第63話.ペルガイアの王子
強い日差しが王都を照らし、人々の服装が軽くなった。それは即ち夏の始まりを意味していた。
去年の夏、僕は田舎で『地平線の向こうにある王城の姿』を想像していた。そして今年の夏……僕はその王城に住んでいる。
変わったのは住んでいる場所だけではない。僕とアイナは人生そのものが変わった。それに何よりも、僕たちにはもう一人の家族ができた。
「アルビンお兄さん!」
「エリン……?」
久しぶりに妹の部屋を訪ねた僕は、思わず驚いてしまった。病弱でいつもベッドに寝ていたエリンが……両脚で立っていた。
「自力で歩けるようになったの! どう? 凄いでしょう?」
エリンはふらつきながらも一歩歩いて見せた。
「エリンちゃん、あまり無理しては駄目」
「大丈夫だよ、アイナちゃん!」
僕とアイナが心配げに見つめたが、エリン本人はとても楽しい笑顔だった。数ヶ月ぶりに歩けるようになったから無理でもない。
「……え」
また一歩歩こうとしたエリンが見事にこけてしまった。僕とアイナは驚いて駆けつけた。
「エリン、大丈夫!?」
「だ、大丈夫だよ……えへへ」
僕はエリンを助け起こした。エリンは笑顔のままだった。
「お兄さんとアイナちゃんがいるからね。こけても楽しい!」
「いや、そんな無茶な……」
思わず苦笑が出てしまったが、可愛い妹の元気な姿は嬉しかった。
「もしかしたら今度の舞踏会に参加できるかも」
「舞踏会……?」
「あ、そう言えばお兄さんにもアイナちゃんにもまだ話してなかったね」
エリンはベッドに座って、説明を始めた。
「実はね、『ペルガイア』の第2王子がここを訪問する予定なの。そしてそれを記念に舞踏会が開かれるわけ!」
ペルガイア……その国については本で読んだことがある。『獅子騎士団』を保有している軍事強国で、比較的小さな国だけど戦争ではとても強いらしい。
なるほど、そのペルガイアの第2王子が……この王城を訪問するのか。
「王子様!?」
アイナが目を輝かせた。昔からこの手の話には弱い。
「本当に王子様が来るの!?」
「うん。でもアイナちゃん、王子だからって変な幻想抱いては駄目だよ」
エリンが人差し指を立てて左右に振った。
「北の国の公爵とか、海の向こうの王子とか、いろいろ見たけど……皆ろくでもない人たちだったわ」
「そうなの?」
「うん、周りのレディたちをもう自分の物だと考えている。私から見ればそんな人たちより、アルビンお兄さんの方が……」
「お兄ちゃんが……?」
「と、とにかく! 王子にはまったく期待しないけど……舞踏会は楽しみ!」
「うん、私も見てみたい!」
それから妹たちの楽しい会話が始まった。
舞踏会か……魔導士の助手である僕とは別に縁のない話だ。でもペルガイアの人々ならちょっと興味がある。もしかしたら『獅子騎士団』の騎士が王子の護衛を務めるかもしれない。あの噂の強者たちをこの目で確かめたい。
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ペルガイアの王子の訪問日が近づくと、王城の内部には緊張感が漂い始めた。侍女たちも兵士たちもいつもより頑張って仕事をしている。まあ、隣国の王子の訪問だから気を使うべきだろう。
でも魔導士の助手である僕はいつもと同じだ。午前にはクロード卿と一緒に訓練をして、午後にはレオノラさんの研究を手伝う。王子とか舞踏会とか、僕とは関係のない話なのだ。
「アルビンさん」
ある夜、居所に向かっている僕を誰かが呼び止めた。その声は……リナさんだ。
「リナさん、お久しぶりです」
「お久しぶりですね」
ここ最近、リナさんと顔を合わせる機会がなかった。たぶんリナさんも舞踏会のことで忙しいんだろう。
久しぶりに会ってみると、リナさんも夏用の軽い服装だった。しかし服装は変わっても彼女の美貌はそのままだ。
「最近、アルビンさんはクロード卿と一緒に行動しているみたいですね」
「はい、クロード卿からいろいろ教わっています」
「あの悪名高い『従者なき騎士』から学ぶことがあるのですか?」
僕は首を横に振った。
「その悪名は表面的なことでしかありません。むしろクロード卿はケイト卿と同じく、理想の騎士そのものです」
僕は言葉を聞いて、リナさんが笑顔になる。
「ふふ……それは存じていますよ」
「そうですか?」
「ええ、戦闘を放棄して逃げたのは駄目でしたが……それでもクロード卿は名誉ある騎士です」
リナさんはそこまで知っていたのか。流石姫様の侍女だ。
ふとある考えが僕の脳裏をよぎった。クロード卿はリナさんのことが好きだ。しかしリナさんはクロード卿のことをどう思っているんだろう?
できればこの二人が……幸せになって欲しい。僕が尊敬しているクロード卿と、僕が憧れているリナさんが結ばれたら……僕としてもこの上ない喜びだ。
「あの……リナさん」
「はい?」
「その、リナさんは、クロード卿のことを……」
でもなかなか口から言葉がでなかった。そもそも僕はこういう『恋愛話』についてはまったくの門外漢だ。
「……私がクロード卿のことをどう思っているのか、それを聞きたいんですか?」
「は、はい!」
リナさんが少し嘲笑うような顔になった。
「あのお方が私に対して恋心を抱いているってことは、もう存じています」
「そ、そうですか?」
「はい、でも私は別に興味ありません」
ま、まさかここまではっきり答えるとは……。
「で、でもクロード卿は本当にかっこいいお方で……」
「確かにかっこいいお方なのかもしれません。しかしだからといって、私があのお方のことを好きになる必然性はどこにもありません」
確かにそれは……そうだけど。
「そもそも私は恋愛というものに興味がないんです。できればクロード卿にもそう伝えてください」
「わ、分かりました」
僕は心の中でクロード卿のために泣いた。
「そんなことより、アルビンさん」
「はい」
「魔導士様から話は聞きました。アルビンさんが自分も知らないうちに魔法を使ったと」
「はい」
僕は軽く頷いた。
「どういう魔法だったのか、心当たりはありませんよね?」
「はい、まったくありません」
「それは少し困りましたね……」
リナさんは視線を逸らして、王城の庭園の方を見つめた。
「今の時代の魔法は、そこまで万能ではない。しかし古代エルフの魔法なら話が違います。使い方によっては……この王国の運命をも変えるかもしれません」
僕は何となく分かった。この美しくて聡明な女性は……何よりも王国の運命を案じているのだ。姫様と一緒に。
「どうかそのことを……お忘れなく」
「かしこまりました」
「では、私はこれで」
リナさんはいつもの妖艶な笑顔ではなく、真面目な顔でその場を去った。