90話 〝最弱の八天導師〟
――俺は、生きているのか?
意識が朦朧としている。それを微かにつなぎ止めるのは左肩に走る激痛。
ぼやける視界の隅に、俺の〝左腕〟だったモノが見えた。
『ふーん。結構本気の攻撃だったのですがー。咄嗟に急所は躱しましたかー』
ははっ、情けないな……。何が一矢くらい報いることができる、だよ。
荒れた、ひび割れた大地に、無力に転がる石ころ。それが今の俺だ……。
『前言撤回しまーす。キミ結構強い、というか場数を踏んでるみたいでーす。魔力の量は少ないですけどー経験が豊富なんですねー。最初の奇襲を避けられた事にも納得しましたー』
トーラの言葉が胸に響く……。場数? 別に俺、そんなゴリゴリ戦ってる訳でもないんだけどな……。
『けど、即死は免れただけでもう瀕死ですねー』
そうだ。俺は結局何も出来なかった。ハルカやキータの為に、ドライズやルクシエラさんの為に、戦うって。出来る全てをやるって言った筈なのに……。
『トーラちゃんは人間の全てが大好きでーす。人間が喜ぶのも、苦しむのも、どっちもみててたのしーでーす。だから今ちょこっとだけ悩んでまーす』
ケタケタ笑い声のようなモノが心を揺さぶる。
『どうせほっといても死ぬと思うのでー。そのまま弱っていくのを見るのもたのしーと思いまーす。でもでも、可愛そうなのでひと思いに殺してあげるのもアリだと思いまーす。どっちでも楽しめてしまうので、悩んじゃいまーす』
人が喜ぶのも、苦しむのも見てて楽しい、か。
この人の言う『大好き』はなんて歪んでいるんだろう。でも、判る。伝わって来る言葉は嘘偽りの無い本心だ。そしてこの人にはきっと『悪意』は一切無い……。
『結論が出ましたー。トーラちゃんはやさしー女の子なのでーキミ自身の気持ちを尊重してあげたいと思いまーす』
暗紫色の魔力が形どる人影が、片腕を切り飛ばされ倒れ伏す俺へと歩み寄る。
そして両膝を突いて俺の前に座り、俺の顔を持ち上げて。
暗紫色一色でパーツ一つ判らない顔を俺に向かい合わせて、心に語りかける。
『キミはどーしたいですかー? さっくり死んで、次の人生を始めますかー? それとも、無駄に足掻いてみますかー?』
俺、このまま死ぬのか。何も出来ず、何も為せず。
痛い。
苦しい。
辛い。
もう、目を閉じたい。
全部投げ出して、楽になりたい……。
それが俺の、心――
「……し……ろ……も」
『うーん? 聞こえないでーす。もっとはっきり喋ってくださーい。あ、それとももうそんな力も残って無いですかー? それじゃあ見守りコースでーす』
トーラは抱え上げた俺の顔を地面に戻して、離れていく。
『えっとーこの子達はー。あれあれー? 成長が思ってたよりずっと遅いですねー。何か余計なモノでも混入しているのでしょーか?』
トーラはハルカとキータが眠る白い球体を見上げて、そう独り言を零した
。
その背中に。
俺は残された右腕で拾い上げたハルベルトを、突き立てた。
空を切るような感触。殆ど抵抗がなかった。
判る。
〝一切効いていない〟
だとしてもッ!!
「石ころにも……譲れない意地は……あるんだ……!」
『……』
ハルベルトに身体を貫かれたまま、くるりとトーラが俺の方を向く。
そして――
多分、笑っていた。
『すごい、すごーい! へぇ、こんじょーありますねキミー!』
俺の心は悲鳴を上げていた。
なんで立ち上がるんだ?
なんで戦うんだ?
勝てるような相手ではない、そう直感しているのに。
俺なんかじゃ何もできないって判りきってるのに。
もう耐えられないくらい辛いのに、苦しいのに。
それでもなんで、戦うんだ……?
――決まってる。
全身を槍で刻まれ、左腕を切り飛ばされ、ズタボロになった身体でも。
俺の胸には、まだ、確かに。
赤い羽根の勲章が輝いていた。
「俺は、〝八天導師〟……前言撤回なんてしなくていいさ。間違い無い。俺は〝最弱の八天導師〟だ」
決意なんてもう済ませていた。
闇の中で漂っていた時、謎の意志に見せた、その心こそが俺の本当の意志。
目先の痛みも、苦しみも、全部、全部――
俺の大好きな人たちの笑顔を思い浮かべれば、忘れられるッ!!
「アンタは今の社会に、俺たちの世界に、相応しくない」
『それは現代の子達が間違えてるんですってばー』
「原初の魔力――〝拒絶の闇〟トーラよ!」
ハルベルトを引き戻す。大地を踏みしめ、倒すべき敵を見据える。
「魔導を管理する八天導師が一翼として。炎天ファルマが、お前を討伐対象として認定するッ!!」
『見る限り限界じゃないですかー。何処にそんな啖呵を切る元気が残ってるんですかー?』
今の俺を動かしているのは、ちっぽけなプライドと張りぼての義務感だけだ。
俺はまだ、生きている。
あの言葉を、嘘にはしたくない。
「俺に出来る全てをやるんだッ!!」
楽だからって諦めて死ぬなんて、そんなの、みんなに、顔向け出来ない。
『トーラちゃん、生きてはいないんですけど長い時間を見てきたのでー。こーんな考え方があるのも知ってまーす。〝しつこい男は嫌われる〟だそーでーす』
突然、暗紫色の人影に、色が付いていく。
アメジストのような透き通った紫色の髪が靡く。肩まで伸びた二つ結びで天然パーマ。一見するとキャミソールのように簡素なひらひらしてお腹の部分が開けたワンピース状の上着とスパッツなのかショートパンツなのかよくわからないがかなりシンプルな服装だ。人影の時点で小柄に見えたが、色が付き姿形がはっきりする事で本当に、子供のように小柄である事が判った。
『それも数ある人間の考え方なのでひてーはしませーん。でもでも、トーラちゃんは逆でーす』
表情は俺が想像していたとおり。
何の迷いも、疑問も、憂いも無い。
まさしく、屈託の無い、
狂気的な満面の笑顔だった。
『苦しみながらしつこく抗うキミの姿はーとぉっても人間的でかわいーとおもいまーす』
暗紫色の魔力が、俺の左腕を斬り飛ばした大鎌の形を取る。
『トーラちゃん、キミの事好きでーす。ファルマくん、名前覚えましたよーだからファルマ君も、トーラちゃんの事、覚えてくれると嬉しーでーす』
「あんたの〝好き〟は歪んでるから俺は嬉しくないなッ」
俺はきっぱりそう断って、ハルベルトを真上に投げた。
そして開いた右腕で懐から最後の切り札を取り出し、握りつぶす。
「『強度N範囲タイプE』」
投げたハルベルトを右腕で受け止めると同時に、その魔法を発動した。
「『破魔のルクスエクラ』ッ!!」
全身を暖かい光が覆う。範囲タイプEは自分自身と装備、全身の表面への展開だ。
『あ、それゲーテちゃんの〝破滅の光〟ですねー。まだ持ってましたかー。トーラちゃんの天敵でーす』
天敵と言いつつもトーラの笑顔は崩れない。
『でも、そーんなうっすいうっすい量じゃトーラちゃんには全然効きませんよー』
トーラが大鎌を振り上げた。俺も、片腕でハルベルトを振るう。
けたたましい金属音が飢えた世界に響き渡った。
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