第107話.予期せぬ一撃
次の日、僕たちは調査を続けた。今回調査する場所は……小規模の売春宿たちだ。
売春宿ってのは言葉通り売春をする宿だ。一見普通の宿屋とほぼ区別がつかないけど……看板に若い女性の姿が描かれていたり、花形の飾りが壁に付けられていて、そこが売春宿であることを示していた。
朝早くから街中の売春宿たちを調査し回ったけど、皆反応が同じだった。
まず兵士たちが売春宿を包囲すると、宿の主人が慌てる様子で出てくる。そして主人はギボン伯爵にすぐさま駆けつけて「これはどういうことですか、伯爵様!」と真っ赤な顔で聞く。するとギボン伯爵が「大事な公務のためだ。少し調べさせてもらう」と答えて、僕とレオノラさんが調査を始める……大体そんな流れだ。
小さい宿を調査することは別に難しくないし、昨日みたいに寒さに震える必要もない。でも……一つだけ問題があった。調査をしている間、ずっと娼婦たちが不満そうな顔でこっちを睨んでくるってことだ。まあ、彼女たちからすると営業妨害だし、面倒くさいだろうから仕方ないけど……これは流石に気まずい。
娼婦たちは……全員派手な化粧をしている若い女性だった。しかも冬なのに薄い服を着ていた。そんな人々が一斉に睨んでくることは……僕としてはちょっと精神が削られる。
「アルビン君」
「は、はい」
「男の子だから気になるのは理解できるけど、警戒を怠らないで」
「はい!」
レオノラさんの言う通りだ。今は大事な任務中なのだ。余計なことで集中力を乱されるわけにはいかない……!
「ここも何もないわね。次行きましょう」
「はい」
ギボン伯爵の説明によると、グレーポートにはこういう小規模の売春宿が10ヵ所以上あるそうだ。それらを今日中に全部調査するためには休んでいる暇もない。僕とレオノラさんは汗をかきながら歩き続けた。
「うっ……」
しかしちょうどその日の調査を終えた時……レオノラさんが少しふらついた。
「レオノラさん、どうしたんですか?」
「何でも……」
「いや、顔色悪いですよ……!」
僕は驚いた。今日一日ずっと周りを警戒していたけど……逆にすぐ隣にいるレオノラさんの状態に気付いていなかった。
慌てて周りに知らせると、ギボン伯爵がすぐ馬車を呼んでくれた。それで僕たちは急いで伯爵の屋敷に戻り、レオノラさんを暖かい部屋で休ませた。
「ちょっと無理したみたいね」
ベッドに横になって、レオノラさんが自嘲気味に笑った。
「すみません。僕がもっと早く気付くべきでしたのに……」
僕は自分を責めた。僕自身は『世界樹の実』を持っているから少し無理しても平気だけど、他の人はそうではないのだ。しかもレオノラさんはケイト卿やヒルダさんのように鍛錬したわけでもない。普通の女性……いや、いつも研究ばかりで運動不足だから普通の女性よりも体力がない。
「王室魔導士様に無理をさせてしまった私の責任です」
ケイト卿も暗い顔で自分自身を責めた。
「いいえ。急を要する任務の途中、こんなことになってしまって申し訳ございません」
レオノラさんさえも自分自身を責めた。何せ、レオノラさんが動けないと調査も進められない。
「調査は魔導士様の体調が回復してから再開しましょう。今は何よりもお体を大事になさってください」
「はい」
「アルビン君もしばらく休憩を取ってくれ」
「は、はい」
「では、自分はこれで失礼いたします」
ケイト卿が部屋を出た。僕も女医者にレオノラさんのことを任せて部屋を出た。男の僕が一緒にいると少し困ることもあるだろう。
しかし……これからどうすればいいのかな。調査も一時中止になったし、僕としてはただひたすらレオノラさんの回復を待つしかないのか……。
「アルビン君」
華麗な屋敷の廊下をうろついている僕を誰かが寄んだ。この声量のある声は……ギボン伯爵だ。
「伯爵様」
「魔導士様のご容態はいかがかね?」
「どうやら……数日は休憩が必要だそうです」
「そうか……」
ギボン伯爵がゆっくりと頷いた。
「じゃ……その間、調査は一時中止だな」
「はい」
「まあ、君も無理せずにしばらくゆっくりしてくれ」
「はい」
「あ、そうだ」
ギボン伯爵が手のひらを叩いた。
「アルビン君、文字は読めるよね? 2階に上がって左の部屋が書斎だから、ぜひ訪ねてみたまえ」
「分かりました」
僕が答えると、ギボン伯爵は急ぎ足で屋敷を出た。領主としての忙しい用事があるんだろうか。
書斎か……確かに興味がある。どうせしばらく僕も動けないから、何か本でも読んでいた方がいいだろう。僕はギボン伯爵の配慮に感謝し、屋敷の2階に上がった。
「ここか……」
言われた通り、階段から左の部屋の扉を開いた。すると書物で詰まった本棚が何台も見えた。流石に王都の魔導士の塔には劣るけど……それでも凄い量だ。
「あ、小説」
思わず声を出した。魔導士の塔には学術書しかなかった。しかしここには小説もいっぱいある。小説好きの僕としては嬉しいことだ。
どれがいいかな。しばらく悩んだ僕は結局『薔薇の騎士』という小説を選んだ。まあ、クロード卿から現実の騎士について学んだし、もう幻想は捨てたけど……それでもやっぱり僕は騎士の物語が好きだ。
僕は本を持って自分の部屋に戻り、ベッドに座って読み始めた。『薔薇の騎士』は、題名通り薔薇の騎士という異名を持つ騎士を主人公とした小説だった。美男子で王国一の剣術を誇る主人公が姫に変わらない愛を誓い、彼女のために戦うという内容で……ちょっと典型的だけど緊張感のある物語だった。
そうやって1時間くらい小説の世界に浸っていたところだった。急に音がして、僕は本から目を離した。誰かが僕の部屋の扉をノックしたのだ。
「失礼いたします」
女性の声が聞こえてきた。僕は「はい、少々お待ちください」と答えて身を起こし、扉に近づいて取っ手を回した。すると……一人の若い侍女が見えた。
「アルビンさん、どうぞこれを」
侍女は僕にお皿を渡してくれた。お皿の上にはお菓子と暖かい飲み物が入っているコップがあった。僕はお皿を手にして「ありがとうございます」と頭を下げた。
「あの……」
侍女が僕の顔を凝視しながら口を開いた。
「ア、アルビンさんですよね? 王都で人々を守って戦ったお方……」
僕は驚いたが、すぐその質問の意味を理解した。この侍女も……『騎士殺し』の噂を聞いたのだ。
「いいえ、自分はそんな大したことはやっていません」
「そうですか? でも……皆言っていますよ。アルビンさんこそがあの話題の……お方だと」
侍女は『騎士殺し』という言葉を敢えて避けた。僕は仕方なく肯定した。
「王都を少し騒がせたのは事実ですが……」
「やっぱり……!」
侍女が目を輝かせた。
「私、アルビンさんの話を聞いて凄く感銘を受けまして……ぜひ一度お会いしたいと思っておりました」
「そ、そうですか。ありがとうございます」
僕は慌てた。すると侍女も『失言してしまった』という顔になって慌てた。
「あ、あの……屋敷内で不都合なことや、必要なものがありましたらぜひお知らせください」
「分かりました」
「それでは失礼いたします……!」
侍女は急ぎ足で去っていった。しかし僕はしばらくぼーっとしたまま扉の前に立っていた。
「え……?」
い、今の侍女の反応は……? まさか……。僕は一旦ベッドに座って落ち着こうとした。
『騎士殺し』として王都の話題になった以来、僕はたまに女性たちから視線を受けた。しかし誰かが直接話しかけてきたのは初めてだ。しかも相手は年の近い女の子だ。ど、どうすればいいんだ……? い、いや……これは僕の勘違いだろう? そうだ、そうに決まっている。
ああ、これは僕の勘違いだ。相手に失礼な行為だ……! 予期せぬ事態に動揺した僕は、そう思おうと頑張った。