100.伝播
-サラ-
バランタイン・ラムファードはまず先に、自分の人質がいるマインツ選帝侯の軍を後方から破壊する。マインツ軍は裏をかかれた。ちょうどテンプル騎士団討伐のため攻勢に出ようとしたタイミングだった。加えて、マインツ軍の半数近くが魔力持ちである。つまり、自身らをはるかに凌駕する存在が後方から迫ってくるという寸法である。マインツ軍は混乱に陥る。
そしてテンプル騎士団は、見計らっていたかのように隊列を組み直し、混乱するマインツ軍に突進を仕掛けた。その先頭には言わずもがな、ブランデンブルク選帝侯がいる。ブランデンブルクの盟主二人が、マインツ軍を前後から蝕んでいく。
マインツ選帝侯はトロイエに目配せをする。
「すんません」
トロイエはわざとらしく、私の首元に刃を当てた。その手は震えている。バランタイン様に見せつけるためだと言うことは、誰の目から見ても明らかだ。
バランタイン様がこちらに気づいた。四方を敵兵に囲まれながら、彼は私を安心させるように頷いた。そして、彼を囲む兵士の返り血を全身に浴びながら、こちらに走る。
しかし、その前にマインツ選帝侯が立ちはだかる。二人は刃を交える。しかし、ファルツ選帝侯ならともかく、純粋な武闘派ではないマインツ選帝侯では、彼は止められない。彼はこちらに走る速度を落とさないまま、マインツ選帝侯の刃を交わし、一振り。その剣はマインツ選帝侯の大腿部に入る。
彼はそれ以上追撃せずに、こちらへと走る。
「サラ!」
バランタイン様の声を久しぶりに耳に入る。そして、私に刃を向けるトロイエに視線を移した。
「兄貴__」
トロイエの剣を握る手が、きつくなる。馬鹿、力みすぎだ。騎士はどんな時でも冷静でなければならない。感情は敵だ。たとえそれが、敬愛していた主君と、相まみえる時でも__
「トロイエお前は、自分が何をしているのか__いや、お前は分かっているよな」
バランタイン様の表情が、曇るのが見て取れる。
「お前の妹のこと__それがお前の決めたことなら何も言わない。俺はお前を敵として__」
バランタインは剣を構える。
「バランタイン様」
私は声を張らずに、告げる。彼は構えを若干解く。
「私は大丈夫です。人質ですから、すぐに殺されはしません。背負わなくて大丈夫です。友人を__頼って」
私の問いかけに彼は一瞬思案する。そして遠くで繰り広げられる、激戦を見て、その後トロイエに視線を戻した。
「今でも、お前を部下だと思いたい」
バランタイン様は駆け、ファルツ選帝侯と皇帝の下へと向かう。
マインツ選帝侯は切られた太ももを抑える。そして側近の男に何か小さなものを受け取った。それは、ローマで疫病を封じ込めるために使っていた、バランタイン様の乳歯だ。マインツ選帝侯はそれを傷口に当てる。すると、傷口はふさがり、血は止まった。
魔力の研究がここまで進んでいるとは思わなかった。彼はうめき声を上げながら、魔力を自身の回復に使っている。
細かい粒子を含んだ突風が、私の目に入る。戦闘の余波だ。ファルツ選帝侯とバランタイン様が衝突している。ということは__
「君がこんな状態になるなんて、想像もできなかったよ。子供が出来るって、大変なんだね」
目に入った砂を、何度も瞬きすることにより現れたのは、皇帝だった。バランタイン様がファルツ選帝侯との戦いを引き継いだことで、彼がこっちに来ることが出来たという訳だ。
「ええ、大変です。アマレット様が妊娠された時には、優しくしてあげないとだめですよ」
「全く、君やバランタインには敵わないよ」
皇帝は頭を掻いて笑った。
「それで、バランタインがこっちに来いって言ってたけど、僕は何をすればいいのかな?こいつを殺す?」
皇帝はトロイエに剣を向ける。私はゆっくりと首を振った。
「弟を失った人間として、彼に一言」
そう言うと、皇帝はじっとトロイエを見る。
「名乗れ」
冷たく皇帝が命じる。
「トロイエ」
皇帝に呼応するように、トロイエは短く言った。皇帝は急に表情が緩まり、納得したようにいつもの口調に戻った。
「君がバランタインの部下だね。優秀らしいね。彼からはそう聞いてるよ」
「えっ」
トロイエは驚いて、一歩引いた。皇帝に自分が認知されているなど、思いもよらなかったのであろう。
「双子で、妹は忌み子として犠牲になったんだっけ。うんうん。僕とそっくりだ。僕も一族のいざこざで弟を亡くしたんだ。バランタインは君のことを心配していたよ。まあ、サラさんの次にだけど」
彼は友達に話すような軽い口調で言う。
「なんで君は、サラさんに剣を向けているの?」
彼はそのままの口調で尋ねる。
「妹を__取り戻す。そうすれば俺も母ちゃんも、苦しまずに済むから」
彼の口調は皇帝のそれとは対照的に、暗いものだった。
「ふうん。マインツ手選帝侯がそう言ったのかな」
彼は頷く。
「祝福を使えば、可能だって」
「それは無理だ」
彼はきっぱりと言い切った。
「なぜそう言い切れる!?」
彼は声を上げ、私に剣を強く押し当てる。
「僕だって何度も試したからさ」
彼は俯いて言った。
「僕も君の主と同じ力を使えてね。教会で言う祝福ってやつだ。僕もこの力を使って、何度も何度も弟を生き返らせようとした。でも、出来なかった。むしろ禁忌の力は強くなるばかり。その時本能的に気づいたんだ。この力を持ってしても死者を生き返らせることはできないって」
彼は大きくため息をついた。
「君の人生だ。余計なことを言うつもりはない。だけど僕は過去を受け入れて、大事な友人とか好きな人と生きていくことに決めた。可能性の低い教会の力に懸けるか、今君と向き合ってくれる人間と生きるか。よく考えて決めた方がいい」
「おいらは裏切り者だ。そんな選択肢を選ぶ権利なんてない」
「いいや」
皇帝は強く首を振る。
「君の主の器は小さくない。君が大人なら、彼は受け入れてくれる」
じっと、皇帝はトロイエを睨みつける。
「__謝ったくらいで、許されると?」
トロイエは睨み返す。
「君も知っているだろう。僕の友人はすごいんだ。まるで一度死んで生まれ変わったかのような__。ま、それはいい。僕の言うべきことは言った。失礼するよ」
そう言って、彼はヨハネ騎士団の方へと戻っていく。
「おいらは、おいらは__」
彼は剣をだらんと下に降ろした。正直、今の彼のたるんだ状態なら無力化できるのだが、それはしない。
トロイエ、あなたも大人になる時よ。