第47話.魔導士の助手
王城は大きく3つの区域に分けられる。
まずは庭園を中心に北側の『慈悲の女神、エイドリアの区域』。ここは宮殿と侍女たちの居所、そして訪問客のための宿泊施設がある。
そして東側には『戦争の女神、カルニアの区域』。ここは言葉通り戦争のためのところで、騎士たちの居所と王立軍の兵舎、武器庫などがある。
最後に西側の『知恵の女神、デイナの区域』がある。ここは学者たちと聖職者たち、そして城の守備兵たちのための空間だ。
「王城には出入が制限されている場所もいくつかあります。注意してください」
「かしこまりました」
王城での最初の朝……僕は『エイドリアの区域』の空き部屋でリナさんから教育を受けた。もちろんアイナも一緒だ。
「王城の中の礼儀は、外とは少し異なります。例えば片膝を折って頭を下げるのは、貴族に対する基本的な挨拶の一つですが、王城の中では王家の血を引くお方に対してのみその挨拶が許されます」
なるほど……つまり貴族出身の侍女たちにも普通に挨拶してもいいということだ。そしてエリン・ダビール女伯爵は確か姫様の従妹にあたるから、彼女の前では片膝を折るわけだ。
「国王陛下のいらっしゃるところでは、貴族であろうが平民であろうがみんな下の者。故に王族以外の貴族に対しては普通の挨拶の仕方で結構です」
国王陛下……どういう方なんだろう。賢明なお方だという噂なら何度も聞いたけど……。
「とはいえ、平民のあなたたちが貴族に気軽に接してもいいわけではありません。そのことを肝に銘じてください」
「はい」
やがて教育が終わると、僕は『デイナの区域』の白い塔に入って、王室魔導士のレオノラさんの研究を手伝う。
「ふむ……実に興味深いね」
「あの……レオノラさん、もう服を着てもよろしいでしょうか」
「駄目」
「……はい」
『研究を手伝う』といっても、実は僕自身が研究対象だ。僕が上半身を脱いだまま椅子に座っていると、レオノラさんが僕の体のあちこちを触る。
「実に興味深い……」
……これ、ちゃんとした研究だよな? レオノラさんの趣味とかではないんだよな?
「そう言えば、アルビン君は弓術を習ったって?」
「はい」
「だから肩と背中の筋肉が凄いのね。服の上からだと少し体格のいい人にしか見えないけど……このくらいなら王城の兵士たちにも負けないわね」
今のは褒め言葉かな? でもそれと研究と何の関係があるんだろう。やっぱりただのレオノラさんの趣味なんじゃ……。
「それにしても本当に不思議ね」
レオノラさんが真面目な顔になって考え込む。
「世界樹の実は人間の魔力に反応する。それなのに魔力を持っている姫様ではなく、何故アルビン君の方を選んだのかしら……」
それについては僕ももう何度も考えてみた。しかし僕の知識では答えを見つけられるはずがない。
「一つ考えられるのは……誰かが条件を設定したことかな……」
「条件……ですか?」
「うん、世界樹の実を自由自在に使えるほどの魔導士なら……何か条件をつけて『こういう人間を選ぶように』と設定できるかもしれない」
「それで……僕が知らないうちにその条件を満たした……?」
「まあ、あくまで仮説だけどね」
ふと僕の脳裏に美しい女性の姿が浮かんだ。姫様が『古代エルフ』だと説明した、あの幻影の女性だ。幻影を作るほどだから凄い魔導士のはずだし、条件を設定したのは彼女なんだろうか。
「私の知っているかぎり、現時点で世界樹の実を持っているのはアルビン君一人しかいない」
「他の国にも……いないんですか?」
「世界樹の実の在処を探すために記録や情報を隅々まで調べたの。その結果、30年ほど前にその力を使っていた少女が行方不明になったという記録が最後だと判明した。つまりアルビン君は30年ぶりに現れた……世界唯一の選ばれし人間ってわけ」
僕は少し衝撃を受けた。僕が世界で……唯一? 何故僕が……?
「だからこそ、できるだけ研究しておきたいの。この機会を逃すと、次の選ばれし人間が出現するまでまた何十年も待たなければならないかもしれないからね」
「そうですね」
僕はレオノラさんの指示に従って、体を動かしたり魔法に関する本を読んだり、不味い薬草を食べたりした。僕には正直よく分からないけど、まあ何か意味のある研究なんだろう。
そして夕方になって研究が終わると、僕は再び『エイドリアの区域』に行って小さい女伯爵の両手を握る。
「辛くても耐えてね」
「はい」
レオノラさんが魔法を発動すると、今度も水に溺れたかのような苦しさが感じられた。しかし一度経験したことだからか、今度は気を失うことなく最後まで耐えた。
「よく耐えたわね。ほら、女伯爵様の顔色がよくなったでしょう?」
レオノラさんの言う通りだ。小さい女伯爵の様子は、最初見た時より随分よくなっていた。呪いに苦しんでいるというより、ただ寝ているようにも見える。
ふとアイナの寝顔を思い出した。妹と同い年の女伯爵の寝顔は、妹と同じくらい可愛い。見ているだけで心が温まる。
何故僕が世界樹の実に選ばれたのか、それはまだ分からないままだ。しかし選ばれたおかげで罪のない子供を救い出すことができる。今はその事実がとても嬉しい。
「疲れたんでしょう? 明日もアルビン君の力を借りるから、ゆっくり休んでね」
「はい、また明日もよろしくお願いいたします」
レオノラさんと別れた僕は、庭園の近くの空き地に行った。そこには予定通りリナさんとアイナが僕を待っていた。
「お兄ちゃん」
アイナは少し疲れた顔だった。妹もいろいろ大変な初日を過ごしたんだろう。
「ふふ……兄妹揃って疲れた顔ですね」
リナさんの笑顔はいつ見ても魅力的だ。いや、アイナの前だからリナさんのことをじっと見つめるのはやめておこう。
それからしばらく3人で世間話をした。主にアイナの仕事に関する話だ。
「アイナは素直で飲み込みも早い。教え甲斐のある子です」
「それは……よかったですね」
リナさんの褒め言葉に、僕は驚きながらも嬉しかった。アイナは顔が真っ赤になった。
「時間も遅いし、今日はこの辺にしておきましょう。では、また明日」
「お兄ちゃん、また明日!」
二人と別れた僕は居所に戻り、体を洗って眠りについた。それで魔導士の助手としての初日が終わった。
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そういう日々を繰り返しているうちに、僕とアイナは王城での生活に慣れてきた。まだ分からないことも多いけど、やっぱり慣れればどうにかなるわけだ。
王城の侍女たちや守備兵たちは僕のことを『魔導士の助手』とか『助手さん』と呼び始めた。ついこの間まで『羊飼い』と呼ばれていたから、ちょっと新しい気持ちだ。出世した……と言えるのかな?
そして『魔導士の助手』と呼ばれ始めてから一週間後……ついに僕は目標を達成した。
「っ……」
いつも通りに女伯爵の両手を握って苦しみに耐えていた時……変化が起きた。小さい女伯爵が……目を覚ましたのだ。
「あなたは……?」
目を覚ました少女は、大きい瞳で僕を見つめた。