【第十五話】強襲
「おいっ!起きろよ!ビドーさんが呼んでるぜ!」
布団を引き剥がされ、エルウィンは深い眠りから引っ張り出された。
夢を見た記憶が無いから、よほど熟睡していたことが分かった。
目を擦って起き上がると、ラルクがいたずらっぽい笑みを浮かべながら引き剥がした布団を放り投げたところだった。
「おそようエルウィン! お前らにとっちゃ朗報が待ってるぜ、たぶんな!」
「朗報……? 何か分かったのかい?」
朝から興奮気味なラルクとは対照的にエルウィンが目覚め切っていない頭で訊く。
「そりゃ、来てからのお楽しみだ。昨日最初に入った部屋で待ってるぜ!」
ラルクはそれだけ言って、足早に部屋を出て行った。
昨日は確か、ビドーにディスクを渡すように目の前で笑っている青年に頼んだはずだった。それを思い出して完全に目が覚める。朗報、ということは研究所でディスクを見た時には分からなかった何かが分かったのかもしれない。
エルウィンは微かな期待を抱きながら、ベッドから降りた。
昨日と同じように大部屋に入ると、ベーコンエッグとパンが載った簡単な朝食が並んでいた。香ばしい匂いがエルウィンの鼻腔をくすぐる。
すでにグングニルとプリルは食べ始めているようで、口をもぐもぐと動かしていた。
「来たなエルウィン。まぁ食えって! 話はそれからだぜ」
すぐにでも話を聞きたかったが、ラルクに促されてエルウィンはグングニルの隣に座る。
「おはよう、エル」
「おはようグングニル。よく眠れたかい?」
「うん、なんだか久しぶりによく眠れたわ」
「実は僕も。夢も見なかったよ」
エルウィンは微笑んで言って、ふとプリルを見る。向かいの席のプリルは黙々とパンを口に入れていた。
「プリルは……大丈夫なのかな?」
昨日、プリルとビドーが二人だけで話した内容をエルウィンは知らない。出会ってから昨日までしきりに言っていた目的を果たしたからなのだろうか、朝からガツガツと食べる、いつもとあまり変わらないプリルが気になって小声で訊く。
「うん、話はついたみたい。後はプリル次第だと思う」
グングニルは頷いて、確信を持っているような様子で言った。
「そっか、なら良いんだけど」
もう一度プリルの方を向くと、丸い目とぴったり目が合った。
「おはようエル!早く食べちゃいなよ!朝は食べないとやってけないよ!」
エルウィンの一抹の不安を吹き飛ばすような声でプリルが掃除機のようにパンを口に入れながら言う。
「うん、そうするよ」
そんなプリルの様子を見ながらエルウィンは席に着く。
エルウィンはパンを一口齧る。飲み込んで、空っぽの胃袋が少しだけ満たされた。隣に視線を移すとグングニルも美味しそうにベーコンを頬張っている。
——なんか、平和だな。
一瞬夢かと思うくらいの静かで穏やかな空間の中でエルウィンはふと、そんなことを思った。しかし、その平和も数秒のもので終わってしまう。
目の前のプリルがパンの最後の一口を口に入れようとするのと同時に、木の扉が勢いよく開かれる。入ってきたのは案の定、サングラス姿のビドーだった。紙の束を抱えながら、早歩きに進んで長テーブルの一番奥に座る。
プリルは入れかけたパンを食べるのも忘れ、緊張したような面持ちで父であるビドーを見つめていた。
「エルウィン=ラックハイム! 昨日のディスクは解析させてもらった」
腹に響くようなビドーの声が、部屋の緊張感を高めた。
「ユグドラシルか……。こんな研究をしていたやつがいたなんてな。もっと早く気づいていれば……」
ビドーが悔やむように言う。思い返してみれば、当時のディランがやっていたことは政府の方針に真っ向から敵対すること。反政府組織スヴェントのリーダーであるビドーともっと早く出会っていたら、今頃はどうなっていただろうか。
「なぁ、ビドーさん。俺にもそのユグドラシルってやつが何なのか教えてくれよー。この感じだと分かってないの俺だけだよな?」
ラルクが不服そうに周りを見る。どうやら内容は聞かされていないらしかった。
「そうだな、簡単におさらいしておくか」
ビドーはそう言って机に置いてあった紙を広げる。何かの設計図のようなものが細かく記されていた。
「ユグドラシルは簡単に言っちまえば神ノ力をもともとあった異世界に戻す装置。能力者だろうが疑似能力者の武器だろうが憑依している神ノ力はみんなこの世界からなくなる。俺たちにとっちゃ理想の産物だ。仕組みもシンプルで、神ノ力をこっちに呼び出す装置の応用。つまり逆転の発想ってやつだな」
ビドーの簡潔な説明に、同じ研究者として、かつての仲間に畏敬の念すら覚えた。
「そんな発明、ほんとにあったのか……。政府の奴らにもまともな頭したのがいたんだな」
ラルクは関心したように呟く。
「さて本題だが、ディスクの中のディランは、政府の技術では作れないって言ってたな?」
エルウィンは無意識に頷く。一番の問題はそこだった。せっかくの希望もただ見えているだけで掴むことができていない。
「確かにあれは今から十年近く前の映像だからあんなことを言ってただけだ。俺も政府から抜けたとはいえ、技術の吸収には貪欲のつもりだ」
ビドーはにやりと笑って言う。次の言葉が待ち遠しかった。グングニルが隣で深く息を吐くのが分かった。
「ユグドラシルは作れる。このスヴェントの技術でな」
ビドーはきっぱりと言い切った。
「じゃあ……!」
これでグングニルを助けられる。エルウィンのはやる気持ちを抑えるように、ビドーが手で制した。
「ただ一つ問題があってな。ユグドラシルを作るのにどうしても必要な素材が足りない。なんだか分かるか?」
どうしても必要なもの。エルウィンは頭をフル回転させる。神ノ力を異次元に戻す最終兵器。逆転の発想。特別な力……。
「神ノ石か!」
閃いた瞬間に口から出た。予想以上の大きな声に自分で驚く。
「正解。神ノ力を現実世界に呼び出すのに一役買った鉱石だ。こっちも神器を作るために少し持ってた時期があったんだが今は無くてな」
神器——疑似能力者が持つ武器の作成にも大きく関わる神ノ石。これを人間が見つけてから、神ノ力による悲劇が始まった。ユグドラシルを動かし、全てを終わらせるのも神ノ石ということだろう。
「そこで相談だ。ここから東の海へ渡った先に孤島がある。そこにはこの国で唯一能力者の作成をしているアバン研究所がある。政府本部が壊滅して混乱してる時にケリをつけたくてな。俺たちもそろそろ動きたいんだ。……あとは分かるよな?」
——アバンへ行って神ノ石を取ってこい。
サングラスの奥で光るビドーの目が、音もなくそう告げていた。
「神ノ石があれば俺たちも余計な犠牲を出さずにすべて終えられる。お前もその子を救うことができる。最高のビジネスじゃねえか」
アバン研究所に行って最後のカギを手に入れる。それはグングニルを助けることができる第一歩であると同時に、エルウィンが完璧に政府側を裏切るということだった。
「今さら後戻りなんてできないよな。もう、ここまで来たら進むしかないんだ……」
エルウィンの決意を込めた呟きに、ビドーは満足そうに笑みを作る。
「ちなみに俺も行くぞ。アバンは昔俺がいたところだ。変わってなければ石の場所も分かる。それまではスヴェントを頼んだぜ? ラルク」
「えっ?!俺?」
うたた寝をしていたのか、ラルクはビクッと身体を揺らして反応する。
「お前以外に誰がいるんだ? 副官さんよ」
「お、おう……。分かったよ。その代わりビドーさん、ちゃんと政府の奴らをボコボコにしてきてくださいよ?」
目が覚めたばかりのように大あくびをしながらラルクは言う。相変わらずその様子には緊張感の欠片も感じなかった。
「任せとけ」
答えたビドーにも緊張感はない。しかしこっちには妙な安心感があった。
「そんなの、そんなのダメよ!!」
へらっと笑ったビドーに噛み付くように、プリルが間髪入れずに叫んだ。
緩みかけていた糸が張り詰めるように、空気が固まった気がした。
「もう誰も傷つけないでよ……。みんな、死んじゃうかもしれないじゃない……!」
プリルは絞り出すような声で訴える。机を囲む四人の視線がビドーに集まった。
当のビドーは自分の娘であるプリルに鋭い眼差しを向けながら、ゆっくり口を開く。
「プリル、誰も一滴も血を流さずに済めば今ごろとっくに戦いは終わってるんだ。……それに、お前には村に帰ってもらう。もうすぐ関係なくなるんだ」
「勝手に決めないでよ! あたしは、ずっとエルとグンちゃんといたのよ! 今さら関係無いわけないじゃない!」
プリルは小さな手で机を叩き、真っ直ぐに父親を見据えて鋭く言い放った。ビドーは口を開けたまま、言葉を出せずにいた。
「それでもお前には……!」
ビドーが口を開きかけた途端、低い轟音とともに建物が大きく揺れた。
「なんだ?!何が起きた?!」
ラルクが慌てたように立ち上がる。そのラルクとは対照的に、エルウィンは轟音と揺れよりも恐ろしい何かを身体全体で感じ取り、麻痺状態に近い感覚だった。
「あいつだ」
エルウィンはほぼ反射的に口走った。
*****
外に出るまで全速力で廊下を走り抜ける。その間にも揺れではない、肌を刺すようなビリビリとした感覚が止まなかった。扉が近づくにつれてそれは大きくなる。殴りつけるように扉を開けたエルウィンの目に飛び込んできたのは予想通りの男の姿。黒いフードの奥から見える瞳は紅く光り、左腕は悪魔か獣のように変化していた。
「ユミル……!」
彼を呼ぶ声に憎しみが混じる。
「エルウィン……だったか。ディランは最期の時までキミを信じていたよ」
ディラン——ヴァルハラの名を聞いた瞬間に憎しみとともに後悔がせり上がる。この男が目の前にいるということは、政府本部の建物と運命を共にしたのは結局ヴァルハラだけだったということだ。エルウィンは無意識に腰にある剣を引き抜く。レーヴァテインの黒い刀身がエルウィンの心に応えるように黒く蠢いていた。
「お前、その剣は……」
「えっ?」
背後から誰かが、自分に向かって何かを言ったのが聞こえた。それに反応するより先に、強烈な殺気がエルウィンの腕を動かした。
「俺が憎いかエルウィン!……なら、この醜い世界を恨むことだな」
紅く禍々しい光の刃を片手に、ユミルはエルウィンの心を察したように、笑みを浮かべながら突進してきた。彼の笑みを隠すものは何もなく、ただ純粋な憎しみが染みついていた。
「お前がユミルか。……哀れな姿だな」
続けて扉から出てきたビドーがユミルの姿を見て呟く。
「ビドー・スヴェント……。これは醜いこの世界を終わらせるための姿だ。そのために、新しい力を手に入れるために来た」
——世界を終わらせる、新しい力……。
昨夜ラルクと話した内容がフラッシュバックされる。
エルウィンの頭の中で、カチリと音を立てて何かが繋がった。
「ラグナロクを、起こすつもりか?」
エルウィンの一言に、後ろにいるグングニルたちが固まる気配がした。
「ふふっ、今さら何を言っているんだ。当たり前だろう? この醜い世界を滅ぼして新しい世界で俺は……ミリィと生きる。そのためには……」
エルウィンの腕に重圧が一瞬だけかかり、二人の距離が開く。一息置く間もなく、醜く、狂気的に笑ったユミルが振り切った右手から、紅く禍々しい光が現れる。
「【神ノ槍】グングニル、【神ノ剣】レーヴァテイン、【神ノ拳】テュ―ル、【神ノ雷】ト―ル! キミたちの力を貰う!」
紅い光が、弾丸の如く五人に向かう。
「そんなこと……させるか!僕はグングニルを守って、世界も守る!」
振り切った黒い刀身が光を砕く。散った光は目標を失い地に穴をあける。
「守れないさ!どうせ誰もな!どれだけ力を手に入れようが、何も変わらない!」
「……っ!」
ユミルの言葉に、ヴァルハラの黄金に輝く姿がフラッシュバックされる。自分を最後まで信じていたという、絶対に越えられない男の表情が、目の前にいる男の声にかき消されていく。
——こいつがヴァルハラを殺したんだ。
エルウィンの中に、黒い心が一つ零れ落ちる。それは瞬時に燃え上がり、憎しみの炎が渦巻いた。
「……?!」
黒い刀身に上塗りするように、黒い炎が剣を覆った。
「うおおおおお!!」
感情の高まりが、炎を暴発させた。迸った黒い炎はそのまま柱となってユミルを貫こうとする。柱の先端がユミルに達したと同時に、小さな爆発がエルウィンとユミルの間に起こった。
「はぁ、はぁ……」
自分でも何が起きたのか分からないまま、しかし黒煙の中で素早く後ろに引くユミルの姿はしっかりと捉える。
「これが、神ノ力……」
エルウィンが呟いた刹那、後ろから一瞬だけ力を感じる。振り返るより前にエルウィンのすぐ耳元を紅い槍が弾丸のように通り抜ける。煙が晴れた前方、グングニルの紅い槍が真っ直ぐにユミル目がけて突進していく。そしてその胸を捉えた——はずだった。
ユミルと槍の間に、風のように現れたひとつの人影が、グングニルの槍を弾く。
「ユミル様に手を出すな」
剣を弾いた鋭い金属音が響く中、低めの女の声が、はっきりとエルウィンの耳に届く。人影を確認すると、中性的な顔立ちの人物が、剣を両手にそれぞれ持ちながらユミルの前に立っていた。
声からして女性だろうが、彼女からは神ノ力を感じ取ることはできなかった。神ノ力を持たずに神ノ力に対抗し、グングニルの一撃を跳ね返した。その事実をようやく飲み込み、エルウィンは剣を構え直す。
「ユミル様の敵は私の敵だ。……シーナ、参る!」
シーナ。そう名乗った女性は双剣を交差させてエルウィンに狙いを定める。それを確認した一瞬後にはすぐ目の前に迫っていた。
「エル!」
そこに紅い槍を持ったグングニルが割り込む。双剣の衝撃にグングニルはわずかに押されているように見えた。
「この人は私がやる!エルはユミルを!」
グングニルが振り向かずに叫ぶ。エルウィンは弾かれたようにグングニルとシーナの間を走り抜け、ユミルとの距離を詰めていく。再び自分の中の感情を滾らせながら。
「エルウィン、加勢しよう!」
ビドーはそう言って、両手を空に上げる。
「……」
隣にいたプリルはその様子を不安そうな表情で見つめていた。
「プリル」
「な、何よ」
突然名前を呼ばれたプリルは肩をビクリと震わせて、すぐに表情を引き締める。
「俺がどんな思いでこの力を手に入れたか分かるか?」
「知らないわよ。お父さんが勝手にやったんでしょ」
無愛想に答えるプリルに苦笑しながら、ビドーは前を見据える。
「家族を守るためだ。あいつはもういなくなっちまったが……。残されたお前は、何があっても守る!」
「……!」
プリルの顔が崩れるのを、ビドーは視界に入れていなかった。吠えたビドーの両手に、朱色の光が輝く。光が止んで、ビドーの拳にはめられていたのは、光と同じ色をしたナックルだった。
——【神ノ拳】テュ―ル。
「待ってよお父さん!」
プリルの制止を聞かずに、ビドーはエルウィンと同じようにユミルに向かって行った。
「……。いや、今はそんなこと考えてる場合じゃねえ」
ラルクは脳裏に焼き付いた疑念を払ってエルウィンの背中から目を反らす。
「ったく! 政府のやつには協力しねぇって決めてたのによ!」
すでに人間離れした戦闘を見せるグングニルとシーナを眺めながら、ラルクは悪態をつく。腰に収められた銃より一際大きな得物に手をかけながら、電光石火のごとく間合いを詰めたり離したりしている二人を見つめていた。
「そ、そう!これは武者震いってやつさ!やってやるよ!!」
深く息を吐いて得物を引き抜く。黄色い雷がバチバチと銃身に迸っていた。それを両手でしっかりと構え、素早く動き回る双剣使いに狙いを定める。
——【神ノ雷】ト―ル。
ラルクの耳から、徐々に周りの音が遮断されていく。全神経が、目標を撃ち抜くためにその目に集中していく。
完全な無音。人差し指が静かに引き金にかかる。
「貫け」
ラルクの短く低い声と同時に、轟音とともに、強力な神ノ力を宿らせた光の弾が一直線にシーナに吸い込まれていった。
*****
エルウィンの黒い第一撃をユミルの紅い刃が軽々と弾き返す。その反動を利用した回転斬りも一撃目と同じ運命を辿る。
「……!」
もはやエルウィンの中で自制は効かなかった。ふつふつと湧き上がった怒りの感情が、今は心をそれ一色に染め上げていた。がむしゃらに斬撃を続けていく。纏った黒い炎と手に伝わる衝撃で、だんだんと感覚が失われていく。
「はぁっ!」
頭をかち割らんばかりの一撃。今まで防御に徹してきたユミルが動く。獣のように変化した左腕が、真上からの斬撃を受け止めた。
「なにっ?!」
その衝撃を物ともせず、浅葱色の衝撃波がエルウィンの全体を襲った。今までのユミルとはまったく違う力——他の能力者を殺して手に入れたのであろう力がエルウィンを切り刻む。
黒い炎が自動的に身体に纏わりつき直接的な傷は受けなかったが、それでも強い衝撃と痛みに一瞬思考が麻痺する。
「おらぁ!!」
吹き飛ばされたエルウィンはユミルの背後からビドーが拳に朱色の光を纏わせながら突進していく姿が目に入った。
「無駄だ」
その一言とともにユミルの右足から紫光が発せられる。左足で地を蹴った振り向きざまの回転蹴りが、ビドーの拳とぶつかる。ドン、と空気を震わす鈍い音が響き、朱色と紫色の光が混じり合い、そして爆発を起こした。
「あれもだ……。前までのユミルには無かった力だ。やっぱり能力者を殺し続けたのか……?」
エルウィンはゆっくりと立ち上がり、分析する。身体中に受けた痛みでいくぶんか冷静さを取り戻したようだった。
「心を奪われては……ダメだ」
エルウィンは自分に言い聞かせるように、レーヴァテインの黒い刀身を見ながら言う。顔を上げると、ビドーがユミルの猛攻に応戦していた。いつの間にか剣をしまっていたユミルは、両手両足からそれぞれ違う光を発しながらビドーを攻めていく。エルウィンも背後からユミルを狙って走り出す。
ビドーの突きがユミルの左手に抑えられ、腹がガラ空きになるのが見えた。右拳に宿った山吹色の煌めきが容赦無くビドーに襲いかかる。
「間に合わない!」
エルウィンがそう思ってがむしゃらに剣を振ろうとした瞬間だった。
「痺れろー!!」
聞き慣れた少女の声とともに、黄色い雷がビドーとユミルの間に降り注ぐ。雷は驚くほど正確にユミルの右拳に当たって力を相殺した。
「……」
ビドーを仕留めようとしたときのまま固まったユミルは横目で雷を放った本人——プリルを確認する。
トン、と鋭く地を蹴る音が耳に響いた。一瞬後にはビドーの目の前からユミルの姿は消えていた。
「哀れなものだな」
背後から声が聞こえてエルウィンは反射的に振り返る。
「こんな子どもまで巻き込んで……。だが、それももうすぐ終わる」
プリルの真後ろに、拳に紅い光を滾らせたユミルが立っていた。プリルはようやく気付いたようでゆっくりと振り返る。
拳とともに、殺気を含んだ紅い光がプリルに下される。やけにゆっくりと、エルウィンの目の中でその動きが再現されていた。
「プリル!!」
エルウィンが叫ぶのと同時に、真横を大きい何かが突風のように駆け抜けた。瞬きのうちに、最初からそこにいたかのように、ビドーがプリルの前に立ちはだかっていた。
刹那、重い衝撃音とともに、骨を断つ残酷な響きが、はっきりとエルウィンの耳に届いた。
*****
どこから来るかわからない、わずかな殺気を頼りにシーナの斬撃を弾き返す。目にも留まらぬ速さで動き回っていることからすでに普通の人間でないことがグングニルには分かっていた。しかし、神ノ力を感じることができない。能力者でもない双剣使いの女性に、疑念と少しの恐怖を感じていた。
「あなたは何者なの?」
重い一撃が、再び槍を通じてグングニルの腕にのしかかる。向かい合ったシーナは、憎しみの篭った表情でグングニルを睨む。
「お前が知ることではない!」
叫んだシーナの姿が一瞬にして消える。間髪入れずに今度は真横からの斬撃がグングニルを襲った。
「くっ!」
衝撃にバランスを崩した一瞬をシーナは見逃さなかった。素早い横一閃がグングニルの足を斬りつける。焼けるような痛みに膝をついたグングニルの目に映ったのは、首を狩るためだけに作られたような、反り返った二枚の刃。
——やられる
そう感じた瞬間、鳥肌を感じるような膨大な神ノ力とともに、黄色く迸る雷の塊が二人に——正確にはシーナに迫った。
シーナは双剣を交差させて防御の態勢を取る。
「おおおおぉぉぉお!!」
バリバリとうねる雷がシーナに襲いかかり、爆発を起こした。黒煙で視界が遮られる。
「やったか?!」
雷を撃ったラルクが険しい顔つきで走り寄ってきた。右手にはビリビリと音を立てている大型の銃が握られていた。エルウィンが持っているレーヴァテインと同じく擬似能力を使った神ノ力だということがグングニルには分かった。
一瞬の安堵。それもすぐに感じた殺気にもみ消される。
黒煙の中から、シーナが弾丸のようにラルク目掛けて飛び出してきた。ラルクは反射的に得物から雷の弾を数弾吐き出させるが、そのほとんどが双剣によって弾き返される。
「当たれ!!」
ラルクが叫んだと同時に吐き出された一発が、シーナの肩を掠める。動きを鈍らせたその一瞬を利用して、グングニルが間に入る。紅い槍が、グングニルの神ノ力を帯びて輝く。横一閃。紅い衝撃波が真っ直ぐにシーナを喰らおうと襲いかかった。
「?!」
紅の牙は双剣に直撃し、シーナの身体ごと吹き飛ばす。木の幹に叩きつけられたシーナはそのまま動かなくなった。
「こ、今度こそやったよな……?おい、大丈夫かよ?」
ぜえぜえと息を吐きながら、ラルクは足から血を流すグングニルに訊く。
「うん」
足の傷をものともしないのか、グングニルはうわの空といった感じで答えた。
「なんだか、あの人悲しそうだったわ……」
項垂れて動かない、能力者ではない特別な力を持ったシ―ナを見つめながら、グングニルも悲しそうな声色で呟いた。
*****
「ぐぁぁぁああ!!」
ビドーの絶叫が耳を劈かんばかりに響いた。エルウィンはそれを確認するより先に身体が動いていた。地を強く蹴り、自分でも驚くほどの跳躍をしてユミルの頭上に飛び掛かる。
視界には敵であるユミルのみ。レーヴァテインが真っ黒な炎を吐き出しながら振り下ろされる。
「この……!」
その怒りの炎は、エルウィンのよく知った力で抑え込まれた。ユミルの周りに、淡い緑色の光の壁が現れていたのだった。つい最近まで自分たちを守ってくれていた壁が、今度は阻む存在になっていた。光がひどく濁って見えた。
「ユミル!!」
エルウィンが叫ぶ。目の前の光景が、彼をとどめていた何かを壊した。黒い炎がエルウィンを包み込み、それが剣へと纏わり付いていく。
——この男が憎いか?
どこからか声が聞こえた。エルウィンは答えずに、両手にさらに力を入れる。
——殺せ。心に従え。
エルウィンにはこの声が誰だか分かっていた。だんだんと炎に飲み込まれていく意志が、辛うじてエルウィンを保たせていた。
——仲間を殺して傷つけたこの男を、憎しみのままに殺せ。
炎が強くなり、光の壁にひびが入る。ユミルの目が見開かれたのが見えた。同時に、自分が笑っているのに気付く。
壁が崩れる音が大きくなる。
「お父さん!!」
その音の中に、真っ直ぐにプリルの叫びが届く。その叫びが合図だったかのように、ぼんやりと黒ずんでいたエルウィンの視界がはっきりとしていく。
「僕は……何をしていたんだ……」
飛び退いてプリルとユミルの間に着地したエルウィンは、目を覚まさせるように首を振る。目の前のユミルも光の壁を解いて次の攻撃にかかろうとする。
「嫌だよ!!お父さん!死んじゃ嫌だ!置いてかないでよ!!」
背中でプリルの悲痛の叫びが響いていた。ビドーの答えは無く、ただプリルの叫びだけが聞こえるだけだった。
——生きる覚悟だ。
エルウィンの頭の中に、優しく包み込むような声が蘇る。
——愛する人を守り抜くんだ。
剣を持つ手に、さらに力が入る。
「危うく飲み込まれそうだった。僕の力は……僕が手に入れたこの力は! 殺すためのものじゃない!守るための力だ!!」
淡い、緑色の光弾がユミルの手から放たれる。仲間であり、師であるヴァルハラがよく使っていた力だった。光がすぐ目の前まで迫る。
「お前のは……偽物だ」
プリルと倒れたビドーを守るようにしっかりと足を地につける。
レーヴァテインを一閃。吐き出された炎は漆黒ではなく、熱く燃え上がる紅蓮の衝撃だった。轟音とともに炎がユミルを飲み込む。咄嗟に張った光の壁は意味を成さず、ガラスのように崩壊していく。
——憎しみに打ち勝ったか。
脳に響く声が、それを最後に完全に消えた。
「次は必ず奪う……。お前の愛する者とともに」
燃え盛る炎の中から上空に上がったユミルはその一言を呟いて、それ以上の追撃はしてこなかった。それから目で追うより速く空の彼方に消えていった。
「お父さん……」
レーヴァテインを鞘にしまい、プリルに振り向く。ビドーの身体に手を当て、俯いていた。
「大丈夫だ……。生きてるから心配すんな……」
ビドーが開いた口から弱々しく声を出す。それから空咳混じりに笑って言う。
「腕はもう動かねぇみたいだ。せっかく手に入れたテュ―ルも使えねぇ。なにより……」
力無く垂れている腕で、苦しそうに指を動かしたのが見えた。
「お前をこの手で撫でときゃ良かったなぁ……」
その一言にプリルの強がりが切れたようだった。
「だから!もう戦うのはやめてよ!これ以上家族がいなくなっちゃうなんて嫌だよ!!」
叫んだプリルの嗚咽を聞きながら、ビドーはしばらく黙っていた。
それから泣きじゃくるプリルの元に、グングニルとラルクが走り寄る。
「ビドーさん!! しっかりしてください!」
「だぁーっ! 痛ぇよバカ! 生きてるって言ってんだろ!」
走り寄った勢いで肩を抱いたラルクを苦しそうに怒鳴りつける。
「……とにかく、あいつらを撃退したようだな。今の襲撃で分かったろうが、あいつらは神ノ力を集めてラグナロクを起こそうとしてるに違いねぇ。今すぐにでもアバンに行って神ノ石を見つけることだ。グングニルのためにもな」
自分の腕の痛みを忘れたかのように表情を引き締めて言う。
——新しい力を手に入れるために来た。
ユミルに力を渡してしまったらラグナロクが起こることは確実だった。最悪の事態が頭に浮かんでエルウィンを急かす。
「戦っちゃダメだよ」
プリルが静かに言った。傷付いた父親を目の前にしたプリルの一言で、誰も次の言葉が告げずにいた。
できれば戦いたくない。黒い炎に飲み込まれて自分を失いかけたエルウィンは、プリルの言葉に頷きたくなる。しかし、そういうわけにはいかなかった。
「プリル……」
「まぁ、」
グングニルが何かを言おうとする前にビドーが口を挟む。
「うちの愛娘がこう言ってんだ。なるべく穏便に頼むぜ」
沈黙を和らげるようにビドーが軽く笑いながら言った。プリルはそれに対して何も言わずに俯いているだけだった。
「エルウィン」
掠れた声で、ビドーがエルウィンの名を呼ぶ。心臓が大きく跳ねた。
「お前たちの目的もそうだが、世界を守ってほしい」
ビドーの短い一言に、スヴェントのすべてがかかっているような気がした。自分の鼓動の音が、不気味なほどに頭に鳴り響いていた。




