80話 司どるは強欲な日常
ドライズ視点
「どうして僕だけなんだい? 僕より凄い魔法使いは沢山居るのに」
「今のアイルを止めるだけなら――ううん。〝殺す〟だけなら、きっとイクリプスさんやルクシエラさんにも出来る。けど、そんなの、嫌」
リーゼの瞳に涙が浮かんだ。
次の瞬間。
「っ!」
大気が震える。
「ああ……。アイルが、泣いてる……昔は、泣き虫だったなぁ」
遠い空の向こうで、耳障りな、高い金属音のようなモノが鳴り響き。
波打つように、空を黒い魔力が走って行く。
そして、黒紫の魔力がリーゼへと降り注ぐ!
「リーゼッ!!」
僕は思わず手を伸ばしたけど、
「大丈夫」
リーゼは動じず、黒紫の魔力に身を委ねた。
黒紫の魔力はリーゼの身体を包み込み、流れ込んでいく。
「大丈夫って言われても……」
どうみても良くないモノに侵食されているようにしか見えない。
「なら、丁度良いわ。説明の手間が省けるし」
そう言うとリーゼは魔力に包まれながらも自身を指さし、
「私に『ルクス・エクラ』を使って」
「えっ、そ、そんな事したら!」
「大丈夫だから」
戸惑ったけど、でもどのみちこのまま見ているだけなのももどかしい。
『ルクス・エクラ』、というか〝破滅の光〟は魔法を分解する魔力だからもしかしたらこの黒い魔力も打ち払えるかもしれない。
「『強度1,範囲タイプB』」
僕は右手の平をリーゼに差し向け、詠唱した。
「『ルクス・エクラ』ッ!!」
掌から、水流のように光の魔法がリーゼに放たれる。
しかし――
リーゼを包む黒い魔力が、『ルクス・エクラ』をかき消した。
「嘘だっ!? 〝原初の魔力〟が阻まれるなんてッ!?」
リーゼの唇が再び開いた。
「本来なら。イーヴィルとしての力は〝破滅の光〟を当てれば引き剥がす事ができる。でも、この紫の魔力がそれを邪魔してるの」
「じゃあ、この魔力は――」
「きっと、未知の〝原初の魔力〟。これが有る限り〝破滅の光〟は私たちに届かない――うっ!」
突然、リーゼが片膝を突く。
「リーゼ!?」
僕は思わず手を差し伸べ、リーゼは片目をつむり顔をしかめて僕の手を取った。
「大丈夫、ちょっと気持ち悪いだけ……イーヴィルの魔力は、沢山の人達の願いだから。少し、ぐるぐるして酔いそうになるの――んっ!?」
語るリーゼの語尾が跳ねた。
目を大きく見開き、胸に手を当て呼吸を荒げ。
そして――
めきめきと音を立てて、リーゼの背から黒い翼が伸びて。
さなぎだった昆虫が羽化するように、黒く透明な二つの翼がリーゼに現れた。
「ああ、そっか。アイルの所へ行きたいって、望んだから……」
異変が収まったのか、あがった呼吸を整えつつ、リーゼが立ち上がる。
「今更だけど、どうしてリーゼは正気を保っているんだい? イーヴィル化した生徒達はみんな、暴れ回ってるみたいなのに」
「それは、私の〝願い〟がそういうものだから」
「〝願い〟?」
「アイルが願ったの。私達、仲間達の〝願い〟を叶える事を。でも、イーヴィルは人の願いが歪んでしまったモノ。私たちが心に秘めていた、最も強い願いを、歪に引き出してしまった。それは、嘗て苛まれた餓えのからくる飽くなき食欲だったり、あらゆる苦しみから逃避する永遠の休息だったり。理不尽な暴力、大人達への復讐心だったり、色々」
その結果が、暴走した力の行使に繋がっているのか。
「……じゃあ、君は一体何を願ったの?」
「私の願い――ありふれた、けれど。誰よりも強欲な願い」
リーゼは視線を学園へと移す。
「〝家族みんなで過ごす、平和な日常〟」
その純粋すぎる願いは。リーゼが孤児院の生徒達と、そしてアイルさんと幸せそうに暮らしていた過去の光景が走馬灯のように思い起こされる。
「貴方が見せてくれたこの夢は。この学校での生活は。何よりも失いたくない、かけがえのない宝物――私は、そんな、日々をもう一度、願った」
リーゼが一歩踏み込んでくる。涙を振り切り、僕の手を取って。
決意、期待、懇願、追憶、あらゆる感情を一つに込めた、眼差しを送って訴える。
「お願いドライズ、アイルを助けて。私は、また孤児院のみんなと一緒に学校へ通いたいの……誰一人、欠けること無く……ッ!」
僕は。
「正直、どうして僕なのかなって思うよ」
リーゼの手を握り返した。イーヴィルになっていても、変わらず小さく、暖かな手だ。
「でもね。そんな事、今はどうでも良いよね」
理由なんて、後から考えれば良い。
「僕じゃなきゃいけないのなら。僕がやる」
僕は自分が特別だなんて思った事は一度も無い。
けれど、こんな僕を『主人公』だなんて呼んで、信頼してくれるヤツが居る。
求めてくれるのなら、信じてくれるのなら、その期待には応えなければならないと思う。
それは、あいつだけじゃなくて……。
師匠や、クラスのみんな、僕と繋がる全ての絆に、応えたい。
「僕にできる全てをやるよ」
無二の友の言葉と、彼が作ってくれた剣を構え直して、柄を強く握る。
大丈夫、僕はもう、一人じゃ無い。
「ありがとう、ドライズ……」
リーゼが安堵したように目を細めるけど、
「お礼なら、全部終わってから。アイルさんのところへ、連れて行ってくれるかい?」
「ええ。少し雑だけれど、許してね」
リーゼの黒く透き通った翼が、羽ばたく。
「『司どるは強欲な日常――私は願う。かけがえのない日々、夢幻の幸福をもう一度』」
詠唱と共に、風の魔力が逆巻くようにリーゼの元へ集まっていく。
「『きせきの夢』」
彼女の背に現れた黒く透明な翼が輝きに包まれて。より大きく、そして鮮やかな翡翠色の翼へと変化した。巨大化した翼は、重さを一切感じさせない軽やかな動きで空気の塊をおしのけて、彼女の体が浮かび上がる。目で追うと十分な高さに到達したところで頭から落下しつつ体を捻って、僕の背後に回った。
僕の両肩に、彼女の手が添えられる。
「いくよ、ドライズ」
「うんッ!」
ふわり、と浮遊感。
「飛ばすから……っ!」
その言葉が聞こえたかと思うと、景色が一瞬にして無数の線へと変わっていた、
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