冷たくて、甘い
たこす様主催『第二回この作品の作者はだーれだ企画』で、見事的中させてくださったハルユキ様のリクエストで、『黄色』『アイス』『試験』のお題から書かせていただきました。
あちらこちらと迷走して、時間がかかってしまいました。
どうぞお楽しみください。
夏休み初日。
蝉の声が、人気の薄い教室に響き渡る。
その後ろから野球部かサッカー部がランニングしてるかけ声が聞こえる。
外は馬鹿みたいに良い天気で、空は抜けるように蒼い。
遠くにはまぶしいほど真っ白な入道雲が見える。
校庭の花壇にそびえる向日葵は今が花盛り。
外が明るいし暑苦しいからと電気を消した教室は、外の極彩色との対比で実際より薄暗く見える。
そんな中、赤点で再試験を受けている野花太陽は、緊張の面持ちでペンを走らせている。
「後五分だ。記入ミスがないか、よく確認しておけ」
「は、はい。大丈夫、だと、思います」
「まぁこれが赤点だったら、三日の補習の上で再々試験をするだけだ」
「! が、頑張ります!」
さらに肩に力が入る野花。
落第にはしないからそこまで気負うな、と言いたかったが、うまくいかないものだ。
日頃から教師と生徒の間に線引きが必要だと思っている私が、生徒に対して突き放すような、冷たい対応を心がけているせいだろうな。
他の先生方は「澪根先生はお若いんですから、もう少しリラックスして生徒に寄り添っても……」なんて無責任な事を言う。
だが歳が近いからこそ、女だからこそ、舐められてはいけないのだ。
それが功を奏し、ほとんどの生徒は私と必要最低限の関わりしか持とうとはしない。
これでいい。これでいいんだ。
「で、できました……!」
「よし、少し待て」
「は、はい!」
結果として、こんな寒さに震える犬みたいな顔をさせてるのは心苦しくもあるが……。
いや、怖いと思えばこそ、真剣に取り組む事もあるだろう。
これで赤点追試なんて二度とごめんだ、と思って勉強に励んでくれれば良い。
さて、これは丸、これも丸。
ふんふん、多少は反省して勉強をしてきているようだな。
答えの丸写しなどできないように、試験の時とは細部を変えているが、これも正解。これも……、んん?
「……先生、どう、ですか……?」
「……合格だ」
「……良かった……!」
心から安堵の色を浮かべる野花。
だがこれは、どういう事だ?
問題を変えた赤点追試で全問正解なんて、聞いた事ないぞ?
「……野花。これだけできてるなら、何で赤点なんか取ったんだ?」
「え、あの、その……」
私の問いかけに野花は目を泳がせ、意を決したように私を見上げた。
「……あの、こうすれば、先生と二人きりになれると思ったから……」
「は?」
何を言ってるんだこいつは。
わざと赤点を取ったっていうのか?
それで私と二人きりになって、何をするつもりだ?
嫌な予感が背中を駆け抜け、半歩身を引く。
……いや、弱みを見せては駄目だ!
毅然と対応しないと!
「結果としてはそうなったが、他に赤点の奴がいたら二人きりになんてならないだろう。教師をからかうのも大概にしろ」
「あ、あの、からかってなんかない、です。あの、クラスの人に相談して、学年中の国語苦手な人に、みんなで勉強会して、赤点が僕だけになるようにして、その……」
……は?
確かに今回急激に平均点が上がっていた。
特別な事をしたわけでも、難易度を下げたわけでもなかったから、理由がわからなかったが……。
「お前、馬鹿じゃないのか……? 高校三年の学期末試験で、そこまでしてわざと赤点取るなんて……」
「み、澪根先生は、僕と二人でなんて会ってくれないと思って……。その、ちゃんとしてる先生だから……」
「……」
そこまでして、何で私と二人きりになりたい理由……。
まさかこいつ、大人しそうな顔をして、私を無理矢理手篭めにする気なのか!?
叫べば職員室まで聞こえるだろうか……!?
いや、何とか思い止まらせよう!
大事になれば野花の人生に傷が付く!
「……澪根先生……。一つ、訊いてもいいですか……?」
「……何だ」
彼氏の有無か!?
経験人数か!?
どっちもゼロだが、そう答えたら野花の気持ち的にはどっちに転ぶんだ!?
「……澪根先生は、りえねぇちゃん……?」
「……?」
まったく予想していなかった問いに、一瞬頭が真っ白になる。
その空白に、『りえねぇちゃん』の言葉が核となり、私の思い出の混沌から十年以上前の記憶を巻き取った。
「……ター君?」
「! うん! ター君だよ!」
嘘でしょ!?
小学校の頃、六年生として入学したての一年生のお世話係になった時、面倒を見ていたのがター君だった。
くりくりの目を潤ませて不安げな顔をしていたター君。
少しずつ懐いてくれて、満面の笑みを見せてくれたター君。
私の私立中学進学と共に引っ越す事になり、引き付けを起こすほど泣いたター君。
その全てが今目の前の泣き笑いのような顔に残る、僅かに面影と重なる。
「すごい偶然じゃん! わーびっくり! おっきくなったねー!」
「うん! あの時は小一で、今は高三だもん!」
「そりゃそうだよね! 私も六年生から二十四だもんね! いやー! 懐かしい!」
「うん!」
こんな事ってあるだろうか。
小学校の頃の知り合いと、高校で教師と生徒として再会できるなんて。
ん? という事は……。
「たー……、んんっ、野花は、私にそれを確認するためだけに、赤点を取ったり勉強会をしたりしたのか?」
「うん! 間違えてたら恥ずかしいし、合ってても他の人に聞かれたらりえねぇちゃんが困ると思って」
「……そうか」
……私のせいか……。
野花は、ター君と呼んでいた頃から、自分の事より他人の事を優先しがちだった。
クラスでも当番や仕事を頻繁に代わったり手伝ったりしていたから気にかけてはいたが、踏み込む事ができなかった。
私がこんな冷たい教師じゃなかったら、高三の大事な時期に、こんな無茶をさせる事もなかっただろうに……。
「……すまない」
「え、な、何でりえねぇちゃんが謝るの!?」
「私がお前達生徒に冷たく突き放した態度を取っていたから、野花は言い出せなくて、わざと赤点を取る事になった……。生徒の人生を、私は……」
「そ、そんな事ないよ! 僕が勝手にやった事だし! それにこれから頑張るよ! りえねぇちゃんがすごい先生だってみんなが思うように、クラスのみんなと頑張るから!」
「……っ、そんな事、言ってもらえる資格は、私には、ないんだ……。私は、冷たい教師だから……!」
「うん、みんなも言ってた。『澪根先生は冷たくて』」
あぁ、はっきり言ってくれ。
ここで猛烈に後悔すれば、きっと自分を改められる。
「『優しくて、甘い、アイスみたいだ』って」
「は?」
優しい……?
甘い……?
アイス……?
何を言ってるんだ……?
「茉莉花さんがスカート短くしてきた時に、『周りの男に軽い女に見られたいなら好きにしろ』って言われて戻したら、幼馴染の荒神君と付き合う事になったって」
「え、何で?」
「茉莉花さんは荒神君の気を引きたくて、派手な格好してたんだって。でも荒神君はそれが好きじゃなくて距離ができてて、先生のお陰で付き合えたって喜んでた」
「そ、そうか、ふーん……」
茉莉花の事を心配して言ったのは事実だが、そんな展開になっていたとは……。
「他にも犬田出君が居眠りをバイトのし過ぎって言った時、『一生バイトで終えるつもりなら、学校辞めて専念すればいい。学費の無駄だ』って言ったでしょ?」
「……あぁ」
あれは我ながら言い過ぎたと思った。
数日は「本当に辞めたらどうしよう……」と心配していた。
「あのお陰でバイト先に、『将来の夢のために、今は勉強も頑張りたい』って話して、シフト減らしてもらえたんだって」
「そ、そうか」
「学校の勉強の他に、将来の勉強もできるようになったって喜んでたよ」
「そ、それは、良かった……」
居眠りしなくなったから喝が効いたのだと思っていたが、そんな風に解決していたのか……。
「みんなね、りえねぇちゃんの事、大好きなんだよ。言い方はちょっときついけど、僕達の事を心配して言ってるのがわかるもん」
「う……」
あああ顔が崩れる!
確かにそう思っているけど!
生徒皆が幸せになる事を願ってはいるけど!
気付かれてたなんて……!
恥ずかしい!
「だからりえねぇちゃんはレモン味のアイス。冷たくて、酸っぱくて、でも甘くて幸せになるんだ」
「……」
それは舐められている、という事ではないだろうか……。
いや、勘ぐり過ぎだな。
純粋に慕ってくれているのだろう。
「後ね、『雪だるまサークルの姫』とか『さっぽろ雪まつり』とか『ありのままの人』とか呼ばれてる」
「誰だそれ言った奴」
「海堂君」
「あいつか……」
覚えてろよ、海堂。
「だからさ、りえねぇちゃん、もう頑張って冷たくしなくていいと思う。優しいりえねぇちゃんでいいと思うんだ。だから」
「……駄目だ」
「りえねぇちゃん……」
「ここは学校だ。だから呼ぶなら莉枝先生と呼べ」
「……! うん!」
小学生の時のような笑顔から目を逸らし、窓の外に目をやる。
向日葵の黄色が目に眩しい。
その一つ一つが生徒の顔に見えて、今日から夏休みだという事が何故か寂しく感じた。
「そしたらさ、夏休みクラスのみんなと遊びに行こうよ! バーベキューやろうか、なんて相談してたんだよねー」
「え、いや、それは、うーん……」
これまで『教師と生徒』という線引きにこだわって冷たく接していたのに、休みに遊びに行く、というのは急すぎる気も……。
……いや、これまでの分を取り戻すと思えば!
「そうだな。お前達の集まりの安全確保として参加するとしよう」
「うん!」
青い空。
白い雲。
満開の向日葵。
蝉の声。
私の夏も、今始まる。
読了ありがとうございます。
現代恋愛で思いついたとキッパリ言ったばかりなのに…‥
スマンありゃウソだった
でも まあ
禁断の愛的な要素は無しにできたから良しとするって事でさ……
こらえてくれ
とチョココロネ頭が申しております。
ちなみにこの後クラス全員でわちゃわちゃ遊んで、
「本当は太陽君、先生の事好きなんじゃないの?」
と気を利かせようとする女子や、
「太陽のお陰で赤点回避できた! 俺も手伝うぜ!」
とそれに乗っかる男子や、
「……他人の事世話焼いてる場合……? そういうとこ、……別にいいけど……」
と男子を睨む幼馴染女子とか、いたら面白いだろうなぁ、なんて思ってます。
ちなみに名前は、
澪根莉枝……LEMONに母音をつけて、LiE MiONeとなっています。
野花太陽……太陽の花→sunflower→向日葵です。
ハルユキ様、ご笑納いただけましたら幸いです。