道化遊戯 桜田門迷宮案内人 道暗寺晴道 その4
「鶯谷の火事の件ですか?
ええ。あれは私の仕事ですよ」
電話向こうの道暗寺晴道警視庁総務部特別文書課課長の声は朗らかだった。
鶯谷の火災はやくざの抗争として処理され、警視庁は四課を動かして暴力団にガサ入れをして昼のニュースを賑わせていたのである。
小野健一麹町警察署副署長は、受話器を持つ手に力が入るのを自覚しつつ会話を続ける。
「ふぅん。
真相は闇の中って訳だ。
被害は?」
「燃えた建物はバブル時の地上げでヤクザが絡み、バブル崩壊で不良債権化したいわくつきのものですよ。
そんな建物だから営業もしておらず、被害も出なかったって事で燃えてかえって喜ばれるでしょうな」
「へぇ……
あたりに被害なしの火事か。
そりゃ凄いな」
火事と言うのは運が悪ければ近隣に火が移る怖いものだ。
現場の消防の尽力もあったのだろうが、この放火の犯人がプロで計画されたものという事を示唆していた。
「電話ついでに面白い話を。
公爵令嬢の移動についてですが、彼女が自分の特別列車を走らせる前に西船橋に入っていたのはご存じですか?」
「ほぉ……だが、特別列車は走ったよな?」
「走りましたよ。西船橋と船橋法典の武蔵野線をね。
あのお嬢様の移動、前日夜に九段下から地下鉄東西線深川車両基地に向かい、新設連絡線を使って京葉線に移り、武蔵野線の西船橋まで行き、そこのホテルに一泊してから船橋法典駅に行っているんですよ。
そして、移動は『4月4日。持ち馬の応援の為に中山競馬場へ列車で移動する』としか公表していないんですよ」
特別列車を走らせるには、地下鉄東西線と東日本帝国鉄道京葉線と武蔵野線の運行管理者に連絡し、スジという運行スケジュールを用意する必要がある。
だからこそ、お嬢様の移動がバレるのだ。
その対策を桂華側はしていたという訳だ。
「つまり、あの時お嬢様に対して何かをするのならば、4月3日の夜に動く必要があった。
そちらが確保した彼の話が本当ならば、平成天誅の奴らが動いたのは4月4日当日。
奴らは移動の情報を握っていなかったんですよ」
「なるほどな。
話が変わるけど『キャスリング』って言葉を知っているか?」
道暗寺課長の返事が遅れた。
偶然と思うには不審過ぎる間が意図的に小野副署長に情報を与えようとしている事に気づく。
「たしか、チェスの手でしたっけ?
私はあまり詳しくないですが」
「そうか。邪魔したな」
「お気になさらず。ここは暇ですので」
受話器を置く。
副署長室では、近藤俊作と愛夜ソフィアの二人が会話を聞いていた。
なお、三田守は己の怪我を警察に呼んだ医者に見せており、北都千春はそれに付き添っていた。
「だとさ」
「へー」
「そーなんだー」
三人とも声が棒読みである。
愛夜ソフィアが一夜明けた状況の整理をした。
「警備についてもらった北樺警備保障からの話だと、うちの店には入ってこなかったみたいね。
けど、そういう相手が仕掛けたのならば、入られてもおかしくないかもね」
「少なくとも上はヤクザの抗争でケリをつけるつもりだ。
で、探偵さんはどう動くつもりなのかな?」
「あまり今の状況は良い動きじゃないんですよ」
近藤俊作の顔には憂い色が乗っていた。
体を座っていたソファーに預けて、天井を見上げる。
「これ、桂華側が意図的に情報を流して、襲撃者を釣りだしたって事でしょう?
それにはまった平成天誅の連中を狩り出すんでしょうな。
あの坊やの証言もあるし、守るよりも攻める方が楽ですから。それは分からなくはないんですよ」
煙草を口に咥えて火をつけずに弄ぶ。
吸いたい訳でもないので、そのまま煙草を灰皿においた。
「ただ、新宿ジオフロントの警備に、この平成天誅の狩り出し。
他の警備業務もあるでしょうから、戦力は完全に枯渇しますよ。
『キャスリング』が本当に東京証券取引所でのテロならば、どうやって戦力を抽出するのやら……」
「それなんだけどさ。俊作。
桂華の連中、北海道から戦力を移動させているみたいなのよ」
「え!?」
近藤俊作は慌てて隣にいた愛夜ソフィアのノートパソコンの画面を見る。
彼女はチャットでハッカーと連絡を取りながら、桂華側の情報も探っていたのだった。
「ほらみて。
今日の桂華太平洋フェリーの東京到着便が一隻チャーターされているわ。
ネット掲示板には、苫小牧港で北樺警備保障の連中が乗り込んでいたって報告があるから……
湾岸の倉庫の一画を桂華商会の子会社がまとめて借り受けているってニュースも見つかったわ」
「部隊の移動ってえらく苦労するんだよな。
安保の時、機動隊のそれで裏方が泣きをみたと知り合いに聞いたことがある」
小野副署長の声がぽつりと出る。
つまり、部隊の移動に混乱が発生していないという事はそれが計画されていたもの。
そして、大規模な部隊移動に混乱が発生していないという事は、事前準備がしっかりしていたという事を意味する。
「という事は、桂華側も襲われるのが分かっていた……いや、襲われる理由を知っていた!?
でないと、襲撃をここまで確信して行動できない!」
自分の口から出た言葉に近藤俊作は愕然とし悪寒が走る。
その絵図面は探偵がハードボイルドを気取る以上に壮大で醜悪だった。
(何だこれは?
あの少女の周りに何の陰謀がまとわりついていると言うんだ?)
「おやっさん。
どのあたりまで話せます?」
語気を強めて近藤俊作は小野副署長に詰め寄る。
小野副署長はため息をついて受話器を手渡した。
「立場上言えない事がある。
だからお前が決めろ。
探偵ってのは、そういうものだろう?」
互いに味方ではあるのだが、立場による情報のすれ違いと勘違いが……