42話 俺は主人公になれない
……初めから判っていた。
黒く染まった炎は闇と同化するように消えていく。
炎の中から、四枚の翼をピンと強く張ったアリスの姿が現れる。
「ここは〝夢〟と〝現実〟の境界。ここでなら私は〝夢〟を〝現実〟にする事が出来る」
分身や、空間の創造。何度も見せつけられた、驚異的な魔導。今更説明されるまでもない。ゆっくりと地面に降り立つアリスは、優しげに微笑んでいた。
「同じようにね、私はこの空間なら——どんな〝現実〟も〝夢〟へと変える事が出来る」
到底あり得ない、夢のような光景を簡単に呼び出す事も出来れば……その逆。あり得てしまった、どうしようにも無い現実を〝夢〟の中に閉じ込める事もできる……。
「『リバース・リアリティ』、私の――切り札」
最後に、僅かばかりに残った蝋燭の灯火にも満たない小さな炎を振り払うように、アリスは翼をはためかせた。黒い羽根がふわりと無数に散っていく。
「勿論、限度はあるからね。〝現実〟を私の中に取り込んで、魔力を使って無かった事にするのは〝夢〟を〝現実〟にするよりも、何倍も力を使う。それがこれだけの大魔導なら尚更、ね。ほら、私の自慢の翼が一枚持って行かれちゃった」
言葉と共に、アリスの四枚の翼のウチ一枚がハラハラと砂のように崩れ去った。
「とっても頑張ったね。この翼一枚一枚には私を構成する無数の願いが……人々の魔力が詰まってる。何百、何千、本当に、数え切れない位の魔導士達の願いが。ハル君はそんな彼らを一人で倒したのと同じ。誇って良いよ。私は、本当に凄いと思う」
パチパチとささやかな拍手の音色が静寂の世界に響いた。
「でもね——私の翼は、まだ後三枚残ってる」
アリスは優しく愛でるように自分の翼へ手を伸ばし、残った三枚の翼を優しく撫で。
確かめるように首を傾げる。
「ねぇ、ハル君……」
それは、俺へ宛てた勝利宣言にも等しい言葉。
「今の魔法――〝あと三回〟、使えるかな?」
薄く開かれた瞳から、涙が滲んで零れ堕ちた。今の魔法は、俺が自分を限界まで追い詰めて、本当に全てを出し尽くして放った渾身の一撃だ。同じ魔法をもう一度放つどころか最早基礎魔法一つ扱う事も叶わない。
「おしまい……だね?」
アリスの言葉に、俺は了承するかのように項垂れた。
俺は断じて、強い人間では無い。限界などとうの昔に超えている。
それでもここまで戦って来たのは〝自分の起こした不始末くらい、自分の力で解決しなければいけない〟という責任――悪く言えば、意地を張っていた。
この世界には特別な人間というものが確かに存在して。そんな人々はこの学園に何人も集まっていて。きっと――そんな〝主人公〟の誰かなら。こんな無様な結末では無く、もっと鮮やかに、そして綺麗な終わり方でアリスを救ってくれただろう。俺が何もしなくても、この事件はいずれ解決され、世界は変わらず周り続けるだろう。
だが、そうだとしても。
自分に特別な力が無いとしても、自分の考える全ての手段を用いて。
自分に出せる全てを賭けて、正面からぶつかる。
それで、もしも。もしも奇跡が起こってアリスを元に戻す事が出来たなら。それが一番理想的な展開だと。仮に万に一つもあり得ない、希望と呼ぶには儚すぎる幻想だったとしても〝自分〟が行動を起こさなければいけなかった……。そうでなければ、〝自分〟という存在を認める事が出来なかった。
「もう、満足したよね? もう、苦しまなくて良いからね」
アリスは、ボロボロの姿でへたり込む俺へ手を差し伸べる。
――自分の過ち一つ、自分の力だけで償う事もできやしない。
初めから判っていた。
自分が特別でも何でも無い事なんて。
「ここまで頑張ったのに、それでも思うようにならない〝現実〟なんて要らないよね?」
初めから判っていた。
ちっぽけな自分が全てを出し尽くした所で、届きやしないのだと。
「〝夢〟の中で、ずっとずっと、幸せに過ごして。キミが望んだ幸せを、キミが望んだ世界を、噛みしめて」
初めから判っていた。
石ころが何をやっても決して星にはなれないのだと。
――全部、全部……初めから判っていた事なんだ……。
「私はこれから、もっともっと沢山の人達に〝幸せ〟を与える。ハル君は私の一部になって、私と一緒に沢山の〝幸せ〟を作っていくんだよ。それってとっても素敵だよね?」
この手を取る事は紛れもなく、一つの救済だろう。
例えそれが、いつか〝主人公〟達に討伐されるような泡沫の夢であったとしても。
絶対に手に入れる事の出来ない〝幸せ〟を手にする事が出来るのだから。
もう二度とアリスを裏切らず、今度は最後まで一緒に居ることができるのだから。
それを願ったのは……他ならぬ俺自身なのだから。
俺は重たい右腕を持ち上げた。
「さぁ、ハル君。今度こそ、応えて?」
アリスの指先に、俺の指先が近づいていく。
「一緒に行こう?」
あと少しで潰えてしまうような、薄れ行く意識の中で。
俺は。
ただ、敗北感と無力感に沈みながら。
判りきっていた事実を、口にする。
「やっぱり――俺は主人公になれない」
俺の指先はアリスの手の平をすり抜けて。その手首をがっしりと掴みとった。
「……え?」
刹那の出来事だ。ボロボロになった俺のローブから。コロコロと一粒の石ころが零れ堕ちる。それは、今まで散々マテリアライズしてきた石ころなどでは無い。
石ころからは闇を切り裂く光条が溢れんばかりに広がっていく!!
「な、何!?」
気がつけば、魔法陣が展開されアリスと俺を中心に捉えていた。
戸惑うアリスに、俺は告げる。
その瞳に……悲壮な光を宿して。
「俺はハルベルトが切り札だなんて、一言も言ってないよ」
戦う直前に宣言した、アリスを倒すとっておきの切り札。
その正体は〝不死槍ハルベルト〟等では無く、この石ころ。
「『強度N、範囲タイプA』」
全ての闇を切り裂いて、万年桜の下に正しい夜が姿を現す。
「っ!? 嘘ッ私の……私の翼がッ!?」
戦い始めた時は夕方だったが、すっかり日も暮れてしまったらしい。
そして、煌々と輝く魔法陣の中央でアリスに残る三枚の翼のウチ一枚があっと言う間に散っていく。
「俺じゃあアリスを救えない。そんな事、判りきってたんだ……。だから、用意していた。キミを救う為の力を」
「ッくぅ! 『リバース・リアリティ』……ッ」
額に汗を滲ませて、アリシアは残った二枚の翼をピンと張る。先ほどと同じように、この魔法を〝夢〟の中に取り込もうとする。しかし。
「あぁっ……!? この、魔法……は……」
闇が光を飲み込もうとすると同時に、内側から分解されるようにアリシアの翼が更に一枚散った。二人を包むこの光魔法の正体。それは学園で生活した事がある人間なら誰しもが知っている魔法。
「『破魔のルクスエクラ』」
「〝破滅の光〟!! ルクシエラさんの、魔力……!!」
「あらゆる魔法、魔導を魔力レベルに分解し、無効化する特異魔力。魔力によって構成されるこの世界の全ての物質を分解しうる大魔導。これは、そんな〝特別な力〟を限界まで〝希釈〟した魔法だ」
高出力の〝破滅の光〟は人体すら分解しうる。だが、逆に言えば低出力なら人体や物体など魔力密度が高いものは分解し得ない。
ならば、どんな魔法を消し去るのか。
「〝エンハンス〟や〝エンチャント〟といった、魔力を用いて対象に付与効果をもたらすような魔法……〝形の無い魔法〟だけをこの魔法は消滅させる」
アリスというイーヴィルの根源。背に備えられた翼は恐らく、何らかの要因によって外部から〝与えられた魔力〟である筈。
「原理や仕組みなんて見当が付かなくても。キミが〝何らかの魔力〟によって特異な力を得たり、精神への干渉を受けているとするならそれはきっと〝エンチャント〟魔法の様な何かだろうと思ってさ。この魔法を思いついた」
破滅の光は、世界に選ばれた人間が宿す特異魔力。保存するだけでも課題が付きまとうこの魔力を押し込める〝魔石〟を用意出来る技術。そして、魔法を分解する魔力なんていうただでさえ扱いにくい代物を〝破綻無く魔法として〟制御する魔法陣技術。
「これは断じて俺なんかの魔法じゃ無い。魔力も、魔石も、魔法陣も、全て借り物。正真正銘〝選ばれた者達〟が作り出した大魔導。〝特別な人間〟の〝特別な力〟の集約。これなら、キミにも届くだろう?」
全てを聞いたアリスは、哀しげに、表情を歪めながら。
「逃げ……なきゃ……」
心身共に、膨大な魔力に影響を受けていたせいだろうか。力無く這いつくばって魔法から逃れようとする。
「もう遅いよ。この魔法は徐々に魔力を奪っていく魔法だ。蟻地獄と一緒さ。逃げ出すのに手間取れば手間取る程に、脱出に必要な魔力は奪われていく。もしもキミが万全な状況だったら。或いはこの魔法の外縁部に居たのなら、脱出は出来たかも知れない。でも戦いの中で少なからずキミも消耗していた。そして、この魔法は中央でキミを捉えた」
やがて、アリスは膝で立つことすら出来ずに俯せに伏した。
「これが、本当の狙い……?」
弱々しいアリスの言葉に対して、俺は答えに詰まる。
「……自分の力でキミを救えるなら、それが一番良いと。そうじゃなきゃ無責任だと本当に思っていたよ。だから俺はこの瞬間まで、自分の力だけで戦った。――でもさ。俺は主人公じゃ無い。主人公にはなれない。きっと〝命を賭けたから、全てを出し切ったから無事キミを救えた〟なんて綺麗な展開にはならないだろうなって、思ってた」
諦めきった、自分自身に失望したような悲壮な面持ちで言葉を続ける。
「結局は他人の力に頼って、それもだまし討ちみたいな形で発動したんだ。俺とキミの戦いは間違い無く、キミの完全勝利だったよ。……俺はキミには届かなかった」
この魔法は、俺の〝敗北宣言〟である。
自分じゃどうにも出来なかった。
自分じゃ解決出来なかった。
その証明である。
「他の誰でも良かったのかも知れない。俺がこんな事しなくても、それこそルクシエラさんやドライズが少し頑張れば、もっと綺麗で、鮮やかに解決したのかも知れない。俺がこうしてやったことは何もかも無意味なのかもしれない——それでも」
例えそれが、自分の無力さを証明するような事になっても。
例えそれが、世界にとって何の意味も無かったとしても。
「そうだったとしても、この手でキミを元に戻さなくちゃいけないって。そう、思ったんだ」
そうでなければ前に進めないと。そうでなければもう二度と、自分は自分で居られなくなると。どんなに苦しみ、どんなに情けなくても、こうすることこそがケジメであり、責任であると。もしもそんな責任すら果たせないのならば。自分自身がどのような結末を迎えようと構わない。
この〝切り札〟すら通用しなかった時は、潔く命の終わりを迎える覚悟をしてアリスの前に立ったのだ。
「……ハル君……」
アリスは哀しそうに。尚も慈愛の籠もった視線を俺に向ける。〝イーヴィルとしての魔力〟が彼女に与えた影響は根が深いモノだっただろう。今までの数々の行動、言葉から。アリスは〝本当に〟俺へ好意を抱いていたのだろう。
「……私……なら……」
何度も重ねられてきた言葉。〝こんな哀しい現実なんて否定して、幸せにしてあげられるのに〟もう、そんな慰めすら口に出す余力は無いようだ。
「あの日、あの時。自分で言った言葉すら守れなくて。君を裏切るように逃げてしまって、本当にごめんよ……」
ずっと伝えたかった言葉を、漸く、紡ぐ。
「それどころか醜い願いをいつまでも引きずって、こんな結果を招いてしまって、本当にごめんよ……」
それで許されようと思っている訳じゃ無い。それでも、何度でも言葉を重ねる。
「いっぱい、いっぱい迷惑をかけて……本当に、ごめんよ……」
やがて光が少しずつ衰え、消えて無くなるまで。
俺はただ、謝り続けた。
戦いは終わった。俺は、眠るアリスへマテリアライズした上着を被せて、万年桜に背もたれながら、夜空を見上げる。
「……もしもし」
片手には端末。最後の始末を付ける。
『ん~ファルマ君かぁい? こんな時間に、一体なぁに?』
通話相手は、間延びした口調が特徴の教師。学校の保険医であり、俺の部活動の顧問であるジン・
ギシン先生。
「……永久の森、でイーヴィルと交戦して。今まで戦ってました……。なんとか撃退はしましたが、一緒に居たアリシアは気を失って、俺もそろそろ……やばいです……」
アリスがイーヴィル化していたと知れたらどんな扱いを受けるか判らない。俺は敢えて言葉足らずに事実を説明する。
『……判ったぁ。すぐに救助に行くねぇ』
了承の言葉に、張り詰めていた緊張の糸が解けたのか。
「場所は……万年……さく――」
最後まで言い切る事無く端末を取りこぼし、俺もまた、眠りに落ちるのであった。
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