道化遊戯 元装甲兵 ゲオルギー・リジコフ その2
ゲオルギー・リジコフの朝はいつもと変わらないはずだった。
6:00am起床。7:00食事。
8:00からのラジオ体操の後のミーティングで、彼は今日のシフトから外れることになる。
「リジコフさん。あんたにお客さん。
シフトは変えてあるから、そのまま今日は休んでいいよ」
この間鶯谷のネットカフェで得た情報を上に報告したのだが、その食いつきぶりは流した本人が驚くぐらいだった。
ネットワーク関連の担当者が叩き起こされて総出のチェックが行われ、彼にまで警察の事情聴取がやってきた事に新宿ジオフロントのテロ計画が本当だったのかと苦笑した覚えがある。
長時間の拘束を覚悟していた彼が救われたのは、新宿ジオフロントのネットワークをチェックしていた愛夜ソフィアから近藤俊作経由で話が繋がった麹町警察署副署長である小野健一警視が出てきたからに他ならない。
あの探偵の恩人らしいのだが、新宿警察署の職員が露骨に嫌悪感を示していたので、縦割りを超えて横殴りをしたんだろうなと察するぐらいには彼も年をとっていた。
「ゲオルギー・リジコフさん。
はじめまして。私は北樺警備保障の中島淳と言います」
「どうも。
失礼ですが、そっちの方ですか?」
「ええ。
私は軍の特殊部隊出身でしてね。
今は、桂華商会の子会社の北樺警備保障で警備の指揮官なんてのをやっておりまして。
ゲオルギーさん。今日は貴方をスカウトしに来たんです」
軍の特殊部隊。
つまり、マースレニツァ革命のあの運命の二日間を敵味方に争った仲という事だ。
顔をこわばらせながらも婉曲的に謙遜する。
「私は私の仕事をしただけですよ。
それに、今の仕事は結構気に入っていましてね」
「それは残念。
名刺を置いていきますので気が変わったらご連絡を。
しかし、あなたの報告で上は大騒ぎみたいですな。
未だ、システムの対応のめどがついていないみたいで」
「何ですって?」
中島淳はわざとらしく周囲を確認してから少し小声で口を開く。
それは、ゲオルギークラスの警備員には知らされていない極秘情報だった。
「ハイパーテクノロジー化が裏目に出たんですよ。
豊原はそこまで技術が進んでいなかったのと、各部署の縦割り構造でコントロールルームが独立している上にアナログ構造、つまり最後は人間でなんとかなっていたじゃないですか。
コンピューターによる自動制御は大幅な省力化をもたらしましたが、それは今回のようなハッキングという新たな脅威と対峙する事になった。
この新宿ジオフロントに張り巡らされているネットワーク回線がどれほどの長さかご存じですか?
それの総点検をしなければならないのに、式典の予定は政治的にずらせない。
難儀なものですよ」
ハッキング対策に大穴が空いているのに、式典は決行される。
この手の対策は、最悪から考える。
つまり、ハッキングが行われる事を前提に警備計画は変更されるとみていいだろう。
まずはテロリストの一点先制だった。
「それでも、私は私の仕事をするだけですよ」
「それが結局、テロ防止の最善の手ですね。
地下空調システムの配管回りはうちが警備する事が決まりました。
何かありましたら、名刺の連絡先に一報を」
そう言って、中島淳は去ってゆく。
ゲオルギー・リジコフはいやでも気づかざるを得なかった。
この接触は、彼に、いや、あの探偵に情報を流そうとしたものだったのだと。
「新宿ジオフロントの地下換気システムに重大なセキュリティーホールですってぇ!?
しかもチェックが追い付かないからって式典強行するって馬っ鹿じゃないの!!!!!」
裸でキーボードを叩く愛夜ソフィアは楽しみを邪魔された恨みつらみもこめられていた。
そんな彼女のベッドの中で、裸の近藤俊作がPHS片手にゲオルギーとの会話を続けていた。
「情報提供感謝する。
一人発狂しているが、気にしないでくれると嬉しい」
「お楽しみの所悪かったな。
小野副署長に助けられた恩はこれで返したという事で」
「ああ。じゃあ切る……」
「ちょっと待った!」
発狂していた愛夜ソフィアが慌てて電話をもぎ取る。
片方の手はキーボードを叩き続けてハッカーたちとの会話を続けているのだから凄いと、近藤俊作は感心しているのだが、そんなのを愛夜ソフィアは気にする訳もなく。
「あなたに接触してきた人、北樺警備保障中島淳って言ったのよね?
それ、桂華の私設軍隊の最精鋭部隊よ」
「ならば大丈夫だろう。
そんなのが警備に着くんだから……」
横から口を挟もうとした近藤俊作は愛夜ソフィアの顔が青ざめている事に気づく。
彼女の口から、その理由を告げられて彼も同じように顔が青くなるのを自覚する。
「何寝ぼけているのよ!
こいつら、既に新宿ジオフロントの警備に入っているじゃない!!
『キャスリング』の東京証券取引所のテロからこいつらが外れるのよ!!!」
「あっ!?」
もちろん、桂華の警備が手薄になるとは思えないが、桂華の切り札が新宿に固定された意味はまずい事この上ない。
探偵はさらに思考を進める。
(これ、もしかして敵側が意図的に漏らして誘導したのか?)
今、それを整理する余裕はないが、手は愛夜ソフィアからPHSを奪い返して口を開く。
「なぁ。警備員。
お前有休残っているか?」
「使う当てもないから余っているがどうした?」
「お前を雇いたい。
桂華金融ホールディングス上場式典の行われる東京証券取引所の警備に」
少しの沈黙の後、ゲオルギー・リジコフから返事が来る。
低く、とはいえ、拒絶はしない声で。
「俺は高いぞ」
「最高の報酬を用意してやる。
ブルーマウンテンのコーヒー豆なんてどうだ?」
「?ブルーマウンテン?」
「俺たちにコーヒーを奢らせてやる。
最高級のコーヒー豆だ」
この手の男が重んじるのは金や名誉ではない。美学だ。
それを同じ人種である近藤俊作は良く分かっていた。
「いいな。
だが、奢るのは好きだが、俺、コーヒーを自分で入れるのはインスタントしかないんだ」
「コーヒーメーカーもつけてやるから勉強しな。
どうする?」
「有給の申請をしておこう。
多分通るだろうが、通らなかったら、そっちからも手をまわしてくれ」
通話が切られて思わずガッツポーズをとる。
そんな男に女は肩をすくめるだけで何も言わなかった。