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羊飼いと亡国のお姫様  作者: 書く猫
第11章.追跡
106/131

第106話.昔話

 なかなか眠れなかった。

 他の人々はすぐ眠りについた。旅と調査のせいで疲れたんだろう。しかし僕は体内の『世界樹の実』が勝手に体力を回復させてくれるおかげで、別にそこまで疲れていない。

 結局僕はベッドから身を起こして、部屋の中を眺めた。ギボン伯爵が用意してくれた部屋は豪華だった。一人で泊まるには広すぎるし、飾り物や家具はどれも高価なものばかりだ。どう見ても貴族の部屋で……ちょっと僕には慣れにくい。それも眠れない理由の一つなんだろう。

 僕は静かに部屋を出て屋敷の内部を歩いた。屋敷のところどころにはランタンが設置されていて、夜なのに明るかった。おかげで壁に飾られている素晴らしい絵画を見回ることができた。


「眠れないのかね?」


 後ろから声が聞こえてきた。振り向いたら……この屋敷の持ち主、ギボン伯爵がランタンを手にして僕を見つめていた。


「伯爵様」


 僕が片膝を折って頭を下げると、伯爵は「そこまで改まる必要はないよ」と答えた。


「いい絵画たちだろう」

「はい」

「一緒に見て回ろうか」

「はい」


 僕とギボン伯爵はしばらく一緒に歩いた。ギボン伯爵は僕に絵画についていろいろ話してくれた。


「この絵は……」


 ふとギボン伯爵が立ち止まって、一枚の絵画を指さした。それは……羊飼いが羊たちを連れてどこかに向かっている絵だった。


「遥か東の、ウルぺリアという王国の巨匠が描いた作品でね」

「はい」

「羊飼いと羊たちの平和な風景を描いたもの……とも見えるけど、実はそうではない」

「そうですか」

「ああ、羊飼いをよく見たまえ」


 僕は絵の中の羊飼いを観察した。確かに彼は……強張った表情だった。


「周りを警戒しているのさ」


 なるほど……。


「ウルぺリアの国王は、怠惰な人だと知られている。だから巨匠はこの絵を国王に捧げて『指導者は民を守るために周りへの警戒を怠らないべき』と伝えたかったのさ」


 この絵にそんな意味があったのか。


「しかしウルぺリアの国王はこの絵の意味が理解できず、遊興費を調達するために商人に売ってしまった。おかげで今は私の屋敷に飾られているわけだ」


 ギボン伯爵は絵画から目を離して、僕の方を振り向いた。


「君の話は聞いた」


 僕は視線を落とした。


「あれだけ王都を騒がせたんだからな。このグレーポートにも君のことが話題だったのさ」

「そうですか」

「ああ」


 僕とギボン伯爵は場所を移して、玄関の近くの椅子に並んで座った。


「君の話は……実に興味深かった」


 ギボン伯爵が口を開いた。


「白金騎士団の騎士や、パバラの大領主が一人の平民のために戦ったという話は……誰も想像できなかったことだからな」


 僕は何も言わず、ギボン伯爵の声に耳を傾けた。


「私にとって一番興味深かったのは、貧民たちが君のために暴動を起こそうとした話だった」


 ギボン伯爵が僕の顔を凝視した。


「実は私も似たようなことを経験したのさ」

「そう……ですか」

「ああ。もう30年前の話だし、君とは正反対の立場だったけどね」


 僕は驚いた。ギボン伯爵にもそういう経験があったのか。


「今はこうも太ってしまったが……」


 ギボン伯爵は自分の体を見下ろした。


「私も昔はいろんな冒険を経験したんだ。無茶なこともよくやらかした」


 彼は笑顔になった。


「家のことは兄に任せて、次男の私はふと家出をして流浪者たちと一緒に旅をしたからな。そりゃ問題児だとしか言えないさ」


 僕は若い頃のギボン伯爵を……背の高い冒険者であった彼の姿を想像してみた。


「しかし兄が戦争で命を亡くして、私が家を継ぐことになった。責任感なんか持ち合わせていなかった私はそのことが死ぬほど嫌だったから、領主としての仕事もせず怠惰な生活を送ったんだ」


 ギボン伯爵は顔を上げて、自分の屋敷を見回した。


「お金は使いきれないほどあったからな。そのまま一生怠惰な領主で生きることもできたのさ。でもある日……事件が起きた」

「どういう事件でしたか?」


 僕が聞くと、ギボン伯爵の顔が暗くなった。


「グレーポートの西に、ある女性が住んでいたんだ。美人で親切で……しかも孤児院を建てて戦争孤児たちを養っていたから、そりゃもう聖女と呼ばれるほど素晴らしい人だった」


 僕は頷いた。本当に童話の中の聖女みたいな話だ。


「しかしある日、その聖女みたいな女性が……無惨に暴行され、殺されたんだ」

「そんな……」

「私も現場調査に立ち会ったけど、本当に残酷な事件だった」


 ギボン伯爵の顔が更に暗くなった。


「グレーポートの人々は激怒して、直ちに犯人を捕まえろと声を上げた。怠惰だった私もその声を無視することはできず、総力を挙げて犯人を探し出そうとした。しかし……証拠があまりにも少なくて、調査は迷宮入りとなった」


 僕は息を殺して話を聞いた。


「そして事件発生から2週後のことだった。多くの人々が集まって、一人の男をその事件の犯人だと告発した」

「本当にその男が……犯人だったんですか?」


 僕の質問にギボン伯爵は首を横に振った。


「確かに疑わしい点が多かった。その男はエルフ族で、軽犯罪を犯して逮捕されたこともあり評判が悪かった。事件現場の近くに住んでいたし……事件当日は家にいたと主張していたけど、それを証明することはできなかった。でも……だからといってそいつが犯人だという決定的な証拠があるわけではなかった」


 ギボン伯爵は眉をひそめた。


「しかし事実とは関係なく、噂だけが広まった。嘘の噂がな。そのエルフの男が普段から被害者を狙っていたとか、犯罪組織の手先だとか、以前にも殺人を犯したとか……無責任で何の根拠もない噂ばかりだった」


 僕は自分自身のことを思い出した。僕が王都の話題になった時も……僕の過去についていろんな噂が流れた。もちろん全部嘘の噂だ。


「噂とは裏腹に、いくら調査してもその男が犯人だという決定的な証拠は見つからなかった。それで結局、私はそいつを釈放しようとしたけど……人々がそれに不満を持ち、暴動を起こそうとしたのさ」

「そんな……」

「ああ、君の話とは正反対だろう?」


 ギボン伯爵が苦笑した。


「暴動が起きたら、少なくとも数百の人々が死んだり怪我をするだろう。だから私は悩んだ。社会の度辺である一人のエルフを助けるか、数百を超える人々を助けるか……必死に悩んだ」

「それで……どういう選択をなさったんですか?」


 僕の質問すると、周りは沈黙に包まれた。


「私は……」


 やがてギボン伯爵が沈黙を破った。


「私はエルフの男を処刑した」


 答えてから、彼は再び口を黙った。僕も何も言えなかった。それで時間だけが流れた。


「君なら」


 ギボン伯爵が再び沈黙を破った。


「君ならどうするんだ?」

「僕は……」


 僕も小さい声で答えた。


「僕は……釈放します」

「人々が君のことを恨み、暴動を起こすとしても?」

「はい」

「なるほど。君には……指導者の資質があるな」


 ギボン伯爵は頷いた。


「指導者は……誰もが迷う時に、決断を下せる人間だからな。その決断がいい選択か否かは別として」


 ギボン伯爵が椅子から身を起こした。


「まあ、その事件以来……私も少しは怠惰な態度を直したのさ。お酒が増えて逆に太ってしまったけどな」


 彼は笑顔になった。どこか寂しいようにも見えるし、楽しいようにも見えた。


「昔話に付き合ってくれてありがたい。じゃ、私はこれで失礼するよ」


 ランタンの光と共に、ギボン伯爵は屋敷の奥へと向かった。

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