第61話.商業地区
「ここが『商業地区』だ」
僕は目の前の風景に言葉を失った。巨大な広場を中心に様々な店があった。そしてもう数えきれないほどの人々が行き来していた。
広場の真ん中には本を持っている美しい女性の彫刻があった。『知恵の女神、デイナ』だ。そしてその周りには噴水があり、女神の足元を綺麗な水に浸らせていた。
「おい、アルビン」
「はい?」
人混みの雑音のせいでクロード卿の声がよく聞こえなかった。
「迷子になったりするなよ」
「分かりました!」
僕とクロード卿は一緒に人混みの中を歩いた。いや、僕たちも人混みの一員になったというべきか。
男性も女性も、老人も子供も、皆自分自身が求めているものを探していた。そんな人々の活気が僕にも伝わってきて、いつの間にか広場の風景を自然に楽しめるようになった。
やがて僕たちは広場を抜け出し、ちょっと狭い路地を歩いた。
「ここだ」
クロード卿が小さい店の前で足を止めた。その店の看板には『豚祭り』と書かれていた。扉を開いて入ると並んでいるテーブルが見えた。
「ここの味は最高だよ」
こういう『専門レストラン』は、大きな村で見たことがある。しかし実際に入ったのは初めてだ。もちろんそれを言うとクロード卿に馬鹿にされるはずだから、僕は黙っていた。
「お前、こういうところ初めてだな」
「……どうして分かるんですか」
「表情が正直すぎるんだよ」
クロード卿が店員さんに料理を注文した。そしてしばらく後、僕たちの昼食が始まった。
「……クロード卿、流石にこれは食べ切れません」
「何言ってんだ? 男だからこれくらい全部食え」
「いや、そんな無茶な……」
ビーフシチュー、パイ包み、ソーセージ、丸焼き……しかも飲み物はワインだ。味はクロード卿の言った通り最高だけど、量が……。
「……た、食べ切りました」
「えらいえらい」
もう一生分の豚肉を食べた感じだった。夕食は豚肉ではないことを祈る。
「よし、じゃこれから靴を買いに行こう」
「靴ですか?」
「ああ、俺と一緒に訓練したおかげで靴がボロボロだろう? 新しいやつを買ってやるよ」
僕たちは『豚祭り』から出て巨大な広場に戻った。そして人混みを突破し、西側の靴屋に入った。
「これならちょうど良さそうだな」
クロード卿がとても頑丈そうな靴を選んだ。
「でもクロード卿、それ……結構値段が高そうですけど」
「どうせ俺はお金の使いどころがないんだ。靴くらい、いくらでも買ってやるさ」
「ありがとうございます」
僕は素直に感謝して、新しい靴に履き替えた。なるほど……この靴なら厳しい訓練にも耐えてくれそうだ。
それから僕とクロード卿は広場を見回した。別に何かを買うわけでもないけど、いろんな商品を見物するだけで僕には新しい経験だ。まるで祭りのようだ。
「これは……」
僕はある店の前で足を止めた。その店は……女性のためのアクセサリーを売っていた。
「アルビン、それは女性用のアクセサリーだぞ」
「はい、でも……」
「お前、好きな女性はいないと言ったじゃないか」
「それが……妹のために買おうかな、と」
クロード卿が頷く。
「なるほど。確かお前の妹さんは王城の侍女だっけ?」
「はい」
僕の答えにクロード卿が少し考え込む。
「ちょっとおかしいな。お前は数ヶ月前までは貧乏な羊飼いだったんだろう? それが急に王室魔導士様の助手になり、妹さんも王城の侍女になったなんて。何でお前がそこまで特別なんだ?」
それは……答えられない。僕は口を黙った。
「なるほど……だからリナさんが自分で噂を流したんだな」
クロード卿の顔に微かな笑みが浮かぶ。
「『アルビンが特別である本当の理由』を隠すために、リナさんは自分の名誉を犠牲にして『アルビンは私の恋人』という嘘の噂を流した……大体そんなところだろう?」
やっぱりクロード卿を騙すことは不可能だ。いくら口を黙っていても僕の表情だけで真実を見透かされる。彼が明晰で、僕の嘘が下手すぎるからどうしようもない。
「で、『アルビンが特別である本当の理由』は俺にも話せないんだな」
「……すみません」
「いや、謝る必要はない。お前のことだから、お前一人だけのために秘密を守っているはずがない。もっと大きな目的があるんだろう」
申し訳ない気持ちだった。クロード卿は自分の辛い過去を全部話してくれたのに、僕は何も言えない。『世界樹の実』も『呪い』も『知らないうちに使った魔法』も……全部秘密にしておくしかない。
「そんな暗い顔するな。俺は本当に気にしていないからさ」
「ありがとうございます」
「よし、じゃ……甘い物でも食べに行こう」
クロード卿の提案に僕は呆れてしまった。
「……また食べるんですか?」
「男はな、よく食べてよく動いてよく寝る……この三つが一番大事なんだよ」
「そんな無茶な……」
結局僕たちは甘い物を売っている店を探して移動した。ところがその時、誰かがクロード卿に近づいてきた。
「これはこれは……クロード卿ではありませんか」
クロード卿と僕はその誰かの姿を確認した。背の高い茶髪の美男子だ。
「……久しぶりだな、サイモン」
「はい、本当に久しぶりですね」
サイモンと呼ばれた男が笑顔を見せたが、クロード卿の顔は強張った。