母はあなたしかいないと言うのに。
息抜きに書いていたら睡魔に襲われ、いつもよりよく分からないものになりました。私に内容を教えてください。
母と子。親子揃ってホストに狂ってた。
馬鹿だと思わない? 思うでショ。
代わり映えのしない景色を眺める。
風通しの良いところにいるはずが全く風を感じない。蒸し暑くてうんざりする。きゃあきゃあと言う姦しい声が聞こえて、思わずベランダの柵から身体を乗り出す。豆粒サイズの浴衣を着た少女たちが見えた。
歌舞伎町は眠らない街だなんて、よく言ったものだと思う。
ストンと地面に足を着ける。ぼんやりと虚な目をしながらタバコを咥え、熱いスープを啜るかのようにゆっくりと吸った。肺に煙を入れても何も感じない。一ミリのタバコだから仕方がないのだけれども。
我ながら甘っちょろいワ。
本音を言えば、喉にガツンと来るようなキツいタバコが好みなのだ。吸った気がしないようなタバコに価値なんてないとすら思っている。それでもこのタバコを吸い続けるのは、彼がこの銘柄が好きだからという理由に他ならない。
だってだって、好きな人とは何もかもオソロイにしたい、彼の香りに包まれたい。いい年して何を言ってるんだって。うるさいな。
物心ついた頃から母は風俗嬢だった。
父はいないし何も知らない。
試しに聞いてみても何一つ答えてくれなかった。ヘラヘラと下手くそに笑って誤魔化そうとする。どうせろくでもない男だろうとは思う。きっとあーだこーだそれらしい事を並べて母を孕ましたに違いない。
そんな風に親を蔑みながらも、母のことは特別嫌いじゃなかった。
母はとっても不器用な人だった。
実年齢の割に若々しく、ほわほわとした柔らかい雰囲気を纏っている。上品なお姉さんと言った感じ。実際、母は店でそれなりに人気があった。にも関わらず、家から借金がなくなることがなかった。大勢の人に金を貸しているせいだった。
事の発端は、当時付き合っていた男に借金の保証人を頼まれたことだった。
箱入り娘だった母は訳もわからず保証人になった。上京したばかりで、それを相談するような友達も頼れる大人もいなかった。そうして案の定裏切られた母は、多額の借金を背負うことになった。
もちろんそれを知った実家は大層慌てた。
保証人になることの危うさを説いて、借金を肩代わりしてくれたらしい。東京って怖い街だね、気をつけようね。それで終われば良かったものの、母の失敗は止まることを知らなかった。
どういうわけか次々に他人に金を貸すようになったのだ。
当時の彼氏が家族が死にそうと喚けば金を貸し、街で出会った人にマルチ商法の話を持ちかけられたら金を貸し、なんだか知らんが奴がなんだか知らんけど海外に行くと言ったら金を貸す。
今の母を見ても簡単に想像が出来る。
頬をピンクに染めて上品に微笑みながら「だって皆んなが助けを求めてくれたから」とアホみたいなことを平然と言うのだろう。
母は基本的には自分の頼み事を聞いてくれたが、人に金を貸すことだけは頑固として譲らなかった。「次はきっと大丈夫よ、きっと」そう言ってうっすらと笑みを浮かべて金を貸す。
そうして母が泣く姿を見ることが何度あったことか。
学校の給食費用が払えなかったことが何度あったことか。母が何を考えているのか全く分からなかった。
こんな話をしていて不思議に思うかもしれないが、別段、自分は蔑ろにされていたわけじゃなかった。
馬鹿な理由で金には困っていたが、それ以外では毎日愛情を感じていた。
働く時間と人に会う時間以外は積極的に構ってくれた。ご飯だって毎日作ってくれた。学校の参観日があれば仕事を休んで来てくれた。習い事は出来なかったけれども、無料の行事があれば必ず誘ってくれた。
何度も言うが、母はとっても不器用な人だったのだ。
ただひたすらに物事の裁量が分からなくて、頼まれたら断れなくて、頭が弱かっただけの人。
幼少時代をどんな風に過ごせばそんな風になるのやら。経緯は知る由もないし知る気もない。自分は母ほど優しい人間に育たなかったもので。ホストにハマるようなところは似てしまったけれども。
どぉんと心臓に響く音と一緒に、目の前で大きな火が散った。
打ち上げ花火だ。このビルのベランダが特等席だと気が付いたのはつい最近のことだった。ポイっと空中に向けてタバコを投げ捨てる。あーあ、皆んな楽しんでるんだろうな。
今日は母親の大好きなホストのイベントの日だ。
きっと今頃、一緒になって花火を楽しんでいるのだろう。
いいなぁ花火って。
パッと光ってパッと消える。一瞬の人生を一瞬で終える。周りを喜ばせるだけ喜ばせてさっさと退場する。誰かの印象にも必ず残る。自分もそんな人生だったらなぁ。残念ながらそんな理想的な人生は歩んでいない。母と同様に自分も真っ当な人生を歩んでいなかった。
ホストに店の金を注ぎ込んでしまった。
ほんの出来心だった。注ぎ込んだ額は到底払える額じゃない。にっちもさっちも行かなくなって、こうして高いところから飛び降りようと思っていたのだ。
人から聞いた話だが、人間は高いところから飛び降りても案外飛び散らないらしい。
死体は出来るだけ綺麗な方が良い。当初、薬をたくさん飲むことも考えたが、効かなかった時のことを考えてその案はボツになった。自分はキッチリと命を落としたいのだ。首吊りは確実に見えるがひどく苦しそうな雰囲気がある。出来ることなら一思いに死んでしまいたい。
目の前では次々と花火が打ち上げられている。
自分がコンクリートに打ち付けられる音は花火によってかき消されるだろう。それがいい。折角なら自分も花火のように散ってしまいたい。
そう言えば花火には不発弾があると聞いたことがある。
燃えない花火に価値などあるのだろうか。何も出来ず意味もなく終わる役立たず。なんだか自分にぴったりだ。言うなれば親子揃って不発弾なのかもしれない。さぁてそろそろ、人生にさよならしますか。
靴を放り投げて、身体を前に傾ける。
靴を揃えるなんて面倒なことはしない。ふと気配を感じて、顔を上げた。勢いのある風が前髪を突っ切った。
数秒遅れてパァンと言う派手な音が二つする。
破裂音だ。目をパチクリさせる。屋上から何かが落ちて目の前を掠ったことが分かった。いったい何なんだ。
やる気が削がれた。
嫌々ながら下を向いて目を凝らす。暗くてよく分からない。せっかく人生を終えようとしたのに。花火の音に混じって飛び降りたら発見が遅れて死ねると思ったのに。邪魔をするなよもう。
暗闇に慣れた目が段々と辺りを把握する。ゲームやパソコンなんてなかったものだから視力が良いことだけが自慢だった。
焦点が合う。
二つの何か。一つは見たことのある形だった。綺麗な茶色の髪と細く枝のような四肢。きゅっと心臓が止まる感じがする。なんで、どうして。今日、イベントだって言ってたじゃん。
人の形をしているそれ。
死体だった。
母と男だった。
屋上から飛び降りたであろう母。
死体はまさに花火のように豪快に散っていた。内臓と血が辺り一面に飛散している。対照的に手を繋いでいる男の方は綺麗なまでに形が残っていた。潰れているわけでもなんでもない。頭から少しだけ血を出して、手脚が少し変な方向に曲がっているだけだった。
分からない、分からない、分からない。
頭に酸素が回らない感じがする。
そうして、ふと、嫌なことに気がついた。
花火のように散る母。
もしかして、母は花火のような存在になりたかったのではないかと。
「あっ」身を乗り出していた脚が滑る。
ずるっと音を立てて身体が重力に従った。手が宙を手繰り寄せる。落ちる。そう思ったときにはすでに身体は落下していた。さまざまな思いが頭を駆け抜けていく。
母は男と手を繋いで死んでいた。
一緒に死んでくれるような人が現れたのだ。
スローモーションのように景色が過ぎ去っていく。
目の前には地面がある。すでに墜落する刹那だった。
母は、ずっとずっと探していたのだ。
母は、彼にとっての唯一の花火になれたのだ。
ズッと脳天が地面に突き刺さる。
でも、でもね。
母よ。
あなたはその男に会えなかったとしても、きっと同じように飛び散って死ぬことが出来ただろう。
どうして気がついてくれなかったのか。
マァ馬鹿だからそんなことは気がついてないんだろうな。とは言え自分も大概大馬鹿者だ。
眼球が上を向く。
意識が途切れる瞬間だった。
自分の死体は男と同じように派手なことにはならないだろう。へにゃりと笑った母の顔が頭をよぎって、それから全てが黒く染まった。
母よ。
あなたは自分にとっていつまでも唯一の存在だったのに。
高いところから飛び降りても意外と死体は飛び散らないという実話が元ネタ。
反応くださると米粒でナスカの地上絵を描くくらい喜びます。