32話 無様で、醜いなぁ
× × × × × × ×
俺は×を――
アリスが笑って居る。
今まで何度も――
言葉を交わし、自分も笑う。
この×を見た日は――
ありきたりだが確かな〝幸せ〟の形。
――……幸せ……?
『ねぇハル君』
――……声が聞こえる……。
『嫌な事は忘れちゃおう?』
ドクン。眠っている中で心臓が強く鳴った。
『貴方が望む言葉を言ってあげるね』
優しく、暖かい筈の言葉が、胸に突き刺さってくる。
『貴方が望む全てを見せてあげるね』
――…………っ。
『私が貴方を……』
どうしようにも無い程――
『〝幸せ〟にしてあげる……!』
――……苦しいっ!!!
「ッはぁ!!」
乱暴に上体を起こす。視界は暗闇。部屋は静寂。頬に幾つも伝う冷たい感触。
心臓がバクバク鳴り続ける。両手が震えて、吐き気がする。
「なんだこれ……」
片手で胸ぐらをぎゅぅと握り潰して、もう片方の腕に付けた時計を確認。
午前三時。夜明けは遠い。
「……良い夢、見てた筈なのに」
夢の内容は思い出せない。ただ、心地よい睡魔の中に、甘く幸せな世界が広がっていた気がする。だというのに、最悪の目覚めだ。
「うぅ……」
よろめきながら、俺はベットから出る。
「薬……貰えるかな……」
何かの病気かも知れない。
幸い、意識は鮮明。動けない程でも無い。重体、重傷という感覚はなかった。だから騒ぎ立ててドライズや他の寮生を起こすのは気が咎める。ふらつきながら部屋の扉に手をかけて、寮の廊下へ。
男子生徒が住まうのは一階。同じ階の端に寮を管理している教員の部屋がある。
片腕で胸を押さえつけつつ壁に手を付きながら、引きずるように足を進めた。
すると。廊下の真ん中に、ぽつんと一つ。暗闇に紛れる、人影。
「すいません……」
誰だか判らないが、ただ、邪魔にならないように。頭を下げて、壁に貼り付くように動いて道を譲ろうとする。
けれど。
すれ違い様の事だった。
「無様で、醜いなぁ」
「……は?」
それが、自分へ向けられた暴言であるという事は理解出来た。
だが、何故こんな夜中に寮の夜中で、良くもわからない人物に罵倒されるのかが理解出来ない。回
らない頭のまま、視線を横に並んだ人物に向ける。
暗くてよく見えないが、青系統のローブに身を包みフードを深く被った同じ背丈くらいの人物。胸の痛みや吐き気によってマヒしていた思考回路が漸く動き出し、警告する。
おかしい。こんな時間に、こんな場所に、こんなあからさまに怪しい人物が居るなんて。
「あんた……一体……」
胸を抑えていた腕を謎の人物へ伸ばし、フードを降ろそうとした瞬間。
謎の人物は俺の胸ぐらを掴み上げ、締め上げるように掲げた。
「がっ!?」
未だ半ば朦朧としている俺には抵抗なんて出来ない。
宙に吊り上げられ、俺は力無く足をばたつかせる。
「目の前に広がる〝幻想〟に浸るのは気持ち良いかもしれないけどさ」
謎の人物はそのまま、床に投げ捨てる。
「ぐっ、あっ……!」
強かに身体を打ち付け、空気の塊を吐き出した。
何もかも理解出来ないが、今自分が危険に晒されていることだけは判る。
半ば本能的に、槍をマテリアライズする。
「てめぇ……っ!」
そして殆どがむしゃらに、一矢報いらんと槍を突き出した。
けれど。
「自分さえ〝幸せ〟だったらそれで良いとでも?」
謎の人物は片腕一つで俺の槍を弾き飛ばした。
「なっ!?」
そして、よろめく俺の腹部を思い切り蹴り飛ばす。
「ぁっ……!?」
うめき声すら上げられず、俺は床に叩き伏せられて。
揺らぐ視界、霞んでいく思考の中で謎の人物の声だけが耳と……胸に突き刺さる。
「自分が何をしたのか。自分に何が出来なかったのか。何もかも全部忘れちゃって、ただお前にとって〝都合が良い〟世界の中でヘラヘラ笑うつもりかい?」
謎の人物は足元に転がる槍をつま先で蹴り上げて。浮かび上がった槍を片手で掴み取り、慣れた手つきでグルグル振り回しながら槍を握る位置を調整し、仰向けで倒れる俺の前へ歩み寄り。
槍の切っ先が俺へ向いた。
直感する。
――殺されるッ!!
思わず目を伏した、次の瞬間。
鋭い痛みを想像した。
「…………?」
深夜の廊下は変わらず静寂に包まれていて。
俺はゆっくりと目を開いた。槍の刃がすぐ目の前まで迫っている。しかし切っ先に黒い魔力の塊が纏わり付いていて槍の進行を止めていた。
明らかに外部からの干渉を受けている。
その事実に謎の人物は対して驚きもせず。
「……蓼食う虫も好き好き、か」
ポツリとそう呟いて。くだらなさそうに、まるでゴミでも捨てるかのように槍を放り投げるとカランカランと乾いた虚しい音が廊下に木霊する。
「もしも、お前がこれ以上醜く堕ち果てると言うのなら。僕はもう二度とお前の事を許さない」
危機が去った為だろうか。それとも、死を覚悟した為だろうか。俺の思考は自分自身驚く程鮮明に澄み渡っていた。
「その時は、僕がこの手でお前を殺してやるよ」
遠く離れていく謎の人物が残した言葉。声色に聞き覚えは全く無い。ただ、その口調だけは……聞き馴染んだ親友のものに、酷く似ていた。
そして謎の人物が自分へ突きつけた言葉が、今になって波のように押し寄せる。
――……幻想? ……都合の良い世界?
仰向けに倒れ込んだまま、透き通った思考がぐるぐる回り出す。
まるで、霞の中に取り込まれ、消えゆこうとしていた記憶が。
忘れたくても忘れられなかった記憶が。
ずっと後悔し続けた、自分の……余りにも情けなく、醜い記憶が。
鮮明に蘇る。
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