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帝国放送協会報道特集『統一への道 第四回 1991年 モスクワ』

改めて歴史を確認すると湾岸戦争の後一年でソ連がなくなるなんて誰が思っていたのやら……

 間もなく統一から十周年を迎える今年は各地で記念行事が行われている。

 しかし、バブル崩壊から続く経済不況と統一にかかったコスト及び社会問題は未だ多くの軋轢を残しつつ今も横たわっている。

 今回、統一記念番組として各局合同の報道特集番組を制作したのは、このような状況下において我々の選択を今一度振り返り、よりよき未来へ共に歩んでいくことを願うからである。

 願わくば、二十周年を迎える頃においては、これらの問題を過去のものにできている事を祈って。


--冒頭ナレーションより抜粋--



『体制崩壊の前兆は基本的に地方や辺境から見え始めます。ソ連崩壊、その前兆はバルト三国より始まりました。

 バルト三国であるエストニア、ラトビア、リトアニアで起こった民主化運動は、ソ連の国家体制を揺るがす大きなものへと波及してゆきました。

 ソ連は軍を派遣してこれを鎮圧しようとしたのですが、民衆はこれに抵抗。

 その時期に発生した湾岸戦争がソ連に強烈な一撃を見せつけたのです。

 圧倒的航空戦力による一方的な蹂躙。

 そして、バルト三国の周辺諸国はバルト三国側に立ち、それら諸国の背後には湾岸戦争を戦ってなお余力があった米国がありました。

 この時、ソ連守旧派は全面戦争すら覚悟して強行するように主張したのですが、国家経済の破綻状況と戦力比較から勝てない事を悟ったソ連首脳部は退いたのです。

 結果、バルト三国は次々と独立を宣言しソ連の崩壊が始まりました。

 八月の内戦はある意味、必然だったのです』


--当時のバルト三国政府関係者のインタビューより--



『八月内戦。

 ソ連守旧派によるクーデターですが、その初動はほぼ完全に成功しました。

 要所の占拠および首脳部の拘束は一か所を除き完全に成功したのです。

 その残る一か所がロシア共和国最高会議ビルだったのが問題でした。

 ソ連の正式名称は「ソビエト社会主義共和国連邦」であり、建前上各共和国の施設があったのです。

 その構成国の最大かつ大半を占めるロシア共和国の政府施設の奪取に失敗したのは、市民の抵抗もあったのですが、ロシア共和国内部がソ連に見切りをつけだしていた事が大きく影響しました。その裏には、ロシア共和国に配備されつつあった内務省軍の存在がありました。

 8月19日。ロシア共和国最高会議ビルを巡って大規模な戦闘が勃発。

 KGBの特殊部隊と内務省軍の精鋭部隊、その両者が装甲兵という同士討ちに近い戦いは瞬く間にモスクワ全域に拡大しました。

 クーデター軍は虎の子の戦車部隊を投入しましたが、その戦車部隊がロシア軍側に寝返ってしまい、混乱はソ連全域に広がって行ったのです。

 そして、クーデターは失敗に終わりました。

 ただし、彼らは逮捕されたり自殺した者を除いてそのほとんどが姿をくらまして東へ、北日本民主主義人民共和国に逃げ込みました。

 クーデター失敗によってソ連の権威は決定的に傷つき、この年の12月にソ連は崩壊します。

 ですが、それはおよそ四か月の間、治安が機能しない事を意味していました』


--当時のロシア共和国政府関係者のインタビューより--



『1991年の夏?ええ。覚えていますよ。

 あの時、間宮海峡は逃亡者を送る船で一杯でしたから。

 ソ連守旧派のクーデター失敗によって、当時の体制派は失墜して北日本に逃れるしかなかったんですからね。

 そして、その逃亡者の殆どを北日本政府は暖かく迎えたそうです。

 え?船はどうしたのかって?

 もう今だから話せますが、日本の総合商社が関与していたそうです。

 どこからか持ってきたフェリー数隻を用いて間宮海峡間を往復していた姿はもう二度と見られないでしょうなぁ。

 あと、あのクーデターの後にロシア太平洋艦隊の一部が北樺太に停泊して北日本政府の併合後に北日本海軍に編入されていたりしています。

 あの夏に樺太に渡った人間は数百万人と言われていますが……』


--当時の間宮海峡港湾関係者のインタビューより--



『日露戦争の停戦で樺太は南半分が日本領になり、北樺太はロシア領から革命を経てソ連領に変わりました。

 この樺太分割で北樺太が残った事が、満州戦争で苦戦していたソ連が第二戦線として目をつけたポイントだったのでしょう。

 南樺太はソ連の機甲師団に蹂躙され、停戦時自衛隊は局所で抵抗していましたが、全土の回復は不可能だったのです。

 その上、米ソ交渉によって樺太の帰属がソ連に譲られるという停戦条件を呑まざるを得ませんでした。

 北日本政府こと北日本民主主義人民共和国はこうして誕生したのです。

 この国の国民は、満州戦争で捕虜となった満州在住の日本人や元々の樺太住民が主体ですが、日本本土から北の楽園を目指して多くの小作農たちが樺太に渡っていったと聞きます。

 太平洋戦争時、大日本帝国の人口一億の内、小作農は二千万人も居て、内部は共産革命を極度に恐れていたのです。

 満州戦争による工業化の推進である程度の小作農は都市労働者として吸収できましたが、今度は都市労働者の社会主義運動に頭を悩ませることになったのです。

 だったら、北の楽園に全部送り込んでしまえ。

 マッカーシズム華やかな頃の話です』


--歴史家の解説より--



『北日本政府こと北日本民主主義人民共和国が北樺太を併合したのは、ある意味ロシアも了承済みの行動でした。

 当時の北樺太は自治州扱いでしたが、同時に最前線としてかなりの軍隊が駐留していました。

 特に、北樺太に設置された核サイロは北日本政府支援の象徴でもあったのです。

 その多くが必然的に北日本政府に靡いたのは、ソ連国内の混乱で物流が崩壊し餓死や凍死者が出る惨状の中で北日本政府が手を差し伸べたからに他なりません。

 ソ連崩壊後、北日本政府は最後の社会主義国家として共産中国と手を繋いでこの難局を乗り切ろうとしました。

 クーデター失敗の後でソ連の崩壊が決定的になった時、北樺太自治州は北日本民主主義人民共和国に併合されることを宣言。

 ロシア共和国はこれに何も言いませんでした。

 ロシア側は裏でかなり抵抗したそうですが、面白いうわさ話があって「もし北樺太の併合を認めないのならば、ロシア帝国皇女の存在をばらして、彼女に自治州を任せる」なんて与太話があったとかなかったとか』


--当時のロシア外交関係者のインタビューより--

バルト三国

 リトアニア独立革命が91年1月8日。

 湾岸戦争のイラク空爆開始が91年1月17日。

 そりゃ、ソ連は湾岸戦争で影響力とか発揮できんわと調べて納得。


小作農二千万人

 某龍神様を書いていた時に調べて唖然とした事実だったりする。

 本当にこの時期の日本政府は政府の腐敗と財閥の癒着で共産革命が起きかねない所にあり、それゆえに軍に求心力が集まるという悪循環が……

 架空戦記で日本ツエーをしようとして、リアルパイセンの容赦のなさに本当に叩き潰された思い出である。


マッカーシズム

 wikiぺたり。こういう事を米国でもやっていた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%82%BA%E3%83%A0#:~:text=%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%82%BA%E3%83%A0%EF%BC%88%E8%8B%B1%3A%20McCarthyism%EF%BC%89%E3%81%A8,%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E9%81%8B%E5%8B%95%E3%80%81%E6%94%BF%E6%B2%BB%E7%9A%84%E9%81%8B%E5%8B%95%E3%80%82




 瑠奈の母親であるナターシャさんの設定まわりを読者と共に作っていった際に「彼女の病死絶対に何かあるよな」という声にリアルをハメたらぴたりと。

 うん。これは彼女生きてられないわ……

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― 新着の感想 ―
[一言] 今、ウクライナ侵攻でロシアがやっているのは、アメリカ軍がイラクでやった作戦の焼き直しというか、ロシアが学んだ成果の応用だという話をプライムニュースでやっていた。ロシアの東部軍管区軍がベラルー…
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