収まった闇夜に映えている。

 彼の目の前にいたはずの巨人は微塵も姿形は残っておらず、付近の巨人の気配も消え去っていた。


「こやつ、お前を助けると意気揚々と宣った割りには数歩走った程度で気を失いおったわ」


 アバンでは自らを神ノ王と名乗っていた存在。

 エルウィンでは絶対しない、傲慢さを隠しもしないような笑みを浮かべて、目の前の神は言った。


「エルは無事なの」


 ユミルを撃退し、脱出にも協力をしてくれた相手ではあるが警戒を解くことはできないと、グングニルは本能レベルで感じていた。

 いざとなれば戦わなくてはならない。呼吸を静かに整え、身体が回復するまで少しでも時間を稼がなくてはならない。


「無事、と言い切るのは難しいが、我が中にいるうちは生存を保証してやろう。この小僧との目的はひとまず一致しているしな」


 愉しそうに喋る神の紅い瞳は、そんなグングニルの焦りと、ほんの一瞬の安堵を見透かしているようでもあった。


「巨人たちを倒すのに、協力してくれるってこと?」

「あんな雑兵など我の手を汚すまでもない、お前たち人間がやれ。我が消すのはただ一人、神ノ力を豚のように喰らった醜い獣だ」


 複数の神ノ力を操り、もはや人間と言えるのかも分からないユミルの姿が頭に浮かんだ。

 確かに巨人を何とかできたとしても、ユミルが残っていれば現存するウォーリアを総動員しても対抗できるかは分からない。

 神は気まぐれ、という言葉を聞いたことがある。目の前にいるのが本当に神なら、その気が変わらない内に共闘したい。


「私も、ユミルを倒しに行く。あなたに、いえ、エルの意思に従うわ。道中の巨人は私がなんとかする」

「はっ、生意気な愛槍が。そこまで錆びついた刃で何を貫けるというのか。雑兵に手は汚さぬと言ったが例外はある。例えば――」


 なおも愉しそうに言う神の右手から、再び黄金色の光弾が発射される。

 先にいたのはいつの間にか忍び寄っていた鈍色の巨人。光弾が腹に風穴を開け、巨人はその腕を動かす間もなく光の粒子となって消え失せた。


「我の行く手を阻む愚かな人形には、少しばかりの仕置きが必要だ」


 共闘は承諾された。神の気が向いているうちに、この戦いを終わらせなくてはならない。グングニルは徐々に取り除かれる身体の重さを感じながら、そう決意した。

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