第94話.理想の騎士
王都の人々にとって『騎士殺し』はもう有名な存在だ。
レオノラさんの話によると、『騎士殺し』の噂はどんどん大きくなっているらしい。『彼の剣術は騎士をも凌ぐほどだ』とか、『王国一の弓使いだ』とか、『実は戦争英雄の息子だ』とか……当事者の僕からすると困惑する話ばかりだ。
僕の剣術はまだ未熟だし、王国一の弓使いじゃなくて村一の弓使いだし、もちろん戦争英雄の息子でもない。そもそも僕は数ヶ月まで田舎の羊飼いだったのだ。
しかし噂を止めることはできない。人々が他の話題を見つけるまで、なるべく静かに暮らすしかない。
静かに暮らしながら、僕は時々思った。今回の事件で僕という人間は何か変わったんだろうか。殺人を犯して、牢屋に閉じ込められて、処刑される寸前まで行って、裁判を受けて……何か変わったんだろうか。
やっぱり自分自身ではよく分からない。何か変わったようにも感じるし、全然変わっていないようにも感じる。誰かが教えてくれると助かるんだけど……。
頭の中に背の高い美男子の姿が浮かび上がった。そう、こういう時はクロード卿と話してみるのが一番だ。それに彼との訓練も再開したい。そう思った僕は隙を見てクロード卿の部屋を訪ねた。
しかしそこに彼の姿はいなかった。
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僕は必死に走った。走りながら自分の愚かさを後悔した。
自分自身のことで頭がいっぱいで……今朝クロード卿の姿が見えなかったにもかかわらず、それが何を意味するのかまったく分からなかった。その愚かさを挽回するために……僕は必死に走った。そして息が切れそうになった時……見慣れた後ろ姿が王都の門を潜り抜けているのが見えた。
「クロード卿!」
僕の必死の心がそのまま声になった。肩に鞄をかけているクロード卿は、歩みを止めて僕を振り向いた。
「よう、アルビン」
僕がクロード卿の前で立ち止まると、彼はちょっと困惑した顔で笑った。
「こっそり去ろうとしたのに……よくも気付いたな」
「どうして、どうしてクロード卿が……」
質問と同時に涙が出てきた。クロード卿はそんな僕を優しい目で見つめながら口を開いた。
「まあ、仕方ないことだ。騎士団の一員が、公的な場で自分の属する騎士団を批判したからな」
考えてみれば十分予測できることだった。クロード卿は裁判で僕を弁護するために自分の属する騎士団の罪を追及した。無事に済むわけがないのだ。
「おかげでしばらく田舎で生活することになった。荷物も整理したし、左遷と言えば左遷だけど……たまにはこういうのも悪くないさ」
「すみません、僕のせいで……」
「何言ってんだ、お前のせいではない」
クロード卿は泣いている僕の肩を軽く叩いた。
「それより、お前に剣術を教えきれなかったことが残念だ。やっとできた従者なのに……ちゃんと教えることもできないなんて、やっぱり俺は『従者なき騎士』だな」
クロード卿は自嘲気味に言った。
「まあ、最初から俺には合わなかったのかもしれない。いっそ騎士なんか辞めて……」
「それは違います……!」
僕は泣きながら首を横に振った。
「僕はクロード卿から大事なことをいっぱい教えて頂きました……その教えのおかげで生き延びることができました」
「アルビン……」
「それに裁判の時、クロード卿は一人の平民のために王国最大の権力者と戦ってくださいました。やっぱり僕が正しかったんです。やっぱりクロード卿こそが……『弱きを助け強きを挫く』騎士……僕の理想の騎士です……!」
僕が涙声で言うと、クロード卿は少し驚いた顔になった。
「だから……だから……」
「……分かった」
クロード卿がゆっくりと頷いた。
「俺のようなかっこいい男が辞めたら、騎士の平均があまりにも下がっちまうからな。もうちょっと頑張ってみるさ」
笑顔でそう答える彼の目にも涙が溜まっていた。
「アルビン」
「はい……」
「俺は……何故お前が特別なのか、やっとその理由が分かった気がする」
クロード卿は涙を手で拭いた。
「お前は……お前自身も知らないうちに、人々に希望を与えている。女伯爵もエルフの少女も、そして俺も……お前から希望を与えられて変わった。一度諦めた道をまた進めるようになった。それがお前が特別である理由だ」
「クロード卿……」
「ありがとう」
「僕の方こそ……ありがとうございます!」
僕はまた涙を流した。そんな僕の肩をもう一度軽く叩いてから、クロード卿はゆっくりと歩き始めた。
「じゃ、また会おう」
僕は涙に滲んだ視界で彼の後ろ姿を見つめ続けた。