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【神ノ槍】  作者: 黒崎蓮【原作:みなぎゆう】
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【第十九話】破滅の願い

 ——アバン研究所所長室


「くそっ!」


 一人のためのものには広すぎるほどのその部屋で、ガン、と鈍い音が鳴る。男——ラーサーが殴った衝撃で白い壁が微かに震えていた。スヴェントから早々に撤退した混乱は兵士たちに残っていたが、それはすべて各隊長たちに任せてただ一人、ラーサーは自分の部屋に閉じこもる。部屋に置かれた棚には彼の功績をたたえる数々の賞状やメダル、杯などが華やかに鎮座していたが、当の本人の胸中はまったく逆のものだった。


 ——みんな守りたいものを守るために殺してんだよ!


 血だらけになりながら訴える青年の叫びが、頭の中に駆け回る。今まで掲げてきたものとは別の、そして今まで目を伏せてきた正義が頭をもたげていた。立派な文句を並べて、自分たちがやってきたことを正しいことだと思い込んできた。今までうまくいっていた。 それがあんな青年の声ひとつでこんなに簡単に揺らぐなんて。ラーサーの目にふと、机の上の鏡に映った自分の顔が見えた。自分のものとは思えないほどの情けない顔だった。しかし、そんな自分の顔を見ればわかった。あんな大義のために実験を続けてきたわけではないことが。自分は、自分の力が試せればそれで良かったのだ。それをあの青年と——。


 ——今度は……俺を斬ってみろ……!


 凄んでいた男のサングラスの奥で、怒りの炎が燃えているのを確かに感じ取った。怒りたいのはこっちだと、ラーサーは今になって内心舌打ちをする。あの男さえいなければ、あの男が裏切りさえしなければ、そもそも今のスヴェントは作られなかった。自分の好きな研究を、何の疑問も抱かずに好きなだけ続けられていたかもしれないのに。今でも微かに震えているのは、怒りからだけではない。恐怖が、鬱陶しいほどに心に纏わりついていた。

 自分が今まで歩んできた道が不安定にぐにゃぐにゃと歪んでいること、そしてビドーへの得体のしれない恐怖がラーサーを襲っていた。

 ラーサーは視線を上げて、窓の外を見る。雪が降っているわけでもないのに景色はくぐもった白色をしていた。


「そうだ、自分で言っていたじゃないか」


 しばらくして降りてきたアイデアは、すべてを解決するのに、あるいはすべてを終わらせるのに最も手っ取り早い方法だった。

 ——この世のすべてをリセットすれば良い。

 ここ最近話題に出るようになった能力者殺しの能力者。事情を知る政府上層部の人間の話によれば、彼は今の世界を滅ぼして‘新しい世界’を作り出すとのたまっているようだ。そんな妄言を、と鼻で笑った自分が懐かしかった。

 弱い正義も、強い正義も消して、新しい世界で自分が正義を作る。そうすれば、こんな苦しみは味わ合わない。狂おしいほど単純で、強力な真実。


「ラ、ラーサー様! 大変です! 正体不明の超強力な神ノ力を持った存在が猛スピ―ドで研究所に迫ってきているようです!」


 振り向いたラーサーの顔は、慌てて駆け付けた伝令兵の目にどのように映ったのだろうか。その反応を見れば、大方予想通り、どこか狂気めいたものを纏っていたに違いない。


「大事な客だ。丁重にもてなせ」


 鼻にかかったようないつもの調子で、ラーサーは言った。理想を近づけさせるための第一歩が間近に迫ってきていることに、期待を孕ませながら。



*****



 船から降り立ったグングニルの目にまず映ったのは、前方にそびえる灰色の建物が、黒い煙をモクモクと吐き出している姿だった。


「先を越されちまったみたいだな」


 後ろにいたビドーが白髪交じりの金髪を掻きながら、低く呻くように言った。その両腕は鉄色のガントレットで覆われていた。ユミルがスヴェント本部を襲撃した際に、プリルを庇って受けた傷が彼の両腕の骨を粉々に砕いてしまったのだ。そのため、覆っているように見えるガントレットそれ自体が彼の腕——つまり偽腕だった。

 全身に傷を負ったラルクの看病をスヴェントメンバ―に任せ、グングニルたちはすぐにアバン研究所に向かった。目的はエルウィンの救出と神ノ石の奪取。交換条件を破り、責任者であるラーサーが研究所に戻ったことで、エルウィンが無事である保証はなくなってしまった。焦りながらスヴェントの船で海を渡っている途中、もう一つの知らせがグングニルをさらに動揺させた。

 ——謎の生命反応が超高速でアバン研究所に接近している。

 生命反応の正体が何なのか、話を聞いて一瞬で察しがついてしまった。


「ユミルのやつ、本気でラグナロクを起こそうとしてるみたいだな」


 神ノ黄昏と呼ばれるラグナロクを起こすために、ユミルはアバン研究所を襲い、新しい力——おそらくガ―ディアンであるフェンリルを倒して手に入れようとしているのだろうというのがビドーの予想だった。

 ラグナロクが起こる仕組みについてはグングニルも前にラルクから聞いていたが、何が起こるのかは分からなかった。ビドーの話では世界のバランスが崩れることは確実で、各地ではラグナロクの前兆とも言えるような不可解な現象が起きているということだった。

 大規模な災害なのか、それとも想像のできないような未知の危機なのか。

 莫大な神ノ力が一点に集まることで生じる世界の歪、それは必ず起きる。断言したビドーの顔がまだ記憶に新しい。


「早く行かないと。エルも危ない……!」

「あぁ、まったくだ。行くぞ」


 息を短く吐いて、グングニルとビドーはほぼ同時に一歩踏み出した。


「グンちゃん、それと、お父さん」


 後ろからプリルの声がかかる。気のせいか、今にも泣きだしそうな声だった。振り返ると、今にも雨が降り出しそうなくらい、その表情は曇っていた。


「絶対に、絶対に無理しちゃダメだからね」


 目に浮かんだ涙を零さないようにか、少しだけ上を向いたまま、プリルは念を押すように言った。


「ふっ、それはこっちのセリフだぞプリル。子どもに心配されてたまるかってんだよ」


 スヴェントから出発する前は、お互いがお互いを行かせないように説得をしていた。親は子を、子は親を想って懸命に。しかし、親子だからこそこれ以上説得しても無駄だと思ったのだろう、今ビドーとプリルはこうしてここに立っていた。


「ふんっ、何よ心配してあげてるのに!ほら、早くしないと行っちゃうよ!」


 ビドーの一言に、プリルはいつもの調子を取り戻す。早歩きをして二人の間を通り過ぎるプリルに苦笑しながら、ビドーは後に続いた。


「家族……」


 そんな二人のやり取りに、グングニルの頭に浮かんだのは、断片的に思い出せる両親の記憶。朧げにしか思い出せないことに切なさを感じながら、その胸には淡い期待が眠っていた。

 ——全部終わったら家に帰って、お父さんとお母さんを抱きしめたいな。

 そんな希望を持ってもう一歩踏み出したグングニルは、それとは別にやらなければいけないことを思い出す。

 ——ちゃんと、謝らないといけないし。私のせいで——

 その先は、灰色の建物で起こったらしい爆発音にかき消されてしまった。


「本格的に急ぐぞ!」


 ビドーが声を荒げる。今度こそ止まらずに、走るために足を動かした。



*****



 神ノ力を研究する主要セクタ―として私の国でも知られていたアバン研究所は、中心に大きくそびえ立つ三角柱の灰色の建物の他に、その周りをいくつもの同じような建物が並んでいた。さながらひとつの集落のように、自然の孤島に人工物が密集する奇妙な場所だった。

 しかしそれもつい数分前までのことだ。今は中心の建物を残して、無残にも原型を留めないほど破壊し尽されていた。私の視界に入るのが炎の赤色なのか、犠牲になった人間の血のそれなのか、もはや見当もつかないほどに殺戮と破壊がこの短い間に繰り返された。目の前にいる男——ユミルによって。

 彼の目的はこの場所にいる能力者を殺してその力を手に入れることだけのはずだ。今までそうしてきたように、時間をかけずに目的だけを達成させてすぐに引き上げればいいのに。彼は、それ以上やっても意味がないほどに、壊して、殺した。研究所を囲む石壁を欠片も残さず粉々にし、逃げ惑う研究員たちの息の根を一つ一つ摘んでいく。

 今までとは明らかに違った。まるで自分の忌まわしい過去を消し去ろうとするかのように、まさに消滅させていく。この場所で何かあったのだろうか。どうしても消したい、許せない何かが。


「彼も……いるのカ。少し……いヤ、何かガ大きく変わっているようだガ」


 彼はそう呟いて、いよいよ中心部に入っていく。力を解放した時の彼はその代償として言語能力の低下を引き起こすようだ。絞り出すような、呻き声のようなその音に、私は黙って付いて行く。


「止まれ!」


 中に入って最初の一声は、鉄を身に包んだ兵士たち数人。その手には長身の銃が構えられていた。微かに感じるその力から、その弾には魔力が込められていることが分かる。神ノ力の特性を逆手にとって、彼から力を分離させるつもりだろう。確かにその弾が撃ち込まれれば彼に大きなダメ―ジが入るのだろうが。


「邪魔だ」


 私は彼らを威嚇するように低い声で言った。その瞬間には地を蹴って跳んでいた。腰にかかった双剣を引き抜いて身体を一回転させる。その勢いのまま振り払われた斬撃が、彼らの銃身だけでなく、その向こうにある首を薙ぎ払った。鉄と肉を断ち切る感覚がほぼ同時に手に伝わる。

 衝撃で、首が付いていた付け根から下の身体が血液を噴水のようにまき散らしながら吹き飛ぶ。残ったいくつかの首のうち一つが、地に落ちる寸前で私に何か言った気がしたが、まったく分からなかった。

 一息ついて後ろを振り返ろうとした瞬間だった。痺れるような大きな力を感じて反射的に上に跳ぶ。剣を天井に突き刺し、蜘蛛のように張り付く。


「付いてくるのは勝手だけど、邪魔しないでもらえるかな?」


 彼は穏やかに、その手にまだ力を迸らせながら言った。その口調から、今の攻撃が力を解放していない素の状態でのものだということが分かる。戦慄が走った。数日前の彼なら、神ノ力を使わなければ出せなかったはずの力を、こんなにも容易く出してくるとは。

 一滴の恐怖が徐々に羨望に変わっていくことを感じた。天井から剣を引き抜いて床に着地する。散らばっていたはずの肉片も綺麗さっぱりなくなっていた。その床を、悠然と、何事もなかったかのように通り過ぎる。


「俺が全部終わらせる」

「……申し訳ありません」


 すれ違いざまにそう言った彼の言葉からは、私では絶対に動かせないような意志を感じて謝るほかなかった。

 それから同じく消し飛んだ鉄の扉を潜り抜け、進んでいく。長い廊下をひたすら歩くが、何一つアクションが起こらない。血気盛んな兵士たちが無謀にも挑んでくるかと予想していたのだが、そんなことはなく全く静かだった。次の部屋も、その次の部屋も、兵士はおろか、人間が一人もいなかった。

 逃げたのか。そう結論付けて、目の前にあった扉を蹴破って中に入ろうとした。どうせ誰もいないのだろう。そう思って部屋を見渡す。確かに同じような、道幅の広い廊下だった。両側には何かの部屋だろうか、等間隔で扉が付いていた。そのうちの一つに‘異常’を発見して私は反射的に双剣の柄に手を回す。


「でけぇネズミが入ってきたもんだな。おかげで駆除し甲斐があるが、噂のキマイラ能力者と……人間ではない何か。ったくどいつもこいつも人外じゃね―か。めんどくせぇ」


 水色の前髪を目元まで隠した男は扉の前で腰かけながら、言葉通りとても面倒くさそうに言った。重そうに腰を上げて、彼は私たちを見据える。死んだ魚のような目、と言うにふさわしい目つきだったが、その中には主と同じように狂気を孕んでいた。


「キミがフェンリルかな?さっそくだけど、死んでくれるかい?」

「てめーの目的は俺の神ノ力だろ。そんなこったろうと思ってた。……けど、だったらなぜ、こんなに殺す必要があったんだ」


 男――フェンリルは言って、主の背後の扉へ目をやる。

 扉の向こう側は、主が作り出した地獄が血と炎と呻き声で彩られている。


「終わらせるんだ。神ノ力なんて言う、扱いきれない力を持ってしまった人間の世界を。政府もスヴェントも関係ない。ただ幸せに生きることすら許されないこんな世界を破壊して、新しい世界を作る」


 答えた主の言葉には、数時間ぶりの理性らしきものが宿っていた。

 これが彼の本音か。

 いや、こんな発想をすること自体、すでにまともではないだろう。


「……そうか。大層な理由があるんなら、まだてめーの方がまともなのかもしれないな」


 しかし目の前の男はまったく違った印象を持ったようだ。彼が何を以てそう言ったのか、意図を図る前に、前触れなく現れた殺気に思わず腰の刃を抜く。


「俺と同類だと思ったんだがな。違うなら、死ねよ」


 抜いた刃は、彼には届かない。

 冷たく放たれたのは言葉だけでなく、床を、足元を凍り付かせるほどの冷気。一般人なら間違いなく骨まで壊死するほどのものだ。

 私の足は間合いを詰めることができず、情けなく霜が張ってしまっていた。


「きみは手出ししなくて良い。俺が最後のけじめをつける」


 主は言って、腕を大樹のごとく巨大化させる。足元には紫炎が広がり、冷気を物ともしていない。

 フェンリルも力を解放しているのか髪は逆立ち、獣の耳と尻尾が生えて変化し、先ほどまでの暗い青年はどこにもいない。

そしてその瞳は、隠しようのないギラギラとした殺気に燃え上がっていた。


「ヒャハハ、死ねよ!殺し尽してやるからよ!お前が殺した奴らの分まで、オレがぁ!!」


 アバン研究所のガーディアン。

 「ガーディアン」と区分される能力者の中では最強と言われるフェンリル。

 神ノ力のうちの一つだろうか、氷の刃を纏わせ小太刀程度の大きさになったダガーを両手に、先ほどまでの死んだ表情とは全く異なる殺意を向ける。

 殺しを楽しむ者の眼。

 それは死と隣り合わせの戦場に身を置いていた自分ですら、肌が泡立つほどの何かを感じるものだった。

 フェンリルは氷刀を振るい、主の巨腕を斬り裂き、突き刺していく。 

 主の腕はそれを全て受け止め、凍り付かせながらも傷を再生させ致命傷を免れていく。


「ただ突っ込んでくるだけとは……最強とは言っても所詮はガーディアン。戦場にいるウォーリアとは比べるまでもないというわけだ」


 堅い木の幹が削られるような音の中に、主のつまらなそうな声が落ちる。

 そう、彼が今まで相手取ってきたほとんどは対国外用の「ウォーリア」と呼ばれる能力者たち。

 今さらガーディアンなどに後れを取るはずはないのだ。


「ただ突っ込むだけ……てめーにはそう見えるのか」

「なに……?」


 フェンリルの口元が悦びに上がった瞬間、白い閃光と爆音が上がった。

 爆発箇所は主の腕。白い冷気を上げるその腕は、手首と呼べる箇所より先が見るも無残に破壊され、消失していた。

 あたりには小さな氷柱が散らばり、何本かは主の腕や身体を突き刺している。


「無意味にお前の腕をサンドバックにするほどイカれちゃいねぇ。神ノ力を暴発させた爆弾に俺の氷を加えれば、今度はお前自身がサンドバックになる番だぜ!」


 主の腕だけではない。最初の冷気では何ともなかった主の足元が今度こそ凍り付いていた。

 フェンリルは壁に張り付きながら主に爪を向け、舌なめずりをする。


「残念なことに俺はお前を殺せない。殺しちまったら、お前が手に入れてきた神ノ力すべてが俺の中に入りこんじまうからな。そんなこと、お前みたいなイカれた野郎以外がやったら確実に死ぬ。だから……」


 壁を蹴って、鋭利に変形させた氷の爪を構えて、彼は叫ぶ。


「せいぜい死なないように殺され続けてくれよ」


 そこからは、私の目では追うことができなかった。

 壁から床へ、床から壁へ張り付き飛び移りながら、フェンリルは主の身体を斬り裂いていく。

 残った片腕での防御など気休め程度。振るわれた氷爪のほぼすべてが少しずつ、だが確実に主の身体に傷をつけていく。


「ヒャハハ、無抵抗の奴を切り刻むのは楽しいじゃねぇか! なぁ、忘れていたぜこの感覚をよォ!」


 背筋が寒々と震えるのはフェンリルが発生させている冷気のせいだけではない。

 傷つけ、殺すことを楽しむ声。

 切り刻まれ、その傷口から流れる血液ごと凍り、一種の彫像のように美しく動かなくなっていく主の姿。

 なぜ。なぜ主は動かないのだ。


 ――オ。


 骨肉を抉り、氷像が砕ける音に交じって聞こえた微かな音。

 それは私も一度だけ聞いたことのある声。

 ただし、主に対峙し、屠られる側のものとして。


「ォ……オオオオオオオォォォォォォオオオオオオオ!!!!」


 主の唸りが、叫びに変わる。

 本当は耳を塞ぎたかったが、どちらにせよ動くことのできない私には意味は無い。

 深刻なのはむしろつい数秒前まで飛び回っていたフェンリルの方。


「く……この、てめー何をしやがった……!」


 斬りかかろうとした彼は、その声を聞いた途端に地面へと墜落していた。

 翼を失った鳥のように。足をもがれた狼のように、その勢いは消え失せていた。


「キミは戦場に出たことがないから分からないのだろウ。神ノ咆哮グレイブの叫びは、すべての能力を一時的に無力化すル……戦闘能力の無いウォーリアだったが、なかなか厄介な敵だったヨ……ふふ、あハははは!」


 倒れたフェンリルに、今度は主が笑い声をあげる番だった。

 傷ついた身体も、無くなったはずの片腕も、その笑い声に後押しされるかのように再生していく。


「そいつは、神ノ慈悲エイルの……」


 耳も尻尾も消えかけたフェンリルは自分と同じガーディアンの名前を口にする。

 絶対的な再生力を持っていた彼女すら、主は殺し尽して自分の力とした。

 もはや主の身体はフェンリルと出会う前の、一つの傷も無い状態に戻っていた。


「確かにそうだね。無抵抗のものを虐めるのは、楽しいネ!」


 ――神ノ牙グリンブルスティ。

 浅黄色に輝いた主の左腕がうねり、獣の形へと変貌する。独立した獣は一直線にフェンリルの左腕に喰らい付いた。


「ぐうっ……ぅがあっ……!」


 呻き声と、肉と骨が砕ける音。

 能力を解放していない彼に、この攻撃は絶望以外の何物でもないだろう。

 彼の瞳に、先ほどまでの狂気はない。助けを求める様はさながら子犬のようだった。

 このまま彼が殺されれば、いよいよ主の目的も達成される。

 たとえ何が起きようとも、私はそれを見届けよう。


「砕けろぉぉおおお!!!!」


 それは、空間全体に響き渡る叫び声。

 左右に並ぶ、無数にある扉のどこからもその声が聞こえてくるような気がした。

 出所の分からない叫びには、明確な敵意が現れている。

 いったい、どこから――。



*****



「上から来るぞ、気をつけろぉ!!」


 朱色の波動とともに、床全体が轟音を鳴らして崩れ去った。

 モクモクと上がる白煙の中、グングニルは瓦礫とともに降り立って、素早く状況を確認する。

 煙の向こう側、左を向けばビドーと、彼に抱きかかえられているプリル。その向こうには呆気にとられた表情の、ユミルと行動を共にしていた双剣使いの女性。

 そして右側には、こちらに背を向けたままのユミルの姿。彼に組み伏せられているのがフェンリルだということは、壁に張り付いている氷で予想がついた。


「ぴったり着地できたな! ま、あれだけ複数の神ノ力を使ってたんじゃ、疑似能力者の俺にでも気配が分かっちまうってもんだ」


 ビドーは拳に再び朱色の神ノ力を纏う。


「グングニル! 本当だったら俺が直接殴ってやりたいが、そっちは任せた! 俺はこの女を足止めする!」

「分かった!」


 グングニルは頷き、髪の毛を一本抜いて槍を出現させる。


「神ノ槍。お前まで来る必要は、無かったのニ」


 ユミルは振り向き、その血走った目でグングニルを射抜く。異形と化した左腕は、依然としてフェンリルに喰らい付いたままだった。


「ラグナロクは起こさせない。私にはまだ、やらなくちゃいけないことがあるんだから!」


 地面を蹴って、グングニルは一直線にユミルに向かう。

 突き出された切っ先は空気を斬り裂き、ユミルの額に吸い込まれるが、貫くことはなかった。

 神ノ怪腕ヴィーザル。

 変形した右腕が大樹の根のようにうねり、紅い槍を絡め取る。


「その程度の能力では、もう俺には勝てないよ」


 根は枝分かれし、今度はか細く鋭い樹刃がグングニルへと突き出される。


「勝つつもりで、私は来たのっ!」


 咄嗟に反応したグングニルは槍から手を離し、跳躍しながら宙を回る。

 同時に彼女の周りに、真っ赤な炎に包まれた槍が無数に現れる。切っ先は同じくユミルに真っ直ぐ向いている。


「これハ……」

「私の、神ノ槍グングニルの、本来の力!」


 神ノ槍グングニル。狙った獲物は、必ず貫く。

 槍は炎槍となり、一斉にユミルへと襲い掛かる。もはやヴィーザルではすべてを防ぎきれず、数本が肩を、腕を、足を貫いていった。


「はああああぁぁぁああああッ!!」


 鈍い音を立てて槍が突き刺さり、ユミルの身体は炎上し、よろけていく。

 すでに複数の力を使えるユミルに、能力を発動させる暇を与えてはいけない。戦うなら、隙を与えずに一気に制圧するしかない。スヴェント本部で襲撃され、エルウィンと戦って力を覚醒させた時から、グングニルが考えていたことだった。


「……!」


 ユミルは身体の半分以上を燃やしながら、片膝をつく。

 あと、一押し。

 着地したグングニルは即座に槍を両手に構え、走り出す。

 地面を蹴り、一回転。勢いに任せた二槍を振り切り、その首を――。


「ディランっ!!」

「ぐうぅっ!!」


 ユミルの叫びは、薄緑色の障壁を呼び、グングニルの渾身の斬撃を防ぐ。

 両腕に衝撃が走り、顔を歪めたその一瞬。グングニルを襲ったのは灼熱の焔。槍に纏わせたものとは桁違いの灼熱に、身体ごと吹き飛ばされる。


「まだ……!」


 再び距離を取られたグングニルは視界の端にユミルを睨みつける。

 けれどその姿は、さっきまで映っていた彼の姿とは全く異なるものだった。


「俺は、こんなところで死ぬわけにはいかないンダ……!」


 その姿は大蛇か、はたまた龍か。どちらにせよ怪物と呼ぶにふさわしいモノ。

 腕が、身体がどす黒く変色し、その顔は元の整った顔立ちからは程遠い。全身からは黒い蛇が顔を出し、人間とは呼べない悍ましい形と化している。一匹一匹の蛇の瞳に潜む薄暗い黄金の光は本能的な恐怖を煽り、その口と牙は今にも丸のみにされるような錯覚を覚えるほどの巨大さだった。

 神ノ炎スルト。

 神ノ大蛇ヨルムンガンド。

 どちらもオーディニアでは五本の指に入っていたウォーリアであり、ユミルがその手で葬って手にした能力だった。


「槍よ!!」

「無駄だァ!!」


 火矢となり放たれた槍はしかし、炎風に吹き飛ばされ、大蛇に呑み込まれる。進撃を止めない蛇たちはグングニルへと襲い掛かっていく。

 槍で受け止め、首を落としても無数に出現する蛇。キリの無い攻防は徐々にグングニルの体力を削っていった。

 蛇の牙突が二撃、三撃と槍を大きく振動させ、ユミルの身体から放出される熱は肺すらも焼いていく。


「はぁ、はぁ……」


 殺されるなら、とっくに殺されても良い頃だった。

 (スルト)(ヨルムンガンド)の能力との遭遇はこれが初めてだったし、完全に対処できずにいた。

 それでもユミルが致命傷を狙ってこない理由は……。


「もう、能力者は殺せないんだ。私かフェンリル、どちらか一人しか、あなたは殺すことができない」


 神ノ黄昏ラグナロク。

 その発生条件は能力者を殺し、その力を取り入れることで力を一点に集中させること。

 どんな仕組みかは分からなかったが、神ノ力を取り込むにも限界はあるはず。

 ユミルの身体はすでに限界が近い。それは、もはや人の形を保てていないその姿を見ればグングニルにも分かった。


「どこかに、隙ができれば!」


 突進する蛇頭を斬り捨て、灼熱を避けながらユミルの様子を伺う。

 大量の蛇に巻かれ、取り込まれたかのような黒い塊の中、紅く狂気を孕んだ瞳だけがこちらを睨み返している。

 皮肉にも、人間らしい部分はそこしかなかった。


「おおおおぉおおお!!」


 叫びでもしないと、恐怖に押しつぶされそうになる。

 今まで相手取ってきた戦闘機械や兵士たちとはわけが違う。

 ――グングニル、キミは殺しちゃいけない。

 ごめん、エルウィン。

 こいつは、殺さなければ(、、、、、、)生きられない(、、、、、、)

 迫りくる蛇を、地面ごと槍で突き刺して退けていく。

 身体が熱さを通り越して、ただただ不気味で強烈な痺れと痛みを感じる。攻めるこの一瞬だけは、防御などしていられない。

 この一突きを、貫くために。

 突然、視界が紅く光るユミルの瞳から、仄暗い黄金色――蛇の瞳に変わる。

 避けきれなかった。

 正面からの牙突を、避ける手段も体勢でもない。

 目を瞑りかけたその一瞬。


「お前も、良い目をするようになったじゃねぇか」


 瞬時に出現した氷塊に、その言葉と蛇頭はかき消され、冷気とともに瞬く間に崩れ去っていく。

 再び合った紅い視線。

 遮るものは、もう何もなかった。


 ――!


 確かな手ごたえを感じた。

 異形になってしまったが、槍の穂先が貫いているはずの器官の鼓動を。

 鼓動がゆっくりと遅くなっていく。

 異能者と言えど、血が回らなくなれば長くは持たないはず。

 グングニルは素早く槍を引き抜き、吹き出してきた赤いシャワーを浴びながら、上段に構える。


「俺が、キミを殺せなイ? 笑わせるなよなァ!!」


 灼熱に肌が焼け、視界が色を失った。

 何が起きたのか分からなかった。

 確かにこの手で心臓を貫いたのに。


「かはっ」


 膝をついて倒れる直前、グングニルの身体は黒蛇に巻き取られ、ボロ雑巾のように打ち捨てられる。

 壁に激突して出た声は、身体中の血液が蒸発してしまったのではないかと思うほどに乾いていた。


「良い。別にキミでも良いンダ。ラグナロクを起こしてこの世界を終わらせられればそれで……!」


 樹刃が、蛇頭が迫る。

 逃げなければいけないのに指一本動かないどころか、全身の感覚は無いに等しかった。

 今度は私が、貫かれるのか。


 ――それ以上我が槍を汚すことは許されぬ。


 頭に直接響く声。

 視界はいつの間にか眩い光が広がって、襲いかかる異形も消えていた。

 代わりに目の前に立っていたのは、最も会いたかった人の影。


「エル……?」


 呼びはしたものの、全身で覚えた違和感はぬぐい切れなかった。

 確かに目の前にいるのはエルウィン=ラックハイムと呼べる青年。

 振り返ったその髪は銀から真っ白に色が落ち、瞳はユミルと同じく紅く染まっている。

 容貌が多少変わっただけ……ならまだ良かった。

 さっき頭に響いたのはエルウィンの声。

 けれどそれに混じって聴こえたのは――。


「力を納めよ巨人。王の前であるぞ」


 あの時――エルウィンの暴走に対峙した時に一度だけ頭に響いた声。

 低く穏やかな声ではあるけれど、決して反抗することは許されない種類のもの。

 絶対的な支配者の声。


「ずいぶんと醜く我が親族、敵共々喰らったものよ」

「なにヲ、言っているんだァ!!」


 胸に大穴を空け、血を吐き散らしながらユミルは持てる全ての凶器をエルウィンに向ける。

 グングニルを貫くはずだった樹刃が、蛇頭が炎が突き刺さり、噛みつき、焼き尽くす。

 呆然と眺めることしかできないグングニルを背に、エルウィンの身体はそれらを受けつつも瞬時に回復、傷つけた対象それ自体を触れずに塵に変えていった。


「我が槍。すべてを穿つ我が愛娘よ。神槍とは即ち、こう使うのだ……!」


 エルウィンではない。

 そう確信できる目の前の男は、手のひらから紅く眩い光を発生させる。

 光は次の種間には、グングニルがよく知るものに形を変え、本来の持ち主の手に収まった。


「我は神々の王。貴様らの呼び名に倣うなら、神ノ王オーディン、とでも名乗るべき存在だ――そして」


 神槍グングニル。

 その力は、神ノ王が手にすることで初めて真価を発揮する。

 オーディンと名乗った存在が右腕を挙げる。

 血のごとく紅い槍身に、神ノ力が迸り唸りを上げる。力が光と風によって可視化され、手のひらサイズの旋風を発生させる。


「すべての‘力’の所有者であるぞッ!!」


 その叫びの直後、グングニルの耳に届いたのは空間ごと斬り裂いたのではないかと錯覚するほどの異様な音。

 瞬きの間に光の矢になり、ユミルに迫る。

 次の瞬きが終わるころには、文字通り怪物と化したユミルですら生存できるのかどうか分からない。

 そんな一撃。


「……ふん。確かに神ノ城ヴァルハラ。神槍すら弾くとは、我ながらとんでもないものを作ってしまったな。フフフ、クハハハハ!」


 満足そうに笑い飛ばすオーディンの前に、緑の光壁に覆われたユミルが肩で息をしながら立っていた。

 消滅してはいない。

 ただしその姿は、先ほどまでとは別の意味で人間を辞めていた。

 左腕は熱と衝撃で溶けたように質量を失くしていて、右手はその箇所にぶら下がって付属しているただのモノに変わり果てていた。

 左足は膝から下を失い、辛うじて右ひざを地面に着ける状態で身体を支えている状態。


「我がこの世界に降りてきたからには、少なくとも貴様の持つ力だけは返してもらおう、欲深き人間よ。この世界にはいっさい干渉しない。確かにそう誓ったのは我だが、ここまでバランスが崩れれば少々手を加えねばなるまいよ」


 一歩、一歩近づくオーディンに、グングニルは何をすることもできない。

 いつの間にか背後で行われていたスヴェント親子とシーナの戦闘は中断されていた。

誰しもが、この状況の推移を見守る以外にできることがなかった。


「所詮、お前が使っているのは神と呼ばれる存在の力のみに過ぎない。人間ごときがその力を振るい、ましてや世界を滅ぼそうなどと、身の程を知れ」


 再び、オーディンの右腕が上がる。

 力が渦巻き、今度は光が剣のような形を成していく。


「……」


 グングニルはその様子を息も止めるほど静かに見守っていた。

 これで、終わるのだろうか。

 覚悟を決めて、ともすれば差し違える覚悟でやってきたが、唐突に現れた神ノ王が終止符を打つのだろうか。

 浅い息を吐き、俯くユミル。

 その瞳の赤は、見るからに弱々しい。

 ユミル――アレックス。

 あなたの死と引き換えに、私は――。


「これで私も連れて行ってくれぇ!!お前の世界にぃッ!!」


 静寂の中で迎えると誰もが思っていた終わりを、素っ頓狂に高い声が遮った。

 変化したのは視界に映るただ一点。

 オーディンとユミルの間に現れた、漆黒の剣。


「レーヴァテイン!!そいつを壊せば、世界は終わる!」

「裏切りの枝だと?!」


 オーディンが動揺を見せたその隙を、ユミルは見逃さなかった。

 光の剣が到達するより早く、ユミルの口から飛び出した蛇の牙が、漆黒の剣――レーヴァテインを腹から噛み砕いていた。

 硝子が割れるよりも繊細で。

 骨が砕けるよりも悲痛な終わりの音。

 神器にも神ノ力は宿っている。それを破壊するということはつまり、能力者を殺すことと同義。


「終わりが……神々の黄昏が始まる……!」


 ただ一人悦びに打ち震えていたのは、ユミルの背後に立つ男――アバン研究所所長のラーサー。

 テレポートの魔法を使ったのか、姿を現すまで気配を感じ取ることができなかった。


「あなたは……!」

「どういう、つもりだ……」


 グングニルより先に動いたのは、他でもないユミルの口だった。

 図らずも彼の目的は達成された。

 それにもかかわらずラーサーに対するユミルの瞳は、声は、震えるほどに冷たい。


「そこの小僧から奪った神器だ! これでお前が手に入れた神ノ力は十になる。そこにいる裏切り者の計算では、これで世界を作り返るほどの破滅がもたらされるのだろう!」


 ルーサーはビドーを指さし、高揚した声で叫ぶ。

 もはやそこに正常な判断能力は読み取れなかった。


「お前が勝手に、やったのカ……?」

「なに? 力を望んでいたのはお前だろう。私は望む通りに与えてやったのだ! これでこんな思い通りにならない世界ともおさらばだ! さぁ、私も新しい世界に――ひいっ?!」


 短い悲鳴に、呂律の回らない言葉が途切れる。

 ルーサーの前にはいつの間にかオーディンが立っていて、真っ直ぐに突き出された樹刃をその細腕で受け止めていた。


「ふ、力は使い手次第か……こんなか弱き人間を依り代にしている時点で、我自身にも言えることであったか……」

「エル?!」


 床に滴る血と、苦しそうに歪むその顔に、思わずグングニルは名を呼んでしまう。

 オーディンは腕を振り払って樹刃を消滅させるが、身体をよろけさせ、先ほどまでの余裕を見ることができなかった。


「娘よ。ひとまずお前たちの帰るべき場所を頭に念じよ。この場所からすぐに離れなければ、()()()()()()()()()


 そんな言葉と共に、オーディンは淡い光が灯った左腕をグングニルに、正確にはその後ろにいるビドーやプリルにも向ける。

 妙な体の浮遊感と同時に、景色がぐるぐると回っていく。

 テレポートの魔法と同じような感覚。

 いろいろなことが矢継ぎ早に起きて、その感覚がさらに頭の中をかき乱して、何を考えようにも目が回ってしまう。

 とにかく今は言われた通り、帰る場所――スヴェント本部を思い浮かべることに集中することにした。

 みんなで長机を囲んだ大部屋。

 ビドーとプリル、そしてラルクの顔。

 ――。

 思い出の中に混ざったのは、おそらく現在の景色。

 真っ赤な火の海でただひたすらに叫ぶ、怪物の姿。

 その紅い瞳からは涙が流れていて。

 消えかけて、朧げな映像でも、なぜか流れる涙から目を反らすことができなかった。


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