第36話_言いなりにはならない
飯田さんに指定された場所は
和食の店の個室だった。
いつもよく利用する店だし、大丈夫だろう。
写真を消してもらってすぐに帰るんだ。
そう思って行くことにした。
「上原さん、こんばんは」
飯田さんはにこやかに笑う。
「来ましたよ。写真を消してください」
「さっそくですか?
上原さんと最後にゆっくりおしゃべりしたいのに」
ビールが運ばれてくる。
俺はウーロン茶にした。
「私と佐々木さんの不倫の証拠写真が
佐々木さんの旦那さんに届いたらしいです。
それを送ったのは山野井さんでしょうね」
「それに社内での私の不倫行為などの噂を広めたのも山野井さんでしょうね」
「何を証拠にそんな」
おどろいた。
「佐々木さんの家に届いた写真は
素人が撮ったようなものだったそうです。
差出人不明の封筒で送りつけられた。
明らかに誰かからの密告。
会社に外部から常駐している人間との不倫。
そこまで詳しく書かれていたそうです」
「......」
「佐々木さんと私の不倫を知っているのは
山野井さんと上原さんくらいのものです。
また山野井さんは社内の女子社員たちとつながっている。
噂を流すのも簡単でしょうね」
「それだけの証拠で?説得力が無いですね
あなたの行為は社内の女子社員たちも、すでにだいぶ前から知っていたはずです!」
俺は不安になりながらもそう答える。
「それでも女子社員たちは、今までは半信半疑の噂レベルだったはずです。
確証はないから、いままで噂は広まらなかった。
山野井さんがなにか決定的な話を彼女たちに吹き込んだのでしょうね。
たとえば、私と佐々木さんの不倫現場を見たとか」
飯田さんはため息をつく。
「佐々木さんの子どもはまだ幼稚園なのに。
旦那さんは離婚の決意までしているそうですよ。
佐々木さんは泣いて困っています。
彼女は派遣でしょう?女性の給料だけで、娘さんを育てられますかね。
養育費はもらえないでしょうし」
「不倫するのが悪いんじゃ......」
「果たしてそうでしょうか。
バレなければ、いまも家族は壊れることはなかったのに。
少なくとも罪のない娘さんから父親を奪うことはなかった」
飯田さんは、こちらをじっと見つめる。
蛇のような目だった。
「山野井さんは上原さんを僕から守るために
他所の家庭まで壊したんです。
佐々木さんの旦那さんに密告したのは、
私の不倫行為を噂レベルじゃない、
現実味を帯びたものにするための作戦でしょう。
普通そこまでするでしょうか。
なんだか、怖くないですか」
「山野井がやったとは限らない!」
俺は立ち上がった。
山野井は。
山野井ならやるかもしれない、そう思っている自分がいた。
彼はヤクザに殴りかかろうとしたし、
大学に変装して潜り込んで、梨央を説得もした。
俺のためなら、何でもしそうだった。
「飯田さんの話を聞いていると、不愉快になります。
失礼しますね」
俺は席を立った。
店の外に出る。
山野井が佐々木さん一家を壊した?
そんなことがあるんだろうか。
不意に飯田さんが俺の腕をつかんだ。
店の外まで着いてきていたのか。
「上原さん。私はね。
昔から人のものをみると欲しくなってしまうんです。
結婚してる女性とか。幸せそうなカップルとか見ていると
壊したくなる。どうしてでしょうね」
飯田さんはそんなことを言いながら、キスをしてきた。
急だったので避けられなかった。
「上原さん!」
山野井の声がした。
「あっ、山野井さんですね。
彼は我々の後をつけていたんでしょうか。
ちょっとやりすぎじゃないですか?
ほとんどストーカーですよ?」
飯田さんはそう言う。
「飯田!」
山野井は飯田さんに殴りかかろうとした。
「やめろ山野井。殴ったらおしまいだ」
俺は山野井に抱きついた。
山野井は、すんでのところで、殴るのを諦めた。
殴ったりしたら、この蛇のような男は、すぐに山野井を告発するだろう。
「気が短くてすぐに手を挙げる。
こんな人と将来幸せになれるでしょうかね。
すみませんけど、写真は人事部に送りますね。
私は、この春からフリーランスになる予定でして。
会社組織に未練もないのです」
飯田はそう言うと、去って行った。




