真夜中ベーカリー
80枚。実在するウルトラマラソン大会(200km)をモチーフにしたファンタジーです。
マラソン好き,深夜の東京,皇居,パンが好き,という方に是非読んでいただきたく。
時刻は午前2時を回った。
頭がぼんやりし始めていた。視線が下に落ちて、交互に振りだされる脚が目に入るけれど、それが自分のものであることに気付くのに少しタイムラグがあった。
顔を上げると巨大なクレーンが左手に見えた。建設中のビルらしい。赤いライトが点滅している。深夜なのでもちろん稼働はしていない。もしあれが今こちらへ倒れてきても俊敏な動きで回避することはできないな・・・。ネガティブなことばかりが頭の中を駆け巡る。
僕はリュックから40分ほど前に六本木のコンビニで買ったアクエリアスを取り出してひと口飲み、サンドイッチをつまみ、グルタミンの錠剤を二粒飲んだ。
――少しは筋肉が修復されるといいんだけど。
霞が関と書いてある看板が目に入った。
そろそろ140km地点だ。まだゴールまでは60km以上ある。
だんだんシューズがキツくなっているのは気のせいだろうか。そういえば、昨年このレースを完走したサムロウさんが言っていたっけ。途中で少しヒモを緩めた方がいいよ、着地の回数が15万回を超えるとだんだん足の裏が平べったく大きくなるよ、と。
虎ノ門の交差点付近でいったん立ち止まり、路肩に腰を下ろし、シューズを脱ぐ。脱ぐというより片手でシューズの踵をつかみ、そこから大根を引っこ抜くように右足首を持ち上げる。ランニングソックスを脱ぐ。脚の裏が冷気にさらされる。ヘッドギアの光を当て、足の裏が大きくなっているのは感覚の問題ではなく、実際にそうなっているんだと確認する。茹でたてのソーセージのような足の裏はまたしても、身体の一部であるという感覚が希薄で、酷使している割にうっすらとピンク色をした土踏まずに思わず見とれてしまう。
「まいったな。でも、まだ走れるな。」
弱気になってはいけない、こんな場所で深夜2時にリタイアするわけにはいかない。いま途中棄権したところで家まで帰る手立てがない。純はまだ起きているかもしれないが、彼女は免許を持っていない。こんな夜中に霞ヶ関までわざわざやってきて汗臭いランナーをクルマで送迎してくれるような天使は僕の友人にはいない。
進むしかないよな、と腹を決めて立ち上がろうとすると、街路樹の陰から突然ジャージ姿の女性が現れ「ようこそ。」と声を掛けた。
ほぼ一人で走る時間帯が続いていたので、至近距離に人が、それも若い女性が立っていた事に驚き声をあげてしまった。
「ようこそ。千代田区へ。」
と女性は再び同じセリフを繰り返した。ぽかんとしていると、
「ここからしばらく千代田区ですよ。」と女性は前方を指さした。
「ゼッケン2146。コヒナタさんですね。」
「はあ。」
大会のスタッフの人だろうか。でも次のエイドステーションまではまだしばらくあるはずだけど。
「わたし、千代田区限定のボランティアです。しばらくお供します。」
おかしいな。レース要項にこんなサービス書いてあったかな。
マラソンレースでは、コースの途中で自主的にエイドを設置してドリンクや食べ物を提供してくれる人もいる。おそらくそういうマラソン好きの献身的な人に違いないんだろうな、と解釈してぎこちなく走り始めた。でも正直に言えば、一緒に走ってくれるより甘いお汁粉とかスープの方が有り難いんだけれど…。
「だいぶお疲れですね。」
「ハイ。こんな長い距離走るの初めてなんで、かなりやられちゃってます。」
「無理しないでくださいね。」
女性は僕をせかすのでもなく、足手まといにもならないちょうど良いペースを探りながら走ってくれた。
虎ノ門交差点から100mほど走って地下鉄霞が関駅入口の白い光が大きくなってきた時、「コヒナタ君」と呼ぶ声がした。
後ろで名前を呼ばれたと思い振り向いたが、歩道には誰もいない。すでにスタートしてから18時間が経過していた。朦朧とした自分の脳がついに幻聴を引き起こすようになったのか。そこまで身体が追い詰められているということなのか。僕の不自然な動きに伴走している女性が気付き薄笑いを浮かべた。
声はまぎれも無く伴走の女性から発せられたものだった。
「は? えっ? くん?」
「コヒナタケンジ君。川口市立草壁小学校卒業の。」
女性は前を向いたままハッキリとした口調でそう言った。
8年前に卒業した母校の名前が、霞ヶ関の官庁街の、しかも深夜の時間帯に聞こえて来たので僕は狼狽した。
「何でそれを知っているんですか?」
女性は、初めてチラリとこちらを見て、
「何でまだ気づかないんですか?」
と言って、速足に僕の前に回り込んで正面からこちらを見つめた。進路を塞がれた僕も立ち止まって彼女の顔を見つめた。しばしにらめっこの時間が続き、しびれをきらした彼女が、
「あきれた。ホントに分からないの?」と言った。
「ハイ。すみません。分かりません。」
「小学校3年生の時の担任の先生覚えてる?」
「3年生…、えーと…。えー、ワカタベ先生。」
「ピンポーン。えらい。すぐ言えた。その若田部です。」
全く気付かなかった。
僕の記憶の中の若田部先生は、大学を卒業したばかりの新米教師で、いつも背筋がシャンと伸びていて、腰までかかるくらいの長い黒髪がトレードマークで、いたずらっ子がよく先生の髪に触ってしかられていた、文字通り〝いじられキャラ〟だった。こんな茶髪のショートヘアではない。
「まさか。全然分からなかった。でも確かに。」
僕は人生でたぶん初めて、頭のてっぺんから足の先までじろじろと他人の身体を凝視した。
「分かりやすいように、小学校のジャージで来たんだけどな。」
若田部先生は少々不満げに両手を広げ笑顔を作った。
* * *
一般にはほとんど知られていないマラソン大会がある。
毎年2月(または3月)に開催される『小江戸大江戸200K』である。埼玉県の川越をスタート&ゴールとする走行距離200kmを超えるウルトラマラソンの大会である。マラソンをしない人には全く理解できないだろうけど(いや、マラソンが好きな人でさえ理解に苦しむほどの大会なのだが)、どんな世界にも物好きを通り越して変態さんと呼ばれる人は一定数いるもので、定員400名ほどの大会にも関わらず、ネットでエントリー開始後15分ほどで締め切りになってしまう人気の大会なのである。日本では他にも100kmを超えるようなウルトラマラソンの大会はいくつかあるのだが、深夜東京のど真ん中をランナー達がゾンビのように列を成す大会など他になく、遠方からわざわざ参加するランナーも多いのだ。
その大会に出ることになってしまった。
20歳になった記念に何か大きなことをしようと、純と一緒にスマホで検索して偶然この大会を見つけた。20で検索したはずなのに200がたまたまヒットしてしまい、しかもそれを見つけたタイミングがエントリー開始の直前だったために、純は目を輝かせながら、
「ほらケンジ、これって運命じゃない? 神様が出なさいって言ってるんだよ。こんな奇跡的なタイミングってある? 駅伝部のカッコよかったケンジをもう一度見てみたいなあ。」
と言い、有無を言わせずエントリー手続きを進めてしまった。
純は僕が高校時代を過ごした仙台で、駅伝部のマネージャーを務めていた。大学入学にあたって同じ時期に東京へ出てくることになり、それ以来付き合いが続いている。
大会要項を読むと、走行距離205kmで制限時間36時間とある。時速6kmでも完走できるということだ。ほぼ歩いてもゴールできる。遠足と同じだ。楽勝じゃないか。高校時代駅伝でならした自分だ。25km以上の距離を走ったことはないけれど、卒業以来まったくジョギングすらしていないけれど、まあ大丈夫だろう、そんな気分で純の提案を軽く了承してしまった。
怪我だけはしないようにと、いちおう10月くらいから練習を始めた。高校時代に県の全国高校駅伝予選で区間4位を取ったとは思えないほど身体のポテンシャルは落ちていた。大学入学後の不摂生な生活が影響して、高3の時に比べ体重は7kgも増加しており、久しぶりに40分ジョグしただけで膝が痛くなった。
それでも、30kmくらいは普通に走れるようになり、以前の感覚がすこしずつ戻ってきて、気楽にレース当日の朝を迎えた。成増駅近くの純のアパートに泊まり、東武線で川越に向かった。土曜日午前八時。純の作ってくれたハムカツサンドをリュックに入れ、いってきまーすとハイタッチした。
川越をスタートした後、まずは埼玉県北部を走る。
荒川沿いに北上し、熊谷市、寄居町を抜け、その後国道254号線をひたすら南下して、小川町、嵐山町、東松山市を通過して、一度スタート地点の川越に戻る。
これが前半の「小江戸コース」91kmである。
埼玉県出身の自分でもほとんど行ったことのない街ばかりだった。テレビで中継するような大規模なマラソン大会ではないので交通規制はなく、ランナーは普通に歩道を走り信号もきっちり守る。コースを知らせてくれる係の人もいないので、ランナーは自分がどこを走るのか予め配布される地図を見て把握しておく必要がある。広告もほとんど出していないので、そもそもそんな大会があることを沿道の住民たちでさえ知らない人が多く、買い物に行く家族連れが、ゼッケンを付けリュックを背負ったこの人たちはいったい何だろう、と怪訝そうな顔で眺めている。
一度ガソリンスタンドでトイレを借りた時に「どこから来たんですか」と聞かれ「川越からです。」と答えたら笑われた。「どこまで走るんですか」と聞かれて「東京までです。」と言ったらもっと笑われた。そりゃそうだろう。走っているこちらでさえ途方もなく感じるほどの距離なのだ。途中、ふと目にした国道沿いの標識に「池袋 64km」の表示を見つけた時は、ちょっと目眩がした。
50kmのチェックポイントでは僕はかなり上位に位置していた。息も上がっていなかった。30km以上走るのは未知の領域だったけれども、まわりは中年のオジさんやオバさんばかりで、ペースも全然遅いしこんな年配ランナーにオレが負けるわけがない、と多少疲れを感じ始めているにもかかわらず少々ムキになって走ってしまった。その分のしっぺ返しは強烈だった。70kmくらいから走りの感覚が明らかにおかしくなった。自分の脳でイメージする脚の軌道と実際のそれが徐々にずれているのが分かった。要するに走りがどんどん小さくなっていった。
そろそろ日没が近づき始めたころ、スタート地点の川越に戻ってきた。ゴール地点にもなっている寺の境内で純が待っていてくれた。
「すごいよケンジ。いま8位だよ。ここから頑張ればもっと上位も狙えるかもしれないよ。」
そう言って、蜂蜜がたっぷりしみ込んだバタートーストと自家製のいちごミルクを用意してくれた。どちらも信じられないくらい美味かった。脚の不調については純には言わずに、まだまだ余裕さと必死に演技しながら、夜用の長袖シャツとウィンドブレーカーに着替えて再び川越をスタートした。
後半の「大江戸コース」115㎞は東京都内へ向かうコースだ。
まず川越街道をひたすら都心に向けて走る。夜間走行になるので、ヘッドギアのライトを点灯させるのがルールである。
走行距離が100kmを超えたあたりから身体の不調も次のステージに入った。
身体を構成する部品のあらゆる接合部から不協和音が響きだした。油を差すこともなく稼働しつづけた機械のあちこちから異音が響きだした。立ち止まってアキレス腱を伸ばすなどの復旧作業をすれば良かったのだが、駅伝の経験しかない自分にはレースの途中で立ち止まって休憩するという意識が無く、辛さが徐々に増しているのを自覚しているのに、何故か先を急ぐ自分がいた。同じランニングでも5~10kmを全力で疾走する駅伝と、何十時間もの間、適度に休み補給をしながら進むウルトラマラソンでは全く別世界なのだということを痛感したけれど、もう体力は挽回不能なレベルまで落ち込んでいた。こんな調子であと100kmも走れるんだろうか、と初めて不安になった。冷静に考えてみても、フルマラソンの経験すらない人間が、いきなり200kmの大会に出るなどというのは、無謀を通り越してお笑いの領域に達する愚かな行為だった。
ペースは大きく落ち、何人ものランナーに抜かれ始めた。すでに日は暮れ、歩道を走る僕の脇を大型トラックのヘッドライトが次々と通り過ぎていく。
最初は白髪交じりのオジさんに抜かれると、鼻で笑われたような気分になり、即座に反応して再びペースアップすることもあったが、120km地点を過ぎで山手通りあたりを走る頃になるとそんな反発心も沸かなくなっていた。
東京メトロ要町駅辺りをとぼとぼと走っていると、抜いていく中年ランナーのおじさんに声を掛けられた。
「飛ばし過ぎ? 大丈夫?」
「ハイ。ちょっとやばいです。」
「お兄ちゃん、ずいぶん若いねえ。珍しいね。」
「え、そうですか。」
「こんなアホみたいな大会、若い人はふつう興味無いでしょ。」
確かに、大学の友人たちにこの大会に出る話をしても、「そんなの出て何か良いことあるの?」「何でそんな距離を走らなきゃいけないの?」「変わってるねえ。」「意味わかんない。」と言われるばかりで、誰もイイねとは言ってくれなかった。
僕自身、彼女にカッコいいところを見せようという以外の動機が見つからず、賞賛のひと言をゲットするミッションとしてはあまりにもその代償が大きいという事実になぜ最初から気付かなかったのか、という気がする。要はコスパが悪すぎるのだ。
山手通りの広い歩道で信号待ちをしていると、赤ら顔をした学生のグループが二次会行こうぜと大声を出しながら通り過ぎて行った。土曜日の夜に自分はこんなところで何をやっているんだ、という気分になった。初めて、途中リタイアの文字が頭をかすめた。
新宿駅が近づいてきた頃、エイドステーションに辿り着き、カレーを食べ水を飲んだ。
ランの途中で食べるカレーは身体中の臓器に染み渡った。乾いてよれよれに固まった雑巾の繊維の一本一本に清澄な水と養分が行き渡った。スタッフの方々の温かいおもてなしも心に染みた。
たこ焼きを食べながら談笑しているオジさんランナー達、楽しそうだなあ。何であんなに元気なんだ? それにしてもこのカレー美味すぎないか?
スタッフの方が鹿肉のカレーだと教えてくれた。わざわざ遠方からこの大会のためだけに輸送してくるのだという。高校時代の駅伝しか知らない僕は、ランニング中に何かを食べるという経験がなかった。パイプ椅子に座り紙コップの水と空になったカレー皿を目の前にすると、もうこれで今日一日の練習は終了、という気分になってしまった。このあと熱いシャワーを浴びてストレッチして寝る。そう考えることが至極まっとうなことのように思えた。東京の圧倒的多数の人々がもう眠りに付こうとしている。自分もすでに120kmを走って十分過ぎるほど疲れ果て休息を欲している。このまま僕がリタイアして深い眠りに付いても誰にも非難されることはないだろう。そう考えると、これから先自分の身体に鞭打って、あと70km以上走る行為には何の合理性も見つからない。今からの自分の頑張りは何の役にも立たない。僕が完走すればお年寄りの年金の額が増えるのか?待機児童の数が減り子育て環境が改善するか? 途上国で飢餓に苦しむ子供たちに温かい食べ物が供給されるか? そのいずれでもないことは明白だった。僕は何の役にも立たないことに今日一日エネルギーを注入していた。
ただそれとは別に、この愚かな行為をずっとやり続けたらいったいその先に何があるんだろうという、スタート時には全く想像もつかなかった思いもハッキリと感じていた。それは最初はほんの一点のしみに過ぎなかったが、走行距離が70、90、120、と増すにつれて徐々に拡大していった。僕はブラックボックスの中におそるおそる手を入れかけていた。
エイドの外に出ると、スタッフの人たちが拍手をしながら、「はーい、頑張ってくださーい」と言って僕を送り出した。ここでリタイアします、という選択肢は完全に打ち切られた。下り坂をとぼとぼと歩き始めると、その先の交差点で手招きをしている人が見えた。あるいは錯覚だったのかもしれない。この先にもっと面白いものがあるんじゃよ、せいぜい楽しむことだねイヒヒ。杖をついた鼻の大きな魔女だったのかもしれない。
そこからは夜の都心徘徊の時間だ。
人通りの途絶えた土曜深夜の都心を、都庁→新国立競技場→六本木→東京タワー、と回って皇居を目指した。
六本木の交差点で信号待ちをしていると、酔った外国人が不思議そうに僕のゼッケンを指さして何か言ってきた。全く何を言っているのか分からなかったので「ジャパニーズ・ランニング・フェスティバルね。」と言ってゼッケンをポンと叩いた。
とっさに祭りという言葉が浮かんだ。人道的に問題があるとまでは言えないけれど、酔狂という言葉で片付けるにはちょっと度が過ぎる祭りには違いなかった。視線の定まらない外人男は拳を突き上げ「フォルツァ!」と叫んだ。
六本木の酔客の間をすり抜け芝公園方面に抜けると人影がぐっと減り、東京タワー周辺の路上はほぼ無人地帯だった。ライトアップされていない東京タワーは巨大な糸杉のように見えた。
周辺のマンションもほとんど灯りは消えていた。ここに住むいったいどれだけの人が真冬の深夜にほぼ負傷兵となった多くのランナーが自宅前を走り抜けていることを知っているんだろうか、と思った。
* * *
僕と若田部先生は日比谷公園沿いを走っていた。
「この大会に出ること、よく分かりましたね。」
「だってみんなSNSやってるでしょ。教師になって初めて受け持った子供たちっていうのは特別な存在なのよ。今でも気になってしょっちゅう検索しているの。君たちのことはだいたい知っているわ。去年、大くんとイオリちゃんが結婚したのも知ってる。すごいわよねえ、小3からの10年愛を貫いたんだものね。」
それは僕も最近になって知った。先生は僕より同級生の情報に詳しそうだった。
「普通に友達申請してくれればいいのに。」
小学校時代の友達とは今でも何人かとは連絡を取り合っている。たいていここ1~2年に始めたSNSのやり取りが中心だけれど、さすがに当時の先生方との繋がりはない。
「いいえ、私は遠くから見守っている方が幸せなのよ。」
そう言いながら走る先生のフォームは、ランニングエコノミー的にいえば全く効率が悪かった。ぴょんぴょん飛び跳ねているだけで前方への推進力がまるで発揮されていなかった。これじゃあ5kmも走らないうちにバテてしまうだろう。額にもうっすらと汗がにじみ出しているのがわかった。そういえば若田部先生は料理をしたりクッキーを焼いたりするのが趣味で、運動は明らかに苦手だったよな、と思い出した。
「でも、先生がこんな夜中にわざわざ応援に来てくれて嬉しいですよ。ありがとうございます。」
「いいえ、どういたしまして。これはほんのお礼ってことで。」
信号が赤に変わり、僕らは立ち止まって軽くストレッチをした。
「お礼? 僕、先生に何かしましたっけ。」
小学3年生の頃といえば、僕はただうるさいだけの目立ちたがり屋だった時期だ。とてもお礼を言われるほどのことがあったとは思えない。
「コヒナタくんは覚えてないだろうけど、私あなたにすごく元気をもらったのよ。」
先生は意外なことを言った。確かに僕はクラスでは元気印の代表だった。僕とユウキという男子がいつも盛り上げ役で、ユウキと僕は常にどちらがクラスの皆を沸かせられるかを競っていたようなところがある。
「教員1年目って、覚えることは多いし人間関係にも気を遣うしとにかく大変だったの。」
「そんな大変な時期にやんちゃばかりしてすいませんでした。でも、先生はいつも余裕たっぷりに話してた印象でしたけどね。あと、地元愛強かったですよね。」
「私が? そうかしら。」
「かなり推してましたよ。私の住んでいる東京の神田っていう所は、ビル街で緑は無いけれど良いところなのよ、美味しいお店がいっぱいあるのよ、って」
自分でそう言ったことで何かのスイッチが押されたのか、ずっと思い出すことのなかった10年前の教室の光景がありありと目の前に広がった。
「週末に先生が食べた美味しいものの話を月曜の朝にみんなに話すのがお決まりのルーティンでしたよね。僕、〝キーマカレー〟とか〝かやくごはん〟て先生から教わりました。」
「食べ物ばっかりね。」と先生は舌を出して笑った。
「運動会の時の昼休みの弁当タイムに、先生はクラス全員にクッキー配ってくれましたよね。昨日の晩に焼いたのよ、って1枚ずつ。あのチョコチップクッキー美味かったなあ。思い出しました。」
「あったわねえ、そんなこと。1年目って張り切り過ぎてたのね、きっと。」
「その反面、東京出身の若田部先生は、僕ら埼玉県民をバカにしてた。」
「そんなことないわよ。」
「そうかなあ。どことなく、あたし東京生まれ東京育ち、って鼻にかけてる感じありましたよ。」
「それは地元愛が強かったってことでしょ。今でも地元が一番好きだもの。」
僕たちは皇居外苑に差し掛かっていた。ひっそりとした深夜の皇居前広場は、巨大な黒い湖面のようだった。
「先生。ゴキブリ事件、覚えてます?」と僕は小学3年生の時の最も印象深かった出来事を思い出して言った。若田部先生は、やっぱりあなたはその話をするのね、と始めから予想していたかのような表情で
「もちろん覚えてますとも。」と言った。
それは、2学期を迎えてすぐの出来事だった。
理科の授業中に「この中で一番寿命が短い生き物はどれですか。」という問いの答えを言う時があって、若田部先生が「答えは、セミです。」と言ったその瞬間だった。
開いていた教室の窓から突然セミが侵入してきて、壁に止まってミンミンと鳴き始めた。いつも高い木の上にいる蝉が至近距離で鳴くとこんなに大きな音がするのか、という事実に僕らは驚愕し、女子の1人が怖いっと大声を挙げて教室内は騒然となった。
皆で下敷きなどを振り回しながらやっとのことで蝉を外へ逃がして着席した時に、ユウキが「先生〝ゴキブリ〟って言ってー。」と言った。先生が「どうして?」って聞くと、「だって先生が今セミって言ったら蝉が出てきたでしょ。だからゴキブリって言ったらゴキブリが出てくるかなあと思って。」と答えた。女子の誰かがやめてよお、とユウキを非難した。「そんなわけねーじゃん」という声と「わあ、言って言って。」と期待する声にクラスが二分される中、先生は面倒くさそうに「ごーきーぶーりっ。」と言った。
その直後一番後ろの席に座っていた女子が悲鳴を上げた。本当にゴキブリが彼女の足元を這い回っていたのだ。蝉の時以上に教室内は大パニックになった。
それ以来、僕らの若田部先生を見る目が変わった。この人に逆らうととんでもないことになる、と。
「あれは本当に神掛かってましたよね。」
「嫌だなあ。単なる偶然でしょ。でも、あの後しばらく、悪さをした子を叱る時に〝ゴキブリって言うよ〟という一言でおとなしくなったから、結構重宝したけどね。」
走りながら僕は大声で笑った。笑うと不思議なくらい脚の運びが良くなった。壊死しかけていた細胞に刺激が加わり、全身の稼働率が上がっていくのが分かった。
僕らは皇居の北、平川門の前にさしかかっていた。
「あの年の最後に震災があったんでしたよね。」
「そう。教員1年目ってほんとはいろんなことがあったはずなんだけど、3月のあの日のインパクトが大きすぎて、その印象しかないくらい。川口は震度5強だったわよね。あんな大きな地震に遭遇したのは生まれて初めてで、崩れ落ちそうになるくらい動揺してたの。私も考えてみたら23歳の小娘だもんね。でも子供たちの前でそんなとこ見せちゃいけないと必死になって平然とした顔を作って、みんなの無事を確認して家に帰るのを見届けて、さあ自分も帰ろうと思ったら電車が止まってて、学校の外を見るとたくさん人が歩き出していて、その流れに逆行するように荒川大橋の方へ向かおうとしたらもっと大勢の人の流れを目の前にして呆然としてしまった。気づいたら涙が出ていたの。」
「我慢してたんですね。」
「いまから神田まで歩く、ってことが途方もないことに思えたのよね。あの日は人によっては40~50kmも歩いて帰ったなんて話をあとから聞いたけど、私には神田までの十数kmがとてつもなく長い道のりに感じたのよ。その時コヒナタ君がなぜか傍にいて助けてくれたのね。有難かった。頼もしかった。」
「ああ、それ何となく覚えてます。家に帰ってから橋の方へ様子を見に行く途中、確か先生に会ったような・・・。」
「君、その時何て言ってたか覚えてる?」
「いや、全然覚えてないです。」
「『コヒナタ君も早くウチに帰りなさい。お母さん心配するわよ。』って私がいうと『ボクは大丈夫だよ。それより先生泣いてるじゃん。大丈夫?』って。」
「そんなこと言ったかなあ。」
「そして『ウチ近いから寄ってってもいいよ』って。『カレーも残ってるよ』って。」
「カレーって・・・。俺、バカですねえ。確かに我が家はカレーはいつも大量に作る流儀ですけど。」
「私は『ありがとう。大丈夫。先生ここから頑張って歩いて帰るわ。神田まで。』って言ってバイバイって手を振って歩き出したの。」
「その場面、思い出しました。扇風機みたいにぐるんぐるん手を振ったなあ。」
「そうなの。私が見えなくなるまで君はずーっと大きく手を振って、先生ガンバレーって言ってくれた。」
「そうでした。思い出した。」
「考えてみると、あんなに長い時間誰かに頑張れーって言われ続けたことってあったかしらって思うのよね。」
若田部先生は、埼玉と東京の県境である荒川大橋を渡り、東京都内から帰宅する大勢の人々の流れに逆らいながら、神田の実家まで無事歩いて帰宅した。休み休み歩いて5時間くらい掛かったという。
「だからいつか君に直接ガンバレーって言ってあげたいなあと思っていたの。」
「はあ。」と僕はあいまいに返事をした。嬉しくはあったけれど、義理堅いというかクソ真面目というか、深夜わざわざ出向くまでもなかろうに、と思った。でも僕の右側を走る先生から夜風に乗って良い匂いが漂ってくるのが心地よくて、しばらくこのまま走るのも悪くないな、という気分になっていた。
* * *
『小江戸大江戸200K』のコースは毎年ちょっとずつ変わる。
千代田区近辺のコースも変更される時がある。今年は、皇居外苑に出たあと、皇居をぐるりと一周するルートが付け加えられていた。昼間や休日はランナーでごったがえすコースだけれど、深夜の時間帯は不気味に静まりかえっている。もちろん走るのは初めてだ。
僕たちは北の丸公園に差し掛かっていた。
皇居の周りは平坦な道がぐるっと続いているだけだと思っていたけれど、思った以上に起伏があることに驚いた。
「上り坂だ。へえ、アップダウンがあるんだ。なんでだろ?」と誰に聞かせるわけでもなく僕が呟くと、
「ここは洪積台地のへりにあたるところなんですよ。」と男の人の声がした。
いつの間にかレースに参加している60歳くらいの男性が我々の後ろを走っていた。
「あ、ごめんなさい急に」と男の人が手を挙げた。
僕と同じ色のゼッケンを付けてリュックを背負い、頭にはライトを装着している。
「ランナーの方ですね。どちらからいらっしゃったんですか。」と若田部先生が聞く。
「札幌です。ノブヒロといいます。あ、名前じゃなくて苗字がノブヒロです。」
「ずいぶん薄着ですね。」
「札幌に比べればだいぶ温かいですからね」。
ノブヒロさんは冬の深夜2時だというのにウィンドブレーカーも着ておらず、タイツの上に半袖のランTシャツを着ているだけだった。手袋もしていなかった。
ノブヒロさんは札幌市役所に務める公務員で、ランニング歴はもう30年だという。
普段は北海道内のレースを中心に走っており、毎年6月に行われる「サロマ湖100キロウルトラマラソン」を10回完走した人だけに与えられる「サロマンブルー」の称号もすでに獲得しているそうだ。
「以前からこの大会に注目していたんです。東京に住む娘に孫が生まれたので、顔を見に行くのに合わせて申し込んでしまいました。」
ウルトラマラソンのレース中には時々こうして自然発生的にランナーの塊が形成される。たいていはまた自然にばらけていくのだが、この時のノブヒロさんは少し違った。
「さっきの、コーセキダイチっていうのは何ですか。」
という僕の質問をきっかけに、この時はノブヒロさんの講義が続くことになった。
「洪積というのは地質時代の区分のことなので気にしなくてもいいんです。要は台地、台のようになっている、一段高い地形になっているってことです。このあたりは、今日の日中我々がずうっと走ってきた武蔵野台地の一番最後の部分に当たるんです。日比谷公園のあたりは昔は入り江になっていたんです。」
神田出身の若田部先生が付け加えた。
「銀座のあたりがちょっと半島みたいになっていて、その東側はずっと海だったんですよね。」
「お詳しいですね。」とノブヒロさんが若田部先生の顔を覗き込んだ。
「いちおう元小学校の教員ですので。」
「僕はその教え子なんです。」
と説明したが、若田部先生が言った〝元〟という言葉が気になった。
我々二人が小学校の先生と教え子という組み合わせであることに、ノブヒロさんは一瞬怪訝そうな表情を浮かべたが、さらに上機嫌に話しを続けた。
「ざっくり言うと、皇居のある場所は、西側は少し高い台地、東側は入り江に面した低地、という感じです。海と陸の境界をまとめてぐるりと一周するわけですから、アップダウンもけっこうあるということです。」
僕はへえと感心した。僕はてっきり、埼玉県から東京都に入ったらあとはずっと平坦な地形が続くものだと思っていた。ところが実際は、都内に入っても、環七や山手通りを始め、ランナーの気持ちが折れるくらいの坂が何度も現れ、その度に歩くようなスピードになった。レースの序盤に走った荒川沿いの土手の上がとても平和な時代のように懐かしく思い出された。
若田部先生もその話に解説を加えた。
「私も小学生の時に教わりました。君たちのいるところは昔は海だったんだよって。この近くには神田山っていう山があったけど、徳川家康のころ山を削って、その土砂で日比谷の入り江を埋め立てたんだよって。」
ノブヒロさんは若田部先生の話を満面の笑顔で聞いていた。思いがけない場所で話し甲斐のある相手を見つけたとでも言いたげに、ペットボトルの水を満足気に飲んだ。
ノブヒロさんは歴史マニアで、全国各地のマラソン大会に出場しては歴史上の人物ゆかりの土地を巡るのが大好きだと言った。いわゆる『旅ラン』の愛好家だった。
あちこちのレースに出場して歴史に思いを馳せ、その土地の美味しいモノを食べて素晴らしい景色を眺めながらゆっくり走る。これほど贅沢な旅がありましょうか、と両手を広げた。若田部先生がクスクス笑った。印象に残っている大会を聞いてみると、
「たくさんあるんですけど、最近では『みやぎ復興マラソン』ですかね。マラソンコースの大部分が津波の到達範囲内を通るんです。42.195kmのほとんどが、家屋が全て流された地域のど真ん中なんです。コースの周りは広大な更地ばっかりで、特に景色が素晴らしいというわけじゃないんですけどね。」
「むしろ息が詰まりそう・・・。」
「地元の人達、といいますか、かつてその地区に住んでいた人達が、沿道に出て手を振っているんです。今は高台に引っ越してそこには住んでいない方々なんですけどね。こちらも手を振って答えるとおばあちゃんの一人が『来てくれてありがとうー』って言いながら拍手をしている。隣のもう一人のおばあちゃんも『ああ涙出てくるわ』と言いながらランナーを応援しているんです。ちょっと意外でした。」
「意外?」
「マラソン大会って、特に市街地を走る時などは交通規制してクルマが何時間も通行止めになったりして、走るのに興味無い人にとっては迷惑千万な話じゃないですか。こちらも、時々、すいませんお騒がせします、っていう気分になることもあるんですよね。ありがとう、なんて言われるなんて思っていなかったんです。」
「なるほど。」
深夜の皇居周辺には観客は誰もいなかった。当然拍手もない。
しんと静止した空気の塊をかき分けるようにランナー達はひたひたと進む。僕たちが真夜中に皇居をぐるりと一周する姿に、果たして誰かがありがとうと言ってくれるのだろうか、と考えた。
「ただ、この皇居周辺はちょっと別の意味で注目なんです。」
誰かに聞かれているわけでもないのに急にノブヒロさんはひそひそ声に変わった。
「この近くでは、歴史上の人物がたくさん暗殺されたんです。」ノブヒロさんの目には不吉な場所を前にした恐怖心などまるで無く、ギラリとした好奇心の輝きだけがあった。
僕たちは皇居をすでに半周ほど走り、国立劇場の前に差し掛かっていた。
「ちょっと待ってください。僕そういうのマジで苦手なんです。しかもこんな真夜中に。」
僕は急ブレーキを駆けて立ち止まってしまった。
「そうだったわねえ。授業で一度怪談話をした時に、一番最初にギャーってもの凄い大声で叫んで、教頭先生が慌てて駆け込んできた事件を忘れたとは言わせないわ。」
「・・・覚えてます、それ。」
しかしノブヒロさんは、今この場所でこの話を披露しなかったらこの大会に出た意味がない、20歳の若造が怖さで震えることなど些末なことだ、と言わんばかりにニヤリと笑いながら話を続けた。
「例えば、大久保利通です。」
どうやら、話の先を聞かないという選択肢はなさそうだった。僕は諦めて言った。
「・・・聞いたことあります。薩摩藩の。」
「そうです。この先に紀尾井町というところがありますが、そこで明治11年に暗殺されています。紀尾井坂の変と言われています。それから森有礼。」
「知らないです。」
「最初の文部大臣になった教育者で、一橋大学を作った人です。1911年、大日本帝国憲法発布の日に式典に出席しようとしたところを刺されたのが確かこの近くだったはずです。」
「刺殺かあ。痛そうだなあ。」
「あとは、星亨。」
「全く分かりません。」
「この人も明治時代に衆議院議員を務めた大物です。当時の東京市役所の中で刺殺されています。五・一五事件は知っていますか?」
「それは聞いたことがあります。」
「1932年です。当時首相だった犬養毅がピストルで撃たれた総理公邸もこの近くにありました。」
「ノブヒロさんて、暗殺マニアなんですか?」
僕は恐る恐る質問した。
「ハハ。面白い表現ですね、それ。確かに気味悪いですよね。しかもこんな夜中に。でも何故か昔から暗殺された歴史上の人物って気になっちゃう性分なんですよね。」
変態ランナーの多くは他の趣味も変態なんだろうか。
ノブヒロさんはさらに饒舌になり、先ほど我々が通過した日比谷公園では浅沼稲次郎が1960年に、これから通過する東京駅では原敬が1921年に暗殺された、とたたみ掛けた。必要性は全くないはずなのに、刺殺の瞬間の動作までエイっという掛け声とともに披露した。僕はノブヒロさんとの距離を少し空けた。
「無差別テロも起こってますね。1995年の地下鉄サリン事件ではさっき通った霞ヶ関駅で死者が出ています。コヒナタ君に一つ問題を出しましょうか。」
この疲労困憊の時間帯に酷なことを言うなあ、と。ランニングの途中にものを考えるというのは苦手だ。何も考えなくても良いという特権こそがランニングの醍醐味なのではなかったか。
けれども、せっかく北海道から上京し上機嫌でランを楽しんでいるベテランランナーを悲しませるわけにもいかなかった。
「ハイ、お願いします。」と僕は言った。一問だけですよ、という願いを込めて。
ノブヒロさんは小さく咳をひとつして、
「この東京で、1日で10万人の人が亡くなった事件が歴史上3回あります。さてそれは何でしょう。」と言った。
一つはすぐ分かった。
「関東大震災ですか。」
「正解です。1923年9月1日。防災の日ですね。あと2つ。」
うーん。
「全く出てこないです。ヒントもらえますか。」
「分かりやすい方でいうと〝戦争〟ですかね。」
「ああそうか。空襲、ですね。」
「そうです。1945年3月10日。東京大空襲です。」
僅かながら学校の授業で習った記憶があった。でももう一つが出てこない。
「あとは全く分からないです。」
「ヒントは江戸時代です。」
そう言われても何も思い浮かばなかった。ノブヒロさんは少し誇らしげに解答を言った。
「若い人はあまり知らないかな。答えは『明暦の大火』です。1657年です。たった一晩で江戸中が火の海になってしまった大火事です。死者の数は諸説あるんですが、いま皇居になっている江戸城の天守閣も焼け落ちてしまったんです。でも、その時の幕府の中心人物であった保科正之が天守閣を再建するお金があったらそれを民の救済に使えと言ったらしいんです。それ以来江戸城には天守閣が作られなかったのですね。」
「へえ。そうだったんですか。」
「いろんな事があったんですよねえ、このあたりは。」
そう言いながらノブヒロさんは真っ暗でほとんど見えない外堀の対岸を見つめた。ノブヒロさんの頭の中には、360年前までそこに存在していた江戸城天守閣が脳内3D映像として投影されているに違いなかった。
「残念ながら無名の人々の情報というのは現代まで伝わっていないじゃないですか。だからとりあえず死んだ時の状況が詳しく分かっている歴史上の人物に注目してしまう、というのもあるんですよね。」
ノブヒロさんは言う。
皇居周辺は陸と海の境界、生と死の境界である、と。
そんな場所で、真夜中に死者の声に耳を澄ませながら走る。おまけに、たどり着くランナー自身も140kmを走破して生と死の境をふらついている。我々はとてもエロチックで、かつ濃密な時間を過ごしているんです、と。
それは、半分生きていて半分死んでいるということではないらしい。生と死は二択しかない。コイントスと同じだ。半分表で半分裏という状態はあり得ない。今僕らは何一つ不安のない顔付きで走ってはいるけれど、気まぐれな心臓がその活動を突然停止することなどありえない、と誰が言い切れるというのだろう。日常生活なら一笑に付すようなそんな問いかけも、18時間も休み無く走った今ならば、その問いはやや大きなリアリティを持って僕らの前に姿を現すのだ。僕らは今、断崖絶壁のまさに際の部分を走っているのかもしれなかった。
ただその時の僕は、そうした話の内容よりも、疲労が蓄積しているこの時間帯に、自分の足元の大地のうねりにそこまで過剰な意味を読み取るノブヒロさんの脳のスタミナに驚いた。
「亡くなった人のことを考えながら走るのはやはり夜がいいですね。沿道に誰もいない方が余計なことに気を遣わなくてすみますから。皆が寝静まった時間帯にこんな場所を忍び足で徘徊するって、秘密基地に侵入するみたいでドキドキするじゃないですか。だから一度来てみたかったんです。」
僕と若田部先生はノブヒロさんの後ろを走りながらお互い目配せした。
「変わった趣味ですよね。」と僕は率直に言った。
「ハイ。家族旅行に行った先で、私はいつも歴史上の人物のお墓参りを提案するんですが、妻と娘に却下されます。」
「そうだと思います。」若田部先生は大きく頷いた。
ノブヒロさんの暗殺講義が終了するころ、桜田門にさしかかった。
桜田門外の変なら僕でも知っている。ノブヒロさんに話を振られる前に僕は言った。
「井伊直弼ですね」。
「そうです。その通り。籠に乗っているところをまずピストルで撃たれて、そのあと刀で切りつけられたのです。」
ピストルで? それはちょっと意外だった。
「あ、私はここでちょっと休みますので、どうぞお先に行ってください。」
歴史的事件が起こったまさにその場所で、物思いに耽りたいんだろう。僕には理解しがたいことだけれど、ノブヒロさんにとっては、著名人がどんな政治的背景の中で命を狙われたかということより、流れ出た血の染み込んだその場所に自らの足底が接することが重要なのかもしれない。そんな貴重な時間を僕が邪魔をすべきではない。それに、この先数時間ノブヒロさんの暗殺トークに相槌を打ちながらランを続ける余裕は今の僕にはない。
僕が安堵の表情を浮かべたことは若田部先生にも伝わっていた。僕の気持ちを代弁して若田部先生が言った。
「分かりました。深夜の東京歴史散歩楽しんでください。」
「ありがとう。お二人もお気を付けて。」
僕は、たぶんもう会うことはないなと思いつつ、「またどこかのエイドでお会いしましょう。」と言った。
「はい。リタイアしていなければ。」ノブヒロさんはにっこり笑って、まだ暗い桜田門の風景をカメラに収め始めた。
* * *
皇居一周が終了し、再び若田部先生と二人で走り始めた。視界の開けた皇居周辺から圧迫感のある大手町のビル街に入った。
「変わった人だったわね。この大会出る人ってみんなそうなのかしら。」
「今日の昼間、埼玉県内を走っている時に、大阪からきた白髪の年配ランナーの人と話したんですけど、金曜夜の夜行バスで川越に来てそのままレースに出て,土日走ったあとまた深夜バスで帰るって言ってました。」
「ええ? さすがに月曜日は仕事お休みなんでしょ?」
「僕もそれ聞いたんですけど、『それが休めんのよお、ハハハハー』って言って走り去っていきました。」
「それ、真面目な話、倒れるわよ。」
「僕もそう思います。」
「やっぱりおかしいわ。」
「ですよね。」
そうした尋常でないエピソードばかり聞いていると、自分はなんて平凡な人生を送っているのだろうという気分になった。でも、それでいい。生きていく限りにおいて、無理矢理に非凡な人生を送る必要は全くない、と僕は思う。
日本の中心業務地区である大手町は誰でも名前を知っている大企業のビルが続いている。
よく見ると、いくつかの窓に灯りがついていた。日曜日の未明に仕事をしているっていうのか? 僕にはそっちの方が変態に思える。若田部先生が得意気な声で言う。
「そうそう。さっきノブヒロさんは言ってなかったけど、この先にもっとヤバいところがあるの知ってる?」
「何ですか。脅かさないでくださいよ。」
「将門の首塚っていうところ。将門塚ともいうけどね。そこがコースになっているわよね。」
「そうなんですか?」
「あなた、コースマップちゃんと見てないの。」
「見てますけど、そんな曰く付きの場所なんてチェックしませんよ。どんな所なんですか。」
「知りたい?」
「あ、いや。知りたくないです。でも・・・ちょっと知り…、いや、やっぱり知りたくないです。」
僕らは首塚のすぐ近くまで来ていた。何の変哲もない高層ビル街の一角なのだが、深夜の時間帯に通りかかると魔界の入り口のような雰囲気が漂っている。若田部先生は走るスピードを緩め、息を整えてから話し始めた。
「平将門は平安時代の豪族で、教科書には承平天慶の乱って書いてあるんだけど、朝敵とみなされて、最後は戦死してしまうのね。戦は関東であったんだけど、将門の首だけは京都の平安京まで運ばれて晒し首になったの。晒されて3日目に、突然カッと生首の目が開いたかと思うと、東の空へ飛んでいったの。無くなった自分の胴体を探し求めてね。そして遠く関東まで飛んできて、落ちた場所の一つがここっていうわけ。」
「マジかあ・・・。」
それ以上は聞きたくなかったけれど、聞いておかないともっと怖い想像が自分の脳内で増殖してしまいそうだった。
「まあ、そういう伝説は全国各地にあるんだけれどね。でもね、この首塚では、関東大震災の後、更地にして大蔵省の仮庁舎を作ろうとした時に工事関係者の多くが不審な死を遂げてしまったの。結局仮庁舎は取り壊されて首塚は元通りに復元された。戦後、GHQが首塚を撤去しようとしたら事故があって、工事関係者がまた死亡してしまったの。これらはみんな将門の祟りだ、という話が広まって、結局それ以降ここは開発の手から免れているというわけ。」
「何でそういう所をこんな夜中に通らなきゃいけないかなあ・・・。」
「ほら、もうすぐそこよ。」
そう言って若田部先生は暗闇を指さした。周りに灯りがなく、塚の輪郭はぼんやりとしか見えなかった。先生は首塚の前まで行って手を合わせていたが、僕はどうしても勇気が出ず、敷地内に足を踏み入れることができないまま、歩道から首塚に向けて一礼した。
高層ビルの街の中に、そこだけ深い井戸が掘られているようだった。僕は井戸の底から天を見上げた。星が見えた。首塚はもう何十年も高層ビルに切り取られた小さな星空を仰ぎ見ているのだった。
脈が速くなり眠気が吹き飛んでいた。首塚に手を合わせる行為をスルーした不敬な若造と見なされて祟られたりしないだろうか、今から引き返してきちんと塚の前に跪くべきではないだろうか、ということをぐるぐる考えた。周りはまた元の高層オフィス街に戻っていた。この数分の間、別の時空をさまよっていたかのようだった。
再び走り出すタイミングがつかめず、僕と若田部先生は大手町の広い歩道を東へ歩いていた。JRの線路をくぐったところで先生は、
「じゃ、私はここで。」と言って立ち止まった。
「え、もう帰っちゃうんですか。」
「そうよ。」
「そんなあ。めちゃくちゃ怖い話して、すぐいなくなるって酷くないですか。」
あなたを励ますために応援に来たっていう最初の言葉は嘘だったのか、と叫びたくなった。先生は前方を指さしながら言った。
「そうじゃなくて、そこから先は中央区なので私はここで終わりなの。」
「はあ?」
「千代田区限定のボランティアって言ったでしょ。このあとはどういうルートを走るのか分かってる?」
「日本橋を通って両国まで出て、スカイツリーの下がチェックポイントになっていて、そのあと浅草へ行って、アキバから東大方面に向かいます。」
「正解です。間違えないようにね。赤羽駅も通るのよね。」
「ハイ。小中の同級生がそこで応援に来ることになってます。」
「そっか。川口からはひと駅だもんね。誰が来てくれるの。」
「先生のクラスだった、ユキとリキとタマちゃんですよ。」
「わあ、懐かしいな。会いたいな。」
「先生も来ればいいじゃないですか。」
「ダメよ、私、千代田区限定だもの。」
「さっきから何なんですか、その謎ルール。」
若田部先生はその質問には答えず、
「赤羽駅に着くまでに、途中リタイアしないようにね。」と言った。
若田部先生のその言葉は、小学校の時の「宿題を忘れないようにね」と同じ響きだった。僕の両方の太ももにはいまや鋼鉄が埋まっているのだということを急に思い出した。
「確かにその可能性が高くなってきてます。かなり限界です。」
「ダメよ。わざわざ深夜にこんな美女に応援させておいて、途中リタイアでしたなんていったら承知しないわよ。」
「分かりました。・・・頑張ります。」
渋々そう答えてから、最後にスマホでアドレス交換をした。先生のスマホの待ち受けは子供の笑っている写真だった。
「あ、先生、結婚してたんですね。」
「そう、これはウチの娘。3歳なの。」
「可愛いなあ。遅ればせながら、おめでとうございます。」
「ありがとう。今はぐっすり寝ている時間ね。ああ、久しぶりにいい汗かいたわ。」
先生はそう言って、持っていたミニタオルで汗を拭った。そして、どこにそんなものを持っていたのか気づかなかったけれど、コンビニ袋をひとつ取り出して僕に手渡した。中にはサンドイッチが入っていた。
「コヒナタ君、パン好きだったわよね。給食でパンの時だけおかわりしてた。途中でお腹減った時に食べてね。」
「ありがとうございます。うまそう。」
「神田の私の実家の近くにある喫茶店の看板メニュー〝のりトースト〟です。名前の通りバターを塗ったトーストに海苔が挟んであるだけなんだけど、とても美味しいのよ。」
「相変わらすのグルメレポありがとうございます。あとで美味しくいただきます。」
「じゃあね。無理しすぎない程度に頑張ってね。またね。」
「ありがとうございましたー。」
僕は10年前のように大きく手を振った。
* * *
こうして若田部先生との思いがけない深夜ランニングデートが終了した。
急に話し相手がいなくなると、今まで無言を貫いていた身体中の筋肉や腱から不満の声が漏れ始めた。ご主人様、もう限界です、何とかして下さい、と。実際は無言を貫いていたのではなく、僕が話に夢中で彼らが必死にノックする音に気付かなかっただけなのだが。僕は答えた。君らの言い分も分かるけど、わざわざ応援に来てくれた客人の期待に応えるためにも、途中リタイアという選択肢は選びたくないんだよ、悪いけどもう少々負担を掛けることになるよ。申し訳ない。
ただし今後は、ますます彼らの訴えが過激になっていくことが予想された。その要求をいちいち聞いていたら完走の足かせになってしまうのは明らかだ。
僕は一時的に、頭の中から「痛み」という語を消去することにした。
「フランス人に肩こりはいない」という話を聞いたことがある。
なぜなら、肩が「凝る」という言葉がフランス語に無いからだ。フランスでは肩がこるというのと肩が痛いというのは同じカテゴリーに入るのだ。言葉と身体は深いところで繋がっている。痛いという言葉が存在することによって、その痛みがさまざまなネガティブな別のワードと結びついてしまい、最終的に自分の身体的なポテンシャルの低下に繋がるのだ。それを防ぐためにはそもそもの元を絶ちきってしまえば良い。痛い・痛み、こうした言葉は僕の頭の中にそもそも存在しない、と。そうすればきっと僕はどこまでも走り続けることができるはずだ。
僕は自分だけの謎ルールで進む。そう決めて走り始めた。
日本橋を通過し、小伝馬町、馬喰町へと抜けた。
かつて海だった地域。後に埋め立てられて街が作られた地域だ。起伏は全くない。
いま自分は古代の海の上を走っている、と意識してみた。足元のアスファルトを一枚めくるとそこはどこまでも干潟が続いていて、裸足の自分がぴちゃぴちゃと音を立てて渚を駆け抜けていく。縄文人もこの辺りの海岸を魚や貝を求めて走っていたんだろうか。今の僕と同じような脚の痛み…、いや、何か足全体がもったりピリピリとするような感じを抱えながら獲物を探し求め彷徨ったのだろうか。
人生初の体験をしている最中だというのに、若田部先生に会い、ノブヒロさんの歴史談義を聞いた影響なのか、僕の頭の中は過去にフォーカスされていた。
そういえば、高校時代、自分はなぜ駅伝部に所属していたんだろう。
中学校の時には既に長距離走が得意種目だった。だから勉強もまあまあで駅伝が強い高校を選んだのだ。中学に入る時には最初から陸上部に入ると決めていた。
小学生の時にはずっと少年野球をやっていたのに。なぜだろう。なぜ中学入学と同時に迷いもなく陸上部に入ったんだろう。そうやって記憶をどんどん遡ってみると、3年生の若田部先生に行き着いた。あれは校内持久走大会の時だ。
小学校の周りを大きく2周するコースで、1周目で飛ばし過ぎて息が上がりかけている僕に、若田部先生は「コヒナタ君すごいよ。カッコいいぞー。頑張れー。」って言ってくれたのだった。
そのおかげで最後まで力を振り絞って僅差で優勝できたのだ。
確かそうだ。人生初の一等賞を貰った体験だったから鮮明に覚えている。それが自分が長距離走に適性があることを知った最初の出来事だった。冬の晴天の下で小さな賞状を手渡された光景がまざまざと甦ってきた。
同時に、自分は、今も昔も結局誰かにカッコいいって言って欲しくて走っているのではなかろうか、という分かりやすい事実に気付いた。単純よね、という純の声が聞こえた。隅田川を渡る橋の上で思わず苦笑した。
両国国技館の脇を抜け、スカイツリーの姿が徐々に近づいてきたころ、スマホに着信があった。小学校からの友人マルオからだった。
「おう、こんな夜中に応援ありがとう」
「ああ、映画見ながらずっと起きてたよ。いまどの辺?」
「もうすぐスカイツリー。」
「思ったより早いじゃん。」
「当たり前さ、元駅伝部の底力だ。」
僕は精一杯強がりを言った。
「川越のゴールで待ってるからさ。ちゃんとたどり着けよ。」
「ああ、ありがとう。ところでさ、さっきビックリする人が応援に来てくれたんだ。誰だと思う? まあ絶対に当たらないと思うけど。」
「芸能人とかじゃないよな。オレの知ってる人?」
「もちろん。ヒントは小学校。」
「うーん・・・。分かった。西田このみだ。お前が片思いしてたけど突然転校していなくなった。」
今夜は突然懐かしい名前が次々登場する。まるで脳内同窓会だ。
「ああ。そうだったら確かにビックリだし嬉しいわ。でも、残念ながら違う。」
「じゃあ、校長のクジライ先生。」
「不気味だわ、それ。何であのおじさんが深夜に現れるんだよ。」
「絶対に当たらないとかいうからだよ。」
「違う。もちろん。」
「じゃあ、鴨志田君。」
「え、カモシダ君って、あれ、あの交通事故で亡くなった? あれショックだったなあ。みんなで泣いたよな、ってちょっとやめてくれよ。まだ真夜中なんだし、さっき将門の首塚の前を通ったばかりなんだから。」
「相変わらず怖がりだねえ君は。じゃあ若田部先生。」
「当り! すごいな。何で分かった?」
「お前が亡くなった人とか言うから。」
「若田部先生は生きてるだろ。」
「え、お前知らなかったの。あ、そうか。高2の時だから、お前は仙台か。」
僕は高校の3年間は仙台で過ごし、大学入学と同時に埼玉に戻ってきたのだった。
「俺たちもびっくりした。たぶん癌だったらしいんだけど、結婚して、子ども産んですぐだったって。小3のクラス代表でアラタとミキティが葬儀に出席したんだけど、旦那さんがその子供抱いて憔悴しきってる姿が痛々しくて見ていられなかったって。」
「嘘だろ…。」
僕は立ち止まり、深呼吸をした。心拍数が上がって顔から血の気が引いた。リュックからアクエリアスを取り出してごくりと飲むのと、全身に鳥肌が立つのが同時だった。
落ち着け、落ち着け、コヒナタケンジ、と自分に言い聞かせ、もう一人の自分に背後から両肩をぐっと掴ませて気合いを入れ直させた。
つい一時間ちょっと前の会話を反芻した。ジャージ姿の若田部先生がぴょんぴょんと走る姿が頭をよぎった。さっき交換したばかりの先生のアドレスに何か送ってみようかと思ったが何も言葉が思い浮かばなかった。手が震えていた。
走る余力はまだまだあったが、脚が萎縮して動かない。そのままスカイツリーのチェックポイントに着いた。
「お疲れさまー。」とスタッフさんが温かい声と笑顔で迎えてくれた。エイドの中に入るとスープや食べ物が用意されていて、何人かのランナーがストレッチをしたり栄養補給をしていた。パイプ椅子に座ったとたんに猛烈な眠気が襲ってきた。「ああ。暖かい。」
既にスタートから20時間が経過しようとしていた。
* * *
唇のまわりの妙な圧迫感で目が覚めた。テーブルの上につっぷして寝ていたことに気付くのに少し時間が掛かった。ハッとして左手のGPSウォッチを見た。
「20分か。」
僅かな時間だったが、頭の中が何年も放置した煙突を掃除したみたいにスッキリしていた。身体の消耗に変化はないけれど、大袈裟に言えば、頭だけ新品に取り替えたような爽快感に包まれていた。
鮮明になった意識の中で、この数時間に僕が体験したものごとは全部夢の中の出来事だったのでは、という気持ちが強くなり、リュックを覗いた。若田部先生から貰ったコンビニ袋はちゃんとそこにあった。
僕は急激な空腹感に襲われ、テーブルの上にあったおにぎりを2つ食べて豚汁を飲み、さらに若田部先生にもらったのりトーストを食べた。バターの甘さと海苔の塩味がちょうど良いバランスで、適度に焦げ目の付いたパンとともに見事なハーモニーを奏でていた。その音色は疲れていた僕の胃袋を優しくほぐして食欲を刺激した。思わず豚汁のお替りをお願いした。僕は喫茶店の場所を知らない。僕がこのトーストを自分で買ったという可能性はゼロだ。自分は確かに若田部先生からトーストを受け取った。これは疑いようのない事実だ。
歩道に出て脚を前後に大きく開いて腰を落としストレッチをする。
僕の両脚は、手を伸ばせばすぐ触れられる距離にあるというのに、既に自分の身体の一部ではなく、精巧に作られた食品サンプルのように見えた。休憩を終えたオジさんランナーが一人、二人と僕より先に走り始めていた。その姿を見ても、何も感じない自分がいた。
不思議な感覚だった。高校時代の上位争いやタイムを求めていた自分はもういなかった。仮に今から僕が驚異的な粘りをみせ、名前も知らない他のランナー達と競り合い、最終的に先着したからといって、それが一体何だというのだろう。僕がどんなに速く走っても、仮に優勝したとしても(その可能性は限りなくゼロだけど)、世界は変わらない。それは他のレースでも同じことだった。僕の自己肯定感は少し高まるだろうけど、シャワーを浴びて着替えればまたいつもの日常に戻るだけだ。今は、自分の身体から発せられる声に耳を澄まし、ケアが必要ならばしかるべき対処をしながら進み、自らの肉体を自分でマネジメントする、そちらの方がはるかに大事なのではないか、と思った。僕は、先ほど採用したばかりの謎ルールを撤回することにした。全身の筋肉や関節からの訴えに真摯に耳を傾け、協議を重ね、うまく折り合いを付けながら走り続けようと決心した。
ただ、今はそれよりも、この不可思議な数時間をどう解釈するべきかということが喫緊の課題となっていた。
とりあえず進もう。進みながら考えよう。
水をしっかり飲んで塩飴を1つ口に入れ、親切なエイドのスタッフさんに見送られながらスカイツリーを出発した。ほぼ真下から見上げるスカイツリーは空へ続く高速道路のように見えた。まだ展望台には登ったことはない。水族館には一度純と行ったことがある。確かクラゲがたくさんいたな。今の自分も古代の海の上をふらふらと漂うクラゲのようだった。クラゲって脳みそあるのかな。考えるクラゲ。意思のあるクラゲ。
夜明け前の浅草寺の境内はがらんとしていた。
観光客でごった返す仲見世通りの映像しか見たことのない僕には新鮮な光景だった。ノブヒロさんの言う通り、誰も知らない秘密基地を探検しているようなワクワク感があった。
スマホの電源があと僅かになっていた。持参していた予備バッテリーで充電しながらマルオに再度連絡を取り、この数時間の出来事を詳細に報告した。
マルオは言った。
「まあ、オレが思うに、おまえは極度の疲労で幻覚を見ていた可能性が高いな。ひょっとするとそのノブヒロっていう人もおまえの頭が作り出した想像上の人物の可能性もある。」
まさか、それはないだろう。幻覚の中であの長い歴史談義を記憶できるはずがない。で
も超長距離レースの最中に、究極の状態に置かれたランナーが幻覚や幻聴を経験するという話は聞いたことがある。
「いや、もっとハッキリ言えば、若田部先生はともかく、そのノブヒロっていう人はたぶん死神だな。だっておかしくないか? 普通の人間が140kmも走ってから暗殺トークを笑いながらするか? きっとあの世からの使いだな。もしくは非業の死を遂げた人の怨念が形になって表れたんだよ。」
全身の鳥肌がさらに上書きされた。僕は唾を飲んだ。
思い返してみると、僕がノブヒロさんと共有した時間は皇居の周りを廻った数十分間だけだ。ノブヒロさんの言うところの生と死の境界のエリアだ。彼は絶妙のタイミングで僕と若田部先生の会話に滑り込んできた。うん? 待てよ。若田部先生もこの世の住人でないとすれば、ひょっとするとノブヒロさんの出現を予め知っていたのではないか? 2人との会話は用意周到に準備されたシナリオだったのではないか、という疑念が湧き上がってきた。桜田門外の変について語るノブヒロさんと、将門塚の解説をする若田部先生の姿が重なり合った。2人は僕をどこへ連れて行こうとしていたのだろう。
でも、と考える。全ては幻覚という説を完全に否定はできないが、少なくともさっき食べたのりトーストはいま自分の胃の中にある。これは間違いない。ただ、そうした反論は今は無意味だ。マルオを説得しても根本的な問題は何も解決しない。エネルギーはなるべく走ることに費やしたい。
僕は合羽橋を通過して、秋葉原方面に向かう蔵前橋通りの路上にいた。
秋葉原駅は、神田駅の一つ隣だ。
ふと閃いて、マルオに千代田区の詳細な地図を検索してくれと頼んだ。マルオのPCのカチャカチャという音が聞こえた。
「ああ、あるね、千代田区。蔵前橋通りは、ほんの少しだけど千代田区を横切る格好になってる。」
僕はマルオからスマホに送られてきた地図を確認した。そして、ランナー全員に携行が義務付けられている大江戸コースの詳細なマップと見比べてみた。
千代田区は基本的に丸い形をしている。ちょうど皇居がドーナツの穴のような位置にあり、その周りを霞ヶ関、丸の内、神保町&お茶の水、麹町&半蔵門、の4つのエリアがぐるりと取り囲んでいる。そして、北東部に位置する神保町&お茶の水エリアにちょっとだけ半島のように突き出た部分がプラスされていて、そこが秋葉原・神田エリアである。
今から僕が通過しようとしている蔵前橋通りは、その千代田区の一番北に位置する〝秋葉原半島〟を東西にほんのわずか横切っているのだった。
コース上に再び千代田区があるということが分かり、緊張感が増した。と同時にちょっと期待もした。千代田区限定ボランティアは再び登場するのだろうか、と。
鳥越神社の前を通りながら息を整えた。
もし若田部先生にまた会ったら、まず何て言うべきなんだろう。そう考えながらペットボトルの水を飲み干そうとした時、「やあ、追いつきました。」と声がした。
振り向いた視線の先にひょろりと背の高い還暦ランナーの姿を発見したのと同時に僕は身構えた。
「いやいや、また会えるとは。とっくに先に行っていると思ってました。だいぶ疲れてますね。大丈夫ですか?」
笑顔のノブヒロさんが僕のすぐ目の前に立っていた。
僕は何と返していいのか分からなくなっていた。電話でのマルオの言葉が頭をよぎった。
ノブヒロと名乗るこの人は実は人物ですらなく、僕を特殊な世界へ誘う怪しげな闇夜の使いなのか。笑顔で接近する人には怪しい人が多い、と確か親父も言っていた。そもそも暗殺現場が好きなんて怪し すぎる。暗殺話を振って相手が少しでも興味を示したら、徐々に自分の猟奇的な性格を小出しにして相手を蹂躙しようとするド変態かもしれない。当たりの良い笑顔は相手の警戒感を解くための巧妙な罠なのかもしれない。しかし、いま僕がノブヒロさんにそうした疑念を持っているということを悟られてしまってはいけない。そうしたらまた新たな手法で僕を混乱に陥れ、隙を見て懐に入り込もうとするに違いない。それはまずい。こちらは完走することに集中したいのだ。そんなことをほんの数秒で思考した 僕は、
「ハイ、少し大丈夫です。」と奇妙な返事をしてしまった。
ノブヒロさんはリュックから4個入りのクリームパンを取り出し「食べましょう」と言って僕に一つ手渡して歩き始めた。
「ここから先はガス欠に注意です。胃が疲れて何も食べられなくなるランナーも出てきますけど、食べられるうちはしっかり食べておいた方が良いです。」
そう言ってノブヒロさんはむしゃしゃとクリームパンを食べ始めた。どうやら毒入りではなさそうだな、と僕も一口食べた。横顔を凝視しながら。
顔を見つめるだけでは、怪しい奴と疑われてしまう。何か言わなきゃいけない、と必要以上に焦る自分がいた。
「ノブヒロさんって、北海道から来たんですよね。」
「ええ。」
それは最初に言ったはずですが、という顔をしてノブヒロさんは答えた。
「どこか別の場所から来たってことはないですよね。」
「別の場所? どういうこと?」
どういうことなのか僕にもよく分からなくなってきた。僕はますます混乱してしまい、
「あの、ノブヒロさん、さっき一緒に走った女性、お知り合いじゃないですよね?」
と、頓珍漢なことを聞いてしまった。
ノブヒロさんはぽかんとしてこちらを眺め大笑いした。
「コヒナタ君、ホント大丈夫? 脳内酸素がかなり欠乏しているんじゃないかい? 若田部先生は君の小学校の担任の先生でしょ。千代田区生まれの。札幌でずっと暮らしている私と彼女の間に接点などない、と考えるのが合理的思考というものです。」
「あ、ハイ、そうですよね。バカな質問してすみません。」
「まあ、気持ちのままにすっ飛ばして、後半にウルトラマラソンの厳しい洗礼を受ける、というのは若者ランナーによくあることです。幻聴や幻覚まで見る人はまれですけど。いろいろ辛い目にあっても後になれば良い思い出です。この辛さをあと40km楽しんでください。この辛さは今ここでしか経験できませんから。」
「はあ。楽しむ・・・ですか。」
ずいぶんと酷なことを言うなあ、と思った。
試合を楽しめ、というのはスポーツの様々な場面で耳にする言葉だ。
でも本当に楽しめることができるのは膨大な練習量をこなした場合だけ、というのが僕の考えだ。練習不足で試合に臨んだら不安が先行してしまうのは必然ではないだろうか。このレースのための僕の練習はまったく足りていないのは明らかだった。今さらこの石像のように堅くなった両脚でランを楽しめというのも無理な話だ。
「僭越ながら、ウルトラマラソンのコツを一つだけ教えますね、先輩ランナーとして。」
「今さら聞いても遅いかもしれませんけど、ぜひ教えてください。」
ノブヒロさんは両肩を軽く回したあと、ニコリと僕を見て言った。
「頑張らないことです。」
「は?」
「頑張ったらダメです。頑張りは続きません。頑張らないけど、止まらない。この絶妙なサジ加減がポイントです。健闘を祈ります。」
信号が青になった。ノブヒロさんはサッと手を上げて軽やかに横断歩道を渡って行った。ノブヒロさんの言う通りだった。僕は頑張り過ぎてしまった。そして止まってしまった。
ノブヒロさんは死神ではなかった。死神は人を励ましたりしない。
蔵前橋通りを西へ向かいJRの線路をくぐった。そこはいよいよ千代田区だった。
* * *
午前5時を過ぎていた。
若田部先生は妻恋坂の交差点に立っていた。
歩くようなスピードで移動する僕に先生が気付き、笑顔になった。
小学校のジャージではなく、若田部先生はチェックのワンピースを着ていた。先生は僕より十四歳くらい上のはずだから、30歳はとっくに過ぎているはずだけど、全然そうは見えなかった。
「お疲れさま! リタイアしないで来れたね。エライ!」
先生は両手で拳を作りながら言った。その姿は持久走大会のゴールで待っていた若田部先生だった。
「先生、あの・・・。」
何から話していいか分からずうつむきがちになっている僕の手を取って、先生は、まずこの信号渡ろう、と言って誰もいない横断歩道を小走りに渡り始めた。先生の掌はちゃんと温かかった。
「先生、全部聞きましたよ、マルオから。何で言ってくれなかったんですか。」
「ごめんね。だってコヒナタ君、怖がりでしょ。もし私が最初に『こんばんは、3年前に死んだワカタベです、覚えてる~』って現れたら多分伴走させてくれなかったでしょ。」
「ハイ。逃げてます。」
「同級生で、私が死んだ事実を知らないのは数人しかいなくて、その1人が君だったのね。なので、あのような登場の仕方をさせていただきました。」
「はあ、お気遣いありがとうございます。」
さっきまで警戒していたのに、普通に話をしているのが不思議だった。というより目の前にいるのは僕の知る若田部先生そのものだった。
先生は、がらんとした交差点の角にある鯛焼き屋を指さしながら言った。
「ここのたい焼き美味しいのよ。でもまだ開店前だから、昨日のうちに買って、パン好きな君のためにそのあんこを使って、あんバターサンドにアレンジしてみました。ランナーには糖質が一番かな、と思ってね。」
そういってサンドイッチがのった紙皿を僕の目の前に差し出した。手の込んだ差し入れだった。さっそく食べようと一つ手に取って、しげしげと眺めた。
「大丈夫、葉っぱとかじゃないから。」先生は僕の顔を覗き込むように言って笑った。
小豆の甘さとバターの油が溶けあい、旨みが口いっぱいに広がった。睡魔と戦っている頭の中が一瞬とろりとした。東の空が少しずつ明るくなり始めていた。
「先生。」
「なあに。」
「これマジでうまいす。」
「ほんと。良かった。いっぱい食べてね。」
噛むごとに、波紋のように全身にエネルギーが供給されていく気がした。僕たちは清水坂のふもとに立っていた。若田部先生が左手を指さして言った。
「ねえ、あそこに階段が見えるでしょ。あの上に神田明神ていうところがあるの。」
「神社があるんですね。」
「そこに平将門の霊が祀られているのよ。」
「また出た。先生、もう勘弁してくださいよ。」僕が大袈裟に困り顔をしたのを見て先生はクスクス笑った。
「今度こそちゃんとお参りしていただこうかと思ったんだけど、その脚じゃ、あの階段キツそうね。また機会があったらおいでください。」と言ってお辞儀をした。
僕はあんバターサンドを全て平らげ、朝日が少しずつ街の輪郭を明瞭にしていくのを確認して、ヘッドギアの灯りを消した。日光が強く差し込んできたら、ひょっとすると目の前の若田部先生がすうっと消えてしまうのではないか、とドキドキしたが、その真偽を確かめるよりも前に先生は周囲をきょろきょろ見回し、電柱の前でピタリと立ち止まって「じゃ、私はここで。」と言った。
「え、会ったばかりじゃないですか。今度は伴走してくれないんですか。」
「こんなメイドみたいな格好で伴走は無理よ。それに走るスペースがもうないの。」
先生は僕らの足元のすぐ先を指さして言った。
「あのね、もうそこから先は文京区なの。私はここまで。」
「だから何なんですか、その千代田区縛りは。」
「ごめんね、でもそういう決まりになっているのよ。」
そんな謎ルールの出所を追及して、行動範囲は千代田区限定という規制を緩和してほしいという嘆願書を提出したいところだけれど、その提出先が全く分からない。僕はもう反論するのを止めることにした。
「先生、僕がまた千代田区に足を踏み入れたら会ってくれますか。」
「いいけど、いつでもという訳じゃないわよ。」
「どういうことですか。」
「君がこのレースに出る時限定で現れようかな。」
「そんなあ。こんな辛いレース、これっきりにしたいです。」
「考えてもみなさいよ。例えば、あなたがその純ちゃんていう子と、今日はアキバでデートしよう、とか神田で美味しいあんみつ食べよう、ってなったとするでしょ。二人が歩いている所へ、私がひょっこりお久しぶり~って現れたらヤバいでしょ?〝何この女、ていうかオバサン〟〝オバサンとは何よっ〟って新たな紛争が勃発しちゃうじゃない。ちょくちょく現れると面倒くさいことが増えるのよ。やっぱり、このレース限定で君の前に現れることにするわ。千代田区に突入するランナー達はみんなもの凄く疲れているわよね。だって百四十キロ走ってきてようやくここにたどり着くんだから。疲れていない人には伴走は必要ないの。私は疲労困憊している人の前にだけ現れるの。そういうことにしているの。」
「なんか、悔しかったらここまでおいでって言われているみたいだなあ。」
「そうね。でも辿り着いた人にはちゃんとおもてなしするわよ。トースト美味しかったでしょう?」
「確かに。すごく美味かったです。」
「じゃあ、あとでこれも食べてみてね。」
そういって先生はラップにくるんだホットドックのようなものを僕に手渡した。
生地は食パンだけれど、細長い形状で、外からは具が見えないようまるで餃子のように口が閉じていた。先生が苦心して作り上げた特製のカレーパンだという。
「材料は間違いないからきっと美味しいはずよ。中身は一日寝かせた昨日のカレー。コヒナタ家と同じように大量に作り置きしておきました。ずっとパンばっかりでごめんなさいね。」
「いや、自分にとっては最高の差し入れです。」
「私は、富士山の9合目まで登ってようやく現れるパン屋、てとこかな?」
「なるほど。店の名前は、そうだな・・・ワカタベーカリー?」
若田部先生は爆笑した。こんな屈託のない笑顔で笑う先生を小3の時には一度も見たことがなかったような気がした。
「何それ。ダサ。全然流行らなそうな名前。」
「すいません、いま気の利いたこと言えないんですよ。でも先生、そんな九合目から下界を眺めてばかりいないで、普通に会いましょうよ。」
僕はすっかり普段の会話に戻って言った。
「あんたねえ。」
先生がぎろりと僕の方を睨んだ。そのまま焦点をずらすことなくじりじりと顔を近づけながら、若田部先生とは思えないドスの効いた声で言った。
「コヒナタあ、千代田区をなめんなよ。国会議事堂も東京駅も皇居も日本武道館も全部千代田区にあるんだよ。官庁の大部分も千代田区なんだよ。企業の本社、大学、病院もいっぱい集中してんだよ。毎日わんさか人が流入するの。千代田区の昼夜間人口比率がどのくらいか知っているか?1700%だぞ。忙しいんだよ千代田区は。日本の脳みそなんだよ千代田区は。脳が一番エネルギーを消費するって知ってるだろ? 1日12時間くらい勉強してみろ、椅子に座ってるだけで体重が2kgも減ったりするんだぞ。千代田区にはエネルギーが必要なんだよ。疲れている人がたっっくさんいるんだよっ。」
若田部先生は何かが憑依したように早口でそこまでまくしたてたあと、急速冷却したように、あらいけない興奮しちゃったわ、と元の表情に戻った。
「ノブヒロさんも言ってたけど、ここにはたくさんの人達が眠っているの。生きてる人も死んでる人も忙しいの。真冬の夜中くらいしか変態ランナーさんに付き合っている時間はないのよ。」
僕の前方には再び洪積台地に繋がる坂道が続いていた。久しぶりの上り坂だった。古代の海が終わって、再びアップダウンのある陸地エリアの入り口に僕は立っていた。
――やれやれ、山あり谷ありってことか。
海から陸に上がって、僕はこれから進化していかなければいけない、そんな気がした。自信はないけれど。僕は千代田区のへりに立っている若田部先生に言った。
「先生、最後に一つ、ゴキブリ予言お願いしても良いですか。」
「え、どういうこと?」
「先生のあの神掛り的なパワーが残っているのを期待して、ってことなんですけど。」
「何かしら。」
「『進むチカラ』って言ってくれませんか。」
「え? ああ。なるほどね。いいわよ。こっちに来て。」
僕が若田部先生の前に立つと、先生は僕の顔をしばらくじっと見つめてから、両腕を掴んで僕をくるりと反転させた。そして、僕の背負っているリュックに両手をかざして額を押し当て、念を送るように
「進む。チカラ。」と言った。
ペットボトルの水をひとくち飲み、再び歩き出した。
振り返るとワカタベ先生は消えていた。さよならを言う暇も無かった。
試しに二、三歩後ろにさがって千代田区エリアに再度戻ってみたけれど、先生は姿を現さなかった。反応の悪い自動ドアの前みたいにぴょんぴょんと飛び跳ねてみたけれど、全く何も変わらなかった。
――分かりましたよ、先生。前進しろってことですね。
* * *
その後、僕はノブヒロさんの教えを守って、決して頑張らなかった。
残りの距離の半分以上を歩いた。
たくさんのランナーに追い抜かれた。でも、それは些細な出来事だった。
赤羽駅へたどり着き、小学校のクラスメート達の歓待に会い、差し入れのカステラと栄養ドリンクをリュックに入れ、ゴールの川越を目指した。
荒川沿いの土手の上ではもろに向かい風を受け続け、さらにペースは落ちた。まるで幼稚園児が歩くようだった。身体中の筋肉から届けられる不平不満に真摯に耳を傾ける、と決心したはずなのに、そうした訴えは全く聞こえなくなっていた。非日常的な痛みが長時間続くと、それが新たな日常となって、いちいち不平を言わなくなるらしい。ねえ、君は生まれてからずっとこの感覚の中で生きてきたんじゃないのかい、と誰かに言われているような気がした。ひょっとするとこれからの人生もずっとこの痛みと付き合っていくのかもしれないぜ、そんな声も混じっていた。僕はもう痛みに抗うことはしなかった。痛みをそのまま受け入れ、それでも歩を進めた。
河川敷はコンビニも自販機もなく空腹の時間帯が続いた。僕はリュックから最後のパンを取り出した。ワカタベーカリー特製のカレーパンだ。細かくカットされた野菜と挽肉が一日寝かせたカレーのルーと絡み合って、ふんわりとしたパン生地と絶妙にマッチした。辛さが口いっぱいに広がり、ぴりりと脳を刺激し眠気も吹き飛んだ。
「うーまいー。」
思わず声が出た。涙も出た。
青空の下でこんなに美味いパンを食べるのは生まれて初めてだった。
死滅した身体の細胞がパンのおかげで再生を始めていた。僕には進むチカラがあった。
後半の大江戸コースは、前半の倍以上の時間が掛かってしまったけれど、若気の至りで飛ばした前半の貯金が功を奏し、制限時間内で川越のゴールに辿り着くことができた。
ゴール地点には純が待っていてくれた。
彼女は、半分涙目になってすぐに抱きついてきた。
「良かったあ、無事帰ってきてくれて。なかなか来ないから何かあったんじゃないかとハラハラしてたんだよ。すごいよケンジ。200km完走だよ。おめでとう!」
――いや、だいぶ歩いちゃったんだけどね。
――最後まで颯爽と走り抜けて上位でゴールするつもりだったんだけどね。
僕がそういう前に、純が「ケンジの走ってるとこ、やっぱりカッコ良い。」と言ってくれた。ぐだぐだな終わり方だったけれど、これで当初の任務は完了したことになる。ミッションコンプリート。
いろいろと純に言い訳を考えていたけれど、言うのは止めた。反省ばかりしている人間に魅力はない。
「沿道にさ、いろんな女の子がいたけど、やっぱり純が一番可愛いな。」と僕は言った。
純は帰り支度をする手を止めて僕に駆け寄り、両頬をぎゅっとつねった。
「ちょっとちょっとなあにそれ。どうしたの。ウルトラマラソンて、人を素直にする作用があるのかしらね。デトックスね。いいことだわ。来年も出てね。応援しちゃう。」
「ちょっとそれはマジで無理。辛すぎるコレ。」
このコースを走ることが若田部先生に会う唯一の機会であることは理解したつもりだ。でも、そこまでの過程と身体の消耗具合とを天秤にかけて、それが現時点での本音だった。来年の今ごろ、先生に会いたい気持ちがどのくらい蓄積されているか、それは全く分からない。先生との接点は今後一切訪れない、そんな可能性だってあるはずだ。
「そうなの? さっきゴールしたオジさん同士で、また来年会いましょうワハハハって言ってたわよ。」
それは変態ランナーだからだよ、と反論する余力は残っていなかった。
僕はシャワーを浴び、迎えに来てくれたマルオのクルマに乗り込んですぐに爆睡した。
30時間以上も眠ることなく人間は移動し続けることができる、という事実に他人事のようにびっくりした。
帰宅後、若田部先生にLINEを送ってみた。
「先生、ゴールしました! ヘロヘロですけど、おかげさまで完走できました。幸福な時間をありがとうございました。先生のパン全部美味しかったです!」
画面をしばらく見つめていると〝既読〟の文字が浮かんだ。