第95話.憧れ
魔導士の助手としての仕事が終わると、僕は剣術を練習した。そういう日課は『騎士殺し』になる前と同じだけど……今はクロード卿がいない。だから僕は一人で訓練するしかない。
クロード卿は王都から去る前に王立軍の士官たちと話して、僕が訓練場を使えるように配慮してくれた。そのおかげで僕は一人でも訓練を続けることができるのだ。
レオノラさんはそんな僕にいろいろ気を使ってくれた。彼女は、大事な人々と別れた僕が寂しい思いをしているんではないかと心配してくれているわけだ。
「それにしても……」
僕が魔導士の塔を整理していた時、ふとレオノラさんが口を開いた。
「アルビン君、何か頼もしくなったわね」
「そう……ですか?」
「ちょっと冷静沈着になった感じよ。やっぱり凄い経験をしたせいかな」
「さあ、自分ではよく分かりません」
僕が冷静沈着……?
「実はね……王都の女の子たちの中では憧れの対象になっているのよ」
「はい? 憧れの……対象?」
「うん、命をかけて人々を救った『騎士殺し』に憧れている女の子が結構いるって話よ」
それを聞いた僕は思わず苦笑してしまった。
「いや、でも『騎士殺し』という名称はどう考えても悪人に聞こえるんですが……」
「ちょっと悪そうだからむしろ人気が出るの」
「そうですか?」
本当かな……いや、厳密に言えば僕は『ちょっと悪そう』じゃなくて『本当に犯罪を犯した人』じゃないか。それなのに憧れの対象って……。
「それ、結局僕に関する嘘の噂に騙されたんじゃありませんか? 戦争英雄の息子だとか」
「そうかもしれない。でも異性関係って最初は嘘から始まるのよ」
「そんな……」
「誰もが好きな人の前ではちょっとした仮面をつけるんだからね。その仮面が外された時、それでも好きになれるかどうかは別だけど」
うむ、何か分かるような気もするけど。
「王城の侍女の中でも、アルビン君に興味を持っている女の子がいるはずよ。これを機に恋愛に挑戦してみよう!」
「いや、それは……」
「若い時の恋愛もいい人生経験だよ!」
「そうかもしれませんけど……」
僕はまた苦笑した。たとえ本当に『騎士殺し』に憧れている女の子に出会っても、そんな嘘の噂を利用してまで恋愛するつもりはない。
「アルビン君って王子様のように義務に縛られている立場でもないから、もっと自由に生きてもいいのにね」
レオノラさんが呟いた。僕はそれを聞いてエルナン王子のかっこいい姿を思い浮かべた。
裁判以来、僕は何度も王子に直接お礼を申し上げようとした。しかし王子は『礼には及ばない』と、僕の面会要請を拒んだ。
レオノラさんの言う通り、王子と僕は人生そのものが違う。だから僕には彼の考えが分からない。果たして王子はどういう視野で人生を生きているのか……できれば王子本人からその答えを聞きたいけど、流石に無理だろう。
でも意外なことに、それは無理ではなかった。
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翌日の午後のことだった。
いつも通り魔導士の塔で仕事していると、一人の大男が塔に入ってきた。その男は……ペルガイアの騎士だった。
「失礼します」
ペルガイアの騎士は丁寧な態度でレオノラさんと僕に挨拶した。
「どのようなご用件でしようか」
レオノラさんが質問すると、騎士は僕の方に向けて口を開いた。
「ラべリア王国王室魔導士の助手であるアルビン様に、我がペルガイアの第2王子、エルナン・カヒール様からの伝言をお伝えするために参りました」
「王子様から……?」
僕とレオノラさんは驚いて互いを見つめた。裁判から結構時間が経ったのに、何故今更連絡してきたんだろう。
「伝言の内容は……『急な話で大変申し訳ないが、今日の夕食を一緒にするのはいかがだろうか』とのことです」
伝言を伝え終えて、騎士は口を黙った。僕の答えを待っているんだろう。僕は若干ためらってから……心を決めた。
「かしこまりました。王子様のご要望に応じます」
「はっ」
ペルガイアの騎士はもう一度丁寧な態度で挨拶してから塔を出た。
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夕方になって、僕は王城の北側に位置する『慈悲の女神、エイドリアの区域』に向かった。エイドリアの区域には宮殿と侍女たちの居所、そして訪問客のための宿泊施設がある。僕の目的地はもちろん宿泊施設の方だ。そこで王子が僕を待っている。
宿泊施設は白くて広い建物だった。規模は宮殿より劣るけど、派手さならほぼ同じだ。芸術家の手によって作られた女神たちの彫刻が美しい。まあ、外国の貴族や王族のための建物だからこれくらいは当然か。
施設の門を守っている兵士に用件を言うと、2階の部屋の前まで案内された。胸がドキドキしてきた。この部屋の中に……王子がいる。
相手は外国の王子であり、我が王国の姫様の婚約者であり、僕の命を2度も助けてくれた恩人でもある。緊張しない方が無理だろう。
「失礼いたします」
僕は扉を3回ノックした。すると早速扉が開いて中からペルガイアの騎士が姿を現した。
「どうぞ、こちらです」
騎士の後を追って部屋に入った。綺麗に整頓された広い部屋……その真ん中のテーブルに彼が座っていた。
「よく来てくれた。久しぶりだね」
一見女性に見えるほどの美少年は、テーブルから身を起こして笑顔を見せた。僕はゆっくりと彼の前まで足を運び、片膝を折って頭を下げた。