111話 違うもんッ!!
おはよう、なんて俺には合ってない言葉だったかもしれない。何せ〝一睡もしていない〟のだから。
「なっ、えっ、」
アリスは驚きのあまりにポテっと学生鞄を落とす。俺はそれを拾い上げて、
「今度は逃げないって決めたから。でも、アリスはきっとあの頃の俺と同じみたいに、俺が怖くなるかもしれないって思ったから。待ってたよ」
と鞄をアリスに差し出す。
すると。アリスは――
「……ぅぅ、ぐすっ」
急に涙ぐんで。
「あ、アリス!?」
俺は戸惑った。やっぱり、朝っぱらから迷惑だっただろうか? アリスだってまだ心の整理が付いていなかったのだろう。だけど、俺はこの問題を先延ばしにしたく無かった。
「ご、ごめん。困らせちゃったな……」
思わず逸らしそうになる目線を必死にアリスに向け続ける。文字通り一晩中俺が悩んでまず最初に出した一つ目の答え。
〝アリスから目を背けない〟。昨日の今日の話だ。気まずいし、正直俺はアリスの顔を見るだけでも辛い。アリスに告白なんてさせてしまった事、過去の清算が未だに出来ない事、その現実を突きつけられるから。でもその苦しさから目を逸らすのは過去の繰り返しにしかならないから。
だから、まずはアリスと向き合う事を決めた。
「……困って、ない、からね。びっくりした、だけ」
アリスは俯き、涙を拭いながら、学生鞄を受け取った。
「――そっか」
アリスが落ち着くのを待つ。やがて、
「ありがとう、ハル君」
涙を浮かべながら、アリスはそう言って笑顔を作る。いつも通りとはいかないけれど、何か胸のつかえが取れたような自然な笑顔だ。
そんなアリスの様子を見て、改めて決心する。
「アリス――〝大事な話がしたい〟」
「!!!」
こうやって切り出すのも、もう三度目になるか。
アリスの笑顔は崩れ、驚きに目を見開いた。ふるふると唇が震えている。
「誰にも邪魔されないところで、な」
アリスは半歩引き下がり、唇を噛みしめる。心理学者でなくても怯えているのが一目瞭然だった。その姿を見るだけで、罪悪感がこみ上げてくる。
けれど、俺だって引き下がる訳にはいかない。
向き合うと、清算すると決めたんだ。うやむやには出来ない。
「君をこれ以上傷つけたくない。だから、どうしても聞いて欲しい」
辛そうなアリスの姿なんて見てられない。その原因が俺自身なんだから尚更目を背けたくもなる。でも俺は必死にアリスから視線を外さずに、言葉を投げかけた。
アリスは一度俯き、また顔を上げた時には今にも泣き出しそうな顔を浮かべていた。
「――いいよ」
それでもアリスは、頷いてくれる。アリスの強さに、俺は感服するしか無い。
「なら、部室にでも行こうか。文化系棟この時間なら邪魔は入らないだろ」
俺はそう言って、校舎の方へ行こうとした。
その時。
暖かい感触が、左手を包んだ。
思わず振り向けば、
「手、繋いじゃ――だめ?」
と、アリスが上目遣いで懇願している。その姿はいじらしく、可愛らしい。ドクンと胸が一瞬高鳴った。けれど、そんな気持ちを抱くほどに自分自身への憎悪が増していく。
表情には出してないつもりだった。実際は判らない。昏い心を必死に握りつぶして、俺は答える。
「アリスが、望むなら」
そうして俺達はまだ授業も遠い明け方に〝マジッククラフト工房〟へと向かった。
◇ ◇ ◇
部室にて、俺はティーカップを二つ並べ。
「ごめん、初めて煎れるから美味しくないかも知れないけど」
アリスと向かい合わせてに座る。
するとアリスは、
「いただきます」
とすぐにカップを手に取り、熱そうにフーフー息を吹きかけながら一口含んで。
「……えへへ。ちょっと濃いよ、ハル君」
と、笑った。
「そ、そうか? ごめん」
自分でも飲んでみたが自分としては丁度良い塩梅に感じたので少し反省する。
お茶を飲んでから、少しの間無言が続いた。
俺はどう話を切りだろうか悩んでいたから。きっと、俺の言葉を聞けばアリスは傷つく。できる限り穏便に、今度こそ後悔しないような終わらせ方をしたい。
そう頭を抱えていたら。
「――昨日の、お返事だよね?」
アリスの方から、核心に触れて来た。テーブルの下で、俺は握りこぶしを強く握りしめる。結局、後手じゃないか。アリスに気を遣わせてどうする。
「ああ」
これ以上どれだけアリスに迷惑をかければ気が済むんだ?
意を決して、俺は言った。
「君の気持ちに、応える事はできない。君が抱くその感情が、俺が植え付けてしまった〝偽物の恋心〟だから」
イーヴィルに取り憑かれる前のアリスの事は判らない。けれどあのイーヴィル化のせいでアリスが俺に恋心を抱いてしまった事や、イーヴィルを倒して尚その気持ちが残り続けてしまった事を俺はずっと後悔していた。
「アリスはあの時、〝感情は揺れ動いていくモノだからいつか俺を好きじゃ無くなる事があるかもしれない〟と言った。でも、そんな日は訪れないまま、昨日のような事態を招いてしまった。俺がアリスに植え付けてしまった〝呪い〟は、俺が思って居た以上に根深いものだったのだろう」
続く言葉の先に見える未来が、怖くて仕方なかった。けれど、これは俺が果たすべき責務。俺はなけなしの勇気を振り絞って。
「だから――ッ」
だからこそ、受け入れるわけにはいかない。好きな人に振られるのは――怖い。その怖さは俺だってよくわかっている。きっとアリスは深く傷つく。アリスは優しいから、俺を恨んだり憎んだりはしないかもしれない。でももう、今までの関係性は終わりを迎えるだろう。
それでも。ねじ曲がった感情を押し通す事なんてさせてはいけない。
ここでその場凌ぎにアリスと付き合ってしまえばそれは結局俺の〝悪しき願い〟だ!
そんなの、認めるわけにはいかない。
そんな気持ちを言葉にしようとしたのに。
「違うもんッ!!」
ドンッと強く机が叩かれ。俺が言葉を紡ぐより前に、アリスが珍しく声を張り上げて遮ってしまった。まだまだ残って居た紅茶が僅かばかりに飛沫を上げる。
「な、アリス、俺の話を聞いてくれ!」
俺は思わずそう言うが、
「ハル君こそ、私の話を聞いてッ」
アリスは机から身を乗り出して、ただただ悲しそうに涙を浮かべている。
俺は遂に言葉を詰まらせてしまい続く言葉を待つばかりだった。
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