第131話.敵の事情
エリックの冷たい瞳を見て、僕は寒気を感じた。
彼は根からの悪人ではない。それは確かだ。しかし彼の瞳は……怒りと憎しみによる狂気に満ちていた。
「まあ、そんな顔するなよ」
僕の気持ちに気付いたのか、エリックが気まずく笑う。
「反乱とか大げさなことを言ったけど……ただこれ以上エルフ族が舐められないために、一発仕返しがしたいだけだ」
「……そんなことをしたら、ますますエルフ族が差別されるんじゃないでしょうか」
僕が反論すると、エリックが首を横に振った。
「弱い奴をいじめるのは人間の本性だ。結局エルフ族が弱いと思われているから差別を受けるのだ。力を示す以外に道はない」
エリックの言うことにも一理がある。だが……。
「エリック」
セトが口を挟んだ。
「パバラの雰囲気はどうだ?」
「セトさんの予測通りです」
エリックがセトを振り向いて答えた。
「中心都市である『カタニア』を始め、多くのエルフ族がパバラから脱走しています」
差別が激しくなって、エルフ族がパバラから逃げているのか。
「『小さな女伯爵』はどうにか民心を収拾しようとしていますが、無理でしょうね」
『小さな女伯爵』……エリンのことだ。
「当然だ。今更『エルフ族を差別してはいけない』とか言っても、反発を食らうだけだ」
セトがちらっと僕の方を見た。
「女伯爵には政治家としての経験などないし、領地から長期間離れていたから人望もない。頑張れば頑張るほど無駄だ」
僕は拳を握った。この人たちのせいで、エリンが……!
「マリアはどうしている?」
「彼女は元気です。セトさんの帰還を知ったら、きっと喜びますよ」
「今から会いに行く。山の入り口付近に狼たちの死骸があるから、明日回収しておいてくれ」
「はい、かしこまりました」
セトと僕は部屋から出て洞窟の通路を歩いた。そして数分後、別の部屋の扉をノックした。すると中から「はい、どうぞ」という女性の声が聞こえてきた。
「セトさん!」
セトと僕が入ると、ベッドに横になっていた女性が上半身を起こした。
「久しぶりだな、マリア」
「お帰りになりましたね」
僕は『マリア』を観察した。彼女は黒髪のエルフ族で、一目で分かるほど病弱な少女だ。たぶんほとんどの時間をベッドの上で過ごしているはずだ。
「あの、セトさん。レベッカは?」
「心配は要らない。彼女は安全な場所に待機させた」
「そうですか……」
マリアは残念そうな顔になった。それで僕ははっきり分かった。レベッカさんが言っていた『親友』は、このマリアだ。
マリアは暴力団による恐ろしい事件の被害者で、セトによって助けられた。今はここで療養しているんだろう。
「セトさんの後ろの人は?」
「こいつはアルビンだ」
「アルビン……じゃ、あの噂の?」
マリアが僕を凝視した。そんな彼女はまるで小動物みたいで……どこかレベッカさんに似ていた。
「アルビンと申します」
「マリアと申します。よろしくお願いします」
挨拶を交わしてからも、マリアは僕を少し警戒するような態度だった。
「お前が元気にしているようで安心した」
「セトさんのおかげです」
「遅い時間にすまなかった。私たちはこれで失礼する」
セトと僕はマリアの部屋から出た。セトとしては彼女に負担をかけたくないんだろう。
僕たちは再び洞窟の中を歩いて、今度は空いている部屋に入った。
「しばらくここに泊まる」
「はい」
「まず体を洗いに行こう」
部屋に荷物を置いて洞窟の奥に向かった。そこには……温泉があった。しかも天井に穴があって夜空が見える。反乱軍の隠れ家にこんなものがあるなんて想像外だ。
セトと僕は松明の光に頼って体を洗った。数日も野営をしたから、ちゃんと体を洗えるのはありがたい。
「セトさん」
一緒に温泉に浸かって、僕はセトに話しかけた。
「何だ」
「エリックさんは……どうして反乱軍になったんですか」
僕の質問に、セトはしばらく沈黙してから答える。
「エリックは……もともとこの王国の士官だった」
「士官……」
軍人だったのか。
「有能で誠実で、王国への忠誠心も高い士官だったから……エルフ族にしてはそれなりに出世したのさ」
「なるほど」
「しかし貧民上がりでエルフ族のエリックが出世したことに嫉妬する人間が多かった。そんなやつらの手によって、ある日エリックは敵国のスパイだという濡れ衣を着せられた」
「そんな……」
セトの顔に冷たい笑みが浮かんだ。
「酷い拷問を受けたエリックは、結局自分がスパイだと偽の自白をした。有能な士官が一瞬で反逆者に成り下がったのさ。そしてその知らせを聞いた市民たちは『最初からエルフ族なんか信用してはならない』と激怒して……エリックの家に放火した」
そんな……とんでもない……。
「エリックの家族たちは全員死亡、エリックは監獄で廃人同様になった」
「そんなエリックさんを救い出したのが……セトさんなんですね」
「ああ」
僕は視線を落とした。セトは温泉から出て、布で体を拭いた。
「ここにいる連中はみんなそういう事件の犠牲者たちだ。どうだ、彼らを平和な道に導くことができそうか?」
僕は何も言えなかった。
「さっきも言っただろう。敵の事情なんて、知っても余計に戦いににくなるだけだ」
セトは服を着てその場を去った。