【第十四話】スヴェント
ガタゴトと、エルウィン、グングニル、プリルを乗せた馬車は林道を進んで行く。車窓から覗く木々が、雲間からの太陽の光を浴びて光っている景色が流れていった。
エルウィンの隣には毅然とした表情を保ったままのグングニルが座っていた。フード付きの薄緑色のコ―トを膝にかけ、それを強く握っている。
‘メシュラン研究所の所長から連絡が入ってな。メシュランやファードランドの若者達が少しずつスヴェント本部のある小島へ向かっているという動きがあったらしい。政府本部がダメ―ジを受けた今、スヴェントが大きく動き出す前兆なのかもしれん、ということだ。くれぐれも注意してくれ。
特にグングニルは念を押して、顔を隠した方が良い。あの辺りでは能力者は忌み嫌われているからな。‘
出発前のラシュガンの声が、グングニルの脳裏に蘇る。いつも以上に真剣な表情が、妙に目に焼き付いていた。
——能力者は忌み嫌われている。
グングニル自身も、自分を完全に肯定できるかと言ったらそうではない。生きたいという意志はありつつも、異能の力を持つ自分と一体になることは、もう一人の自分が頑なに拒んでいた。
「私は、私だから」
心の中で呟いて、それを何度も反響させる。
顔を上げて、窓から外を眺めていたプリルの方を見る。心ここに在らず、といった様子で流れる雲を眺めていた。
今向かっているのはスヴェントの本部に最も近い都市ファードランド。プリルと最初に会った時に言っていた、プリルにとってどうしても許せないという男がいる場所。自分を助けてくれた時に見せた笑顔とは対照的な、怒りに任せた表情を思い出す。父だというビドーの話をする時だけ、いつもの明るさを失ってしまうプリルを見てきたが、グングニルにはどうしてもそれが本当のプリルの顔だとは思えなかった。なんとなく、直感的に違うのかもしれないと感じるだけで確信はない。それと同時に、プリルの母マルカの言葉が蘇る。
——貴女が能力者なら、いずれあの人とぶつかることがあるかもしれない。その時は、何が正しいか、貴女が判断して欲しい。
正しいこと。スヴェントのことを含めて、自分の中の違和感が晴れることを期待して視線を車窓に戻す。緑の道を抜け、街を囲む石の壁が目一杯に映った。
——ファードランド
政府には能力者、スヴェントには擬似能力者がいて互いに戦力均衡を保っていたおかげで張り詰めた糸のような平和があった。それが政府本部の損壊という事態で崩れたというのなら、この街の異様な雰囲気にエルウィンは納得がいった。すれ違う人々のほとんどの顔に、重苦しいような曇った表情があった。せわしなく走る男たちに、なんとなくエルウィンたちの心もそわそわとし始める。ファードランドは街全体が反政府の姿勢を見せているということから考えても、その意識がエルウィンの肌にビリビリと痺れるような感覚を与える。
フードを深く被り、表情の見えないグングニルがプリルと手を繋ぎながら横で歩いている。端から見れば親子のようにも見える三人に、特別に目を向ける人はいなかった。
家々が立ち並ぶ道を抜けると、大きな白い石造りの噴水が中央に配置された広場に出た。
三人の進む先に、スヴェント本部があるという小島へと続く、同じく石造りの長い橋が見えていた。
「ん?」
エルウィンが目を凝らして見ると、橋の入り口には『通行禁止』の看板とともに二人の若い男が立っていた。
「通れないのかな?」
プリルが手を繋いでいるグングニルの方に顔を上げて言う。
「とにかく、行ってみよう。話を聞かないと分からないわ」
グングニルはフードの奥から、安心させるような声色をプリルに投げかけた。
三人はそのまま噴水を通過し、男たちが立つ橋の前まで歩みを進める。
「おっと、今は渡れないぞ。この先で大事な話し合いをしてるからな」
近づいた三人に気づいて、一人の男が一歩前に進んで言った。それからジロジロと舐め回すように三人を見る。
「親子だか兄妹だか知らないが、これからこの辺りは少し騒がしくなる。家で静かにしてるのが懸命だと思うがなぁ」
「騒がしくなるってどういうこと?」
男の言葉にプリルが噛み付くように反応する。
「なんだ、あんたらこの前の集会での演説を聞かなかったのか?ビドーさんは言葉をぼかしてたが、あの調子じゃあ……」
「どけどけどけー!!」
男が肝心なところを言おうとしたところを、後ろから走ってきた別の男の慌ただしい声が掻き消した。
「ラ、ラルクさんじゃないっすか!」
エルウィンたちと話していた男とは別の男が、せわしなく走ってきた金髪を刈り上げた若い青年を見て驚いたように叫んだ。
「お、おい、もう会合は始まってんのか?」
ラルクと呼ばれた青年が肩で息をしながら訊く。半袖のシャツから見えるしっかりと筋肉のついた腕や、それぞれ腰にかけた剣と、特殊な装飾が施された銃。突然の乱入者に戸惑いながらも、彼が目に映っているだけのただの青年ではないことがエルウィンには分かった。
「当たり前ですよ!今何時だと思ってるんですか?!早く中へ……」
「あぁ、もういいわ!後でビドーさんに謝っとく!」
「そ、そんな……」
ラルクは半ば諦めたように言って男を振り払ってから、エルウィンたちの方を振り向く。
「ところで、お前ら何してんだ?もしかして俺と同じ遅れ組か?」
ラルクはニッと笑って白い歯を見せる。
「いや、僕たちは……この先にいるビドーさんに会いに来たんです」
「ビドーさんに?いったい何の用だ?」
「それは直接会わないと言えないよ!」
ラルクの質問にプリルが素早く食い付くように答える。
「お?なんだガキンチョが言うじゃねえか」
「ガキンチョじゃない!」
からかいに真剣な表情で返すプリルを見て、ラルクは怪訝そうな顔をする。それからエルウィンの顔を見る。
「この子を、助けるためなんです」
エルウィンは見つめ返して、重たそうに口を開く。それから一歩後ろにいたグングニルに振り向く。
一人の女の子を助けるため。スヴェントや政府の壁を越えて助けてくれる。そんな甘い幻想は街の雰囲気を知ってからは考えないようにしていたが、ここまで来たならやってみるしかなかった。
グングニルもフードの奥ではきっと固唾を飲んでいるはずだ。
「助ける?ビドーさんは医者じゃないんだ……?!」
同じくグングニルの顔を覗き込もうとしたラルクは言葉を詰まらせて、表情を引きつらせる。それを見たエルウィンは反射的に警戒する。
「こいつは……うーん……」
それには答えずにラルクは腰にかかった銃の持ち手を抑えながら苦笑いを浮かべる。
「分かった、俺と一緒なら通っても良いぜ!俺が許す!」
「良いんですか?」
ほんの数分の会話の後の、ほぼ二つ返事のような返答に多少の不信感を抱きながら訊き返す。
「少なくとも俺やこいつらじゃ解決できない困りごとを抱えてるみたいだったからな! 大丈夫だ、スヴェントの副官であるこのラルク様に任せとけ!」
勢い良く返されたその言葉に、ついさっきまでの不信感は吹き飛ぶ。そしてエルウィンは再び目の前にいる、得意げに胸を張っている青年をまじまじと見つめる。
反政府組織スヴェント。副官、つまりリーダーであるビドーの片腕として働く者が、自分とほぼ変わらないくらいの青年だったからだ。
*****
長い橋を渡り終え、小島の地を踏むこと数分、木々が生い茂る中に不似合いな灰色の石造りの建物が見えた。
「ここがスヴェント本部!なかなかカッコいいだろ?」
ラルクはおどけた調子で言う。彼にとってはいつもの行き慣れた場所なのだろうが、特に政府側のエルウィンにとっては、その頑丈そうな建物がとても重くのしかかるようだった。
ラルクが扉を開けて中に入り、三人も後に続く。中に入ってすぐに、薄暗い部屋から若い男が歩いて来て、驚いたようにラルクの顔を見て声を上げそうになる。しかし、後ろの三人を見てか、目線だけ合わせてすれ違って行った。
前を軽い足取りで歩くラルクを見ながらエルウィンは静かに答える。
相変わらず自称副官であるラルクを見ても、すれ違う男たちは後ろにいるエルウィンたちを気にしてか声をかけない。
「ねぇ、エル」
しばらく廊下を歩いてグングニルが小声で囁く。
「どうしたの?」
エルウィンが訊き返すとグングニルはフードの奥から瞳を光らせる。
「この人、信用しても大丈夫なのかしら?」
「……分からない」
ここ数日で信じ、裏切られ続けてきたエルウィンの声は沈む。
最終的に自分たちを助けてくれた裏切りだったにせよ、目の前を歩く純粋そうな青年の言葉さえも何か裏があるんじゃないかと、心の中では不安が渦巻いていたのは確かだった。
「でも、今はついて行くしかないよ。少なくとも僕らは今、スヴェントの中に入ることはできたんだ」
「だったら、私はエルウィンを信じるわ」
背中にかかった声が、沈みかけていたエルウィンの心を和らげた。
「さてと、お前らはここで待っててくれ。ビドーさんがいるかどうか見てくるから!」
焦げ茶色の大きな扉の前で、ラルクは足を止めて言った。
「ビドーさん、入ります!」
ラルクが開けた扉の向こう側に、圧倒的な存在感を放つ壮年の男が座っているのを見逃すはずがなかった。サングラスで表情は見えなかったが、短く刈り上げた白髪混じりの髪は、長い時間を刻んでいるような雰囲気を醸し出していた。そして確かにプリルと同じ金色をしていた。赤黒いジャンパ―から覗く隆々とした腕の筋肉が、スヴェントのリーダーであるビドーが強者だということを示していた。
扉が閉じて、エルウィンはふとプリルの表情を伺う。瞬きもせずに目を開いたまま、固まったように閉まった扉を見ていた。
「こんなところに、しかも俺に客とは珍しいな」
ほんの数分で扉が開き、中に入った三人を、低く洞穴の奥から響くような深い声が迎え入れた。
長い木の机の反対側にいるにもかかわらず、グングニルは何か気迫のようなものが迫ってくるのをひしひしと感じた。
「さっきも言いましたけど、ビドーさんに頼みたいことがあるみたいっすよ。まぁ、たぶん良いヤツらっすよ!」
ビドーの存在感に押されているのか、後ろ姿でも緊張しているのが分かるエルウィンとは対照的に、雑談でもするような緊張感の欠片も無い調子でラルクが言った。
「ほう……」
ビドーは腕を組み、順々に三人を見る。エルウィン、グングニル、そして最後にプリルの顔を見たビドーの表情が微妙に変化したのをグングニルは確かに捉えた。
「で、何の用だ?ラルクの話だと、そこのフードのお嬢ちゃんを助けたいそうだが……?」
予想に反して、プリルから目をそらしてビドーはグングニルに視点を合わせる。その視線を向けられ、グングニルはしばらく感じていなかった、そしてもう二度と感じたくなかった感覚になった。
実験体を見る目。この人は、私が能力者であることを見抜いている。そして自分を見て飛びのいたラルクという青年も同じように分かっているのかもしれない。すぐに話すことになるのは分かっていたが、もはやフードは意味を成していなかった。
「実はこの子は……」
エルウィンが口を開きかける。それと同時にグングニルの憂鬱を吹き飛ばす強烈な痺れを感じる。
「プリル?!」
嫌な予感がして隣にいるプリルの方を向いて叫ぶ。刹那、黄金色の煌めきがグングニルの目を眩ませ、鋭い轟きが響いた。
反射的にビドーの方を振り向く。予想していた無残な姿はそこにはなく、ビドーの身体全体を朱色の光が覆っていた。その光の壁には、余韻のように雷がバチバチとほとばしっている。
「おいラルク」
壁の向こうから低い声が、いまだに目を塞いでいるラルクに投げかけられる。
「人の家に入って早々、雷をぶちかますやつのどこが“良いヤツら”なんだ?」
「す、すんません……」
ラルクが引きつった笑顔で謝ったのを横目に、ビドーは光の壁を解く。
それから一呼吸し、ビドーは口を開いた。
「気付かないフリをしていたんだが、お前の方からやってくれるとはな。……プリル、大きくなりやがって。魔法もお母さんと申し分無いくらい……」
「今さら親みたいな顔しないでよ! あたしたちを置いて行ったくせに!」
「やめてプリル!」
プリルが再び雷を放とうとするのをグングニルが後ろから抱きついて止める。腕の中で暴れている小さな身体は震えていた。
「えっ、えっ? 待て待て、そこのガキンチョはビドーさんの子ってことか……?」
一人だけ状況が飲み込めていないラルクが困惑したようにつぶやく。
「そうだ、俺の娘、プリルだ。あいつと同じくらい大切な俺の宝だ」
ビドーが確かに、そしてしみじみと記憶をなぞるように答えて、暴れていたプリルの動きが止まる。それから俯いて、一筋涙を零した。
「お母さんは……お父さんの宝物は、死んじゃったわよ!!」
プリルの叫びは、部屋中に響き、まるで時を止めたかのようだった。グングニルは今度こそ確かに、サングラスの奥のビドーの目が見開かれたのを、その目で捉えた。
*****
二人で話をさせて欲しいというビドーの頼みで、エルウィン、グングニル、そしてラルクの三人は部屋から出る。
取り急ぎ今日はこの建物の空き部屋に泊まって、明日ゆっくり話をして欲しいとのことだった。
まさか宿泊まで許されるとは思わず、エルウィンは夢心地で呑気に歩くラルクの後ろを追いかける。
「いや~まさかビドーさんの娘だったなんてなぁ。あんたが能力者だってことはすぐ分かったんだけどよ」
先に歩くラルクを追いながら、背後の扉の奥で起きた事の整理がようやく追いついたエルウィンに、追い打ちのように事実が襲いかかった。薄々感じてはいたが、やはり目の前の青年ラルクにはグングニルが能力者であることが見抜かれていたようだった。
「僕たちは、能力者であるグングニルを助けるために来たんだ。命に関わる、深刻な問題。僕は元々政府の人間だけど、このスヴェント本部で少しでも情報を得られればと思ってる」
あの騒ぎを起こしても追い出されないどころか話を聴いてもらえるのであればもう隠す必要もない。そう思って、エルウィンはありのままのことを言った。
「へぇー……」
定着しつつあるおどけたイメ―ジとは一変した、冷めたような表情で、身体ごと後ろを振り向いて二人を見つめる。
「……まぁ、俺は政府のヤツらには嫌なイメージしかねーけどよ。お前の目は嘘を言ってねぇ。そんな気がするぜ。敵陣にあえて突っ込むなんてやるじゃねぇか!俺にできることがあればぐぇへっ?!」
「あっ」
気付いた時には遅く、ゴン、という音とラルクの奇妙な叫び声が同時に耳に届く。長々と後ろを向きながら歩いていたラルクは、歩くスピードを緩めることなく壁に激突した。 クールな表情から一転して痛みにうずくまっているその様子に、彼が本当にあの悪名高い反政府組織の副官なのかと疑ってしまう。
「痛ってぇ!! ……と、ところでお前ら名前は何ていうんだ?! そろそろ名前も知らないやつと話してるのも気持ち悪くなってきてな! ちなみに俺はラルクだ! よろしくな!」
ラルクは後頭部を抑えながら照れ隠しのように話題をすり替える。
「え? あぁ、僕の名前はエルウィン。そしてこっちは……」
「私はグングニル。その、前を向いて歩いた方が良いわよ?」
エルウィンが紹介するより早くグングニルがフードを外して言った。
「っるせー!分かってるよ!」
荒々しく返事をして立ち上がり、今度はしっかりと前を向いて歩き出す。
「ラルク、どこへ行くんだい?」
「俺が答えられる範囲で話してやるよ!役に立つか分かんねぇけどな。ついて来い、エルウィン! グングニル!」
ラルクは片手をヒラヒラさせて、そう答えた。エルウィンはその後ろ姿に、また一転して頼もしさを感じた。
*****
長い机を隔てて、ビドーとプリル、親と子が対峙していた。三人が部屋を出てから、長い時間が経っているような感覚がプリルには感じられた。
「そうか、逝っちまったのか、マルカのやつ」
ビドーが寂しそうにポツリと言うのを見て、プリルの中で再び怒りの炎が燃える。一瞬だけ燃え盛った炎はそれでも、また蝋燭の火のようにか弱いものになってしまった。
「お父さんが、こんなスヴェントなんてものを作らなきゃ、ちゃんと変わらずに“研究所”で働いてくれてればこんなことにはならなかったのに!」
ようやく絞り出した言葉を、プリルは精一杯に投げつける。机の両端分の距離だけなのに、やけに遠い気がした。
「それは……違うぞプリル。このスヴェントは、お母さんとの約束なんだ。それに、俺があのまま研究所で働いていたら今頃は世界が滅んでいたかもしれない」
「どういう……こと?」
ビドーが躊躇いがちに言った言葉に、プリルの怒りの炎が消える。その代わりに噛みきれないような蟠りが、プリルの心の中で出来上がった。
*****
「おかえり、貴方」
いつも通り扉を開けて中に入ると、長い金髪を背中まで垂らした、妻であるマルカがキッチンに立って作業をしていた。スープの良い匂いが、疲れて帰ったビドーの食欲を刺激する。振り返った彼女は病気のためか痩せていたが、出会った時と変わらない笑顔で迎えてくれた。
「おとーさんおかえりー!」
高く幼い、そんな声とともに右足に何かが抱きつく。下を見ると、妻と同じ金色の髪を持った娘、プリルが満面の笑みでこちらを見上げていた。
「ただいま」
帝都ルバヴィウス研究所での長い仕事を終えて、久しぶりに帰ってくることができた。心の底からの安堵のため息とともに、若かりし頃のビドーは一言、そう言った。
「俺の予想が正しければな、マルカ。このまま神ノ力を研究することは何か悪いことを引き起こしかねない。そんな気がする」
スヤスヤと気持ち良さそうに眠っている小さな命を片手に、ビドーは深刻そうな面持ちで切り出した。木の机の上には、さっきまで温かいスープが入っていた皿が置いてある。
「前に見せてくれたレポートにあった、ラグナロク、だったかしら?」
マルカの質問にビドーは無言で頷く。
ラグナロク——【神々の黄昏】。
ビドーが名付けた、可能性として考えうる最悪の状態。
「新聞は見たか?この前ファードランドで起きた大きな地震も、ペナンシアで起きた原因不明の陥没も、恐らくその前兆。俺たちが神ノ力を持つ能力者を誕生させ、増やしていく度に何か悪いことが起きている。使い古された言葉だが、これは“神の裁き”の始まりかもしれねぇんだ」
ビドーはそこで一度言葉を切る。マルカはしばらく何も答えず、深刻そうな表情で頬杖をついていた。
自身や帝国の実験、原因不明の災害、そこから得られるデータや関連性、神ノ力の流れを観測して出した最終結論。
もちろん上層部にもそのレポートは提出したが、一蹴されるどころか研究所内の立場も危うくなり始めている。
図星なのかもしれない。そんな疑念もビドーの中で膨れ上がっていた。
「俺が研究の中で立てた一つの仮説に過ぎない。それならそれで良いんだ。だが、これから未来のことなんて誰も確実に分かるわけじゃねぇ」
ビドーの言葉にマルカは一度、コクリと頷いて真っ直ぐにビドーの目を見る。それからその視線をビドーの腕の中で眠っているプリルに移す。
「誰にも確実に分からないからこそ、動いた方が良いのかもしれないわ」
「なに?」
マルカの何かを含ませたような発言にビドーは怪訝そうな顔をする。
「この魔法使いの村には、魔法ではない神ノ力を忌み嫌っている者が多くいるし、政府の実験のやり方があまりにも生命を踏みにじっているっていうことから反感を覚えている者も多い」
魔法使いの村と呼ばれる集団の中でも、トップと言われても過言ではない魔法使いであり、また妻であるマルカは椅子から立ち上がり、窓の外の夕焼けを見つめながら言った。夕焼けが金色の髪を照らして眩しい。
「未来のことは分からない。なら、そんな不確実な世界にプリルを残していける?私はできないわ。プリルの生きる未来に、そんな危険は放っておけない」
夕日の逆光でマルカの表情がよく見えなかった。だが、強い意志をひしひしと感じられた。
「今の政府を止めるべきよ。彼らを止める、対抗できる組織を作るべきだとは思わない?」
「マルカ、お前何言って……!」
反論しようとしたビドーは、自分が政府要人という立場であるにも拘らず、そこまで強い反発を覚えていないことに気がついた。
「………立ち上げるなら俺がやる。だがもし、俺がその組織を立ち上げたとして、お前とプリルは危険な目に合わせたくない。しかし、身体が弱いお前にこの家を一人任せて出て行くこともできねぇ!」
代わりに吐き出した反論に、マルカはか細い笑顔で微笑む。
「ここまで弱ってくるとね、もう自分のためじゃなくて、人のために生きたいって思うようになるのよ。プリルのため、もしかしたら世界中の人たちのために、私は残りの命を燃やしたいわ」
ビドーはしばらく何も答えられずに、マルカを見つめる。なんの未練もなさそうな安らかな表情だった。
「あとは貴方次第。この家と、プリルは任せて。離れることになっても貴方を見守っているわ、ビドー……ビドー・スヴェント」
ビドーの心の中で、何かが動くことなく止まった。腕の中では小さな命が、鼓動を、生きている証を刻んでいた。
*****
「と、まぁこんな感じで今のスヴェントができたわけだ。この前酒に酔った勢いでビドーさんが話してくれたんだ。身の上話なんて滅多にしてくれなかったんだが、あの様子じゃ間違いない情報だと思うぜ」
エルウィンの正面の椅子に座ったラルクが、コップのミルクを一気に仰いで白ひげを作りながら言った。
まずはスヴェントのことについて尋ねたエルウィンは、ここで聞いた内容をプリルに伝えたいと思う一方で、一つ聞き慣れない言葉が耳に残っていた。
「そうだったんだ……。ところで、そのラグナロクというのはどういうものなんだ? 神の裁きって言ってたけど……」
「それがなー、何が起きるかわからネェらしい。ただ、一つ言えることがあるんだと」
ラルクはそう言って人差し指を立ててニヤリと笑う。
「ラグナロクの発動条件として最も可能性が高いのは、神ノ力の能力が十個以上、同じ場所に集まることらしい」
「同じ場所に、十個」
エルウィンはラルクの言葉を復唱する。
十体以上の能力者が同じ場所に一斉に集まる機会があるだろうかと考えかけて、今手荷物の中にあるディスクの内容が頭をよぎる。
「能力者が他の能力者を倒すと、倒した側は倒された側の力を取り込めるって知ってるか? 暴走した能力者の処理の一つに、そいつらを、まだ正常な能力者に殺させるってのがある。この方法で暴走を止めると、正常な能力者は暴走した能力者の力を貰うことになるだろ? まだ数回しかないけどな、力の吸収が起きた数時間後とかにその近辺で原因不明の災害が起きてるらしい。取り込んだ能力が多いほど、災害の規模も大きくなってる。ってことは、神ノ力が一点に集まれば集まるほどヤバイってことだ」
それから一度言葉を切って、ラルクはポケットから紙を取り出す。
「これはビドーさんの受け売りなんだけどな、完全な能力者としての成功例は現在十数件。そのうちこの前死んじまったヴィーザルとか、暴走して処理されたのが六体。まぁ、さすがに能力者同士が分担して処理しているだろうから、一点に集まるってことはないと思ってるんだけどな。こんな危ねぇこと、俺達でも知ってるんだからさすがの政府も気を付けるだろうよ」
ラルクの言葉に、エルウィンは黒フードの奥から覗く狂気の笑みを思い出す。もし、その六体がユミルに殺されていたとしたら? 一度襲った嫌な寒気はなかなか拭えなかった。
「そうなのか、ありがとう。ところで、ラルクは‘ユグドラシル’って言葉を聞いたことないかな?」
寒気を振り払うようにエルウィンは本題に移る。
「ユグドラシル? うーん、俺は知らねーな」
「じゃあ、神ノ力を異次元に戻す装置があるっていう情報は? 聞いたことない?」
隣で口を閉じていたグングニルが質問を受け継ぐと、ラルクは目を丸くする。
「は?!そんな装置あんのか?いや、少なくとも俺は聞いたことねぇぞ、そんな夢みたいな装置は」
「そう、だよねやっぱり」
この反応からラルクが嘘をついているとは考えづらかった。スヴェントの副官だというラルクも知らないのであれば、あとは一つしか希望は無かった。
「これを、ビドーさんに渡してほしい。この中にあるものをスヴェントの技術で作れるかどうか知りたいんだ」
エルウィンは固い表情でディスクを取り出して、ラルクに差し出す。
「おう!なんだか分からねぇが渡しとくぜ」
緊張感が無駄だったと思うほどの邪気のないラルクの笑顔に、エルウィンの頬は自然に緩んだ。
*****
「嘘だ……!」
プリルの瞳からは無意識の内に大粒の涙がボロボロと流れていた。温かい家族の記憶を思い出して、心にせり上がってくるものが怒りの炎を消していく。声色を鋭くして反発を表すので精一杯だった。
「嘘だと思うのは勝手だ。だがこれは本当のことなんだ」
すすり泣くプリルに、ビドーは容赦無く言葉を振り下ろす。
「こんな俺を許せとは言わない。だから村に帰るんだ。これから戦争を始める。政府本部が弱った今なら、確実に叩ける」
ビドーの中でだんだんと大きくなっていた後悔を押しのけるように、強い口調で言う。
「明日にでも帰りの船を準備する。今日は旅の疲れもあるだろう、ゆっくり休んでくれ」
会合で何かを決定する時のような、事務的な口調で早口に続ける。俯いたまま肩を震わせていたプリルは、無言で扉の方を振り向く。
「……」
扉を開けて、出て行く娘の後ろ姿を、ビドーは扉が最後まで閉まるその瞬間まで目を離さずに見つめていた。
*****
どうやって部屋に入ったのか、プリルはよく覚えていない。気付けばベランダの柵に寄りかかって、夜空に浮かんでいる一際輝く星を見て、何時間か過ごしていた。
父であるビドーにようやく会えて、溜まっていた怒りをぶつけることはできた。しかしそれでも、まだ胸の中で岩のように重い何かがのしかかっているような感覚だった。
「プリル」
カーテンがふわっと揺れて、グングニルが名前を呼ぶ。固まっていたプリルの心を解きほぐすような、優しい声色だった。
「グンちゃん……あたし、何で怒ってるのか分かんなくなっちゃった」
声に出してみると、やはり震えていた。悲しい。そんな自分をまだ認めたくない自分もいて、腕に顔をうずめる。
「あんなに嫌いだったお父さんに魔法を褒められた時、嬉しいなんて思っちゃって。あたしたちを置いて行ったのは、お母さんと話し合って決めたってことで納得するしかない。だけどさ、そうすると今度は、帰れって言われたのが悔しくて」
グングニルは沈んでいるプリルの肩に、すっと手を置く。
「それは当たり前だと思うわ。いくら強くなったって言っても、プリルはあの人のたった一人の子どもなんだもの。プリルと初めて会った時も、お母さんの顔を見て分かったわ。プリルのことを本当に愛してるって」
プリルの作ったスープを美味しそうに口に運ぶマルカの顔、まるで女神のように、得意顔のプリルに注いだ笑顔が蘇る。
「きっと、ビドーさんも同じ気持ちだと思う。危険な目に会って欲しいなんて、子どものことを思わない親なんていないよ」
強く言い切ったグングニルを、プリルはゆっくりと顔を上げて見つめる。
「そう、かな?」
「そうだと思う。……実は私、能力者になる前の記憶がほとんどなくなってたんだけど、思い出したことが一つあるの」
グングニルは答えて、そっと自分の胸に手を当てる。
「家族に愛してもらっていた感覚。お母さんの顔も曖昧で、抱きしめてもらった。ただそれだけの感覚なんだけど、ふと思い出すことができたの」
そう言って、両手を広げてプリルを抱きしめる。
「こんな風に、温かかった」
プリルは突然のことに反応が遅れたが、それでも小さな腕でグングニルを抱き返す。シャワーを浴びてきたのだろう、少し湿った髪とシャンプ―の微かな香りが優しくプリルを包んだ。
「うぅ、ありがとう。なんだかグンちゃん、お姉ちゃんみたい」
そう言ってグングニルの服の裾を強く掴んだプリルの声は、だんだんと小さくなり、最後には嗚咽に変わった。
「私が代わりになることはできないけど……今は少し落ち着いて欲しい。明日のことは、明日考えれば良いわ」
腕の中で咽び泣くプリルの頭を撫でながら、ゆっくりと言葉を込めていった。
湿気を含んだ海の風に、グングニルの長い金髪が靡いていった。
愛された記憶。そしてもう一つ思い出された記憶が、長くグングニルを混乱させていた。
いつの間にかプリルは静かに寝息を立てていた。頭を撫でていた手を止める。
——エル。
それから一人の少年の名前を呼んで、グングニルは自分を納得させる。
必死に叫ぶ少年の姿が、和やかにほほ笑む母親らしき女性の顔が、代わる代わる脳裏にちらつく。
「助けられてばかりじゃ、いられないから」
グングニルは自分に言い聞かせるように、そう呟いた。
*****
赤い大地に、怒号と悲鳴が残酷な音を奏でていた。
“異物”を囲んだ兵士たちの表情は引きつったまま、剣を片手に、敵うはずのない敵へと突進していく。
淡い紫色の炎が、彼らの小さな命をいとも簡単にかき消していった。
円錐型のランスを振りかざした男は、明らかに他の兵士とは違う姿をしていた。黒髪は伸び放題に波打ち、露わになっている上半身には筋肉が惜しみなく隆々と盛り上がっていた。
そして、何より目を引くのが彼の下半身。青紫色の毛並みを持った馬の首から下に、彼の上半身が乗っている。
——半身半馬。
彼を表す言葉はそれだった。そしてその馬はただの馬ではなく、八本の足を持った異形の姿だった。
ルバヴィウスを首都に持つオーディニア帝国が、彼らの特権に等しい神ノ力を存分に使って隣国を蹂躙していたのだった。
——見つけた。
彼女はそう呟いて両手に持ったそれぞれの剣を持つ手に力を入れる。反った刃は、ただ標的の首を狩るために造られたもの。双剣使いの女は命を屠る【神ノ戦馬】スレイプニルに狙いを定める。
脱兎の如く戦場を駆る。目の前にいた、敵か味方か分からない兵士を通り過ぎざまに斬りつける。
——邪魔だ。
振り向かない。ただ標的へ進むだけ。
紫色の炎が近づくにつれて身体が熱くなる。
地を蹴って飛び上がる。急降下した身体で、スレイプニルの首を目掛けて刃を振り下ろす。
瞬時に振り向いたスレイプニルはランスを大きく回転させる。紫の旋風が巻き上がり、彼女は空中でバランスを崩す。旋風の刃は周りの兵士を無残な姿に変え、彼女も身体に無数の傷を刻みつけられる。
地に投げ出され、身体を強く打つ。それでも両手の剣は離さない。
まだ、戦える。
彼女はじっと、振り向いたスレイプニルの目を見つめる。炎と同じ、紫光が宿っていた。
「この跳躍力、ビリビリと感じる殺気。何者だ?お前は?」
ニヤリと笑ってスレイプニルが訊く。彼女はその質問が一番嫌いだった。
「お前が名を知る必要はない」
それに無機質に応える。地を蹴って一気に距離を詰める。
重い衝撃が両手に響く。斬り裂こうとしたスレイプニルの身体をランスが守っていた。
「お前、あれだな。お前たちの国で秘密裏にやってる“イデンシソウサ”ってやつをやられたんだろ?」
彼女はその言葉に猛烈な拒絶反応を起こして瞬時にスレイプニルとの距離をあける。戦いの緊張感とは違う、心臓の鼓動が早鳴るのを感じた。
「お前らがどんな技術で来ようと、オーディニアの進撃は止められねぇぜ!」
蹄が強く地を打つ。スレイプニルが目の前まで迫っていた。横一閃に薙ぎ払われたランスを反射的にしゃがんで避ける。
スレイプニルが前足四本を上げる。彼女は馬の腹目掛けて跳び、殴りつけるように剣を振るった。見た目以上に硬い毛皮の感覚が両腕に伝わる。
跳んだ勢いでスレイプニルの後ろに着地する。振り向いた瞬間、巨大なランスの刃が目の前に迫る。
「くっ…!」
無意識に両手の双剣を身体の前に出す。刹那、斬撃による激痛と炎の熱が身体中を襲った。
——化け物め。
心の中で吐き捨てる。激痛と同じくらいに自分の言葉が鋭く胸を刺す。視界が揺れる。 ゆっくりとスレイプニルが近づいてくるのが見える。
ランスを向けた、冷たい感覚が彼女の首筋に伝わる。
「あばよ」
スレイプニルの嘲るような言葉とともに聞いたのは、自分の首が刎ねられる音ではなかった。
鈍い音に彼女は顔を上げる。確かに、スレイプニルの身体の中心を、枯れ木色をした突起物が貫いていた。
「ぐぁぁぁあっ!!」
スレイプニルの叫び声が耳を劈く。瞬時に振り向いて槍に纏わせた紫炎を迸らせる。弾丸となった炎は突起物を伸ばした本人である、黒フードの男に向かった。
フードの奥の表情は遠くて見えない。しかし、彼女は目の前のスレイプニル以上の、恐ろしいまでの圧力を感じていた。
炎は黒フードにあたる寸前で、彼の目の前に現れた緑色に光る壁に阻まれる。壁に当たった衝撃で生じた爆煙が黒フードを視界から消す。
紫の炎が大きくなる。ランスの切っ先に灯された炎で爆煙ごとが掻き消すつもりらしい。
スレイプニルが渾身の力でランスを投げようとした瞬間、空気を斬り裂く斬撃が煙の中から現れた。
狂いなく、紅い斬撃波がスレイプニルへと一直線に落ちていく。
「なっ……?!」
反応する間も無く、スレイプニルの異質を示していた八本の足が斬撃によって根こそぎ消滅した。バランスを崩して倒れかけた瞬間を見逃さず、黒フードは一気に距離を詰める。
「さよなら」
一言、ただそれだけ彼女の耳に届いた。黒フードは躊躇いも無く、右手に持った長剣を横一閃した。
スレイプニルの首と胴体が離れていくのが異様に遅く思えた。
ゴトリ、と首が落ちるのと黒フードが着地したのは同時。何事もなかったかのように黒 フードはその場を去ろうとする。
スレイプニルの首と身体だったものが淡い紫色の炎を散らせる向こう側に、彼女は黒フードの背中をじっと見つめる。
彼が何なのか、何のためにスレイプニルを殺したのか。全身に力が入らず、ただ右手を彼に向けて伸ばすだけだった。
——待って。
今まで出会ったことのない、強大で、どことなく近いものを漂わせる彼の背中に、いつのまにか彼女は魅せられていた。




