小説にはメッセージ性がなければいけないのか
よくこんな言葉を聞きます。
『メッセージ性のないものは小説ではない』
『何か伝えたいことがあるから小説を書くんでしょう?』
ごめんなさい。
私、そんなものないです。
もちろん主張みたいなものは持ってはいるけど、それが絶対正義とは思わないし、そんなものを小説の中に入れようとは思わないです。
でも、よく言われるからには、自分が間違ってるんだな。
そう思っていたので、今回初めて『メッセージ性のある小説』を書こうとしました。
『優しすぎるから傷つける』という短編ですが、自分はこういうことがあったとして、それについてどう思うか、というメッセージを入れて書いてみようとしました。
失敗しました。
失敗して思ったのですが、自分の書く小説はYouTube動画に似ているなと。
面白い動画をたまたま撮れて、みんなに見せたくなる。
こんな面白動画撮れたよ。
見て見て! 面白くない?
それに対してみんながどう思って、どう考えてくれるかは、好きにすればいい。
見てくれたら後は自由にすればいい。
そこに動画主のメッセージせいなんか入れるのは、みんなの自由な視聴の邪魔になる。
そんな感じです。
まあ『面白いでしょ?』というのがメッセージ性と言われれば、そうなのかもしれませんが……
そうなのなら、私の書く小説にあるメッセージ性は全作品同じということになってしまいます。
全部『面白いでしょ?』です。
YouTube動画にもテーマはあるものと思います。
テーマがなければ何を見せたいのかわからない、漠然とした動画になってしまうことでしょう。
だから私の小説にも、たぶん、テーマはありたす。
でもYouTubeの面白動画みたいに、特にメッセージ性は、ない。
あるいはただ京都の景色を写した動画にしても、『京都っていいよね』というメッセージ性はあるのかもしれませんが。
あるいは何かの商品をレビューするような動画にも、『メーカーさんからお金貰ったからこれレビューするよ。買ってね!』みたいなメッセージ性はあるのかもしれませんが。
あるいは自分のペットを撮っただけの動画だって、『見て見てウチの子可愛いでしょ?』というメッセージ性はあるかもしれませんが。
でも結局は、どれも『見てみてこれよくない?』みたいな一文にまとめられるメッセージ性であり、つまり文学的とはとてもいえない、たいしたメッセージではありません。
また視聴者がそれについてどう感じるかはやっぱり自由です。
『京都の景色は世界一なんだ!』
『この商品は世界一なんだ!』
『うちのペットは世界一可愛いんだー!!』
いや実際ウチの子は世界一可愛いとは思いますが……
そんなにメッセージ性が強過ぎては、かえって引かれることでしょう。
ドラレコ動画なんかだと、『こんなムカつく運転された!』『アイツの運転ひでえ!』みたいなメッセージを込めても、『それお前の確認不足だよ』『お前の運転のほうがひどい』みたいに突っ込まれるのがほとんどですし……。
今回書いた小説も そんな風に押しの強すぎる 、うざいものになりかかったので、結局メッセージ性を込める事は失敗し、いつものような、ただ景色を切り取ってみんなの前に見せながら、『みてみてこれ面白いでしょ?』みたいなだけのものになりました。
私、日本映画によくある感動の押しつけみたいなものが嫌いで、感動的な場面にドラマチックなBGMが流れ出すと絶対に感動してたまるかみたいになるあまのじゃくですので、まあ、そういうことなんでしょうか。
『こういうのって○○だよね』『こういう場合これが正しいんだ!』『○○こそ正義!』みたいなメッセージ性よりも、
『こういうの見てどう思う?』ぐらいのほうが、自由に楽しんでもらえていいと思うんですよね。
『小説=小さな論説』とは言えないのかもしれませんが(^o^;