第82話_穏やかな日々
「上原さん、起きてくださーい」
「やっぱ、俺には無理......寝ていたい......」
土曜日の朝、6時。
明が俺の肩を揺さぶる。
俺は相当に寝起きが悪い。
だが明はしつこかった。
無理やり、上半身を起こされる。
「ほーらー、もう朝ですよー。
早く行かないと。弟子たちが集まっちゃいます」
俺は半分眠ったまま、顔を洗う。
そしてジャージに着替えた。
ヒゲは剃らない。
もうそのままでいいやと思った。
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ハァハァ
「明~、少しスピード落とせよ」
「キツイですか?今、キロ5分のペースです。
最初のころよりだいぶ早くなってきてますね」
明はランニングウォッチを見ながら言う。
「あと1キロはこのペースで行きましょう」
「えーっ、無理なんだけど!」
俺と明は、3か月くらい前から、土日は、毎朝ジョギングするようになっていた。
明は俺の体力を向上させたいらしい。
「運動神経は良いんだから、ちょっと鍛えればすごいことになりそう。
せっかくやってきた長年の空手が、これじゃあ勿体ないです!」
朝の6時。
俺たちは河原を走った。
起きるまでは本当にツライんだけど、走った後は気分爽快だし、
その後は充実した一日を送ることができた。
「ストレッチしましょう」
ようやくゴールだ。
河原の少し広めのスペースで、いつもストレッチをしていた。
ふくらはぎの筋肉を伸ばす。
気持ちがいい。
「毎週、走るペース上がってく気がするんだが」
「そのうち、一緒にマラソン大会にも出れそうですね」
明は、ニッコリと笑う。
息が全くあがってないのがすごい。
「あっ、弟子たちがきました」
明が俺の後ろの方を指差す。
俺と明は3ヶ月前から、ランニングをし、河原のスペースでストレッチをしたあと
空手の練習をしていた。
俺が基本的な動きを見せて、明がそれを真似する形だった。
「こんな動きであんなにケンカに強くなれるんですか?」
「空手はケンカに強くなるためじゃない」
明は、飲み込みが早かったし筋も良かった。
早朝なので、誰にも見られていないと思って、俺たちは空手の型の練習に熱中していた。
しかし、いつの間にか近所の老人たちが集まってきて、
俺たちの後ろで、同じように空手の動きを真似するようになってきていた。
老人同士、口コミで広がったのか。
その数は少しずつ増えつつあった。
明は、その老人たちを「弟子」と勝手に呼んでいた。
「いいんだろうか。こんな勝手に教室みたいなことして」
俺は不安だったが
「金を取ってるわけでもないし勝手に集まってくるんだから、いいでしょう」
明は呑気だった。
「次はちょっと、高度な動きをやろうかな」
俺も少し楽しみ始めていたのだった。
明は、月に一度くらいの頻度で姉に会いに行く。
姉と再会してから、明の俺に対する束縛のようなものは激減していた。
明がときおり襲われる「不安感」。
その不安感が、姉と話すことにより、なくなってきているようだった。
自分を犠牲にしてまで俺のために何かをすることも、そのうち無くなるだろう。
ずっと俺がそばについて見守っていくつもりだった。
明は精神的に安定し始めていた。
幼い頃の傷を少しずつ癒やしている。
そんな明の姿に俺は、心底、安心していた。
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俺と明は、佐々木さんに会いに行った。
明は佐々木さんに言った。
「不倫の証拠写真を送りました。
それに社内で噂を流しました。
脅迫罪、名誉毀損、どんな罪でも償います」
明はそう言った。
俺も頭を下げた。
謝罪は自己満足でしか無いかもしれない。
でもそうするしかなかった。
佐々木さんはショックを受けていた。
だが言った。
「事情はわかりました。
飯田さんからどう聞いているかわかりませんけど。
もともと夫とは離婚するつもりでいたんです」
「えっ......」
俺たちは顔を見合わせた。
「飯田は、離婚することになって佐々木さんが困っているって」
「あの人、嘘つきですよね。
私もあんな男に騙されて後悔はしてるんです。
でも噂が広まって、会社にいられなくなってしまったのは、正直ツラいですね」
佐々木さんは、下を向いた。
「僕のせいです。すみませんでした」
明は、土下座する勢いだった。
「もういいんです。不倫した私も悪いんだし」
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佐々木さんのこと。
すっきりした終わり方ではなかったけれど、
明なりにけじめをつけた。
不倫の密告は、飯田と同じ土俵に立って、同じレベルになりさがること。
俺がそう言うと、明は「そのとおりですね」と言ったのだった。




