【第十一話】追いつく背中
——帝都ルバヴィウス
ルバヴィウス港から、今乗っている政府本部行きの馬車に乗るまで、私の意識は朦朧としていた。
昨日、絵を描く手伝いをしようと、エルウィンの部屋に入って、彼の描いた絵の下書きを見た。それから——。
私の意識は急激に遠のいて、頭の中で鐘が鳴っているかのように、激痛が続いた。
——グングニル?!
エルウィンは、私の異変にすぐに気が付いてくれた。私は、少し眩暈がするだけだからと、心配させないように言ってから、絵の完成を手伝った。その後プリルと一緒にクッキー作りもした。ベッドに倒れこんで、意識が途絶えるまでずっと、その頭痛は続いていて、私の中で鳴り響き続けていた。
目には、ずっとエルウィンの絵が焼き付いて、離れなかった。あの絵が原因なのは分かったけれど、なぜあんなことが起きたのか、分からなくて怖かった。今まで空耳を聞いたことは何度かあったけど、こんなに直接私を苦しめるようなものは初めてだった。
それからもう一つ、変わったことがあった。その日の夜、頭痛や眩暈と連動するように、私はおかしな夢を見た。大雨の中、誰かの背中を追っている夢。
「……」
それからというものの、私の頭痛は収まらない。少しは良くなっているけれど、でこぼこした道が多いのだろう、馬車が何度も大きく揺れて、余計に頭が痛くなって、憂鬱な気分だった。
「大丈夫かいグングニル?まだ、頭が痛いのかい?」
「グンちゃん大丈夫ー?」
隣のエルウィンと、後ろの席から顔を出したプリルが私の顔をのぞき込む。
「大丈夫よ」
そう言った自分の声は、驚くほど弱々しかった。
ぼんやりと前を見ると、操縦士が器用に手綱を操っていた。
目的地のルバヴィウスに着けば、この頭痛の原因も分かるかもしれない。早く着け、早く着けと、はやる気持ちが、私にそんな思いを抱かせていた。
*****
——帝都ルバヴィウス。政府本部前。
馬車から降り、たくさんの人々が行き交う商店街を抜けた四人が目にしたのは、黒に近い灰色をした石造りの城のような建物だった。建物自体の高さは無いが、その荘厳な雰囲気に圧倒されるような感覚を受けた。
「すごいなー!」
プリルは辺りを見回して感嘆の声を上げていた。一方、ヴァルハラは門の前にいる軍服を着た衛兵に何かの紙を見せて話していた。
「私、ここに来たことがあるかもしれない」
まだ体が怠そうなグングニルが、眉を寄せながら呟いた。その瞳で、吸い込んでしまいそうなほど政府の建物を見つめていた。
「本当? 何か思い出せそうだったら言って。ゆっくりで良いよ」
エルウィンは昨夜のこともあって、いつも以上に柔らかい声音でグングニルにささやく。
そんなことを話している間に、ヴァルハラの手招きで三人は門の中へ入って先に進む。長い海の旅を共にした兵士たちは、ヴァルハラに、「目立つから」と言う理由で船の中で留守番を余儀なくされていた。最初は不満を口にしていた彼らだったが、スヴェントからの襲撃を用心しての護衛兵という彼らの役目は果たしたのだと説得され、渋々といった感じで船に残ったのであった。
「そういえば、ヴァルハラは——」
入り口の扉の前に着いたエルウィンが、朝からほとんど口を開かなかったヴァルハラに振り向こうとした瞬間だった。
ガン、という鈍い音と隣にいる二人の短い呻き声で、エルウィンの口が止まった。
「えっ?」
何が起きたのか、倒れているグングニルとプリルと、右手を上げた状態のヴァルハラを見ても信じることができなかった。ヴァルハラが無防備の二人を殴って昏倒させたことなど信じることができなかった。
「ヴァルハラ…?どうしたんだ?」
気でも狂ってしまったのか。そんな言葉は、無表情の、ヴァルハラにとってはいつもの顔を見て、口に出す前に消え失せた。
「俺は正気だぞエルウィン。そして、これが俺の“ヤボ用”だ」
エルウィンの心を読み取ったかのように言って、ヴァルハラは腰にかかっていたロングソ―ドを引き抜く。ダラリと構えたその姿にも、あの時の修業とはまるで違う、明らかな敵意をエルウィンは感じた。
「どういうこと?」
倒れている二人を守るように、半歩踏み出してエルウィンは言った。手は剣の持ち手を掴んでいた。
「俺は最初から、グングニルを痣の研究材料として政府に送り届けるために動いていたということだ」
いつもの声、いつもの表情でヴァルハラは答える。裏切った、などという生易しいものではなかった。エルウィンは混乱しながらも冷静にヴァルハラの言葉を理解しようとした。
「最初から? 怯えていた僕を立ち直らせてくれたのも、剣の修行をしてくれたのも、全部計算のうちだった?」
最初から仲間ではなかった。いまだに理解し難い現実を前に、エルウィンは整理するために言葉を紡ぐ。
「そうだ。お前の強い意志には感動したよ」
機械のようにまったく心のこもっていない声が、今度は冷たい斬撃とともにエルウィンに迫った。咄嗟に抜いたレーヴァテインはヴァルハラの一撃を受け止める。黒い刃はエルウィンの意志を察知したように熱を帯びていた。剣の向こう側にいる男が冗談を言わないことは、分かり切っていることだった。ようやく、悲しみが、怒りがエルウィンの心の中でふつふつと湧き上がる。目の前にいる男は敵だった。
「くっ!」
エルウィンはヴァルハラを押し返す。予想していた以上にヴァルハラとの距離が開く。
「なるほど、力は上がっているようだな。だが、」
言葉は聞かず、ヴァルハラに走り寄ったエルウィンの目は彼を見失う。
「同じ手に二度も引っかかるな」
最後の修行で、ヴァルハラに殴られた部位にもう一度強い打撃と痺れを感じた。
薄れゆく意識の中で、ヴァルハラが何か声を発したのが、耳を通り過ぎて行った。
*****
頬に感じた冷たい感触に、エルウィンの意識は呼び戻された。目を開けると、コンクリートの壁が一面に映った。起き上がって周りを確認する。部屋は薄暗く、狭い。後ろを見ると黒い鉄格子が、その先の薄暗い道を阻んでいた。
「プリル?!」
そしてすぐに目に入ったのは、部屋の隅にうつ伏せに倒れて動かないプリルだった。
「エル…?」
抱きかかえて何度か名前を呼ぶと、プリルは虚ろな目を開いた。
「なに、何が起きたの?急にガツンって頭が痛くなって……。ここはどこ?」
突然のことに、さすがのプリルも混乱しているようだった。エルウィンは順に、自分でも信じたくない、あの一瞬の出来事をプリルに話していった。
「ヴァルくんが、悪者?」
聞き終えて、プリルは力が抜けたように呟いた。そして沈んだ表情から一転、怒りをはっきりとその顔に表す。
「あたし、一回ヴァルくんのことをスヴェントとか悪者の仲間だと怪しんだことがあったの。その後いろいろあって、やっぱり違うなって思ったんだけど……。でも本当に悪い奴だったなんて、許せない!……仲間だって、思ってたのに」
怒りから、だんだんと涙声に変わっていくプリルを見て、エルウィンは考え直す。
突然の裏切りとも言える行為による戸惑いや怒りで、冷静になれずにいたが、本当にヴァルハラは裏切ったのだろうかという疑問は消えずに胸の奥で引っかかり続けていた。
―剣の修行をつけてくれた、一緒に戦ってくれた、守ってくれたヴァルハラが? そして何より、彼は自分たちに想像もできないような辛い過去を話してくれた、そんな彼が、本当に?
「エル、グンちゃんは?」
思考を遮った、プリルのその言葉に飛び上がりそうになる。現状を把握するのに集中しすぎて、最も肝心なことが頭から抜けていた。
——実験材料。
ヴァルハラの言葉を思い出して背中から冷水を浴びせられたような感覚になる。一緒にこの牢屋の中にいないということは別室に隔離されているのかもしれない。
俯いた顔を上げて、エルウィンの顔を覗き込んだプリルには答えずに、鉄格子のところまで食いつくように近寄る。手をかけて押したり引いたりしてみるが、もちろん開くはずはなかった。
「プリル。とにかくここから出るんだ。グングニルを助ける。そして本当のことを知るために」
エルウィンは静かにそう言って、鉄格子を魔力が込められた拳で殴りつけた。
*****
私はまた、あの男の子を追っていた。昨日とまったく同じこの光景が、夢だということはすぐに分かった。顔も分からない、男の子の後ろ姿を必死に追っていた。
天気は同じく大雨。
待って、待ってと追いかけるけれど、彼はどんどんと先へ進んでしまう。たまに彼が振り返る時、顔を確認しようと目を凝らしても、なぜかその部分だけ霞んで見ることができなかった。けれど、その子が怯えているということだけはっきり分かった。私の方を見て怯えていたから、最初は私から逃げているのだと思っていた。でも、視線は私に向いていない、私の後ろ側を見ている。そんな気がした。何に逃げているのか、後ろを振り返ってみても、ただ厚く黒い雲からたくさんの雨が吐き出されているだけだった。
私はひたすら追いかける。
その子に追いついて顔を確認すれば、私の途切れてしまっている記憶を完全に取り戻せそうな気がしたから。
今日はだいぶその子の進むスピ―ドが遅い気がした。追いつける。
「待って」
彼の肩に手をかける。その肩は微かに震えていた。振り返った彼の顔は、私が一番見たかった、会いたかった人のもの。‘私’の記憶を呼び戻してくれるものだった。
「やっと会えたね……!」
私の声であって、私のものでない声で言う。彼はもう怯えていなかった。ふと後ろを見ると、雨でぬかるんだ土に、くっきりと途切れることの無い足跡がついていた。
*****
重い、扉が開くような音がグングニルの意識を呼び戻す。目を開けると、ヴァルハラがその切れ長の目で、ぼんやりと自分を見つめていることを認識した。何をしているのかと聞こうとして両手を上げて、その腕が縛られていることに気づいた。そのことに少しだけ不快感を抱いたが、代わりに昨日から悩まされていた頭痛や眩暈は消えていた。
「ヴァルハラ?これはどういうこと?」
「俺はお前を痣の研究材料にするために今まで動いていた。それを実行しただけだ」
グングニルの質問に、ヴァルハラは機械的に答えたように聞こえた。痣という言葉にグングニルは反射的に右下を見る。気づかないうちに、黒い模様は首筋にまで達していた。 研究材料という言葉、そしてこの状況が研究所にいた時の生活を思い出させて、自分の顔が歪むのが分かった。彼のやったことは裏切りということだが、不思議とそれに対する失望は生まれなかった。
「なぜか、聞かないのか?」
俯いて何も言わないグングニルに、ヴァルハラは訊いた。
「貴方も研究者だったのなら、こういうことをしてもおかしくないわ」
「……?」
グングニルの返答に、ヴァルハラは怪訝な顔をする。咄嗟の言葉だったから、なぜこんなに冷静にそんなことを言ったのか自分でもわからなかった。しかし、そんなことより重要なことがあった。
「私は良い。エルウィンは?エルはどうなるの?」
「さあな。それは俺が決めることではない」
ヴァルハラは表情を戻して素っ気なく答えた。グングニルはその態度にようやく、裏切ったという事実とともに、恩人とも言えた目の前の人に激しい怒りを覚えた。しかし、腕を縛っている鉄の錠から逃れようとしても、少しも力が入らなかった。
「無駄だ。これは能力者専用のものだ。暴走でもしない限り逃れることはできない」
内心を察したようにヴァルハラが言った。今は暴走をしてでも、無性にエルウィンの顔を見たかった。
「私は良い、か。……お前は生きたいんじゃなかったのか?あいつと一緒に生きることが望みじゃないのか?」
ヴァルハラの問いに自分でも歯止めが効かなくなりかけていた感情が動きを緩めた。
「そう……でも、エルがいないとダメなの。エルの命を保証してくれるなら私は、どうなってもいいわ」
グングニルはヴァルハラの目をまっすぐに見据えて、ぽつりぽつりと言葉を紡いだ。ヴァルハラも黙って見返すが、その表情から何かを読み取ることはできなかった。
「そうか、分かった」
それからヴァルハラはそれだけ言って固く閉ざされていた扉のノブに手をかける。
「だがお前は、よく分からないな」
去り際に彼が言った言葉が、頭の中で何度も繰り返された。それは、今自分が一番感じていることだった。自分自身が、分からなくなっている。
でも、確実に言えることが一つある。
―エルは私の大切な人で、‘私’の大切な人だったということ。
それだけは、混沌としたグングニルの心の中で、一筋の眩しい光のように、はっきりとしていることだった。
*****
扉を開けてその顔を見た瞬間に、つい前日に口に出した過去が、さらに生々しく脳裏に蘇った。
「久しぶりだね。ヴァルハラ、と呼べばいいのかな?」
笑みを見せ、形眼鏡をかけた、十年経って少し白髪の混じった金髪をオ―ルバックにしたその顔。あれから首相にまで登りつめた男——ガーフォードが黒い革の椅子に座っていた。
「キミは実に良い仕事をしてくれたよ。アレは神ノ力を憑依させることのできた数少ない成功例として、こちらとしても重要な資料だからな。無駄に死なせたくはなかった」
ガーフォードが満足そうに言った。目の前の男はただの手段だ。自分にそう思い込ませ、本来なら彼の隣にぼーっと立っている黒フードを被った護衛共々殴っていたであろう、その男を見つめた。
「彼女を明日、アバン研究所に移す。そしてキミとの約束通り、“彼”と会わせてやろう」
なるべく心の内は見せないようにしていた。だが彼には俺の動揺が分かったのだろう、顔を一層緩ませる。俺はその顔が見ていられなくなって踵を返そうとした。
「そうだ、アレと一緒に来た連れの者たちたが……」
その言葉に不覚にも俺の足は止まった。もう、関係のないことだ。
「神ノ力という輝かしい成果の裏にあるものを彼らは知ってしまっている。そんな彼らには消えてもらわねばならないが、問題ないかね?」
「あぁ、問題ない」
輝かしい成果など糞食らえ。俺は鼻で笑いそうになるのを堪えて即答した。思っていたよりも低い声だった。俺は逃げるように、扉を開けて外に出た。
「何も、消すのはアレの連れだけではないのだけれどな」
男が出て行った扉を眺めた後、ガーフォードは机の上に置いてあった冷めたコーヒーを啜って言った。
「久しぶりの友人との再会だ。せいぜい楽しんできたまえ」
彼は隣にいる黒いフードを被った長身の男を見上げて言った。黒フードの男は黙って扉の方まで歩いて行く。そして扉の目の前まで来てフードをはずす。
「その次は、貴方だ。ガーフォード」
白けたような緑の髪を揺らして、男は振り返って言った。穏やかな声色だった。
「あぁ、首を洗って待ってるよ。ユミル」
微笑を浮かべて答えるガ-フォードを背に、ユミルと呼ばれた男も、扉を開けて出て行った。
*****
ガン、ガンと牢を叩く音が、暗く静かな建物の中で響いていた。牢の中では無心に殴り続けるエルウィン。鍵は単純なものだったが、牢全体に魔法をも弾いてしまう魔法がかかっているのだと気づいた。何度殴っても、寸前で何かが拳に当たって、牢自体はびくともしなかった。
「エル、たぶんこれ、何回やっても壊れないよ」
後ろで座っていたプリルが、あくびを噛み殺したように言った。
取り上げられてしまったのだろう、腰にかかっていたはずのレーヴァテインがなくなってしまった以上、プリルの言うとおり無駄と思われるこの行為をずっと続けるしかないような気がしていた。
「それでも、やらないよりはマシだよ。こんな時に、じっとしているなんてできないしね」
エルウィンは額に流れる汗を拭って無理矢理笑みを浮かべる。それからまた、同じ動作を繰り返した。
「はぁ……」
プリルはそれを見て深いため息をつく。それから膝を抱えてうずくまる。まだ殴られた後頭部がズキズキと痛んだ。しばらくエルウィンが牢を殴る音を聞いているうちに、それとは違うテンポの音が、その小さい耳に入ってきた。
「ヴァルくん……」
それが何なのか、確認するために顔を上げるのと同時に、プリルは牢の前にヴァルハラが立っているのに気づいて思わず名を呼ぶ。いつの間にかエルウィンが牢を殴る音は消えていた。
「ヴァルハラ、僕たちをここから出してくれ」
エルウィンは殴りすぎて感覚の無くなった拳を握りしめて、凛とした表情で単刀直入に言った。
「それはできないな」
ヴァルハラも短く答えた。それだけ言葉を交わして、二人の間に沈黙が生まれた。
「じゃあ、なぜ、僕らをここまで助けてくれたんだ。ここに連れてくるのが目的なら、最初から気絶させれば良いのに」
沈黙を破って、エルウィンはヴァルハラに最初に出会った時のことを思い出す。あの時も、ゴロツキから二人を守ってくれたのだった。スヴェントの支部を倒した時のヴァルハラの行動や言葉を思い出す。あの時、戦う覚悟を、生きる覚悟をくれたのは紛れもなく目の前の男だった。
「あの方が自然で、やりやすかったからだ」
「じゃあ、なんで……」
「ヴァルくんのバカ!!」
エルウィンがなおも訊こうとするのをプリルの大声が遮る。エルウィンは驚いて振り向いた。
「じゃあ、なんであたしたちにヴァルくんの辛い昔のことを話したのよ!あれを話してくれたから、あたし、ヴァルくんを疑ってる気持ちをさっぱり捨てることができたのに!」
エルウィンの目には、涙を流して叫ぶプリルの姿が映った。そしてもう一度、ヴァルハラに向き直る。
「そう、自然な流れに持ってくるだけなら、あそこまでする必要は無かったはずだ」
酒の勢いだったのか、少し顔を赤くしながら、ヴァルハラがぽつりぽつりと言っていた話を思い出して、エルウィンは訴えかけるように言った。
「俺の計画に失敗は許されない。お前たちを信じ込ませる最後の手段で、あの話をしただけだ。……さて、長話は終わりだ。お前たちは明日、グングニルが研究所へ移送されるのと同時にこの世から消える。俺はそれだけ伝えに来た」
ヴァルハラは早口にそれだけ答えると、すぐに踵を返そうとする。
「ヴァルハラなら、」
エルウィンが口を開く。明日、グングニルが研究所へ移送されることや自分たちが消されるという事実を突きつけられた動揺など、その一言のどこにも無かった。
「ヴァルハラなら分かってくれるはずだ。大切な人を失う悲しみが、どれだけ辛くて苦しいかってことを」
その場を去ろうと一歩踏み出したヴァルハラの足が止まる。
「僕はここを出て、グングニルを助けに行く」
その一言が、ヴァルハラを振り返らせた。勢い良く振り向いたヴァルハラは鉄格子の間から腕を通して、強くエルウィンの襟首を掴んだ。
「弱いくせに粋がるな。お前にはどうせ、グングニルは守れない……!」
ヴァルハラは今までに無いような、凄むような声でエルウィンに迫る。その言葉が、深く、重くエルウィンの胸にのしかかる。ヴァルハラはそれだけ言うと、襟首から手を離して今度こそ踵を返して行ってしまう。
「だったら……」
その場に力が抜けたようにへたり込んだエルウィンが、また口を開く。今度は声が掠れていた。
「だったら! いくらだって強くなってやる! こんな壁壊して! ヴァルハラだって倒せるくらいに、強くなってやる!」
振り返らずに去って行ってしまうヴァルハラの背をキッと睨みつけ、エルウィンは喉が枯れるほど大きな声で叫んだ。それからしばらくして、また牢を殴る、重い音が建物の中で響き始めた。
*****
まだ、朝日すら昇っていなかった。
いつの間にか疲れ切って寝てしまったエルウィンは、ガチャガチャと鉄の触れ合うような音に目を覚ました。
起き上がって暗闇に目を凝らすと、殴り続けても開くことのなかった牢の鍵が外され、外へ続く扉が開いていた。
出口にはヴァルハラの姿があった。
「何をぼーっとしている。助けに行くんだろ?」
ヴァルハラが言った。暗くて表情は見えなかったが、エルウィンはそのヴァルハラの行動に、格別驚くことは無かった。
「ヴァルくん、どうして?」
その代わりに、眠そうな目をこすってプリルは不思議そうにヴァルハラを見ていた。
「気が変わった。またエルウィンの想いを見てみたくなった。……と、言ったら信じるか?」
「……もちろん、信じる!」
間髪入れずにエルウィンは答える。
以前にも似たような言葉を聴いたことがあったが、今回はそれが本心なのだと心の奥底で感じ取ることができた。
理由は分からない。無い、と言っても良い。ヴァルハラのことを信じたいという気持ちに、ただ従っただけだった。
「グングニルは上の階の隔離室にいる。急ぐぞ」
ヴァルハラはエルウィンに鞘に収まったレーヴァテインを手渡して言った。ずっしりとした重みを感じながら、駆け出したヴァルハラにエルウィンは続いた。
それから間髪置かずに、耳鳴りのするような高い音で、サイレンが部屋中に響き渡った。




