33話 〝これからも友達でいよう〟
随分と昔、幼い頃の話だ。場所は、俺の自宅。
『大事な話がしたいんだ』
俺はアリスを自室に招いていた。その行為自体は特別な事も無く幼いことから繰り返していたのだが、この日は違った。
『……その、噂で知ってるかもしれないけど。僕、別に学校に行くことになったんだ』
当時の。今よりも、もっと子供っぽい口調で。
『そっか。寂しくなっちゃうね』
『向こうの寮に住むことになるから色々と都合が合わなくなるだろうし、今までみたいにこうやって気軽に会う事はできなるなると思うから。……だから行く前に、一つだけ伝えたい事があって』
一大決心をしていた。が、何も特別な事は無い。もう、この状況ならその内容なんて分かりきっているだろう。あまりにもありきたりな展開だ。
『ずっと、ずっと昔から……君の事が好きだった』
近所に住む幼馴染み。家族ぐるみで付き合ってきて、良く言葉も交わした。互いの家に遊びに行き、漫画やゲームを交換して貸しあったり、外に出て遊んだり。楽しい日々だった。単純で純真無垢な少年が恋に落ちるのは十分すぎた。
――……本当に良くある話だ。
『付き合ってください』
だが。……これもまた、ありきたりな話だ。
俺の言葉に、アリスは少しだけ何かを考えた後、困った様に笑った。
『ごめんね』
それが、現実だ。
『私、まだ恋愛とかそういう事、良くわからないんだ』
続く言葉が、俺を傷つけないために選ばれた言葉である事くらいは理解出来た。
『……そっか』
『だから、ハル君と付き合う事はできないかな……』
申し訳なさそうに、アリスは目を逸らす。こうなる事も、考えて居なかった訳じゃ無い。アリスが、他の誰かが好きであるという噂を聞いた事もあったから。
だからだろうか。自分で思って居たほど、その時の俺は落ち込む事も無かった。
ただ。
思ったのだ。
――……やっぱ、自分なんてこんなものか。
幼馴染みだからといって漫画やゲームのように上手くいく訳では無い。
当たり前のではあるが、幼く愚かな当時の俺にはこの時漸く、それが身に染みて判った。
けれど。それは別に構わないのだ。
自分で納得もした。自分に魅力が無い事。自分に何も出来ない事。それに比べて、キラキラ輝くような人間が居る事。それに、届かない事。それを恨んだり、疎んだりはしない。自分は特別でも何でも無いのだ、なんでも思い通りに行く訳がない。
初恋が叶わないなんて、本当に良くある、物語にもならないようなありふれた話じゃないか。
納得、出来たのだ。
でも。
本当に後悔したのは。
何度も、何度もやり直したいと思ったのは。
この後の事だった。
俺は、全て受け入れ、この件を丸く収めなければいけないと思った。
『……あはは、断るならもっと遠慮しなくて良かったんだよ?〝勘弁してくれないかな?〟とかさ』
なんておどけてみせて。アリスもその様子にホッとしたのか少しだけ安心したようで。
『流石にそこまで言わないよ』
と、言って笑った。この時の俺は知らない。俺の弱さ故に、これが最後に見るアリスの笑顔になるという事を。
『今日は話、聞いてくれてありがとう』
決して俺が言うべきで無かった言葉を。
覚悟も何もなく、脆く弱い俺が絶対に言ってはいけなかった言葉を。
俺は言った。
『これからも友達でいよう』
取って付けた言葉だった。決して俺自身が自分で考えて、自分で紡いだ言葉では無かった。『こういう時は、こう言うものなんだ』と。他所から借りてきた偽物の言葉だった。
『うん。それじゃあ、また明日……学校で会おうね?』
別の学校へ行くと言っても、何もこの翌日からという訳では無い。数ヶ月後の話だったのだ。だから、これからもまだアリスと会う機会はあった。
しかし……。
次の日、その瞬間を迎えるまでは。俺自身変化に気づくことが無かった。
当たり前のように生活し、当たり前のように登校し、そして……当たり前のようにアリスへ挨拶しようとして……言葉に、詰まった。
ドクンと心臓が一つ脈打ち、呼吸が苦しくなって、言葉が出てこない。俺は思わずその場から逃げるように立ち去り、自分の机で呼吸を整える。
自分でも訳が判らなかった。自分なりにうまくまとめたつもりだ。望み通りには行かなかったが、これからここを去るまで数ヶ月はこれまでと変わらずに過ぎていく筈だった。
流石に、いくら納得したとしても昨日の今日のでは無意識下に戸惑いがあるのだろう。
大丈夫、明日からは普通だ。なんて事はない。
そう自分に言い聞かせ、けれど。
次の日も。
そのまた次の日も。
アリスとは言葉を交わせないまま。時間だけが過ぎていく。
何で?
どうして?
どうしてこんなにも……『怖い』んだ?
遂に、アリスの顔も見ることができなくなるまでそう時間はかからなかった。俺はいつの間にかアリスを避けるようになっていた。それは全くもって『友達』を相手にするような態度では無い。友達で居ようと自分で言っておいて、あからさまに距離をとる自分の行動に罪悪感が募る。当時はただ、自分の感情すら理解できず。
アリスと向き合うことはいつまで経っても出来ないまま。日に日に募っていく『恐怖』と『罪悪感』に押しつぶされそうになって。
怖くて、苦しくて、ただ時間だけが過ぎてゆき。俺は逃げるように転校した。
随分後になって漸く、俺は己の弱さを理解する。
子供の頃の俺は、何でもできると思っていた。
子供らしい、無邪気で純粋な、何処にも根拠がない自信が背中を押して。班でリーダー役をかって出たり、委員会に進んで立候補してみたり。
でも。少しずつ、現実というモノが判ってくる。
他の人間をまとめることが出来ず、リーダーとしての器ではないと気づいて。
立候補した委員会では、競合相手へ多数決にて圧倒的な大差を見せつけられ辞退して。
それでも頑張ろうと、食いしばってみれば。
冤罪を被り、教師は他の子の発言を絶対として俺の言い分を何一つ信じてくれない。
所詮、子供の話だ。今にしてみれば一つ一つはくだらない出来事積み重ね。
幼少期の班をまとめられなかったからといってなんなのか。
委員会一つ、認められなかったからと言ってなんなのか。
冤罪だって、学校に不要なモノを誰が持ち込んだかなんていう本当にちっぽけな内容だ。
大なり小なり、誰だって直面しうる当たり前の日常だ。
それでも。
幼少期の俺が、自分の無力さを思い知るには十分だった。
背中を押していた根拠のない自信は、失敗を重ねるごとに少しずつ壊れていく。
そして、失恋は最後のきっかけだった。
俺は全てに納得がいったと思ったがそれと同時に自分が余りにもちっぽけな存在であると気づかされた。そして……『自分が特別でない』という現実を受け入れるだけの強さが無かったのだ。
だから、怖くなった。
自分が今まで積み重ね来た行為。それが全て滑稽で無意味なモノに思えて。
自分が今まで誇らしく思ってきたモノは何もかもちっぽけに見えて。
そんな自分を、他人がどう見ているのか。どうしようにもなく怖くなってしまった。
――……他人が、怖くなってしまった。
アリスが今まで仲良くしてくれたのは、単に長い付き合いだったから気にかけてくれていただけだったのかもしれない。本当は自分の事なんて邪魔だとか面倒だとか思っていたのかも知れない。
そんな考えが、少しずつ心を浸食する。
今まで自分を支えていたもの、それがいつの間にか無くなっていたから。
言葉に反しアリスを避けるその振る舞いは彼女を傷つけてしまったかもしれない。もしそうならば、アリスともう一度向き合ったとき。
言葉を交わしたとき。その時に続く言葉が、拒絶の言葉だったら。否定の言葉だったら。『もしかしたら』そんな、不毛な疑心暗鬼を打ち消すだけの自信が何処にも残っていなかった。
どんな顔をして会えば良いのか判らない。
怖くて、前を向けない……。
そんな弱い俺なのに。あの時、後先考えずあんな言葉を口してしまった。
〝これからも友達でいよう〟
それは、自分で考えた言葉じゃない。定型文のように、何処からか借りてきた偽物の言葉。そんなものを軽々しく使ってしまったからこそ。
その責任を、果たすことが出来なかった。
小さな自分を受け入れ、そこから一歩踏み出すだけの強さが無かったから。
胸に抱いた恐怖を受け入れ、責任を果たすだけの勇気が無かったから。
俺は自分からアリスを避けていたのだ。それは、逃げでしかない。余りにも酷い裏切り行為だ。
後はもう、悪循環だった。
怖くて顔を合わせる事が出来ない。そんな自分がアリスにどう思われているのか。日が経てば経つ程に、罪悪感と拒絶される恐怖は増しいく。
やり直したい。こんな、アリスを裏切るような終わりなんて。
でも……。
いつしか、アリスの方から目を反らすようになった時。
――……ああ、本当に嫌われたんだな……。
そう、理解した。
当然の結末だ。
自分の言葉に責任も持てず。その弱さから勝手に怯え、約束を反故するように逃げ出したのだ。
俺は後悔し続けた。
あの時強さがあれば、勇気があれば、もう一度アリスと向き合えた筈だ。
もっと綺麗に終わらせることが出来た筈なのに……。
けれど、どれだけ後悔しようとも。過去が変わる事なんてない。
忘れる事なんてできなかった。そんな過去を、まるで『無かったこと』にでもしたいかのように。俺は『都合の良い夢』を見る様になってしまったのだから。
アリスと再会し、言葉を交わす。内容なんてどうでも良い。ただ、言葉を交わした果てに過去を清算し和解する。そして、昔のように笑い合う……そんな、都合の良い夢。
夢を見ているとき、俺はそれが夢だと気付くことが出来ず。いつも……いつも、文字通り『泣くほど喜ぶ』のだ。ずっと謝りたかったと。漸くそれが出来たと。
そして、目が覚めて……夢だと気がつく。全てが妄想だと気がつく。
その度に。過去の失敗を、まるで無かった事にしようとする自分の自分勝手さとちっぽけさを思い知る……。そんな『悪夢』を、ずっと繰り返してきた筈だったのだ……。
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