第120話.烙印
僕は拳を振るった。素手で戦った経験はないし、訓練もしたことないが……それでも全力で振るった。しかしセトはそんな僕の拳をいとも簡単にかわした。
勝てないことは分かっている。しかしだからといって何もしないわけにはいかない。
「動作が大きすぎる」
呟きとともに、セトの右拳が僕の横腹に刺さった。
「ぐっ……!」
衝撃が全身に広がったが、僕は歯を食いしばって耐えた。そして拳を振るい続けた。でもその結果はセトに殴られ続けることだった。
「うぐっ……!」
口から血の味がした。もう何度殴られたか数えられないほどだ。その反面、僕の拳は一度も当たらなかった。
「いくら『世界樹の実』があるとしても」
セトが口を開いた。
「決して死なないわけではないぞ」
やっぱり僕の世界樹の実について知っていた。そもそも世界樹の実は古代エルフの秘宝だ。セトが本当に古代エルフなら知っていてもおかしくない。
それにレオノラさんの推測によると、セトも世界樹の実を持っている。しかも僕とは違ってその力を完全に制御している。強くて当然だ。
「お前は私が隙を見せるまで諦めずに戦うつもりだろう」
セトが冷たい口調で言った。図星だ。
「でも私は隙なんか見せない。まだ分からないのか」
「だとしても……!」
分かっている。セトはサイモンとは違う。サイモンは一秒でも早く僕を殺したくて、急いだせいで隙を見せた。でもセトはあくまでも冷静沈着で僕の動きに対応しているから……隙なんか生じない。しかし……だからといって諦めるわけにはいかない!
僕は再び拳を握りしめて、痛みをこらえた。
「……本当に似ているな」
何?
「捕虜にも優しくするくせに、いざとなったら諦めを知らない……まったく同じだ」
「何の話だ?」
僕の質問に答えは返ってこなかった。
「やっぱりお前を制圧するためには、動けなくなるまで殴るしかないのだな」
それからだった。今までは僕の動きに対応するだけだったセトが……積極的に攻撃してきた。
「ぐはっ……!」
彼は拳と足を使い、急がずにじっくりと僕をぶち壊した。腕、足、首……僕の全身が壊れ続けた。そして数分後……僕はボロボロになって倒れた。もう痛みすら感じられなくなっていた。
「やっと終わったか」
セトは倒れている僕に近づき、手を伸ばして僕の右手を握った。するとセトの全身から光が出てきた。
「見ろ」
僕の右手の甲に……赤い円が描かれた。
「これは『奴隷の烙印』というものだ」
烙印?
「もし逃げたり、反抗したりしたら……この烙印がお前の命を蝕む」
何だと……?
「お前は世界樹の実を持っているから、すぐは死なない。だが苦痛が長くなるだけだ」
「セ、セト……」
「たとえ右手を切り落としても烙印は消えない。理解したか?」
セトが僕の手を放した。
「レベッカ」
「はい」
「こいつを治療してやれ」
「分かりました」
レベッカさんが薬草や包帯を持ってきて、僕の怪我の手当てをしてくれた。僕は彼女に何か言おうとしたが……いつの間にか気を失った。
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僕はある女性の前に立っていた。
その女性はエルフ族だった。腰まで届く長い金髪と、布を巻いたような服装のおかげで神秘的な雰囲気だった。もうこの世の人というより……女神のような姿だ。
「申し訳ございません」
エルフの女性が僕に謝った。何で謝るんだろう。
「あの子たちの争いに貴方を巻き込んでしまって……本当に申し訳ございません」
あの子たち……?
「世界樹の実はただの道具にすぎません。道具をどう使うかはその人次第です」
世界樹の実……思い出した。この人は……古代エルフの神殿で幻影として現れ、道を示してくれた人だ。
「だから私はアルビンさんに……」
女性の声がだんだん小さくなり、やがて何も聞こえなくなった。僕の視野もだんだんぼやけ始め、やがて何も見えなくなった。
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どれだけ時間が経ったんだろうか。目の前に美しい星空が広がっていた。
僕は自分が仰向けになっていることに気付いた。思わず体を動かそうとした途端、激しい痛みを感じた。
「うっ……!」
全身に激痛が走った。また気を失いそうだった。
「動かないでください」
傍から女性の声が聞こえてきた。目を向けるとレベッカさんが僕の傍に座っていた。
「生きているのが不思議なくらいです」
僕は体中に包帯を巻かれて、焚き火の近くで仰向けになっていたのだ。レベッカさんがずっと看病してくれたんだろう。
「レ、レベッカさん……」
僕はやっと言葉を発した。
「どうして……」
激痛のせいでそれ以上は言えなかった。でも僕の言いたいことは彼女に伝わったはずだ。
「セトさんの話によると、アルビンさんも魔法の力をお持ちのようですね」
レベッカさんは意図的に話を逸らした。
「どうやら魔法の力も……別に人を幸せにしてくれたりはしないようです」
彼女は口を黙った。僕は美しい星空を見上げながら……夢の中で聞いた言葉を思い出した。