【第十三話】残された希望
「水だ!水を持ってこい!」
「消防団は何をしてるんだ?!早く呼んでこい!」
「何だよ……何が起こってんだよ!あの帝国一堅牢な政府本部が壊れちまうなんて、いったい中で何があったんだよ!」
人々の混乱した声と、異常を知らせるサイレンと鐘の音が絶えず鳴り響いていた。その音は、路地裏に座り込んでいるエルウィンたちにも十分聞こえるものだった。
しかし、エルウィンは周りの人々のように慌てず、ただぼんやりと半壊した黒い建物を見つめていた。
——僕は、何のためにここまで来たんだ?グングニルを助けるため?確かにグングニルは助かった。だけど、その代償はあまりにも大きい。
エルウィンは、かけがえのない仲間の、最期の背中を思い出す。痛いほど目に焼き付いた、あの黄金の姿を。
——なぜ戦わなかった?力は十分にあるのに。二人の、因縁を感じた戦いだったから邪魔はできなかった?
違う。
あの巨人の力が恐ろしかったからだ。あの圧倒的な力を前に、僕は動くことができなかった。
大樹のように太い腕。血のように紅い瞳。狂気に満ちた、あの笑顔。
——結局、僕は何も変わっていない。
少しは強くなった気でいたのに。僕はまだ逃げ続けていた。
「こんなもの、何になるって言うんだ……!」
腰にかかった鞘に眠る黒い刃を睨みつける。
「おい!!」
その柄を掴もうとしたエルウィンの動きを、野太い男の声が止めた。
声のした方を見ると、髭面の、見慣れた黒い鎧を身につけた男が息を切らして立っていた。後ろには同じく黒い鎧を着た数人の男が付いている。ルバヴィウスまでの船に一緒に乗ってきて、ヴァルハラに船の留守番を頼まれていた研究所の護衛兵たちだった。
「無事かお前たち!……ヴァルハラさんは?どこにいるんだ?」
エルウィンは駆け寄って来た男の目を見ることができなかった。少しだけ顔を上げて確認すると、剣の稽古の時にいつもヴァルハラの隣で声を張り上げていた兵士だった。男の質問に答えないまま、再びエルウィンは目を伏せる。
男は俯いている三人の顔を見てから、建物の間から見える、燃え盛っている政府本部を見つめる。その顔から、だんだんと色が失われていった。
「と、とにかく船に戻るぞ!今は緊急事態だ!ほら、早く立ちやがれ!」
兵士が事態を察したのかは分からなかった。しかし、エルウィンの予想に反して兵士たちは急かす。その声に目が覚めたかのように、人々の混乱する声とサイレンの音がより大きく頭に響いた。
それからは、誰も言葉を発しなかった。ただ、逃げるように港にある船まで走った。
*****
眩しいくらいの朝日は偶然だったのか、今は丸窓から見える空は一面が雲に覆われていた。
船の中は異様にうす暗い気がした。明かりがぼうっと光っている中、エルウィンはベッドの上で座り込んでいた。目を瞑った、暗闇の中で、政府本部で何が起きたかを話した時の兵士たちの顔が浮かんだ。
乾いた唇で、震えた声で伝えた言葉は、男たちの顔から表情を奪っていった。
——また、目の前で大切な人がいなくなるなんて。
後悔が巡るばかりだった。同じ過ちへの後悔は、一人になった今、より強烈に身を切り刻んでいた。
控えめなノックの音に、エルウィンは顔を上げる。入ってきたのはグングニルだった。明かりが金髪を仄かに照らす。
「エル、今からルールポルカに戻るって。私たちには絶対に危ないことはしないって。ラシュガンさんから連絡があったわ」
グングニルが近づいて伏し目がちに言う。
その言葉に今までの出来事が繋がる。ロラド所長が逃がしてくれたのも、ラシュガンが手助けをしてくれたのも、全部グングニルという実験材料を政府本部に送るための計画だったということに、今さら気がついた。
考えてみれば、一番考えられるシナリオだった。ロラド所長は意味のないことはしない。そういう判断をして疑っていたくせに、いつの間にか心の底から信じてしまっていた自分にため息が出た。一瞬だけ、怒りの炎が燃え上がったが、すぐに冷める。こういう経路を辿ったのも、結果を招いてしまったのも、全部自分の中にある甘さのせいで、取り返しのつかないことなのだから。
しかし例えそういう状況で、そういう流れであったとしても、あの場所で力を持っていた自分は戦えたはずだった。大事な、仲間になった友人を、師を、助けられたはずだった。
「……そう、分かったよ」
後悔と喪失感を吐き出すように、エルウィンはため息のような小さな声で答える。
「エルの、せいじゃないと思うよ」
「えっ?」
突然落とされた言葉に、エルウィンはグングニルを見る。大きく、確かな存在感がその姿にはあった。灰色の部屋の中で、一人光っているようだった。
「あのユミルが強すぎて、私たちじゃ足手まといになっていた。それに、あの二人の戦いには他の人を寄せ付けない壁みたいなものもあった。エルウィンも話を聞いてなんとなく分かるでしょう?話の中に出てきたアレックスがユミルで、ディランがヴァルハラ。昔に何かがあった二人の間で、ヴァルハラだけが解決できる何かがあったのよ」
グングニルの言葉にエルウィンは思い出す。ヴァルハラの言葉や表情には確かに、他を拒む強いものがあった。ヴァルハラにしかできなかったこと。あったのかもしれないが、最期の表情を見る限り、それを達成できなかったのだろう。
「じゃあ、僕らはどっちみち何もできなかったってことか」
エルウィンがポツリと呟いて、グングニルがそれに黙って頷く。
「エルも私も、この短い間に成長できたと思う。私は、能力に対するけじめとか、使い方とか。エルだって、もう別人みたいに強くなった。いろいろできることは増えたけど、だからといって、なんでもできるわけじゃない」
——力があるからといってなんでもできるわけじゃない。失ってしまうものもある。
それはエルウィンにとって、身に沁みきっていることのはずだった。そうであったはずなのに、こんな形で再び降りかかってくると、やはり耐え難いものだった。
「だから、私考えたの。じゃあ、私ができることって?ただ守られるだけはもう嫌なの。エルだけに、重いものを背負って欲しくないの……」
せがむようなグングニルの表情、その目にエルウィンは吸い込まれていく。
「私にできること。それは、エル、あなたを守ることよ。エルだけが苦しむことがないように、私を守ろうとしてくれているように。私はあなたを守るから」
グングニルの一言一言に、エルウィンの肩に乗せられた重いものが、どんどんと崩されていくような気がした。
なぜだろうか、エルウィンの目に映るグングニルの姿が、ヴァルハラに重なった。
「グングニル……」
言葉を告げずにグングニルを呼ぶ。罪悪感はいまだにエルウィンの心をチクチクと刺す。しかし、痛みを感じながらも、落ちていった心がすくい上げられるような安心感がエルウィンの中で広がった。
「それで、その、今私ができることは、そういう決意をすることと……エル、ちょっと口を開けてもらえる?」
「え?」
突然の頼みに、エルウィンは意図を計りかねて、意識的にではないが頼み通り、口を半開きにする形になった。しかしそれで十分のようだった。硬めの物体が香ばしく甘い香りとともに口の中に放り込まれる。それを噛み砕いて咀嚼すると、何度も味見をしたものだった。
「クッキー、上手くできたかな?もともとは喜んで欲しくて作ったものだったんだけど……エルが少しでも元気を取り戻してくれればって思って」
「うん……美味しい、美味しいよグングニル……。こんなに美味しいクッキー食べたことないや……」
口を動かしながら、いつの間にか顔は涙でぐしゃぐしゃになっていた。誕生日プレゼントのために三人で作っていたどのクッキーよりも美味しかった。
「もちろん、すぐには無理だよね。私も、難しいけど……。今からでもできることをしよう」
最後にはきっぱりと言い切ったグングニルの瞳は強く光っていた。
「分かった……もしもの時は、グングニルが僕を守って欲しい。だけど必ず、必ず僕がグングニルを守るから!」
泣きながら叫んだエルウィンと対照的に、グングニルは曇りのない笑みを浮かべていた。
「ありがとう」
グングニルはただ一言、そう答えた。
*****
部屋から出た二人を、小さな魔法使いの少女が待っていた。
「こんな状況だけど、ちょっと提案があるの」
プリルの言葉に、エルウィンは甲板の上を見渡す。人影はほとんど無く、残っている兵士も低い声で何か話し合っていた。
「ヴァルくんの誕生日、みんなで祝わない?」
プリルの提案に二人は言葉を詰まらせる。反対する理由ならすぐにでも出てきそうだったが、本人のいない中でもなぜか断る気にもならなかった。
「あたし、ヴァルくんと一緒にいた時間は短かったし、少し怖いとか思ってたけど、本当はすごく優しい人なんだって分かって……。『バレバレだったぞ』だなんて、あんな時に言わなくても良かったのに」
言葉に詰まって、プリルの目から涙が落ちる。
「私も」
泣き出しそうなプリルの顔を、グングニルがしゃがんで覗き込む。
「私もヴァルハラの誕生日を祝いたい。そして、ありがとうって伝えたいな。ヴァルハラがいなかったらここまで来れなかったから」
プリルの涙が移ったのか、グングニルの瞳も潤んでいた。そっと、指で優しくプリルの涙を拭った。
ヴァルハラは死んだ。二人の姿を見てその事実が、残酷にエルウィンの胸に突きつけられた。
太陽は高く昇っているはずだったが、いまだに空に広くかかる雲が邪魔をして見ることができなかった。
エルウィンは完成した絵を自分の目の前にかざす。その絵の中に描かれた景色と、今の景色を比べて少しだけ表情が崩れる。
扉が開く音がして、エルウィンは表情を戻して振り返る。プリルとグングニルが小さな袋を持って出てきたところだった。
「美味しくできたかな……。喜んでもらえると嬉しいな」
プリルが俯きながらも袋を開ける。中には小麦色に焼けたクッキーが詰まっていた。甘さと、香ばしさが混ざった匂いが鼻をくすぐった。
「きっと美味しいって言ってくれるよ」
グングニルが微笑んで、プリルの小さな頭に手を置いた。
プリルがはにかんで、クッキーの入った袋をエルウィンに渡す。
エルウィンはしっかりと受け取り、それから太陽があるであろう方向を見つめる。
——生きる覚悟を持て。愛する人を守り抜くために。
ヴァルハラの言葉が波の音とともに耳に響いた。生暖かい海の風が、身体を包む。
「僕は、ヴァルハラにお世話になってばかりで何もできなかった。だから、せめてあなたの言葉を心に留めて、前に進む」
エルウィンはそう、強く言葉を吐き出してから、絵と袋を前に差し出す。手を離せば大きく深い海の底へと落ちてしまう。
——お前ならできる。
最後の言葉が、エルウィンの背中を押してくれた気がした。
エルウィンは何も言わずに手を離す。青空の下で、四人で手を繋いで笑っている絵が、クッキーの入った袋を重りにして落ちていく。もう戻ることのない海の底へ。
「ありがとう」という自分の声と、後ろにいる二人の声が重なった。
*****
——ルールポルカ研究所所長室。
太陽が真上に昇って少し経った時間に、船はルールポルカ港に着いていた。
「本当に、すまなかった!」
茶髪の大男——ルールポルカ所長のラシュガンが、身体を丸めて土下座をしていた。その先には暗い表情をしたエルウィン、グングニル、プリルがいた。ラシュガンを見下ろして、三人とも言葉を見つけることができなかった。特にエルウィンは同じ研究者であるラシュガンやロラドのやったことを、心のどこかで納得してしまって、純粋に怒りをぶつけることができなかった。
「謝っても許されないことくらい分かってる!純粋すぎるお前たちを騙したばかりか、ヴァルハラまで死なせてしまうなんて!!」
エルウィンの顔を見れないのか、ラシュガンは大声で言ったまま顔を上げない。
「……許す許さないの問題じゃないんです。もう、これからどうするかを考えなければならないわけですし」
暗い気持ちを押しやるように、エルウィンは言った。
「……うむ、そうだな。政府本部が壊れた今、この国自体が混乱に陥るのも時間の問題だ。その混乱が来る前に、一刻も早くその子を助ける方法を見つけなければならん!」
ラシュガンは顔を上げてそう言うと、机に置いてあった四角い平べったいものを手に取る。
「お前たちがヴァルハラから受け取ったもの。これはおそらく何かの情報が詰まったディスクだろう!最後に渡したということはよほど重要なものに違いない!」
四角いもの、中にはディスクが入っているだろうものを見てエルウィンは思いを巡らせる。何も言わずに託したヴァルハラは何を伝えたかったのか。すぐにでも知りたかった。
「すぐに解析を始める!お前たちもついてきてくれ!」
ラシュガンはそう言うと早足で部屋を出て行った。エルウィンは、いつの間にか早まっていた鼓動を抑えるように、ゆっくりと歩き出した。
*****
“まず神ノ力とは何なのか、それを説明しよう。
神ノ力とは、私たちの住んでいる世界とは別の次元に存在している強力な力だ。私たちは度重なる研究の結果、その次元には我々人間を超越する存在がいることを突き止めた。魔力よりも強力なその力を宿す超越者たちが存在している!これはまさに神治時代に存在していたと伝えられる‘神’に等しかった。そこで私たちはこの力を神ノ力と名付けた。
私たちはどうしても彼らに会いたかった。見てみたかった。しかし、いまだにその方法は分からない。……そう、私たちが行けないなら神ノ力をこちらの世界に引き出せば良い。神ノ力を知るきっかけにもなったある鉱物を利用し、力が互いに引き合う性質を応用させることで、我々はある装置を作った。神ノ力を我々の世界に召喚する装置だ。それからというものの、我々の研究は異様なほどのスピードで進んだ。
その中でも目を見張る成果が力の憑依だ。その名の通り、力を対象に憑依させ、今まででは考えられないような効果を生み出す。憑依は数年もしないうちに人間にまで及んだ。もちろん、そのために何人もの被験体が死んでいったが、それも我が国の繁栄のための尊い犠牲だ。諸君らも知っているとおり、周辺国では今も戦禍の中であり、油断ができない状況。その中で強力な力を手に入れたものが、より有利に物事を進められる。
力を憑依させた人間を我々は能力者と呼ぶことにした。物体に憑依させることはそれほど困難ではない。しかし、人間ということになると“適応”が最重要だった。つまり、その人間に適応力が無ければ能力者として覚醒しないのだ。
ここからは主に能力者について話を進めていこう。”
「……」
薄暗い部屋で、金髪をうねらせた壮年の男が、不気味な笑みを浮かべながら、得意げに話している映像が流れていた。
ヴァルハラの渡したディスクには、政府の神ノ力の研究に関する今までの全ての情報が映像として残っていた。エルウィン、グングニル、プリル、ラシュガンの四人はそれぞれ椅子に座って映像を食い入るように見つめる。
研究所で彼の言う研究に携わっていたエルウィンにとってもはや当たり前のことだったが、まじまじと現実を突きつけられた今、大きな違和感を覚えていた。
「僕らが携わっていたのは、作っていたのは、守るための力じゃなかったんだ。最初から、殺す力だった」
エルウィンは呟いて、腕を組んで座っているラシュガンに顔を向けた。苦虫を噛んだような、険しい表情でエルウィンの言葉に頷く。その返事はおそらく肯定。だがエルウィンにもそれは分かっていた。直接関わっていなくとも、ロラドや、目の前にいるラシュガンなどの上層の研究者が、国が、誰かや何かを殺して覇権を握るための、強大な力を使役するための研究に携わっていることを。
ただ、そのことを認める、あるいは見て見ぬふりをしなければ前に進めなかった。それだけだった。
「少し飛ばすぞ。今知りたいのは痣のことだからな!」
ラシュガンはそう言って手に持っていた小型の装置を画面に向ける。画面に映る男が小刻みに速く動く。ラシュガンがボタンを押したところで、画面の中の場所は暗い部屋から実験場のような場所に変わっていた。
“……以上の方法で作られたこの装置は、異次元からランダムに力を召喚する。そのため、力が被験者に適応するかどうかは最後まで分からない。力を制御し切れない被験者が暴走したケ―スがすでに何件かあった。被憑依者を殺すことで、それに憑依している神ノ力も異次元へと還るわけだが、先にも述べたように、強大な力の前に何人もの犠牲者が出てしまっていることが課題として残っている。だが、ここで発見として得られたものもある。”
話が能力者のことに移ったことで、四人はさらに身体を乗り出す。画面に映った男の、得意満面といった表情を見つめながら、次の言葉を待つ。
“暴走した能力者の処理に、能力者を投入した時の話だ。ある能力者が力の適応に失敗したので、別の研究所から能力者を送り込んで処分してもらった。そこで私たちは今までに例を見ない出来事に遭遇した。激闘の末に勝った能力者の身体に、敗れた能力者の身体から出現した何らかの“光”が取り込まれたのだ。
その光の波長や、取り込んだ能力者を調べることで正体を突き止めたところ、あの光は敗れた能力者の力そのものだったのだ。ここから何が分かるのか。それは、『能力者は他の能力者を殺すと、その力を手に入れることができる』ということだ。
この発見は我々のこの先の研究に役立つという可能性を考え、報告をしておく。”
そこでようやく、ぷつりという音ともに画面の中の男の顔が消えた。同時に部屋の電気がついて、さっきまでの薄暗さが晴れた。
「……神ノ力を身体から消せば、私の痣も消えて暴走することもない。だけど、そのためには私は死ななくちゃいけない」
グングニルがぽつりと呟いて、痣のある右腕の袖を強く掴む。
——他に、他に方法は無いのか……?これじゃ、結局グングニルは死んでしまうことになる。
エルウィンはそんなグングニルの様子を見て必死に考えを巡らせる。
それだけは絶対に避けなければならない。救うために殺さなければならないなんて本末転倒も良いところだった。
思考を遮るように、エルウィンの耳に、ぷつりという音が再び届いた。顔を上げると、今ここにいるはずのない男の姿がスクリーンに映し出されていた。
「ヴァルくん……」
プリルが呼んだ通り、そこにはヴァルハラが白衣を着こんだ姿で立っていた。白衣姿に加え、昔の映像のためか、少しだけ幼さの残る顔つきに違和感を覚えた。
「イザヴェル研究所副所長のディランだ。これより俺たちが研究してきた成果を報告する」
ヴァルハラも研究員の一人だった。そのことを思い出して違和感は消えたが、‘俺たちの研究’という言葉が引っかかった。
「俺たちの研究は能力者の暴走を抑える薬品を作ることだ。暴走するまでの期間が長ければ長いほど貴重な戦力として長く使える。俺たちの任務は重要で、所長の下でこの研究に携われたことを誇りに思っている」
そこでヴァルハラ——ディランはためらうように言葉を切る。
「しかし、これは正しいことなのか?俺たちはこの研究のために何人もの犠牲を払ってきた。越えてきた屍の先に光があればそれでいい。俺は、この研究を続けて、実現させることで、オーディニアに住む人たちに平和と安定がもたらされることを、信じている。だが、俺たちが作っているのはさらに多くの屍を作る道具である可能性も捨てきれない」
戸惑いか後悔か。感情が折り重なったディランの言葉一字一句がエルウィンの胸に突き刺さっていく。
進む一歩がもたらすものが、救いなのか、破壊なのか。その苦しみは、サイドバリーで研究をしていた頃のエルウィンの頭にも、度々過るものだった。
誰も、誰かを失う悲しみを味合わないように作り出そうとした薬品ウィザードリキッド。その製作途中に、何人もの‘被検体’をボタン一つで‘処分’した。これだけ‘破壊’した自分が、果たして‘救い’をもたらすことができるのだろうかと。
同じ思いや苦しみを若き日のヴァルハラが感じていたこと、そしてあの無表情の裏側を知った衝撃が、エルウィンの心臓の鼓動を速めた。
「そこで俺たちは水面下で別の研究を進めた。……神ノ力を、この世界からなくすための研究を」
ディランの言葉に、エルウィンだけでない、グングニルたちの視線がさらに集中したのを感じた。
「ユグドラシル計画。研究をそう名付けた。神ノ力を異次元へ送り返す装置——仮にユグドラシルとしよう——を作って世界から神ノ力を完全に消すこと。異次元からの贈り物とも言える鉱石の力を分析、利用した結果、装置を作るための原理だけなら分かった。しかし、今現在の政府の技術力では限界があり、作ることができない」
ディランは悔しそうにそう言って、片手に持った機器で何かの操作をする。数秒後、微かな電子音とともに、ディランの背後にあったモニターが姿を現し、複雑に描かれた図が姿を現した。
ユグドラシル計画。あの緑色の髪をした能力者―ユミルも口走っていた言葉。ディランとユミル―アレックス、そしてもしかしたらミリィという女性も関係していた研究だったのだろうとエルウィンは映像を見ながら思案する。
「これが設計図だ。原理としては……」
繰り広げられる説明は、今のエルウィンには理解できない部分がたくさんあった。ただ、驚きや期待、後悔といった様々な感情が入り混じって一筋の涙になっていた。一度裏切りはしたものの、ヴァルハラは命を懸けてこの情報を渡してくれた、止まりかけていた自分たちの歩みを前に進ませてくれたのだ。
「これが作られるようになるまで、どのくらいの時間がかかるかわからない。多くの悲しみが増えてしまうのかもしれない。それでも、いつか誰かが、この連鎖を断ち切ることを願う」
そこで映像は途絶え、ヴァルハラの姿は戻ることはなかった。
「ユグドラシルか……。あいつが政府の研究者だったってのも驚きだが、あんな研究をしていたなんてなぁ」
「ラシュガンさん、知らなかったんですか?」
ラシュガンが驚いたように何も映っていないスクリーンを見ながら声を漏らす。この様子だと、本当に知らなかったようだった。
「あぁ、こいつはガーディアンとしてこの研究所に配属されたからな。その時はお前たちに対したように、昔の話なんかしてもらってもいない。……だが、あいつにそんな過去があるなら、なぜ政府に従うような真似をしたのだろうな。復讐というと物騒だが、あいつにはそれをする理由も、力もあったと思うんだが……」
「……」
それはエルウィンも考えていたことだったが、ヴァルハラと対峙した桁違いの能力者を思い出して疑問が解けた気がした。
ヴァルハラは完全にあのユミルという男を敵として見ていなかった。できることなら止めるように、慎重に戦っていたように見えた。復讐以前に、ユミルに対して何かやらなければいけないことがあったのだろうと、ラシュガンの疑問に、しばらくの沈黙の後、言葉を濁して答えた。
しかし、復讐よりも優先した自分の目的を、彼は果たせなかった。後悔とも悲しみとも取れる最後の表情と言葉を思い出せば、嫌でもそれが分かった。
そんなヴァルハラが残してくれた新しい、そしておそらく最後の希望——ユグドラシル。希望の光が見えたは良いが、ここでひとつ大きな問題があった。
「だが、この映像が、ヴァルハラが体験したあの悲劇より前、つまり十年前だとして、政府の技術力では作れないって言ってたな?十年経ったと言っても、もし作れなかったら……能力者関係では政府以外に優れた技術を持つところなど……」
ヴァルハラが渡した最後のもの。方法は分かっていても、それを実現させる技術が無い。光は見えているのに、それでも前に進めないことが歯がゆかった。
「あるよ」
重苦しい沈黙を破るように、プリルが言った。声の方向くと、その丸い目とエルウィンの視線が重なった。それと同時に、突然光が差し込んだかのようにアイデアが浮かぶ。
「エル、スヴェントに行って何か教えてもらえないかな?」
プリルが口にした言葉は、エルウィンが思っていたものと全く同じだった。
「スヴェントに?!いくらなんでも危険だろう!」
ラシュガンは驚いたように言ってから、はたと腕を組む。
「だが、待てよ。疑似能力者の技術はスヴェントの誰かが考案したとかいう噂があったような……」
エルウィンとプリルの意を汲んだのか、ラシュガンは言ってから考える素振りを見せる。
「もちろんグンちゃんの命は大事だけど、私、お父さんに会いに行きたいの。どうしても、言わなくちゃいけないことがあるから……」
プリルの言葉は消え入りそうになりながらも、強い芯が通っているように聞こえた。最初の目的も果たせてあげられないままここまで付き合わせてしまったプリルに申し訳なさを感じながらも、エルウィンは再び考える。
スヴェントという組織。そして旧友のテリーの、変わり果てていた姿を頭に思いうかべる。ラシュガンの言葉や、これまでを思い返してみると不思議なことがいくつか上がる。なぜスヴェントは‘擬似能力者’をメンバ―として持っていたのか。サイドバリー研究所にいた時でさえ、その存在は噂でしか聞いたことがなかったし、帝国で実用化しているという話は聞かなかった。
その技術がスヴェントにあるということは、神ノ力についてかなり深い知識がある者がいる、もしくは技術そのものが完成しているということではないか。それがリーダーであるビドーという男だとしたら、彼は何者なんだろうか?
ビドーの娘である、プリルを見て考えを中断させる。行ってみて、確認するしか方法はなかった。
「皆に異論がなければ俺はスヴェント本部があるルバンナのメシュラン港に連絡を入れるぞ!あそこの連中も話は分かる奴らだからな、きっと協力してくれる!」
「え、スヴェントってルバヴィウスじゃなくてルバンナにあるの?」
連絡のためか立ち上がろうとしたラシュガンに、プリルが訊く。
プリルが今回の戦いに付いてきたのも、ルバヴィウスにいるかもしれない父に会うためだったことをエルウィンは思い出す。
「あぁ、ルバンナの……正確に言えばファードランドから海を渡った小島に本部はある。帝国も場所は掴んでいるんだが、相手には疑似能力者の他に魔法使いもいたりして、迂闊に手が出せないそうでな。あの島自体が反政府の一つの小さな国とも言われているくらいだ。……この前は教えてやれなくてすまなかった。嬢ちゃんも戦いに加われば力になると思って黙っていたんだ」
ラシュガンは腰を下ろしてプリルに目線を合わせ、頭を下げる。
プリルは小さな口をきつく結んで、それから首を横に振る。
「ううん。あたしも力になりたかったから、良い。今回は本当の情報なんでしょ? グンちゃんの助けになるかもしれないし、あたしもやりたいことができる」
プリルの言葉にラシュガンは頷いて、立ち上がって踵を返す。それから、’話を通してくる’と言って扉を開けて部屋の外へ出て行った。
「二人とも、ありがとう」
三人になった部屋で、グングニルが立ち上がって口を開く。
「私、研究所にいた時はこんな力を持ってる自分が嫌いで、死にたいってほど苦しかった。エルにここまで連れてきてもらっても、まだ死にたいって思う自分も心のどこかにいて……。でも、あの映像を観て、今までのことを思い返してやっと分かったの。私、生きたいんだって! 助けてくれたエルのためにも、みんなのためにも私は生きたいから……!」
そこでグングニルは言葉に詰まる。俯いて、もう一度上げた顔には強い意志が宿っていた。
「本当にありがとう。私もできることは何だってするわ」
グングニルの言葉に、二人はそれぞれにグングニルの顔を見る。
「なに、言ってるんだ今さら。元はと言えば僕が勝手にグングニルを連れ出したんだ。それより、“生きたい”って言葉がちゃんとグングニルの口から出てきてくれて嬉しいよ」
エルウィンが優しく微笑んで言った。プリルも何度も頭をコクコクとさせながら頷く。
「グンちゃんとはもう友だちだしね! 友だちが危ないのを黙ってみてるなんて絶対にしないよ」
「うん、ありがとう……」
白い歯を見せてプリルも笑う。
グングニルは泣きそうになりながら笑顔を作って、静かに座った。
「あたしも、ちゃんと自分で言わなくちゃいけないことがあるから」
震えるグングニルの肩に、エルウィンが静かに手を置いて落ち着かせようとする。
その横で、プリルは誰にともなく、自分を奮い立たせるように呟いた。
*****
暗い、真っ暗な部屋にディスプレイの光がぼうっと光っていた。
白髪混じりの金髪で大柄な男が椅子に座ってディスプレイを睨みつけていた。時折キーボードをカチカチと鳴らして、また画面を睨む。
「おいビドー。今日は終わりだ」
ビドーと呼ばれた男の背後から、鼻にかかったような声がかかる。ビドーがちらりと振り向くと、金髪の男が立っていた。若く見えるが、ディスプレイの光に映る顔に刻まれたシワから、彼が見た目より長く生きていることが分かる。癖なのか、うねった髪を指でいじっていた。
「先に帰れラーサー。俺はやることがある」
ビドーは深く響くような声で言って視線を画面に戻す。
ラーサーと呼ばれた男はその様子にため息をつき、それから口を開く。
「何がお前をそこまで必死にさせるんだ?俺たちは帝都研究所の副所長。金はたっぷり入る。研究だってやりたい放題だ」
「家族の柱が一生懸命働かなくてどうすんだ?金なんていくらあっても苦しくねぇしな」
ビドーは、今度は振り返らず、手を動かしながら答えた。
「まぁ、そうだが。お前は何かに急かされているように思えて仕方ない。……なんのためにそこまでするんだ?」
探るように訊いたラーサーを、ビドーは少し顔を動かして横目で見る。その細くも、力強い瞳に射抜かれそうになりながらラーサーは次の言葉を待つ。
「世界を救うため、だろうな」
暗く、静かな部屋に、ビドーの声だけが深く響いた。




