38話 〝悪しき願い〟
永久の森の環境は一週間毎に移り変わる。アリスと再会して、気がつけば一ヶ月ほど経過していた。丁度一周して、出会った頃の気候に戻っている。
……まだ、一ヶ月しか経っていない事を自覚して、驚いた。
もうずっと、何ヶ月もアリスと一緒に居たような気がしていた。
繰り返しあの夢を見る度に時間の感覚が無くなっていって。
現実と夢の境界が曖昧になり、
けれど変わらず、すぐ側でアリスが笑って居る。
それだけで全てがどうでも良くなって。
……間違い無く〝幸せ〟だった。
紅葉した木々に囲まれて、それでも尚満開の桜吹雪を散らせる万年桜は相変わらず浮いていた。その麓で大きな幹に背中を預け手を後ろで組み俺を待つ一人の少女は。
「ねぇハル君」
俺の姿を確認すると同時に囁く。
「先に少しだけ、私の話を聞いてくれないかな?」
俺はこくりと頷いた。
「昔は、私達も色々あったよね」
続くアリスの言葉を俺は静かに受け止める。
「昔はね、私にも色々事情があったの。だから無責任な事は言えなかった。でも今は違う」
――もう、辞めてくれ……。
自分の顔が歪むのを感じる。悔しさに、目尻に涙が浮かぶ。
「ハル君の事、嫌いだった訳じゃないよ。だからこうしてもう一度会えて本当に嬉しかった。あの時傷つけたんじゃ無いかなってずっと後悔してたから」
――……もう、それ以上……〝聞きたかった言葉〟を並べないでくれっ!!
そう、叫びたかった。けれど。判っている。自分にそんな事を言う資格なんて何処にも無いと。俺に出来るのはただ、一つ一つが鋭利な刃物のように胸に食い込んでくるその言葉を黙って受け止めるしかない。
「ハル君……大好き。……私からはそれだけ」
胸が張り裂けそうだ。もう、消えてしまいたい。もしも、もしも過去に戻れるのなら。
その時の自分に槍を突きつけて、串刺しにしてやりたい。
自己嫌悪でどうにかなってしまいそうだ。
でも、言わないといけない。
俺は必死に言葉を絞り出した。
「ごめんよ……アリス……」
溢れきった涙が頬を伝う。
「俺には、謝る事しかできない……」
アリスは哀しそうに、或いは憐れそうに俺の顔を覗き込む。
「どうしてそんなに哀しい顔をするのかな? どうして受け入れてくれないのかな? 君が私の手を取れば、それが一番幸せな筈なのに。何度でも、幾つでも、君が望む言葉を、君が欲しいものを、送ってあげられるのに!」
俺は涙を絞り落とした。そして、力強く眼を開く どんなに醜くて、どんなに愚かしくとも。自分自身で〝夢〟を終わらせなければならないと誓ったのだ。ケジメを、付けなければならないのだ。
「君は……俺が生み出した〝悪しき願い〟だから」
アリスは恐らく偽物なんかじゃ無く本人だろう、と推察した。すると、アリスの言動に違和感が生じる。ならば、〝何者かが何らかの意図で〟アリスの心を歪めた——洗脳したと考えるのが妥当だ。
ならば、それは誰なのか?
アリスが俺に幸せを与えてくれる。それで誰が得をするのか?
自分自身しかいない、と俺は結論づけた。
全ては自分の弱さから始まったのだと。俺が、〝アリスというイーヴィルを産み出してしまったのだ〟と、考えた。イーヴィルがどんな存在なのかは判っていない部分が多い。だから、根拠なんて殆ど無い。推理というよりは、妄想に近い。
だが、
「ハル君……」
何をバカな事を、と笑い飛ばして欲しかった。
これが真相だとしたらあまりにも醜く、馬鹿馬鹿しい。
初恋をいつまでも引きずって、その挙げ句に当の本人を歪めて。
〝自分に都合の良い〟世界に浸っていた?
人一人の人格を、人生をねじ曲げて、染め上げて、それだけの罪を犯して。
ヘラヘラ、笑っていた?
……最低も、良いところだ。
「やっぱり、そこまで気付いてたんだね。おかしいと思ったんだ。突然、私の〝夢〟を見てくれなくなったんだもん」
観念したように、けれどとても寂しそうに、哀しそうにアリスはため息を吐く。
「哀しいね。私は君の願いそのものなんだよ? なんで否定しようとするの? 誰だって人を好きになるもの。誰だってあの子と一緒になりたいとか、あの子を手に入れたいとか思うもの。その願い、その想いは決して悪いものなんかじゃないよね?」
「そうだとしても、他人の心をねじ曲げてまで叶えて良い願いなんてありはしない。そんなの、ただの洗脳じゃないか……」
過去は変わらない。
あの失敗も、後悔も無かった事にはなりはしない。ただ、そんな現実から目を逸らして都合の良い夢を見続けるなんて事はできない。
「俺は自分が嫌いだ。弱い自分が、醜い自分が、特別になれない、ちっぽけな自分が嫌いだ。それでもそんな自分と折り合いを付けて生きてるんだ。自分自身の、人生だから」
どれだけ否定したって自分からは逃げられない。だから、どんなに嫌でもどうにか自分を受け入れていくしかない。
「なのに、そんな自分が他人の自由や権利を犯してまで自分勝手な現実逃避を受け入れるなんていうんなら、そんなクズ野郎にまで成り下がってしまうって言うのなら」
俺はアリスと距離をとり、腕を掲げる。手の平に赤い光が集まってゆき、やがて炎と共に赤熱した槍が。先端に幅広い斧状の刃が備えられた槍が生成される。熱が引き黒鉄の輝きを見せる得物はハルベルト、或いはハルバードと呼ばれる種類の槍だ。
「俺はもう二度と、俺の事を許せなくなる」
やろうとしている事は、ただの清算だ。何も高尚な事はない。自分で撒いた種を刈り取る。マイナスをなんとかゼロにしようと足掻くだけ。なんとも情けなくて、格好悪い。
「私と、戦うつもり?」
「君から、イーヴィルとしての魔力を消し去る」
「たった一人で?」
「自分が引き起こしたんだ。俺の弱さが、醜さが君をこんな下らない事件に巻き込んでしまったんだ! 俺がこの手で何とかしなくちゃ余りにも無責任じゃねぇか……!」
同時に、爛々と紅く輝くローブを身に纏う。俺の戦装束、けれど今までとは違う。槍も、ローブも、新しく魔石や魔法陣が追加されていた。己の全てを賭けて作り出した最高傑作だ。
「私は、ハル君を苦しめたい訳じゃ無いから。だから、戦いたくないな。でも、ハル君が私の邪魔をしようって言うのなら、仕方ないよね?」
突如、目の前に居たはずのアリスが、闇を纏うようにして姿を消す。
「なっ!?」
警戒、気配はすぐ背後に現れた。耳元に囁かれる言葉。
「少しだけ訂正してあげるね。ハル君の答えは……まぁ、五〇点って所かな」
振り向き様に槍を振るう。しかしそこにはもう、アリスの姿は無い。慌てて周囲を見渡すが何処にも気配が無く。
「確かに、私は貴方達がイーヴィルと呼ぶ存在。でも、キミだけが生み出した訳じゃ無い」
夕陽が少しずつ沈んでゆき、黄昏に染まる世界で直接頭に響いてくる声。
「言ったでしょ? 誰かを好きになる事。誰かを欲しいと思うことは当たり前の感情。人は誰しも人と結ばれる幸福を願う。でも、みんながみんな上手くいく訳じゃ無いよね。願いは虚しく伸ばした手は空を切って何も得られなかった。そんな人は数え切れない位居る」
再び現れる気配。ただ。影が差す。
堕ちようとしている夕陽の光を遮る何かが、空に現れた。
「そして人々は『夢』に希望を抱く。現実ではどんなに手が届かない願いも、『夢』の中なら自由に出来るから。自分の思い通りの世界。自分にとって都合の良い世界。そんな素敵な『夢』を見る事は、何も不思議な事じゃ無いよね?」
空を見上げた。
良く見知った筈の少女はその背から四つの真っ黒な翼を広げて。胸と局部だけが黒い渦のような模様の薄布で隠され、不敵に八重歯を除かせ笑う、まさしく『悪魔』のような姿。
「そこかっ!!」
俺は槍を、空に漂うアリスに向けて投げる。紅い槍は軌跡の中で炎に包まれその形を無くし、炎の塊が二つ、砲弾の様にアリスに向かった。対してアリスはふわりと手をかざすと翼から真っ黒な魔力が帯のように流れてきて、前方集合し盾の様に炎を防ぐ。
すると黒い盾はパリンと高い音を立てて割れ、ぽろぽろと無数の石ころが弱々しく落下していった。
「へぇ。私の魔力に無理矢理干渉してマテリアライズしたんだ。器用だね。私の〝イーヴィルとしての魔力を消し去る〟ってこういう事?」
アリスはクスクスとイタズラに笑った。
「無茶だと思うけどねぇ……」
彼女は誇らしげに自分の翼の一つを撫でて。
「私は人々の願い。数多の想いが私の翼。翼を得たのが〝私〟だったのは、たまたま〝世界の中心〟にハル君が近かったから、ただそれだけ。私は君だけの悪魔じゃ無い。『私を願った』全ての人々の悪魔。私は、君が思っているよりもずっとずっと大きくて、凄いの。ハル君一人の魔力じゃ、全然足りないと思うけどね」
憐れむように、或いは諦めてくれとお願いするようにアリスは言うが。
俺は手を掲げた。
すると、先ほど炎の弾丸として投げ放ち、消え去った筈の槍がもう一度生成される。
「判ってるさ。だからキミを倒す為に『とっておきの切り札』を用意したんだ」
そしてもう一度、思い切り振りかぶって。
「『二連朱槍』ッ!!」
槍は先ほどのモノとは比べものにならない程、大きな二つの炎弾として放たれた。先ほどの炎は、本当にアリスが防げるのか。魔力を奪うマテリアライズが本当に成功するのか様子見した攻撃だ。
そして、炎の弾丸となって消えた筈の槍は三度俺の手の中で生成される。
「……その槍だけで、本当に勝てると思ってるのかな?」
けれどもう一度炎を事も無げに防いで、アリスはため息を吐く。
「勝てる勝てないじゃない。何もしないなんて、あまりにも無責任だ。動けなくなるまで戦うんだ。俺の、全てを賭けて。その先に、自分がどうなろうと、終わりまで止まる訳にはいかないっ!! それが、落とし前だろっ!!!」
俺の全てを尽くした戦いが、始まった。
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