第49話.救いの一言
国王陛下のお言葉が頭から消えなかった。
僕が特別だということは、確かに事実かもしれない。何しろ『世界樹の実』を持っているのは全世界で僕一人だけかもしれないのだ。その力を自由に使うことができなくても、十分特別なんだろう。
でも……やっぱり実感が湧かない。僕という人間は羊飼いだった時とあまり変わっていないし。
「アルビン君」
「は、はい!」
「女伯爵様のご体調を確認しに行きましょう」
「はい!」
いつの間にかもう夕方だ。僕はレオノラさんと塔を出て、女伯爵の居所に向かった。
「あ、魔導士様」
ところで道の途中、白い服を着ている女性がレオノラさんに話しかけてきた。確か『アネス』という医者の人だ。
「実は女伯爵様の件で少し話したいことがあります」
「何でしょうか、アネスさん」
アネスさんは深刻な顔だった。
「魔導士様のおかげで、女伯爵様のお体は順調に回復していました。しかし……」
「しかし?」
「どういうことか……女伯爵様がお食事を召し上がろうとしません」
「そんな……お目覚めになりましたのに何故……」
それは本当に大変だ。あんなに衰弱しているのに、ちゃんと食べないと体が持たない。
「たぶん何かお悩みを抱えていらっしゃるのだと思いますが……私には一言も……」
「そうですか」
レオノラさんはちょっと考えてから頷く。
「分かりました。私が対策を講じてみます」
「頼みます、魔導士様」
アネスさんと別れて、僕たちは女伯爵の部屋に入った。小さい女伯爵は大きなベッドに寝ていて、その傍には二人の侍女がいる。いつもと同じだけど、今日の女伯爵は目を覚ましたままだ。
「女伯爵様、ご体調はいかがですか?」
レオノラさんが話しかけた。しかし小さい女伯爵は質問に答えず……僕の方を見つめる。
「昨日ご紹介させて頂いた通り、彼は私の助手のアルビンというものです。怪しい者ではないので、ご心配なさらずに」
レオノラさんがそう言ったが、女伯爵は僕から目を離さない。
「……彼のことがお気に召さないでしょうか。なら、部屋から出て行くように……」
「いいえ……!」
いきなり女伯爵が口を開いてきっぱりと答えた。その反応に僕とレオノラさん、そして侍女たちは少し驚いた。
「あ、あの……」
周りの人々を驚かせてしまったことを恥ずかしく思ったのか、女伯爵の顔が赤くなった。
「魔導士様」
「はい、何でしょうか」
「あの……」
「何か必要なものがございましたらお気軽に仰ってください」
小さい女伯爵はしばらく戸惑ってから、また口を開く。
「あ、あの……アルビンさんと……」
「アルビン君と?」
「アルビンさんと……二人っきりで話したいです……」
その言葉に皆もう一度驚いた。
「アルビン君と二人っきりで……ですか?」
「はい」
レオノラさんと侍女たちが僕の顔を見つめた。まるで何か答えを求めるかのように。しかし僕自身さえ何がどうなっているのか理解できない。
「お願いします……」
女伯爵がもう一度言った。レオノラさんは少し考えてから頷く。
「分かりました。私の助手を少しだけお貸しします」
「ちょっと待ってください、魔導士様。それは……」
侍女たちが困惑した顔で口を開いた。
「私たちは女伯爵様の命に従えばそれでいいんです。さあ、部屋から出ましょう。もちろんアルビン君は残るように」
侍女たちはまた何か言おうとしたが、結局レオノラさんと一緒に部屋を出た。それで部屋の中には小さい女伯爵と僕だけが残った。
「あの……」
僕は口を開いた。だが次の言葉を探すことが出来ず、すぐ黙った。
「アルビンさん」
「はい」
「私の傍に……近づいてください」
僕は更に困惑した。しかし11歳の少女とはいえ、相手は女伯爵だ。命に従うしかない……と判断した僕は女伯爵のベッドに近づいた。すると女伯爵は上半身を起こして、僕の方に両手を伸ばした。
「……私の両手を……握ってください。あの日のように」
「女伯爵様、それは……」
「お願いします……」
女伯爵がどこか切ない眼差しで僕を見つめた。結局その願いを拒むことができずに、僕は両手を伸ばして……小さい少女の両手を握った。
「……やっぱり」
少女の青い瞳に涙が溜まる。
「やっぱり私を助けてくださったのは……あなたでした」
「それは……魔導士様が……」
「いいえ、私には分かります」
少女の涙に濡れた瞳は、まるで僕の心の中まで見透かしているようだった。
「座り込んで泣いていた私に……あなたが手を伸ばしてくださいました。そしてあなたは……自分自身の苦しみを顧みず、私の手を離さなかったんです」
僕は目を伏せて、少女の小さい手を見つめた。
「そしてあなたはこう仰いました。『間違いを正すためにも、君はここで死んではならない。さあ、僕と一緒に行こう』……」
少女の瞳から涙が溢れ出る。
「お願いします。もう一度……その言葉を仰ってください……」
「かしこまりました。自分にできることなら……」
僕は落ち着いて答えた。僕の一言で、この少女の心が少しでも楽になれるのなら、迷う必要なんてない……そんな気がした。
「……間違いを正すためにも、君はここで死んではならない。さあ、僕と一緒に行こう」
僕が言い終えると、小さい女伯爵は声を殺して泣き始めた。