第52話.弱さの自覚
二人の妹と幸せに過ごしていたある日……再びレオノラさんが朝早くから僕の部屋に訪ねた。
「アルビン君! アルビン君!」
「はい、少し待ってください!」
急いで扉を開くと、頬を赤くしたレオノラさんの姿が見えた。何があったんだろう?
「どうしたんですか? レオノラさん」
「これこれ、見て見て!」
レオノラさんが高級そうな革袋を差し出した。音からして硬貨でも入っているようだ。受け取ってみたら結構重い。
「早く開けてみて!」
「はい」
僕は革袋の入り口の紐を解いて、その中を覗いた。そこには……金貨があった。しかも数十枚以上だ!
「こ、これは何ですか?」
「国王陛下からの褒賞よ! 当然でしょう!?」
「じゃ、これを……僕に?」
「もちろん!」
そんな……数十枚以上の金貨って、いくら何でも大きすぎる。
「私も同じく100枚の金貨を与えられたの! これで私たちはお金持ちだわ!」
「お金持ち……」
「まあ、本当のお金持ちに比べれば大したことないかもしれないけどね。でも普通に考えたら凄いんだよ!」
確かに凄い。羊飼いの頃には想像もできなかった大金だ。手に持っているだけで胸がドキドキする。
「このお金で小さい農場でも経営してみるかな。私、植物好きだし」
「いい考えですね」
「でしょうでしょう?」
デイルに戻り、このお金を使って農場を作る。村の発展に貢献できるような農場を。そしてまたアイナと一緒に静かで平和な生活を送る。それが最も理想的な人生なのかもしれない。
しかし……今はデイルに戻られない。エリンが僕とアイナを必要としている。戦争と暗殺に怯えているエリンを置いていくわけにはいかない。
「あの、レオノラさん。このお金……レオノラさんが保管してくださいませんか」
「え?」
「こんな大金を部屋の中に置くのは不安ですし、当分の間は使うこともないと思います。だからレオノラさんが保管してください」
僕の説明を聞いたレオノラさんは少し真面目な顔になる。
「駄目だよ、アルビン君」
「はい?」
「こんな大金なら、誰でも欲が出るかもしれないよ? 簡単に人に任せては駄目」
「そう……ですね」
レオノラさんの優しい声から何となく厳しさが感じられた。まるで……優しいお姉さんが弟に言い聞かせているかのように。
「前から思っていたけど、アルビン君が住んでいたデイルという村はいいところだったみたいね。豊かで平和で……人々がお互いを信じ合えるところ」
僕はデイルの風景と人々の姿を思い浮かべた。そう、本当にいいところだ。
「でもそうではないところもいっぱいあるのよ。だからアルビン君も少しは人を疑わないと、いずれ大変な目に遭うかもしれない」
「……分かりました」
「まあ、人を信じる心がアルビン君の長所の一つだけどね」
レオノラさんが優しい笑顔を見せた。
「ご忠告ありがとうございます、レオノラさん」
「アルビン君は私の助手だから、しっかり教育しておかないと。ふふふ」
やっぱり不思議な人だ。でも本当にありがたい。
「それじゃもう一つだけ教えてください。このお金……どこに保管すればいいんでしょうか」
「そうね。私の部屋には金庫があるから大丈夫だけど、アルビン君の部屋には棚くらいしかないし……あ、思い出した!
レオノラさんが手を叩く。
「いいものがあるの。ついてきて」
「はい」
僕はレオノラさんの後ろを歩いて、魔導士の研究室……つまり白い塔に入った。
「これこれ」
レオノラさんが塔の1階の隅に置かれている鉄の箱を指さした。これは確か……。
「確か……古文書などを保管する箱でしたよね」
「うん。でも中にあるのは数枚の紙切れだけだし、今日からはアルビン君の金庫にしよう」
「いいんですか?」
「王室魔導士はこの私よ? 何も問題ない」
結局僕は鉄の箱を僕の部屋まで運んだ。結構重くて大変だったけど……これは頑丈な金庫になりそうだ。
「これが箱の鍵なの。失くしたら大変だからね」
「分かりました」
「それじゃ、整理してから塔に来て」
「はい」
レオノラさんが僕の部屋を出た。僕は金貨と他の大事なものを鉄の箱にしまって、鍵を閉めた。
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その日の夜、僕はエリンの部屋を訪ねた。
「アルビンお兄さん!」
「お兄ちゃん!」
ベッドの上で上半身だけ起こしているエリンと、その傍で侍女の服装をしているアイナが笑顔を見せた。
「声が大きいよ、二人とも」
二人の妹のおかげで僕も笑顔になった。
「体の調子はどうだ? エリン」
「また少し良くなったの。さっきはアイナちゃんに支えられて歩いてみた」
「そう? 無理したんじゃない?」
「アネスさんも大丈夫だと言ったから、大丈夫なんです」
そう答えたエリンは、アイナと顔を見合わせる。
「ん? どうしたんだ、二人」
「私たち、アルビンお兄さんに聞きたいことがあるの」
「聞きたいこと? 言ってみて」
「実は……アイナちゃんが他の侍女さんたちから妙な噂を聞いたって」
「妙な噂?」
「うん」
エリンの目つきが鋭くなった。
「それがね……アルビンお兄さんがリナさんと付き合っているって噂なんです!」
「……何!?」
僕は思わず大声を出してしまった。
「リナさんって……あの姫様の侍女のリナさんと僕が!?」
「うん」
「そんな馬鹿な……」
「その噂、本当ではないのでしょう?」
「もちろんだ! リナさんと僕は全然そういう関係じゃないよ!」
「お兄さん、声大きい」
エリンが笑った。
「私が言ったでしょう、アイナちゃん。そんな噂は嘘に決まっているの」
「うん、やっぱりエリンちゃんは凄い。私は信じてしまうところだった」
アイナが僕の方を見つめる。
「だって、お兄ちゃん時々リナさんのこと気にするし、じっと見つめるし」
「そ、それは……お前が心配だから……」
僕は慌てて言い訳しようとしたが、言葉が見つからない。
「アルビンお兄さんは優しいから誰にも親切に接するし、誤解されやすいだけなの。そうでしょう? お兄さん」
エリンが僕を凝視しながらそう言った。僕は「うん、そうだよ」と答えるしかなかった。
それから二人の妹は話題を変えて楽しく話し始めたが、頭が真っ白になった僕は口を黙って精一杯平静を装うだけだった。
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エリンの部屋を出て僕の部屋に向かいながら、僕はいろいろと考えてみた。
さっきの嘘の噂に……心当たりがないわけではない。王都への旅を初めた頃から、僕は時々リナさんと二人きりで話をした。もちろんそれは恋とは全然関係のない話だったけど、他の人々にはそれが分からない。
しかも僕は王城でリナさんから教育を受けたし、それ以外にもたまに一緒に時間を過ごした。まったく接点のない男女二人が一緒にいるなんて……噂されない方がおかしいだろう。
「アルビンさん」
「あ!」
後ろから聞こえてきた声に、僕は驚いて振り向いた。
「何故そこまで驚くのでしょうか?」
それは……リナさんだった。リナさんがいつも通りの美しい姿で立っていた。
「リ、リナさん……」
僕は困惑した。道の途中でリナさんに会うなんて、こんな偶然が……。
「ふふ……その反応だと、もうお聞きになったようですね」
「はい?」
「私とアルビンさんが付き合っているという噂、もうご存知なんでしょう?」
リナさんの言葉が僕の胸に刺さった。それで僕の頭はもちろん、顔まで真っ白になった。自分でも分かる。
「すみません……! 僕のせいでリナさんにご迷惑を……!」
「何をおっしゃっているのですか」
リナさんがその美しい顔に嘲笑うような表情を浮かべる。
「アルビンさん」
「はい!」
「その噂、私が流したんですよ」
「……はい?」
そんな……何故!?
「まだ理解できませんか? アルビンさんはいきなり王室魔導士の助手になり、妹も王城の侍女になった。何故平民の男性がそこまで特別扱いされるのか……人々は疑問を持つはず。だから私が答えを示したのです。『アルビンは姫様の侍女であるリナ・エストンの恋人』という答えを」
「あ……」
そういうことだったのか……!
「人々はそういう恋の噂に騙されやすいんです。おかげで私はちょっと悪口言われていますけどね」
「す、すみません!」
「結構です。それより以前、私が忠告したでしょう? 物事の裏を読んでください」
「はい!」
「ふふふ」
いつも通り妖艶な微笑みを残して、リナさんが去っていった。僕は棒立ちになり、頭の中で今日のことを整理した。
僕は自分なりに慎重に行動しているつもりだった。王城の侍女たちや兵士たちとの関わりも避けていたし、なるべく目立たないようにした。しかしそれでもいろいろ足りなかったんだ。
人を疑うことも、物事を裏を読むことも……僕にはまだまだ難しい。流石にこのままだと駄目だ。少しずつでもいいから成長したい。
夜の冷たい風が僕の顔を撫でた。僕はゆっくりと足を運んで、自分の部屋に向かった。