第69話.舞踏会
太陽の勢いが弱くなると、王城の侍女たちが食べ物やお酒などを運び、庭園の所々にあるテーブルに置いた。もうすぐ『舞踏会』が始まるのだ。
「結界は……今のところ完璧だけど、油断は禁物ね」
「そうですね」
王城を守っている結界は、もし魔力を持っている誰かが侵入したら青い光を発する。そのことを兵士たちに知らせてから、僕とレオノラさんは王城の真ん中に位置する庭園でずっと待機した。
「私もあれ食べたい」
レオノラさんが少し離れたところのテーブルを見つめた。テーブルの上にはいろんなお菓子や果物などがあった。
「あのお菓子はね、王城のシェフさんがこの日のために作ったものなの。あ、あのチョコレート……素敵すぎる」
レオノラさんは本気で切ない顔だった。僕は思わず笑ってしまった。
「……よし、舞踏会が始まったらこっそり食べよう」
「それは駄目なんじゃないですか」
「あんなに多いから、一つや二つはいいの!」
レオノラさんの口調が必死すぎる。本当に面白い人だ。
「魔導士様」
その時、侍女の一人がレオノラさんに話しかけてきた。
「どうぞこれを」
侍女はお菓子がいっぱい盛られた皿を差し出した。
「これは……?」
「お二方に渡すように、リナさんから指示されました」
「おお!」
レオノラさんの顔が明るくなる。
「流石リナさん! ありがとうございます!」
「召し上がった後、お皿は近くのテーブルに置いてください」
「はい!」
侍女が去ると、レオノラさんは早速お菓子を食べ始める。
「美味しい! ね、アルビン君! アルビン君も食べて!」
「はい」
僕も皿に手を伸ばして、チョコレートを一個食べた。これは……。
「……美味しい」
甘くて柔らかい感触が口に中に広がり、まるで雪のように溶けてしまった。
「本当に美味しいですね」
「アルビン君、今『こっそり持ち帰って妹にあげたい』と思ったんでしょう?」
「……どうして分かるんですか」
そんな会話を交わしながらも、僕たちは周りを注視した。いつ何が起きるか分からないからだ。
「『仮面の魔導士』が舞踏会に手を出す可能性は低いと思うけどね」
レオノラさんがお菓子を食べながら言った。
「そうですか?」
「うん、何よりも警備があまりにも厳しい。いくら強い魔導士でも、今この王城に侵入することは自殺行為よ」
「確かに」
『仮面の魔導士』にも力の限界がある。王子を殺し損ねたのがその証拠だ。つまり十分な戦力があれば仮面の魔導士も手を出せない。
「それにね、今誰かがここを襲撃すれば……我が王国とペルガイアは協力して敵と戦わなければならない。そしてその結果、両国の信頼はより強くなる。仮面の魔導士としてもそれだけは避けたいでしょう」
「なるほど」
僕は頷いた。
「でも油断は禁物だし……今日一日、頑張るしかないね」
「分かりました」
この王城には大事な人々がたくさんいる。美味しいお菓子も食べたし、今日は本当に頑張るしかない。
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夏の太陽が完全に沈んで、代わりにランタンの光が庭園の中を照らした。
夜になっても庭園の花々は美しいまま……いや、ランタンの光でより幻想的な姿になっていた。別に美的感覚に優れていない僕でさえ、その幻想的で神秘的な風景に見とれてしまうほどだった。
そして秀麗な礼服を着ている男性たち、派手なドレス来ている女性たちが庭園に集まった。舞踏会に参席した王都の貴族たちだ。彼らはみんな余裕のある笑顔で、美しい庭園と美味しい食べ物を楽しんでいた。
僕は小説で読んだ貴族たちのパーティーと、目の前の風景を比べてみた。そうやって想像と現実を比べるのは僕の小さな楽しみだ。
「アルビン君、お腹空いたでしょう? ちょっと食べ物持ってくるね」
「分かりました」
レオノラさんが席を外した。僕は想像から離れて、周りの警戒に集中した。
「よう」
男性の声が聞こえてきた。振り向いたら……。
「……サイモン卿」
どこか気品が感じられる、背の高い茶髪の美男子……『サイモン・レンダル』だった。彼は白金騎士団の騎士であり……貧民の女性を無残に殺害した犯人でもある。
「久しぶりだな、クロード卿の従者さん」
「はい」
サイモン卿は親切に見える笑顔だった。その笑顔だけ見れば、あんな恐ろしい事件の犯人だとは到底思えない。
「実は君の噂を聞いたんだ」
「そうですか」
「ああ。王子襲撃事件の当時、勇敢に戦って人々の救ったって? 凄いことだ」
「恐れ入ります」
僕はなるべく礼儀を守ろうと頑張った。
「しかし短時間の訓練でそんな活躍をするなんて……クロード卿からいい訓練を受けたようだな」
「はい、自分の小さな活躍は全てクロード卿のおかげです」
「謙遜だな。でも……」
その時だった。宮殿の方から、透明な鈴の音が響き渡ってきた。
「あーあ、時間だな」
サイモン卿が苦笑する。
「あの鈴の音は、『今から宮殿の中でダンスを楽しむ時間だから集まってください』という意味だ」
「そうですか」
「こんな革鎧を着てダンスしたくないけど、一応行くしかない。それじゃ、また話そう」
軽く手を振って、サイモン卿は宮殿に向かった。庭園の中の他の貴族たちも皆宮殿に向かった。これから本格的に『舞踏会』が始まるのだ。
「アルビン君!」
レオノラさんが帰ってきた。彼女は食べ物が盛られた皿を持っていた。
「さあ、食べましょう!」
「はい」
果物や干し肉、お菓子などを食べながら……僕はサイモン卿について考えた。彼の態度は魅力的だった。本当にサイモン卿があんな恐ろしい事件の犯人なのか? もしかしてクロード卿のように、何か事情でもあるのか?
いや、僕が悩んでも仕方がない。今は警戒に集中しよう……と思いながら、僕は宮殿の光を見つめた。
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舞踏会が始まってから、結構時間が経った。
宮殿の中から、美しく柔らかい音楽が聞こえてきた。たぶん貴族たちが楽しく踊っているんだろう。もちろん姫様も……。
そう言えば、僕は姫様のドレス姿を見たことがない。普通の服でもあんなに美しいから、ドレス姿ならもう言葉では表現しきれないほどだろう。
「魔導士様」
誰かが僕とレオノラさんに近づいた。この可愛らしい声は……。
「女伯爵様、ご体調はいかがでしょうか」
「おかげさまで元気です」
僕の目の前に二人の妹が立っていた。しかも二人は……とても綺麗なドレスを着ていた。
エリンは華麗な赤いドレス、アイナは純粋な白いドレス……二人ともとても似合う。もうお人形なんじゃないかと勘違いしてしまうほど可愛い。
僕の妹たちがこんなに可愛いなんて……もう二人の姿だけで幸せな気持ちだ。
「魔導士様、大変失礼ですが……」
「はい、何のご用件でしょうか」
「魔導士様の助手さんを、少しお貸し頂けますでしょうか」
「はい、もちろんです」
レオノラさんは素直に頷いた。
「アルビン君、女伯爵様のエスコートを頼む」
「はい」
僕はエリンとアイナと共に、庭園の中を歩き始めた。
「エリン、大丈夫か? 外で歩いても」
「ゆっくりなら大丈夫です。それにアイナちゃんが傍にいてくれるから」
「うん、私がエリンちゃんを守ってあげる!」
妹たちの元気な姿に心が温まった。
「お兄さんに私たちのドレス姿見せたかったの。どう? 似合うでしょう?」
「うん、とても似合う。もうお人形だと思った。可愛い」
「ふふ」
僕の褒め言葉にエリンが笑った。アイナは恥ずかしくてなったのか、口を黙った。
「あそこに座りましょう!」
僕たちは庭園の隅まで行って、そこのベンチに座った。
「あ、大変!」
いきなりエリンが大声を出した。
「どうしたの? エリンちゃん」
「薬の瓶を部屋に置いてきた!」
「待って、私が持ってくるね!」
アイナが急ぎ足で去っていった。
「アイナちゃん、ごめん……」
エリンが小さい声で呟いた。それで僕はエリンと二人だけになった。
「……久しぶりにアルビンお兄さんと二人だけになっちゃった」
「そうだな」
僕が頷くと、エリンが少しだけ僕の方に近づいた。
「実はね、アルビンお兄さんの噂を聞いたの。襲撃事件で多くの人々を助けったって」
「……僕は別に大したことはしていないよ」
「ううん、私には分かる。アルビンお兄さんはきっと人々のために全力を尽くしたはずよ」
エリンがもっと近づいてきた。
「私はね、そんなアルビンお兄さんが本当にかっこいいと思う。王子様よりも……」
「いや、それは流石に褒めすぎだよ」
僕は苦笑した。
「私は本当にそう思っているの。だから……私は……」
エリンは顔が赤くなり、口を黙った。
「大丈夫か? エリン」
「……うん」
薬を飲んでないから、体調を崩したのかな? 僕は心配になった。
沈黙の中でしばらくすると、アイナが戻ってきた。しかしエリンは薬を飲んだ後も口を黙ったままだった。
「あ!」
今度はアイナがいきなり大声を出した。
「お兄ちゃん、エリンちゃん! 宮殿に!」
僕とエリンは宮殿の方を見つめた。宮殿の大きな扉から……二人の男女が一緒に姿を現した。
「姫様と……ペルガイアの王子様だよ!」
黒い礼服を着ているエルナン王子、そして真っ白なドレスを着ている姫様だった。二人とも……もうこの世の人間には見えない……本当に童話の中の姿だった。
王子様と姫様は手を繋いで、ゆっくりと庭園の方に歩いた。王都の貴族たちがそんな二人の後を追った。
「ダンス時間の仕上げとして、両国の王族が皆の前で一緒に踊るのよ」
エリンが説明してくれた。
やがて王子様と姫様は庭園の真ん中について、優雅な姿でゆっくりと踊り始めた。周りの貴族たちの歓声が絶えなかった。ああ……もうこれは感心するしかない。お二方はあまりにも美しい。
ふと胸の中で小さい痛みを感じた。その痛みのおかげで僕は自覚した。僕は今、王子様を……羨ましがっているんだと。