第35話.進軍
僕は王立軍と共に歩きながら、軍隊の進軍は決して速くないということを学んだ。安定した進軍のためには考慮しなければならない問題がたくさんあるからだ。
まず兵士たちの状態を気にしなければならない。強行軍を敢行しすぎて兵士たちが体力を使い切ってしまうと、それ以後の予定が狂う恐れがある。それに、一人でも急病人が出たら部隊全体に悪影響を及ぼす。だから兵士たちの状態をこまめに確認する必要がある。
次に地形の問題がある。今この部隊は馬車を連れているから、道を選ばなければならない。狭すぎると駄目だ。だから偵察隊を先走らせたりして、地形を把握しておく必要がある。まあ、王立軍の兵士たちからすればデイルに来る時に一度通った道だから、地形はもう把握済みだけど。
そして進軍に必要な物資、つまり食糧の問題がある。何事も食べ物がないと話にならない。荷馬車の中に積んでいる食糧は無限ではないし、そもそも食糧って時間が経てば腐ったり痛んだりするから常に補充することが不可欠だ。そのため進軍の途中、付近の村から可能な限り食糧を買っておかなければならない。
最後の問題は情報漏洩だ。この部隊は現在姫様を護衛しているけど、そのことが外部に知られてはいけない。だから下手に人の住む村の中に泊まることができなく、ちょっと離れた場所を選んで野営するわけだ。もちろん兵士たちが外部の人間と勝手に接触することも禁じられている。
つまるところ、軍隊の進軍は『ただ早く行けばいい』ってものではない。部隊を安全に移動させるためにそれなりの戦略を組む必要がある。『兵士たちの状態』、『周りの地形』、『食糧の備蓄』、『作戦に関する情報』などを考慮に入れて最適の道を探す……それがこの部隊の指揮官であるケイト卿の仕事ってわけだ。
進軍の時、僕はいつもケイト卿の傍で歩くから、彼女の仕事を目にすることができる。騎士に憧れていた僕としては実に興味深かった。まあ、平民の僕が騎士の仕事とか軍隊についての知識を得ても使い道はないけど。
「ここらへんで休憩する」
ケイト卿の指示で、部隊は湖と森の境目に止まった。水が近くにいるだけで安心できる。兵士たちは早速昼食の準備を始めた。
忙しく動いている兵士たちの間にアイナの姿も見えた。アイナは走り回りながら何か言葉を伝えたり、仕事を手伝ったりしていた。しかも何人かの兵士たちとはもう親しくなったようで、時々『アイナちゃん』と呼ぶ声がした。
流石アイナだ。僕なんか兵士たちが怖くて逃げたのに。
「アルビン君、ちょっと手伝ってくれ」
「はい!」
僕は急いでヒルダさんに近づいた。ヒルダさんは敷物に座って装備の手入れをしていた。剣、メイス、盾、弓、兜、鎧……全てケイト卿のものだ。騎士の装備を手入れするのは従者の大事な役目だ。僕はヒルダさんを手伝って、手入れが終わった装備を整理して木箱に入れた。
「凄い……」
騎士の装備の中でも鎧は本当に素晴らしかった。とても頑丈で、つなぎ目にもほとんど隙がなく、思ったより重くもない。こんな板金鎧を装備した騎士なら弓で対抗することはほぼ不可能なはずだ。しかもその騎士がケイト卿のような実力者ならまさに無敵……。
ふと笑いが出た。僕は戦争を防ぐために王都へと旅立ったはずだ。それなのに何故こんなにも戦争道具が素敵に見えるんだろう。ちょっと矛盾じゃないか?
「興味あるのか?」
「はい?」
ヒルダさんが突然話しかけてきた。
「ケイト卿の鎧に興味あるのか?」
「はい! もちろんです!」
思わず大声で答えたら、ヒルダさんが微かな笑みを浮かべた。
「その鎧は、『ペルガイア』の名匠が制作したものだ」
「ペルガイアなら……あの『獅子騎士団』を保有している王国ですね」
「知っているのか?」
ヒルダさんがちょっと意外という顔つきになった。
「はい、本で読んだことがありまして」
「本か……平民にしては珍しいな」
ちょっと恥ずかしくなった。実を言うと、僕はペルガイアの正確な位置すら知らない。ただ騎士が好きだから獅子騎士団の勇猛さについて読んだことがあるだけだ。
「白金騎士団に入団する騎士は、各国の名匠に特別仕様の鎧を作ってもらうことが伝統だ」
「そうですか」
「つまりその程度の財力も持っていない騎士は白金騎士団に入団することができない……
とも言える」
「でも……騎士になれるのは貴族だけだから、お金に困ったりはしないと思いますが」
僕の言葉にヒルダさんがまた微かに笑った。ヒルダさんってコルさんと同じく無愛想で無口だと思っていたが、それは僕の見間違いだったようだ。
「そうでもないさ。同じ田舎の貴族でも、君の村のように豊かなところの領主と、不毛の地の領主は大きな差がある」
デイルがそんなに豊かなところかな? まあ、確かに毎日ちゃんとした食事ができるのは大きいけど。
「……とにかく、そのペルガイアの鎧は特別仕様の素晴らしい代物だ。我が王国では再現できない技術で作られて、並大抵の武器は通用しない」
「凄いですね。こんな鎧を着た騎士ならまさに無敵でしょうね」
ヒルダさんが首を横に振った。
「それはちょっと違うな」
「はい?」
「確かに敵より優れた装備を持っていれば大幅有利になる。しかしだからといって無敵とか、そういうふうに思うのは危険だ。戦場での油断はいとも容易く死に繋がる」
いつの間にかヒルダさんの顔から微かな笑みが消えていた。
「戦術だって同じさ。いくら優れた戦術だとしても、いつまでも通用したりはしない。敵も人間だからいつかは対策を立てる。だから一つの戦術に拘り過ぎて柔軟性を忘れてはいけない」
「そう……ですね」
「まあ、今のはケイト卿の受け売りだけどな」
ヒルダさんが敷物から立ち上がった。話しているうちに装備の手入れが終わったのだ。