帝国放送協会報道特集『統一への道 第五回 1993年 東京』
このあたりも闇が深くてなぁ……
間もなく統一から十周年を迎える今年は各地で記念行事が行われている。
しかし、バブル崩壊から続く経済不況と統一にかかったコスト及び社会問題は未だ多くの軋轢を残しつつ今も横たわっている。
今回、統一記念番組として各局合同の報道特集番組を制作したのは、このような状況下において我々の選択を今一度振り返り、よりよき未来へ共に歩んでいくことを願うからである。
願わくば、二十周年を迎える頃においては、これらの問題を過去のものにできている事を祈って。
--冒頭ナレーションより抜粋--
『豊原地下都市建設に日本の大手ゼネコンが絡んでいたというのは事実です。
当時の立憲政友党主流派は北日本との統一を目標にしていましたが、同時に北日本の核兵器と難民爆弾を恐れていたんです。
北の経済崩壊への対応と、バブルが弾けて需要喪失に困っていた日本のゼネコン業界の陳情を受けて、樺太地下都市建設に関与していったのです。
とは言え、さすがに堂々と関与すれば世論が許しませんから、香港にペーパーカンパニーを用意し、香港の会社の下請けという形でゼネコン人員を派遣したのです。
この時に得た技術が今の新宿ジオフロントに活かされていたりするのですが、話がそれましたね。
こういう地下水脈で、北日本と立憲政友党主流派は繋がっていたのですが、日本の政局がこれを滅茶苦茶にしました。
不動産会社の未公開株譲渡疑獄で当時の主流派総理が失脚。
その後の89年参議院選挙では大敗し、92年の参議院選挙で復調するかに見えたのですが、東京の宅配企業の贈収賄事件に絡んで大物が失脚し、勢力も分裂したのです。
これは、水面下で戦争に向かわないように苦心していたチャンネルが無くなった事を意味していました』
--当時の立憲政友党担当政治記者のインタビューより--
『立憲政友党主流派の分裂は、政府との直接チャンネルの喪失というピンチでしたが、北日本政府から見て影響力があった左派野党を与党にできる千載一遇のチャンスでもありました。
そこで左派連立政権樹立の為に与党立憲政友党の分裂を企み、それは93年に成功しました。
ただ、この時点で北日本政府はジレンマに陥ってしまいます。
統一して北日本政府主導にするにはその左派連立政権が邪魔だったのです。
彼らのビジョンでは、北日本政府主導の統一であり、左派連立政権はそのまま党の一党独裁の下に吸収されるというのが北の主張でした。
それを左派連立政権は拒否したのです。
左派連立政権は北日本との統一を否定しませんでしたが、それは左派連立政権主導の統一であり、樺太は日本政府の一自治体という扱いになるという主張をしたのです。
結果、この政権内での南北関係は致命的なまでに悪化しました』
--当時の左派連立政権担当政治記者のインタビューより--
『樺太の経済状況は湾岸戦争後から急激に悪化しました。
東側の秘密財産が入ってはいたのですが、それを吹き飛ばす豊原地下都市開発の巨額費用の上に、日本のバブル崩壊が直撃したのです。
北日本政府の外貨運用は主に東京で行われていました。
また、マネーロンダリングも行っていたので、その時の安全高配当資産と言われていた土地に過剰投資していたのです。
バブル崩壊でこのあたりが軒並み不良債権に変わりました。
豊原地下都市は急膨張する難民に対処する為に拡張に拡張を重ね、費用はうなぎのぼりに跳ね上がりました。
ここに、93年の大凶作が直撃します。
平成の米騒動と呼ばれるこの大凶作で日本政府は東南アジアまで米を買いに走ったのですが、経済が崩壊していた北日本政府は買いに走れる外貨が残っていませんでした。
この年に北日本で発生した餓死者と凍死者の数は数十万から数百万と言われています』
--当時の総合商社の穀物担当社員のインタビューより--
『経済が崩壊した北日本政府が外貨を稼ぐ手段はもはや人間しか残っていませんでした。
93年に起こったソマリア内戦にPMCとして多くの将兵を派遣していますが、それは北日本政府の反体制派のパージも兼ねていました。
彼らは文字通り捨てられたのですが、これに手を差し伸べたのが日本政府でした。
総合商社を通じて支援の手を差し伸べて、彼らを手駒にしようとしたのです。
この時期左派連立政権だった事も幸いしました。
散々自衛隊を敵視していた左派連立政権にとって、捨てられた彼らは信頼できる軍隊だったのです。
彼らによって存在理由を得たPMCはカンボシアやユーゴスラビアに派遣され、その装甲兵は恐怖の象徴となっていったのです』
--当時の総合商社担当のインタビューより--
『いろいろ行ったな。
ソマリア、カンボジア、ユーゴ。
出かけてる間は金が入るし、帰る故郷はあのざまだからみんな残って次の戦場に向かっていったよ。
ソマリアはまぁ、楽だったな。
クウェートで俺たちの教え子を吹き飛ばした巨大戦艦があの民兵どもを住民ごと吹き飛ばしてくれたからな。
ソマリアを第二の故郷にした人間は結構いるし、北日本から来た連中の町が海岸線上に多いのもこの内戦のおかげさ。
カンボジアはひどかったな。
高温多湿な田園地帯やジャングルじゃ重武装兵士が泥に沈んじまって、ほとんど役に立たなかった。
ユーゴは俺たちの戦場だった。
ボスニア・ヘルツェゴビナでの三つ巴の内戦が主戦場だったけど、内戦だから殺し合いが凄惨でね。
全く関係が無かった俺たちはあっちで殺し、こっちで殺しとやっていったもんだ。
戦車が出てこない限り、装甲兵はほぼ無敵だ。民兵の装備ではどうにもならなかったよ』
--当時のPMC傭兵のインタビューより--
不動産会社の未公開株譲渡疑獄
リクルート事件
これで安倍晋太郎さんと渡辺美智雄さんは総理になれなかった。
というか、宮沢さんよく総理になれたもんだ……一度資料を漁ってみるかなぁ。
なお、リクルート事件は88年。
この騒動の裏で、極東土地開発COCOM違反事件が発生している訳で……そりゃ、瑠奈のお父さん死ぬわなぁ……
宅配企業の贈収賄事件
東京佐川事件
これも闇が深いのだが、この事件で金丸信副総裁が失脚・逮捕される。
あの人ゼネコンのドンとして君臨していたけど、その力の源泉は何だろうと思っていたが、ある文章でその答えを得た。
それが日本三大ウィキペティア文学の一つである『地方病 (日本住血吸虫症)』である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E6%96%B9%E7%97%85_(%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BD%8F%E8%A1%80%E5%90%B8%E8%99%AB%E7%97%87)
>>当時行政区域外であったため工事ができず、コンクリート化工事のネックとなっていた国鉄用地内(中央本線および身延線)溝渠のコンクリート化の実現は、運輸政務次官を経験し、後に第9代自由民主党副総裁となる、旧白根町(現:南アルプス市下今諏訪)出身の金丸信が、縦割り行政の垣根を越えた各方面へ働きかけた政治力の結果である
ああ。
そりゃ土建まとめられるわ。
この莫大なコンクリート需要は、土建が食いつく超巨大公共事業だわと納得。
なお、当時のコンクリ原料の原料の一つである海砂利の輸出国が北のあの国であり、金塊はあそこからじゃねと当時から囁かれていた思い出が。
93年の大凶作
これ実は『征途』二次創作ネタで「北の暴発がこの93年の食糧不足じゃね?」という水上隆蘆氏の指摘より。
このネタを元に、昔、彼の同人誌に小説を書かせていただきました。
寒波
https://www.mlit.go.jp/singikai/koutusin/kishou/7/images/shiryou3.pdf
94年大雪だったんだよ。
そりゃ国壊れるわ……
ソマリア・カンボジア・ユーゴ
ソマリア内戦
映画『ブラックホークダウン』の元になったモガディシュの戦闘が93年10月3日。
カンボジアPKO
とはいえ、ポル=ポト派はジャングル地帯でゲリラ活動を行っており、PKO職員が亡くなったりしているので、決して安全ではなかった。
ユーゴ内戦
ボスニア・ヘルツェゴビナ内戦 92年-95年
民族浄化も発生したシャレにならん内戦はバルカン半島の治安を決定的に破壊した。
今でもバルカン半島が武器や難民や麻薬の主要ルートになっているのは、こういう内戦で国家が治安を回復しきれていないというのが背景にある。