帝国放送協会報道特集『統一への道 第二回 1989年 ルーマニア』
間もなく統一から十周年を迎える今年は各地で記念行事が行われている。
しかし、バブル崩壊から続く経済不況と統一にかかったコスト及び社会問題は未だ多くの軋轢を残しつつ今も横たわっている。
今回、統一記念番組として各局合同の報道特集番組を制作したのは、このような状況下において我々の選択を今一度振り返り、よりよき未来へ共に歩んでいくことを願うからである。
願わくば、二十周年を迎える頃においては、これらの問題を過去のものにできている事を祈って。
--冒頭ナレーションより抜粋--
『ベルリンの壁が崩れた時、東側外交筋で囁かれていたのは「ソ連が軍事行動を起こすのか?」と「起こさなかった場合この波は周辺国に波及する」という二つの言葉でした。
欧州の東側諸国の民衆にとってはこのベルリンの壁崩壊は良い事でしょうが、我々は民衆を弾圧する側でしたから革命において吊るされるのが目に見えていました。
シュタージ、正式名称東ドイツ国家保安省の幹部は機密書類と隠し財産を持って逃亡を図ろうとしたのですが、彼らはソ連が動かない、つまり東ドイツを見捨てた事を知っていたからソ連に逃げる事はできなかった。
そんな中で逃げ場となったのが、ルーマニアという訳です。
ただ、ベルリンの壁崩壊に伴う東側諸国の動揺はピクニック計画の舞台となったハンガリーだけでなく、チェコスロバキアやポーランドにまで及んでいました。
多くのシュタージ幹部はそれらの国で拘束されたのですが、機密書類と隠し財産だけは何故か無事にソ連に運び込むことができたそうです。
これらはシュタージ管理下でなくKGB、ソ連国家保安委員会直轄のプロジェクトだったそうで、厳重な警戒の臨時列車がワルシャワから東に走って行ったのを多くの鉄道関係者が目撃しています』
--当時の東ドイツ政府国家保安庁職員のインタビューより--
『ソ連保守派は欧州衛星国が民主化された場合に備えて、これらの国の国家財産を流用する計画を立てていました。
それは第二次大戦の偉業から「ウラル計画」と呼称されていました。
民主化されたこれらの国を焦土化して西側諸国に何も渡さないという強い意志が込められていましたが、民衆どころか衛星国政府要人すらソ連に愛想をつかしていたのは想定外でした。
ソ連亡命の人員は十万程度と少なく、これらの国の産業破壊は行われませんでしたが、財産、特に政府や党がため込んでいた数百億ドルに及ぶ隠し財産については、そのほとんどを持ち出すことに成功しました。
何故かというと、これらの財産はかの国ではなくスイスのプライベートバンクに保管されていたからです。
東側経済は資源や武器を第三世界に売る事で成り立っていますが、それらの決済窓口が中立を標榜していたスイスだったのです。
また、ソ連の政争のあおりは周辺衛星国にも波及しており、これらの国の党幹部が失脚に備えて複数の隠し口座を保持していたのは当時の常識にすらなっていました。
その口座番号とアクセスコードをKGBは昔から押さえており、これらの国が政変によって倒れる際にKGBが秘密口座から引き出して別の機密口座に移したのです。
もちろん、KGBそのものはCIAをはじめとした諜報機関の監視対象になっていたので、直接ソ連の口座に移すと足がつきます。
それで、ワンクッションおいてソ連に移す事が計画され、そのワンクッションに選ばれたのがルーマニア共和国だったという事です。
KGBの人達も間違えるんですなぁ。
あの時のルーマニアが倒れるなんて、想像できなかったでしょうから。
で、これらの秘密財産を慌てて更に別の所に移したのですが、その行き先はもう北日本政府、北日本民主主義人民共和国しか残っていませんでした』
--当時のスイス金融機関関係者のインタビューより--
『ルーマニア共産党一党独裁が崩壊した理由は、軍が民衆側についた事なのですが、その背景として党を背景とした秘密警察と軍の対立がありました。
独裁国家にありがちなのですが、国内最大武力を持つ軍を押さえるために、独裁者は秘密警察とそれに付属する警察軍を優遇する傾向にあります。
その時点で軍と秘密警察の対立は必然だったのですが、ルーマニア共和国は強力な独裁体制下で秘密警察の権力が増大していました。
そのくせ暴動が秘密警察の手に負えなくなるとその責任を軍に押し付けたのです。軍からすればたまったものではありません。
1989年12月16日。
ルーマニア西部の都市ティミショアラで民衆によるデモが発生。セクリターテ、ルーマニアの秘密警察がデモ隊に発砲、多数の死傷者が出ました。
11月9日にベルリンの壁が崩壊し、この時既に東ドイツは党だけでなく国家すら崩壊しつつありました。
11月17日にはチェコスロバキアでビロード革命が勃発し、共産党政権が崩壊。
隣国ハンガリーがヨーロッパピクニックによって既に東側に見切りをつけていた中での出来事です。
自国の共産党一党独裁は盤石であるというアピールでしたが、これは明らかな悪手でした。
12月21日。
首都ブカレストで大統領支持集会の最中に暴動が発生。秘密警察が発砲しましたが事態は悪化するばかりでした。大統領は軍の投入を決定しますが、国防相はこれを拒否後に自殺してしまいます。
もちろん誰も自殺なんて信じておらず、大統領に粛清されたのだと直ぐに察しましたよ。
これで軍が離反し、秘密警察と激しく戦う事になりました。
手ごわかったですよ。彼らは。
ブカレスト市内に張り巡らされた秘密通路を用いての戦闘な上に、北日本政府から「技術支援」によって編成された装甲猟兵小隊が悪魔のように強かった。
地の利を得た上で、都市戦闘に特化した特殊部隊の走りでしたっけ?
セクリターテはこの装甲猟兵を大隊規模にまで拡充する計画でした。革命でついにかなわなかったのですが、一時は共産党本部が奪還されるという事態にまで追い込まれましたし、ソ連国境にはソ連軍が大統領の要請に伴って集結しつつあったのです。
我々が大統領夫妻を押さえて処刑していなければ、革命は失敗していたかもしれませんね』
--当時のルーマニア革命参加者のインタビューより--
『ケルベロス 鋼鉄の猟犬』(押井守 幻冬舎文庫)のオマージュ。
ドイツが負けたのでこうなったという感じで、ルーマニア革命が彼らの初陣だったのかなと思ったり。
なお、作業BGMは察しの通り『パリは燃えているか』(加古隆)である。
国家の秘密財産
『MASTERキートン』(浦沢直樹・勝鹿北星・長崎尚志脚本 ビッグコックス)のオマージュ。
『ゴルゴ13』にも似たような話があったのだが、ちょっと思い出せないのでのせておくだけのせておく。
東ドイツ・チェコスロバキア・ルーマニアの秘密財産なので桁が一つ多い。
このあたり掘ると色々と闇が深くてなぁ……
ルーマニア革命
これもyoutubeに動画があるので見てほしい。
やっぱり版権的にやばくねという動画なので紹介のみ。