第86話.裁判
裁判官のクレイン伯爵の後を追って……多数の人々が裁判所に入ってきた。
服からして彼らは貴族、もしくはお金持ちだ。選ばれた少数だけがこの裁判の傍聴人となり、『騎士を殺した平民の裁判』という珍しい見物を楽しめるわけだ。
各々の席に座った傍聴人たちは、みんな僕の方を見つめながらひそひそと話した。警備隊本部の前に集まっていた人々と同じく、彼らも『騎士殺し』である僕に興味を抱いたんだろう。そういうところは平民も貴族もあまり変わらない。
裁判官の左右にも人々が座った。服装からして書記官などの役人たちなんだろう。
「全員静粛に」
裁判官が威厳に満ちた声を出すと、裁判所の中の全員が口を黙った。
「事前に公表した通り……此度の裁判は王室魔導士の助手、アルビンの殺人罪に対するものである」
裁判所の全員の視線が僕に集まった。
「しかし、此度は一般的な裁判とは少し違う。何故なら被告の罪が既に証明されているし、判決も既に下っているからだ」
裁判官が一番前に座っている、体格のいい男性に視線を送った。するとその男性は素早く席から立ち、「王都警備隊隊長、アルナルドです」と簡単に自己紹介をした。
「今年の8月27日に起こった『サイモン卿殺害事件』に対し、我が警備隊は私の指揮の下、その真相を突き止めることに成功しました」
警備隊隊長は『事件を解決したのはこの私だ』と言いたいようだった。
「事件現場の証拠……つまり遺体の傷、血痕、凶器などを綿密に調査した結果……サイモン卿を殺した犯人は間違いなく被告であることが判明したわけです」
人々の視線が再び僕に集まった。
「事件の経緯を簡単に説明するとこうなります。8月27日の午後5時から、サイモン卿は彼の従者であるオトン・マグインを連れて貧民街の周辺の見回りをしていました。しかしサイモン卿たちが事件現場である小さな家に進入した時、被告は共犯のエルフの少女と共にサイモン卿たちの殺害を試みました」
警備隊隊長が冷たい視線で僕を見つめた。
「従者のオトン・マグインはエルフの少女の鋭い髪留めに首を刺されて即死し、被告は死んだ従者から剣を奪ってサイモン卿を攻撃しました。しかしサイモン卿は白金騎士団の騎士……彼が剣を抜いて対抗すると、被告とエルフの少女は危機に陥ることになりました」
僕は黙って警備隊隊長の説明を聞いた。
「結局エルフの少女は被告を捨てて逃走し、一人になった被告は剣術ではサイモン卿の相手にならないと判断して……短剣を投げて彼を殺害しました。これが事件の真相です」
警備隊隊長が檀上に近づき、手に持っていた書類を裁判官に渡した。
「王室医者であるジョン氏を含め、3人の医者たちの検視もこの真相を裏付けています。そして被告の自白とも大半が一致しています。もはや疑いの余地などありません」
裁判官がゆっくりと頷いてから口を開く。
「先日、この報告を聞いた本官と法務部の法学者たちは……被告に対して即決処分の判決を下した。王国法第1条3項に基づき……全ての貴族はその地位と財産が王国法によって保障され、適法な裁判を経ないと、たとえ国王陛下であってもその権利を奪うことができない。故に貴族を殺害した被告には即決処分こそが一番適切な判決だと判断したのだ」
それで僕は危うく首が切られそうになったわけだ。
「しかしパバラ地方の領主、エリン・ダビル女伯爵がこの判決に異議を唱えた。つまり此度の裁判は……一度有罪判決が確定された被告の再審である」
裁判官が状況を明確にすると、僕の隣に座っていたクロード卿が席から立ち、大きい声で話を始めた。
「白金騎士団のクロード・ケインと申します。この再審にてエリン・ダビル女伯爵の代理人となり、被告のアルビンを弁護することになりました」
裁判官が頷く。
「よかろう。して、エリン・ダビル女伯爵のご意見は何なのかを申してみよ」
「エリン・ダビル女伯爵のご意見は、被告の完全無罪です」
クロード卿が何の迷いもなく答えると、傍聴人たちが騒めいた。
「静粛に」
裁判官は騒めきを鎮めて、クロード卿に冷たい視線を送った。
「サイモン卿を殺害したのは紛れもなく被告だ。被告自身もそれを認めた。それなのに完全無罪を主張するのか?」
「はい、左様でございます」
「ならその主張の根拠を申してみよ」
ついさっきの騒めきとは裏腹に、裁判所の皆が沈黙してクロード卿を見つめた。
「被告がサイモン卿を殺害したのは事実です。しかしそれは処刑されるような罪ではありません。むしろ正当な行為でした」
「貴族を、しかも名誉ある白金騎士団の騎士を殺害した行為が正当だったと?」
「はい、何故ならサイモン卿は名誉ある騎士ではなく……むしろ騎士団や王国の名誉を汚した存在だからです」
クロード卿は何の迷いもなく答えた。
「名誉を汚したのはあんただろう? 『従者なき騎士』さん!」
後ろから誰かがそう言うと、傍聴人たちが一斉に笑い出した。僕は一瞬怒りを感じて拳を握ったが、当事者のクロード卿は平然としていた。
「警備隊隊長の調査結果は、残念ですが真相の半分に過ぎません。そもそもこの事件の発端は、『サイモン卿による貧民連続殺害』ですから」
傍聴人たちの笑いが止まった。
「昨年の10月……貧民街で若い女性が無惨に殺害された事件を、皆さんも覚えていらっしゃるでしょう。王都を騒がせたその事件は、結局犯人を探せずに調査が終わった……と公表されましたが、実はサイモン・レンダルこそがその事件の犯人なんです」
傍聴人たちが騒めき始めた。いや、傍聴人たちだけではない。裁判官を含めた偉い人々の顔色も変わった。唯一動揺しなかったは、レンダル伯爵だけだ。
「しかしサイモン卿は何の処罰も受けませんでした。まあ、彼がレンダル家の人間ですからね。見事に隠蔽されたんでしょう。しかし彼の犯罪を証明する記録や証言は未だに残っています。自分は騎士団や警備隊、そして法務部の資料を探してそれを確認しました」
裁判官が冷たい視線でクロード卿を睨んだ。
「……たとえそれが事実だとしても、今回の事件と何の関係があると言うのかね?」
「大きな関係があります。何故なら、被告はサイモン卿が再び貧民殺害を行っているところを目撃して、彼を止めるために戦ったんですから」
クロード卿は懐から何枚の書類を持ち出した。
「事件現場には、被告や被害者以外にも殺害された数人の貧民たちがいました。そのことについては警備隊の隊員たち、そして王立軍の兵士たちからこの通り証言を得ました。しかも貧民たちを殺害したのは紛れもなくサイモン卿であることを裏付けてくれる医者たちの検視結果もここにあります」
クロード卿が檀上に近づき、書類を裁判官に渡して話を続けた。
「何故王室魔導士の助手である被告が貧民たちと一緒にいたのか、それは被告が彼らを助けていたからです。彼が貧民たちのための薬を何度も購入したという証言もあります。しかし事件の日……被告は彼らが無惨に殺害されたところを目撃してしまったんです」
人々はもう息を潜めてクロード卿を見つめていた。
「つまり事件の完全なる真相はこうなります。サイモン卿は貧民たちを殺害した後、現場に現れた被告をも制圧して殺害しようとしました。しかし被告はそれに対抗し死闘を繰り広げて……結局はサイモン卿を殺害してしまったんです」
クロード卿は冷静な口調であの日のことを説明した。
「警備隊隊長は、わざとこの『真相の半分』を隠しています。自分はその不当な行為をも告発するつもりです」
しばらく沈黙が流れた。そしてその沈黙を破ったのは……レンダル伯爵だった。
「クロード卿」
レンダル伯爵はゆっくりと席から立って、クロード卿を見つめた。
「はい。何事でしょうか、レンダル伯爵様」
「サイモン……つまり私の弟が貧民殺害の容疑者であることは事実です。しかしそのことについてはまだ裁判が行われていませんし、しかも騎士団長から緘口令が敷かれているはずです。それなのにこんな公的な場所で口外するのは些か軽率ではありませんか?」
レンダル伯爵の冷たい顔に、クロード卿は微かな笑顔で対抗した。
「もちろん仰る通りです。名誉ある騎士ならやってはいけないことでしょう。でも……自分は『従者なき騎士』ですからね。名誉なんてとっくの昔に捨てました。そして今は……名誉よりも、真実の方が大切だと思っています」
皆が注目している中……レンダル伯爵はクロード卿をじっと見つめて、ゆっくりと頷いた。
「なるほど、分かりました」
レンダル伯爵の顔にも微かな笑顔が浮かんだ。