道化遊戯 宴の始末
答え合わせ
道暗寺晴道警視と小野健一警視に若宮友里恵内閣情報調査室主任解析官の三人が橘隆二桂華鉄道会長所有の中古ビルの一室に通されたのは、富嶽放送の競売が終わってからしばらく経ってからである。
「あったんだなぁ……黒革の手帳」
「ええ。今はもう機能していませんが」
それは、新宿ジオフロントに関わった三人への筋通しみたいなものである。
新宿ジオフロントの一件が闇に葬られた事にかこつけて、これもそのまま封印する事にしたのはこの三人に他ならない。
「探せば出て来るものですよ。
今の世の中は、そういう意味で記録が大量に残っている。
それを紡いで物語にできる人間の方が貴重で、その結果真実なんていらなくなってしまった」
道暗寺警視が一冊のファイルを取って開く。
さして興味のない感じでページをめくると、また元に戻した。
「それについては分からなくはないが、これを狙っていた外国勢力をよく黙らせたな?
向こうもあきらめるには大きすぎるだろうに」
小野警視のぼやきに若宮主任解析官が苦笑する。
こいつの処理を実質的に差配したのが彼女だったりする。
「そうでもないんですよ。
米国はイラクで、ロシアはチェチェンで手一杯ですからね。
今の日本政府を怒らせるよりも恩を売った方が利口だと彼らが判断しただけの事で」
ワシントンではイラク前大統領の逮捕をきっかけに、イラク三分割案を前提にした戦後処理に舵を切ろうとしていた。
その最中でCIA長官が『個人的理由により』辞職を表明。
元民主党政権からの長官職だっただけに与党共和党からの突き上げに屈したみたいな書き方をメディアはしていたが、その内情は対日諜報の大失態がホワイトハウス内部の権力闘争に発火し、その詰め腹を切らされたのである。
まず、お嬢様こと桂華院瑠奈公爵令嬢の京都護衛の失敗。
これで、各省庁の幹部職員が始末書の処分を受けて、上を守る盾が無くなった後に発覚した新宿ジオフロントに絡むテロ未遂事件にDIAこと米国国防情報局が絡んでいた事が発覚して、その上である国防総省のトップである国防長官が大激怒。
彼はイラクの自衛隊派兵も絡んで対日重視政策をとっていた為に、関係者の処分を命じ返す刀でCIA攻撃に転じたのだ。
間が悪い事にCIAはこの時、ロシアの周辺国家に民主主義を輸出しつつあり、グルジア共和国のバラ革命の成功から次の革命の輸出をウクライナにしようとしていた矢先だった。
これは、解決の目途がまったくたっていない北イラクのクルド人勢力とトルコの戦闘を外交的に解決する為に、トルコへの飴として企画されたものだった。
ウクライナが離れるとロシアは黒海が使えなくなる。その黒海の出口として常にロシアの圧力を受けていたトルコからすれば歓迎すべき事な訳で。それを餌にトルコと北イラクのクルド人との停戦、あわよくば北イラク独立をという計画だったらしい。素晴らしい縦割り組織である。
国防長官は極東の地、東京で樺太銀行マネーロンダリング事件から始まった日米露協調路線をぶち壊しかねないこの件の中止を求め、国務省がそれに乗った事でCIA長官は詰め腹を切らされる事になった。
まぁ、共和党政権なのに民主党政権時の長官が仕事をしている事がおかしかった訳で、そういう意味では予定された詰め腹と言えなくもないが、面白くないのはCIAである。
DIAの大失態の件と中部イラクの泥沼化について国防長官の責任を追及しており、今年秋の大統領選挙で共和党大統領が再選したとしても、彼は次期政権の椅子はないと噂されていた。
かくして、CIAもDIAも上の首が飛び、幹部連中も責任という返り血を浴びた中での椅子取りゲームは凄惨を極める事に。
極東の黒革の手帳なんて触る時間もないとばかりに、日本側の提案した『闇への封印』に同意する事になった。
一方のロシアはもっとシャレになっていなかった。
この事件の前にロシアでは大統領選挙が行われており、バラ革命の波及を恐れた大統領選挙は現職の圧勝で一応幕を閉じたが、モスクワ地下鉄で爆破テロが発生。死傷者が200人を超える大惨事が発生しており、再選された大統領はその報復を宣言。
なお、樺太銀行マネーロンダリング事件で洗浄された資金がチェチェンゲリラに渡っている時点で日米と協力せざるを得なかったのだが、にもかかわらずテロとゲリラ戦は激化しており、今年5月9日には親ロシアのチェチェン大統領がチェチェン共和国首都の式典でテロで爆殺されるという面子丸つぶれの失態が発生。
新政権最悪の船出となったロシア大統領は早急に民意をまとめる明るい政治的イベントを欲していた。
ロシアの冬季五輪立候補が発表されたのはこんな背景がある。
そんな政治的イベントにかかる巨額の費用と民意をなだめるアイコンが極東に存在していた訳で。
ロシアと言うのは政治的には獣であり、己が強い時は徹底的に強く出て、弱ったら徹底的に下がる。
つまり、今のロシアがどれだけ窮地に陥っているかというのが分かろうというもの。
「まぁ、うまくいきましたよ。
いくら友人とはいえ、後ろ暗い所を知られるのは勘弁でしたからね。
泉川副総理や岩沢都知事が協力してくれなかったら、こうもうまく行きませんでした」
橘会長が苦笑する。
『闇に封印』というが、彼は現役のフィクサーの一人であり、その彼にその後ろ暗い所を渡すという意味を、副総理や都知事という政治家が理解できない訳がない。
これは、恋住総理からお嬢様を守るための武器なのだ。
それに恋住総理が同意したのは、興味がないからか、使われる事がないと確信しているからか、ここにいる人間には分かる訳もなく。
「まぁ、これについては分かった。
気になったんだが、『機能しない』ってどういう事だ?」
小野警視の質問に道暗寺警視があっさりと答える。
その隣で橘会長がドアを閉めて鍵をかける。
きっとこの部屋はもう二度と開かないのだろう。
「あれを全部読み込んで、それを理解した上で物語を紡げる人間が居ないと機能しないんですよ」
一流の詐欺師は本当の事しか言わない。
あそこにある本当の事を取捨選択して物語を紡ぐストーリーテラーは、平成となったこの高度情報社会においてテレビやラジオ、ネットに移動してしまい、あの紙たちの物語はそこから取り残されたがゆえに使われなくなった。それだけの事である。
「あれを使える人間は、私が知る限り多分一人しか残っていませんよ」
道暗寺警視のこの一言は、お嬢様係である小野警視や橘会長への捜査協力のお礼であり、若宮主任解析官への脅しでもある。
彼女だけは内閣情報調査室。つまり恋住総理に繋がっている可能性があるからだ。
(使うならどうぞ。使ったら何が待っているか分かっているのならば)
という意味合いを込めて、道暗寺警視は黒革の手帳の鍵を提示した。
「高宮晴香。帝都学習館学園中央図書館館長。
あの人は、私が知る限り最高のストーリーテラーでしたよ」
CIA長官辞職
現実では2004年7月辞任。大量破壊兵器を巡る引責辞任らしい。
http://www.asahi.com/special/iraqrecovery/TKY200406030334.html
国防長官
現実では2006年中間選挙敗北で詰め腹を切らされた。
ウクライナ大統領選挙
2004年11月。これが有名なオレンジ革命になる。
2004年ロシア大統領選挙
これは意図的に書いていなかったが、3/14に投票が行われている。
モスクワ地下鉄爆破テロは2004年2/6に発生。
つまり、このマネー宴の最中、テロとバラ革命の波及を恐れていたロシアは動ける訳がなかった。
5/9のテロ
アフマド・カディロフチェチェン共和国大統領。
2004年5月9日、チェチェン共和国の首都グロズヌイにて対独戦勝記念式典参加中にチェチェン独立派によって暗殺。
ストーリーテラー高宮晴香
当時の文壇は上流階級のサロンでもあり、そこの一員で作家やマスコミと付き合っていた本というか物語狂い。
リアル黒革の手帳であり、だからこそ彼女は彼女が望む本が与えられる帝都学習館学園中央図書館館長に封印されたという裏設定。
この人の若かりし頃は天野遠子と鷺沢文香と読子・リードマンを足して篠川智恵子で割ったような人だったのだろうなぁ。
作業BGM
『ストーリーテラー』鬼束ちひろ