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前編

※数日着替えなくても平気な夫が出てきます。





「――結婚したからといって、俺の邪魔はするな」


 冷たい声音に突き放されて、私はハッとした。

 目の前で声と同じく冷めた表情をしている方は――今日、結婚して夫となったサディアス様。

 結婚したとはいっても、私はウエディングドレスを着ているわけでもなければ、神前で誓い合ったわけでもなく、ただ婚姻の書類に署名をしただけ。

 これはただの政略結婚で、私とサディアス様は夫婦とは名ばかりの冷めた結婚生活を送ることとなるのは、結婚前から分かっていた。

 有能な魔術師であるサディアス様は人嫌いで魔術の研究にしか興味がなく、そんな魔術以外に興味を示さない彼の身の回りの世話をするための結婚で、心を通わせないまま――私は結婚して半年足らずで風邪をこじらせあっけなく死ぬ運命。


 そう、今さっき、風邪をこじらせて死んだはずだった。

 魔術を研究する地下室からめったに出てこない夫に気づかれることもなく、自室で一人震えながら寂しく人生を終えた。

 それが、結婚した半年前まで時間が巻き戻っていた。

 結婚したばかりの妻に冷たく言い放ったあと、サディアス様が地下室へと戻っていく後ろ姿はまだ記憶に新しい。

 窓から外を見上げると、柔らかな日差しも蕾を付けた木の枝も、半年前の春の景色。


「死んでいない……」


 高熱にうなされて重く苦しかった体と違い、手も足も自由に動く。

 でも、あの苦しさと虚しさは確かに現実だった。

 どうして過去に巻き戻ったのかは分からないけれど、魔術師であるサディアス様のお屋敷には魔術道具も多くあるので、何が起こっても不思議ではない。

 よく分からないけれど、人生が巻き戻ったのなら私にはやりたいことがある。


 それは――夫を真人間にする計画!




***




 私、エメリナ・アディソンは、アディソン伯爵家の長女として生まれた。

 政略結婚だった両親の間に愛情はなく、私が十歳のときに母は私を置いて家を出ていき、父はその後すぐに再婚した。

 父の再婚相手には娘が一人いて、彼女の顔立ちは父と似通っていたので、つまりそういうことだったと思う。

 家庭を顧みないと思っていた父は再婚相手とその娘のことは溺愛していて、前妻の娘である私の居場所はどこにもなかった。

 屋敷の片隅に追いやられ、使用人のように扱われる日々が続いた。


 そんなある日、私に結婚の話が持ち込まれた。

 その相手が、国で一番と言われるほど有能な魔術師のサディアス様。

 同時に偏屈で人嫌いという噂は、社交界に出たことのない私の耳にも届くほど有名だった。

 良い噂がないとはいえ、有能な魔術師となぜ私が結婚と思ったが、実際に結婚してみてその理由が分かった。

 魔術師としては有能なサディアス様は、生活能力が皆無という言葉では足りないくらい、人としてあり得ないレベルでだらしない人だった。

 つまり、私は妻とは名ばかりで、身の回りの世話をする使用人でしかなかった。

 私より四歳年上で二十二歳だけど、仕事に夢中になると本当に寝食を忘れるから、数日飲まず食わずで徹夜し、体が限界になって倒れたこともあった。

 そんな生活を送るものだから顔色は常に悪いし、伸び放題な前髪で顔は隠れ、知らない人が見たら不審者だと通報されかねない。

 理想的な夫に――とまでは言わないけれど、せめて真人間くらいにはなって欲しい。


 前の人生のときは、突然結婚を決められ、考える暇もなく従うしかできなかったけれど、二回目ともなれば少し余裕も出てくる。

 前の人生みたいに、都合よく使われてあっけなく死ぬなんて嫌だ。

 人生が巻き戻ったのだから、ここから逃げ出して自由に生きてみたいと思わないでもないけれど、実家で冷遇されていたとはいえ、しょせん貴族令嬢だった私が市井に飛び出したところで現実は厳しいだろう。

 それならば、結婚した日に巻き戻ったので、この結婚生活を私らしく生きていこうと思った。


 そんなわけで、まずは食事から改善していくことにした。


「はい、お食事でございます」


 作った食事を食卓に並べると、サディアス様は分かりやすいくらいに不満げな表情を浮かべた。

 長い前髪の合間から除く目は、まるで魔物を睨みつけるかのようで、その視線の先にあるのは――野菜だ。


「……野菜は好まない」

「好き嫌いは体に良くありません。野菜もきちんと召し上がってください」


 野菜をふんだんに使った食事を前に不満げなサディアス様を気にせず、私は向かいの席に座りお皿へと取り分けた。

 サディアス様が野菜嫌いなことは、巻き戻る前の人生で知っている。

 以前の私は、夫の機嫌を損ねないことだけを考え、食べて貰えるものを作ろうとするあまり、嫌いな野菜は全くと言っていいほど料理に使わなかった。

 今思えば、あれは良くなかった。

 栄養を気にせず好きなものばかり食べていては、当然体に良くない。

 そもそもサディアス様は魔術の研究のために仕事部屋である地下室に籠ってばかりで外に出ようとしないので、色白で痩せていて健康的とは言えない外見をしている。

 その上、いつも着ている魔術師の黒いローブのせいで死神のように見える。

 よい仕事はよい生活から。

 体を壊しては、好きな魔術の研究だってできなくなるはず。

 きちんと栄養を取って健康的になってもらわなければ。


「前髪、邪魔ではないですか?」

「触るな」


 顔を覆うほど長い前髪を分けようと手を伸ばすと、嫌そうに距離を取られた。

 こんなに長い前髪では前も見えないのではと思ったけれど、ちゃんと見えているらしい。

 サディアス様は不満げな表情のまま、野菜をちまちまとかじり始めた。

 美味しくないというオーラがあふれ出ているけれど、黙ってちまちまと食べ続けている。

 静かに食べるその姿を見て、懐かしいと感じた。


 一度目の人生で、今のように同じ食卓で向かい合って食事をしたことが何度かあった。

 サディアス様は仕事に夢中になると何日も地下室から出てこなくなるから、数えるくらいだったけれど。

 ある日、珍しく地下室から出てきたとき、食卓に料理を並べて下がろうとした私に「君の分は?」と尋ねてきた。

 父が再婚してからは自室で冷めた食事を一人で食べる習慣がついていた私は驚いて、慌てて自分の分をお皿によそってサディアス様の向かいの席に座った。

 食事の間、特に会話はなかった。

 けれど、誰かと一緒に食事をするなんて、いつぶりだっただろうか。

 人嫌いなサディアス様だったけれど、食事の席から追い出すようなことはしなかった。

 一緒に食べる間は特に会話もなく、食器の音が微かに聞こえるだけの静かな時間だったけれど、それでも一人ではないと実感できた。

 そんな懐かしい思い出が、目の前のサディアス様に重なる。


「残さず食べたら、デザートに苺のパイをお出ししますね」


 そう告げると、フォークを持つ手が一瞬止まり、先ほどよりも食べるスピードが速くなった。

 どうやら甘い苺のパイはお好きらしい。

 巻き戻る前の人生では、サディアス様はほとんど地下室に籠ってばかりで、私たちの間に会話という会話はほぼなく、私は夫のことをほとんど知らなかった。

 野菜が嫌いだとは知っていたけれど、好きなものは知らなかった。

 せっかく人生が巻き戻り、サディアス様を真人間にするという目標ができたのだから、ひどい偏食を直して貰うと共に、好きなものも作りたいと思った。

 前の人生では実家で冷遇されて、形だけの結婚に愛情のかけらもなかったけれど、どうせなら仲良くしたい。

 夫婦仲を深めたいとまでは言わないけれど、共に生活しているのだから楽しく過ごしたかった。

 こうして向かい合って一緒に食事をする時間が、前の人生より少しでも多くなればいいと、そう思った――。




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