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【神ノ槍】  作者: 黒崎蓮【原作:みなぎゆう】
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【第十八話】セイギセイギ

 研究所の中にある広い食堂には兵士たちが一日のエネルギーを貯めるために集まっていた。ぎっしりと机が並べられている中、余すところなく兵士たちが座っていた。これから行うことへの緊張感のせいだろうか、口数は少なく、食器の触れ合う音が響いていた。

 揃ってベ―ジュ色の地味な服に身を包んだ兵士たちの中に、同じ格好をしたグングニルたちが混ざっていた。

 グングニルの目の前にあるのは乾いたパンと冷めたスープ。兵士たちと同じ粗末な食事だったが、今までにないほどに能力を使った次の日の朝にしては豪勢に見えた。心なしか肌を刺すような冷たい空気の中にいる身体を、スープが気休め程度に温める。


「どうしよう……」


隣に座るプリルがため息とともに呟く。昨日の騒動の終わりにラーサーから言い渡された条件は、プリルだけではない、ラルクやグングニル自身にも厳しいものだったからだ。

アバン研究所所長にして、研究所直轄軍責任者のラーサーから言い渡された条件。


 ——エルウィン=ラックハイムを助けたければ、反政府組織スヴェント壊滅のための戦力として働け。


 無理な条件だった。

 実の父親で、やっと会えたビドーのところに、プリルが襲撃のために行くはずがない。

 ビドーを父親のように慕って、メンバ―たちからも信頼されていたラルクが、スヴェントの壊滅のために戦うはずがない。

 しかしそれ以上に、エルウィンを助けること自体に、もう理由はいらない。すべての損得を考えたところで、今のグングニルにはエルウィンの救出が最優先だった。それはきっと二人も同じはずだった。だからこそ、三人は今兵士に混ざってテーブルを囲んでいた。


「どうするもなにも……。とりあえずあのオッサンの言うようにするしかねぇよ。たぶんこれから向かうのは本部だ。いくら無駄な争いはしないビドーさんでも、この数で来られちゃ戦うしかなくなる」


ラルクが低い声で言った。昨日と違って、目はだいぶ冴えているようだった。


「戦いが始まったら、その混乱を利用してスヴェント側に戻ればいいんだ。あのおっさんも行くみたいだからよ、その時一緒にぶっ倒しちまえばエルも助けられる」


ラルクは周りの兵士に聞こえないように言って、手に残ったパンの欠片を口に放り込んだ。


「でも、石はどうするの?」


プリルが空になったスープの器をのぞき込みながら不安そうに言った。神ノ石を持ち帰ること。危険を冒してまでここまで来た理由だったが、今の状況だとそれを実行するのも難しかった。


「一回スヴェントに戻って準備をしてから、エルを助けて、神ノ石を取りに行く。要は出直すしかねーだろうな」


 そうは言うものの、それがどれだけ難しいか、少し想像しただけでもグングニルにはわかった。ビドーが使っていた抜け道があったから特に苦労もなく第一保管室の手前まで行けたのであって、その存在が割れてしまった今もう一度潜入しようとなると、すぐに良い案を出せそうにはなかった。言った本人であるラルクが一番難しさを痛感している。額にしわを寄せて考え込む顔を見れば、考えるまでもなかった。

 仮に今ここで事を起こそうにも、神ノ力を制御する腕輪を填められたせいで、抵抗することはできない。


「やるしか、ないよ」


 口から出かけた不安を押し殺して、グングニルは強く言った。それが合図だったかのように、三人は席を立って、それぞれの食器を片付け始めた。


*****


 ——普通の人間に、戻りたいと思ったことはないのか?

 アバン研究所第一隔離センター。無数にある扉のひとつに、目を覆い隠すくらいまでの青髪を持った青年——フェンリルが背を預けていた。


「また、なのか」


 扉の向こう側でスヤスヤと眠っているであろう、今は能力者の男の言葉を思い出して、フェンリルは誰にともなく呟く。胸を真綿で締め付けられるようなイラつきが、ため息となって彼の口から洩れた。両手を顔の前まで上げる。昨日、男——エルウィンを切り刻んだ時に大量に飛び散った返り血はきれいさっぱりなくなっていて、正常な肌色だった。


「戻りたくないわけ、ないだろーが」


 奥底に閉まっていたはずの感情が無意識に口から出てしまったことに愕然とする。そんな気持ちを紛らわすようにフェンリルは立ち上がって、どこへ行く当てもなく歩き出した。

 能力が覚醒すると、誰かを殺さずにはいられなくなる。昔は、能力者になる前は、そうせざるを得なかった。生まれて記憶も曖昧な時に両親は死に、生きるために誰かを殺して奪うしかなかった。そして殺し続けるごとに、それが快感へと変わっていってしまった。だんだんと、それが正しいことになってしまった。

 ‘あの時’までは。あの時、食い物を奪うためにたまたま殺した、もう動かない男の亡きがらを前に悲痛の叫びを上げている少女を見てしまった。殺すということが、誰かの‘生きる’を止めてしまうことだと知ってしまった。

 生きるために殺すことの快感が嫌悪感に変わるころには、もう遅かった。政府に捕まり、実験体にされ、【神ノ狼】という殺戮兵器に改造されてしまった。戦いになると殺すことへの強い拒絶がフェンリルの気力を下げるが、一度狼が顔を出せば、それは奥底に閉まったはずの感情を一緒に連れてくる。楽しい、愉しい、タノシイと、フェンリルは、狼は吠えて、ダガーで敵を切り刻む。すべて終わった後に、彼はいつも後悔する。


 ——またなのか、と。


 気が付くとフェンリルは昨日激闘が行われた第一保管室に中まで歩を進めていた。壁には斬撃痕、床には血痕が、そのまま時が止まったかのように残されていた。エルウィンを繋ぎとめていた拘束具やその他の機械類も、原型を留めないほどに破損していた。


「神ノ石、か」


 彼は呟いて、灰色の金属製の棚に近づく。ここには神ノ力の実験のための道具や重要資料が眠っていて、そう簡単には破壊されないようになっている。外傷もひどくはないから中身も無事だろう。そう思ってフェンリルは電子ロックを、番号を入力して解除し、引き出しを開ける。


「……!」


 確かにそこには、何枚もの資料とともに神ノ石‘らしき’モノがあった。しかしフェンリルの予想を裏切り、本来なら六角形の淡く緑色に光る鉱石が、無残にも砕かれて黒い破片と化していた。いくつもある神ノ石が一つ残らず、すべて砕かれていた。

 明らかに、誰かの手によるものだった。神ノ石といっても強度自体は普通の鉱石と変わらない。棚のロックを知っていれば誰でも壊せる。フェンリルの知る限り、ロックを知っていて、これを割る可能性のある人物は一人しかいなかった。


「フェンリル、そこで何をしている」


 鼻にかかった声が、すぐ後ろで聞こえた。あまりにも唐突だったので、思わずダガーに手をかけたが、その声の主を瞬時に認識して短く息を吐く。


「別に」


 ぶっきらぼうに答えて振り向くと、予想通りラーサーの姿がうっすらと光っていてぼやけて見えた。

臆病なやつ。そう心で罵って睨み付けると、緩んでいたラーサーの顔が引きつる。


「ま、まぁいい。私は今から兵を引き連れてスヴェント本部へ向かう。その間の研究所の留守は任せた。……くれぐれもあの被検体の動向には気を付けろ」


 まくしたてるように言ってから、ラーサーの姿は光の粒子になって消えた。フェンリルは気怠そうに首を回してから、一瞬鉄の棚に目を移して、保管室を後にした。



*****



 本来なら砲台などの大きな荷物を乗せる荷台に、グングニルたち三人は押し込められていた。二頭の馬が引くその大き目な荷台には新緑色のカバーがかけられ、偶然に破けていた穴以外からは光は見えず、薄暗い。足場が悪いのか、ガタゴトと荷台が大きく揺れ続ける。

 三人の腕にはそれぞれ力を抑える腕輪が付いているため、逃げようにも逃げることはできない。誰も言葉を発しないまま荷馬車は進む。

 ——これを使って、お前が本当に守りたいものを守って見せろ。

 今は研究所の中だろうか、自分の得物であるト―ルを渡された時のビドーの言葉が頭に響いた。何の前触れもなく突然だったが、すでに闇に落ちそうだったラルクの意識が、そのまま目を閉じて、追憶をすることを許した。


 政府の神ノ力の実験のために捕まった弟のような人はもう出て欲しくない。そんな人たちを助けられるくらいに強くなりたい。そんな思いから反政府組織スヴェントに入ることを決意したラルクだったが、いきなり大きな問題にぶつかることになった。


「や、やっぱり駄目だ、ビドーさん。俺、剣を持てなくなっちまってる」


 弟を連れ去られたトラウマが原因か、柄に手をかけることはできても、鞘から引き抜くことができなくなってしまっていたのだ。仮にも兵士訓練所にいた身でありながら、下手をすれば一般人でもできそうなことができなくなった自分を恥じた。そんなラルクにビドーは馬鹿にするでも怒鳴るでもなく、ただ一言こう言った。


「お前はお前のやり方で強くなれ」


 自分に自信を失いスヴェント脱退も考えていたラルクにとって、その言葉は単純ではあったが十分に救いの手だった。‘できるだけ殺すな’。ビドーの言葉を聞かず、政府に強い憎しみがあって直接自分の手で切り刻んでやりたい。そんな輩とは正反対の、銃を使った後方支援の戦い方。元々人を殺すことに強い抵抗があったラルクには、遠くから狙い撃つことができて、殺したという感覚も格段に少ない銃という存在は盲点だったと同時に助け船だった。

 それからというものの、ラルクは戦闘時には敵味方が入り混じる中で、仲間に明らかに危害を加えそうな敵だけを的確に撃ち抜いたり、わざと足を狙って戦闘不能にしたりと、ビドーの言いつけを守りながら順調に活躍していった。気が付けばぞの実力やさっぱりとした性格、洞察力から、メンバ―たちからの信頼も得てビドーの片腕になっていた。

 ちょうどその時から、ラルクが戦闘に加わる回数が少なくなっていった。研究所への偵察や襲撃など、ラルクが手助けをすればすぐに終えられる任務も、ギリギリの局面になるまで手を貸さずに指示役に徹した。面倒くさかったわけではない。この任務を終えれば、政府によって苦しむ人が少しでも減る可能性がある。それは頭でわかっていた。しかし、求めていた力を手に入れれば入れるほど無意識に、守るべき人を守るための戦いから身を引くようになっていった。

 ある日のことだった。ビドーに呼ばれ奥の部屋に来てみると、机には異様な輝きを放った一丁の銃が鎮座していた。落ち着いたこげ茶色をした長めの銃身に、雷のような模様が絡みついた神秘的な銃だった。


「お前の実力を認めてこいつをやる。【神ノ雷】ト―ルだ」


 ラルクの目の前にあったのは、手にすれば能力者と同等、もしくはそれ以上の力を手にすることができる神器というものだった。


「これを使って、お前が本当に守りたいものを守って見せろ」


 その時のラルク——戦いから身を引き気味だったことを自覚していなかったラルクは、その言葉の‘裏’を読むこともなく、まるでおもちゃを買ってもらった子どものように大はしゃぎをしていた。これでみんなを守る力が強くなったと。


 だけど、今はどうだ?圧倒的な力の差や次元の違う戦いを見せつけられ、俺は今仲間を助けられているのか?現に俺たちがこうして捕まっているのも、俺がもっと戦っていれば違っていたんじゃないか?俺が本当に守りたいもの。

 それは……。



*****



 いつの間にかラルクの目はぱっちりと開いて冴えきっていた。徐々に荷馬車の速度が遅くなっていく気がする。しばらくして、荒々しい男の声とともにカバ―が外され、入ってきた光の眩しさに思わず目を伏せた。


「降りろ」


 兵士数人が無表情にそう言って、腕を強く掴む。半ば乱暴に降ろされて、目的地であるスヴェント本部に到着したことを確認した。すぐ目に入ったのは生まれ育ったファードランドへと続く石造り長く丈夫な橋。いつも本部へ来る時に通ってきたお馴染みの橋だった。

 帰ってきたという感覚にはなれず、縛られるような緊張がラルクを支配していた。


「自分で降りられるから!触んないで!」


 グングニルに続いて降ろされたプリルは不機嫌そうに反抗する。目の前にいる少女が強力な魔法を使える魔導師だと知っていれば違ったのだろうが、もちろん兵士たちはそんな要求には従わず、万が一に備えてプリルを両側から抑えながら荷馬車から降ろす。


「まったく、レディを何だと……え?」


 悪態をつきかけたプリルの視線が、ラルクの背後を捉えて固まる。グングニルも同じ方を見て、表情を強張らせていた。嫌な予感がして振り向いたラルクは、目に飛び込んだ映像に言葉を出せなかった。


「お前ら……何やってんだよ」


 苦労して言葉を紡いだ先には、数十人のスヴェントメンバ―たちが自分たちの武器を地面に置いて、両手を上げていた。


「ふふっ、ははははっ! なんだそれは? 降参のつもりか?」


 先頭に立ち、鎧を着こんだラーサーは嘲るような声色で言って、メンバ―たちを見渡す。後ろにいる兵士たちからも失笑と罵詈雑言が巻き上がった。


「違う。これは最後の通告だ。神ノ力に関する実験を、今すぐやめろ」


 向かいに立つ若い男が、ラーサーに、凛とした表情を向けて言い放つ。声に含まれていた震えはラルクがいる位置からでも感じることができた。


「実験によって!何人もの罪のない人々が家族や友人の前から姿を消した!残された者の悲しみを、やりきれない思いを、お前たち政府は考えたことが一度でもあるか?!」

「国家を守るためなどという大義名分で、罪の無い一般市民を殺すなんて許されるわけねえだろうが!!」


 先頭に立った男の発言を皮切りに、メンバ―のあちこちから政府への不満と怒りが湧き上がる。


「ふんっ、何かと思えば口先で我々に揺さぶりをかけようというのか。ビドーの奴隷にしては珍しい手法だが、やかましいことこの上ないな」


 不満の嵐が吹きすさぶ中、ラーサーは苦々しそうに髪の毛を指で弄りまわす。ラルクは、飛び出してその髪の毛をむしり取ってやりたい衝動を抑えて状況を見る。

 メンバ―たちの声に、少しずつではあるが兵士たちを取り巻く雰囲気が変わっていくようにも思えた。

 どうすれば良いか分からず、指示を待っているのだろう。しばらく攻め込むことはなさそうだった。


「ビドーさん、どういうつもりなんだろう……?」

「分からねぇが、たぶん……」


 言いかけて、同じく固唾を飲んで見守るプリルに視線を向ける。

 ——戦ってはいけない。プリルの、ビドーの愛娘の言葉がここで生かされたのではないかという考えがラルクの頭を過った。


「ならば、私からも言わせてもらおうか」


 ラーサーの一言に、騒ついていた場が一瞬で静まる。


「今のオーディニアの状況が分かるか若者たちよ。周りを強大な武力を持った大国に囲まれ、力を持たなければ民を守ることもできない。民を、弱き者たちを守ることが政府の、国家の役目だ。そしてこれは正義!正義を貫き通すためにはより強大な力——神ノ力が必要だ。これほどまでに大きな力を手にするにはそれなりの犠牲が伴う。当然だ。何かを得たければ、それ相応の対価を払わなければいけないというのは遥か昔から続く不変の原則」


 力強く言い切って、まるで同意を求めるかのように周囲を見渡す。メンバ―たちは気圧されたかのように誰も反論しない。


「君たちの家族やお友だちは、弱き者たちを守るという正義の下にある、正当で尊い犠牲というわけなのだ」


 メンバーの数人が反論しそうになったのを、ラーサーは片手で制し、勢いを止めずにまくし立てる。


「故に! 我々の行為は正義を貫き通したまで!これ以上邪魔をするなら、君たちも正義の名のもとに死んでもらうしかなくなる」


 その言葉が終わらないうちに、ラーサーが右手を挙げる。背後にいた兵士たちが一斉にメンバ―たちに銃口を向けた。すぐ隣にいた兵士が銃を構えた音だけでも、ラルクは背筋を針で刺されたような鋭い恐怖を感じたのだから、メンバ―たちの心境は想像したくもなかった。


「畜生……!」


 今、腕に制御装置が填められていなければ、ト―ルが手元にあればこんなやつらなんか蹴散らすことができるのに。そう後悔がせり上がっていくのと同時に、小さな疑問が顔を出した。

 ——本当にそうなのか?


「俺たちが死んでも……」


 疑問に答えを出す前に、メンバ―の掠れた声が届いた。


「俺たちが死んでも、証拠は掴んである。これがファードランドだけじゃない、広く出回れば政府に対する反感はさらに増して、お前たちを追い詰める。罪の無い人たちを殺したことが隠せない事実として公の場に晒される!」


 メンバ―の行動はラルクが想像したような、武器を持って戦うでも逃げることでもなかった。誰一人として上げた両手を下げずに、その場で仁王立ちをしていた。

 ラルクは心を奥底から揺さぶられるような衝撃を受けると同時に、浮かび上がっていた疑問の答えがはっきりと見えた。


「俺に足りなかったものが、そこにある……。俺が本当に守りたかったのは……」


 ラルクは目の前の光景に一歩、無意識に足を踏み出していた。


「殺すことも含めて正義だと言っただろう。むしろ問題は君たちじゃないか。それこそ罪の無い、正義を全うしようとした多くの兵士たちの命を奪った。腹いせか?復讐か?中には将来有望な科学者もいた。君たちこそ、復讐という愚かな理由で、殺してやりたいという醜い理由で殺戮を繰り返した!」


 熱を増していくラーサーの言葉に、ラルクの無意識に怒りが加わる。気づけば駆け出して二つの勢力の間に立っていた。


「ここにいる奴らが殺したいからって殺してるわけねぇだろ!!みんな守りたいものを守るために殺してんだよ!殺さなきゃならなかったんだよ!あんたらと一緒だ!」


 守りたいもの——それが残された家族であろうと、自分自身の命であろうと。

 ラーサーは突然の乱入に焦りの表情を浮かべたが、武器を持たず何もできない相手だと知ると調子を戻したように笑みを浮かべる。


「ほう、つまり君たちの行いも正義というわけかね?」

「あぁ、そうだな。セイギとかいうやつが二つ並んじまった時、政府のお偉いさんはどうすんだよ?」


 ラルクも負けじと、煽るような口調で言葉を返す。


「そうだな、‘今まで通り’に……」


 俯いたラーサーの顔面が、一瞬光を反射したかのように煌めいた。


「ラルク!!」

「ラルクさん!!」


 グングニルとメンバ―の叫び声が耳に届いたと同時に、ラーサーの手に握られた剣に紅い液体がべったりと付いていたのが目に焼き付く。


「力の弱い正義を’ギセイ’にするまでだ」

「な……に?!」


 身体中を引き裂くような痛みが襲って、ラルクは自分が一閃されたことを理解した。斬られた個所から止めどなく血が溢れ、必死に酸素を取り込もうと呼吸が意思とは関係なしに速くなる。痛みを紛らわすように、開いた口から絶叫が漏れる。


「はぁ、政治の話は疲れるな」


 その場に崩れたラルクには目もくれずラーサーはため息交じりに言った。その表情からはすでにメンバ―たちと会話を交わす気力など全く感じられなかった。


「ト―ルの使い手よ。お前の言っていることが正しいのなら、彼らは今、守るべきものとやらのために戦うべき——」

「やめろよお前ら!!絶対に戦うんじゃねぇぞ!!こいつは、小難しいこと言ってお前たちを、がはっ!」


 もはや飾る必要もないのだろうラーサーの言葉を遮るように叫ぶ。叫べば叫ぶほど痛みは増し、傷口が広がっていくような気がした。

 それでも立てと、もう一人の自分がしきりにラルクを急き立てる。ラーサーが挑発をして戦闘に持ち込ませ、スヴェントを殲滅させようとしていることは明らかだった。現に、後ろからは怒りと殺気が肌で感じられるくらいだった。


「はぁ、はぁ……。こいつらはな、今生きている奴を守るためなら、自分の命まで投げ出しちまうようなやつなんだよ……俺とは違ってな! 弟と同じ思いをする人がいなくなる世界を作るために強くなるとか言いながら! 本当は自分の命が一番大事で、死ぬのが怖い臆病な俺なんかとは違ってなぁ!」


 自ら戦うなと言っておいて、もはや自制が効かなくなっていた。残った気力で立ち上がると、やり場のない怒りで力無く振り上げた拳をラーサーめがけて突き出す。


「くっ!」


 拳が届く前にもう一閃、真横に振り抜かれた斬撃がラルクの腹を掠める。ラーサーの表情にさっきまでの余裕は無く、少しずつ距離を空けていく。


「へ、へっ……! あんたが今‘下がらなければ’俺は確実に死んでた。自分が死ぬかもしれねぇって怖がってんのか? 国を守るために犠牲が必要とか言ってるお偉いさんが、何の武器も持たない俺にか? なぁ、あんた、今まで一度でも良いから、自分以外の人のために命かけようって気になったことあるかよ……?」


 ラルクは息絶え絶えになりながら、一歩踏み出す。身体を支えるのも精一杯のその一歩が、ラーサーだけでなく後ろにいた兵士たちをも退かせた。


「ち、近づくな!」


 完全に冷静さを失ったラーサーは剣を振り回す。ラルクに切っ先が当たるが、どれも浅いものだった。


「もう、嫌だよ……やめてよラルくん!」


 一撃が足を掠め、呻き声とともに膝をつくラルクに、プリルは涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら叫ぶ。グングニルも、顔を覆った両手から大粒の涙が零れ落ちていた。


「お、俺は、今がその時だ! 残された奴らのために命がけで戦ってるこいつらと、俺をここまで面倒見てくれたビドーさんのために!! 神ノ力なんかなくたって、力なんか持たなくたって!俺は死んでもここを守ってやる!」


 ラルクは言い切って、両手を大きく広げる。それが合図だったかのように、背後から殺気とは違った大きな力を、薄れゆく意識の中で感じた。


「お父さん……?」


 涙で霞んだプリルの視界に、スヴェントの男たちの群れを割って入ってきたのは、父親であるビドーだった。朱色のオ―ラが身体全体を覆い、拳だけを守っていた神器のナックルは、肘までを隠すガントレットの形になっていた。

 一歩一歩踏み出すごとに空気が震えるような感覚が、その場にいる全員を襲った。地に伏せる血だらけのラルクを横目に見て、それから同じく赤く染まった剣を握るラーサーをサングラス越しに睨み付ける。


「こいつは、もう十分痛めつけただろう?今度は……俺を斬ってみろ……!」

「ひっ……!」


 深い洞穴から響いたような低い声に、ラーサーの威勢の良さは吹き飛んですくみ上る。他の兵士たちもその迫力に圧倒され、たじたじと後ずさりを始める。


「ふ、ふんっ!お前たちなど、今殺さなくてもいつでも消すことは容易い!新しい力も手に入ったことだしな……全員、た、退却だ!」


 上ずった声での号令からの退却は素早かった。グングニルやプリルには目もくれず、瞬く間に橋の向こうへと消えていった。


「……ふう」


 ビドーが短く息を吐く。同じタイミングでスヴェントメンバ―たちも、その場にしゃがみ込む者もいれば、お互いに無事を喜ぶ者もいた。


「ラルク!」


 グングニルが駆け寄ると、皆はつられるようにビドーに抱かれたラルクのところに押し寄せる。


「ビドーさん、俺、力を手に入れても、臆病なままだったんだな……」


 薄眼を開けたラルクが掠れた声で呟く。


「守りたかったのは自分の命だったんだ。死にたくなかった。……だけど、最後の最後だけは皆を守ることができたし、あいつとの約束を、立派な戦士になるって約束、果たせたかな……ははっ」


 うわ言のように口から洩れる言葉に、ビドーは黙って耳を傾ける。それからラルクはグングニルの方へ首を傾ける。


「それと、グングニル。あのイチャコラ野郎に言っといてくれよ。この天才ラルク様が、グングニルを命がけで、守ってやったぞ―ってな」


 力無く笑みを浮かべるラルクに、グングニルは声を押し殺して首を激しく縦に振る。


「それから……」

「もう良い。ゆっくり休め」


 言いかけた言葉をビドーが止める。ラルクは素直に頷いて、ゆっくりと目を閉じた。


「嫌、嫌だってばラルくん!死なないでよ!うわあああああ!!」


 ラルクの胸に顔を埋めて大声で泣くプリルを中心にすすり泣く声が徐々に広がって、暗く諦めにも似た雰囲気が場を包み込んだ。


「おい、こいつまだ息はあるぞ」

「……え?」


 ビドーの、さも当然といったような言い様に、泣きじゃくっていたプリルが、スイッチを切り替えられたかのように泣き止む。


「だいたい死ぬ直前のやつがあんなにベラベラと喋るわけねぇだろ。……このバカ」

「え?えっ?ラルくん生きてるの?!」

「生きてる!みんなでこのバカを担ぎ込んで急いで治療してやれ!まぁ、バカにつける薬があればの話だけどな!」


 いつもと変わらぬビドーの物言いと、どこか嬉しそうなその表情にメンバ―たちも信じたのか、揃って返事をして、あっという間に傷だらけのラルクを、文字通り全員で担いで本部まで連れ出していった。


「で、でも何で?」


 嵐のように去っていった男たちに残され、グングニルはビドーに尋ねる。


「あいつも一応は疑似能力者だ。ト―ルがその場に無くても、力は使ったことがあるんだからその名残が身体の中に残っていても不思議じゃねぇ。ちょっとした身体強化くらいされててもおかしくねぇってことさ」


 ビドーは本部の方を浮かべながら、楽しそうにそう言った。


「さて、あの調子じゃアバンの方では上手くいかなかったようだな。エルウィンの姿も見当たらない。……何があった?」


 安心もつかの間、最も大きな問題は残されたまま、当の本人——エルウィンと同じように静かに眠っているのだった。二人は本部に戻る傍ら、アバンで起きたことを代わる代わるビドーに話していった。



*****



 草木も茂らない乾いた褐色の大地に、兵士たちを守っていた鎧とともに、鈍色の力の粒子がまだ残っていた。目の前にいる私の主——と、私が勝手に決めた異形の存在が、つい二分前に殺した神ノ力の能力者の存在の跡だった。

 通常の人間ではありえないくらいに隆起した上半身の筋肉。悪魔の手のように変形した右手。左手で掻き上げた白けた緑色の髪の奥から見えるのは、狂気を孕んだ、爛々と光る紅い瞳。


「そろそろ、だよ」


 明日行くピクニックの場所を決める時のような感覚で、【神ノ巨人】ユミルは、次に殺す標的を定めたようだった。それを誰か——私ではないことは確かだ、ここにはいない誰かに、本当に楽しそうに伝えていた。

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