第102話.道中
僕は最後にもう一度荷物を確認した。
短剣と剣、弓と矢、服や生活用品などが入っている革鞄……これで十分だ。お金とか他の大事なものは鉄箱にしまっておいた。
「よし」
確認を終えた僕は部屋を出て扉をしまった。そしてすぐ隣の部屋まで行き、軽くノックした。
「ちょっと待っててね!」
中から女性の声が聞こえてきた。しばらく待っていると、扉が開いてレオノラさんが姿を現した。彼女は両手いっぱい荷物も持っていた。
「僕が持ちます」
「ありがとう。じゃ、こちらをお願い」
僕はレオノラさんの左手の荷物を代わりに持った。そして僕たち二人は一緒に居所を出て王城の門に向かった。冬の朝の空気はとても澄んでいて、寒いけど気持ちよかった。
「あれだね」
「はい」
王城の門のすぐ傍には1台の馬車が僕たちを待っていた。そんなに大きくないけど立派な馬車だ。
「魔導士様! アルビン君!」
馬車の傍に立っていた人が声を上げた。短い黒髪で一見美男子にも見える女性……僕が知っている人だ。
「ケイト卿!」
嬉しさのあまりに大声を出してしまった。彼女は僕が生まれて初めて目撃した騎士で……一緒に古代エルフの遺跡を探検した戦友でもある『ケイト卿』だった。
「馬車にお乗りください。早速出発します」
僕とレオノラさんは「はい」と答えて馬車の荷台に乗り込んだ。ケイト卿も自分の軍馬に乗った。
「ヒルダ、行くぞ!」
「はい!」
馬車の御者は、ケイト卿の従者であるヒルダさんだった。レオノラさんと僕、そしてケイト卿とヒルダさん……この4人が一緒に旅をすることになったのだ。
荷台の中には毛布が用意されていた。僕とレオノラさんは荷物を置いて毛布を被った。それでも寒さを完全に防げるわけではないけど、ケイト卿やヒルダさんに比べたらいい方だ。文句は言えない。
「アルビン君」
馬車の振動に身を任せていると、ふとレオノラさんが口を開いた。
「はい。何でしょうか」
「そう言えば、結局アルビン君の養鶏場はどうなったの?」
数ヶ月前、僕はラナと一緒に養鶏場を買取りした。そこから出てくる利益で貧民たちの役に立つことがしたかったのだ。しかし……結局僕がその養鶏場を経営することはなかった。
「ハンソンさんに任せることにしました」
「ハンソンさん?」
「はい。裁判の時、証人として僕を助けてくれたお爺さんです」
「あ……あの人ね」
レオノラさんが頷いた。
ハンソンさんは貧民街の住民だ。彼が裁判でサイモンについて証言してくれたおかげで、僕の命が助かった。その恩返し……とは言えないけど、僕は養鶏場の経営権をハンソンさんに任せた。まあ、『貧民たちの役に立つ』という最初の目的にも合っているし。
「なるほど。それじゃ心残りはないのね」
「はい」
今度は僕が頷いた。
『仮面の魔導士』を追跡する任務……少なくとも数ヶ月は王都に戻られないだろう。だからこそ心残りがあっては困る。
「レオノラさんの方はどうですか?」
「私? 私には心残りなんかないよ」
「そうですか?」
僕は笑顔を見せた。
「レオノラさんって、いつも僕に『恋愛しなさい』とか言ってくれるんですけど……レオノラさんこそ好きな人とかいないんですか?」
「痛いとこ突くね……」
レオノラさんが苦笑した。
「この歳になるとね、恋愛もそう軽々しくできないのよ」
「そうですか?」
「うん、結婚を視野に入れなければならないからね」
「なるほど……」
大事な任務を目の前にしているのに、僕たちは普段通りの会話をした。おかげで少し緊張がほぐされた。
「ところで……」
僕は少し声を下げた。
「グレーポートはどんなところですか? 港湾都市なのは知っていますが……」
「そうね……とにかく複雑なところだよ」
レオノラさんも複雑な顔になった。
「王都の近くで、大きい港があるからね。まさに商業の盛んな港湾都市だけれど……物騒なことも多いと聞いた」
「物騒なことですか?」
「拉致とか殺人とか……そういう恐ろしい事件が多いそうだよ」
「そうですか……」
王都の貧民街よりも危ないのかな……。
「港のおかげで人口移動も多い。他地方の人や、外国からの人もたくさんいるから……身分を隠して活動するにはうってつけかもね」
「なるほど」
『仮面の魔導士がグレーポートに現れた』という情報の信憑性は高いってわけだ。
「残念ながら……」
レオノラさんは無表情で話を続けた。
「私たちは仮面の魔導士が男なのか女なのか……それすら分からない。でもあれだけ強い魔導士だから、近くにいれば魔力が探知できるはずよ」
「はい」
「できれば生け捕りにして情報を得たいけど、場合によっては……」
レオノラさんが口を黙った。僕もそれ以上何も言わなかった。
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王都から出発して数時間後……やっと馬車が止まった。馬たちも疲れているし、休憩が必要だ。
僕たちは道端で小さい焚き火をくべり、体を温めながら食事をした。食事といっても干し肉などで空腹をしのぐ程度だが、今はこれで十分だ。
レオノラさんとケイト卿は深刻な顔で会話を始めた。作戦について相談することがあるんだろう。僕はヒルダさんに近づいて「お久しぶりです」と挨拶した。
「久しぶりだな」
ヒルダさんが微かな笑顔で挨拶を返した。
ヒルダさんはケイト卿の従者で、僕の記憶が正しければもうすぐ騎士に昇格する人だ。僕が今まで見てきた女性の中で一番背の高い人でもあって、巨体のクロード卿にも勝るとも劣らないほどだ。
「君の噂は聞いたよ」
「そう……ですか」
「騎士たちの間でも話題だからな。『騎士殺し』の話は」
それはそうだろうな。
「まあ、騎士たちからすると君は『仲間を殺した人間』だし……敵意を持っている人もいる。でも内心君を応援している人もいるさ。大きい声では言えないけどね」
ヒルダさんが僕の肩を軽く叩いた。
「そういうことだ。安心していい」
「ありがとうございます……」
つまりケイト卿もヒルダさんも、大きい声では言えないけど僕を応援してくれているわけだ。僕としては本当に感謝の気持ちしかない。
「このまま走り続けると明日にはグレーポートに着くだろう。そこで先発隊と合流して調査を行う」
「分かりました」
たぶん姫様としては、今回の任務を一番信頼できる騎士に任せたかったんだろう。だからこそケイト卿とその従者のヒルダさんがここにいる。心強いことだ。
しばらく後、休憩を終えて再び馬車が走り出した。僕は拳を握りしめて……男なのか女なのかも知れない仮面の魔導士の姿を頭の中で描いた。