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羊飼いと亡国のお姫様  作者: 書く猫
第1章.デイルの羊飼い
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第1話.羊飼いと妹

 僕は羊たちから目を逸らして、地平線を見つめた。


 その向こうには都市があり、王様とお姫様が住んでいる王城があり、王国を守護する騎士たちの要塞がある。しかしその中で僕が直接目撃したものは何もない。全部本から学んだものだ。


 本はいい。僕には体験できない様々なことを教えてくれる。賢明な王様と美しいお姫様の話、そして騎士たちの勇敢な活躍ぶり……全部本が教えてくれた。


 その中でも特に気に入ったのは、もちろん騎士たちの話だ。全身を覆う鋼の鎧を着た騎士が、軍馬に乗って長い槍を掲げ、敵に突撃する場面にはいつもドキドキする。


「ん?」


 羊たちが急に鳴き始めた。僕は現実に戻って、背に負っていた弓を素早く手に取った。しかし現れたのは狼ではなかった。


「お兄ちゃん!」


 それはアイナだった。妹はいつもの明るい顔で坂道を走って登り、僕の目の前で立ち止まった。


「はい、これ」


 茶色の髪が振り乱されたまま、妹は小さい手で赤いリンゴを差し出した。


「それ、どこから持ってきたんだ?」


「村長がね、掃除を手伝ったら3個もくれたの!」


「残り2個は?」


「家の中に置いてきた!」


「じゃ、お前は食べてないのか?」


「私は後で食べるの」


 妹の痩せた体が風に揺られる。


「僕はいいよ。昼ご飯もちゃんと食べたし。それはお前が食べろ」


「でもお兄ちゃんはいつも歩いてばかりで疲れたんでしょう?」


「いいって」


 実はよくない。今日も羊たちと山道を何時間も歩いた。疲れたし、お腹も空いた。


「本当にいいの?」


「本当にいいんだよ。 何度言わせるんだ」


 アイナはちょっとためらってから、リンゴを持った手を下ろす。


「じゃあ、後で一緒に食べましょう!」


「分かったからもう家に帰れ。暗くなる前に」


「うん! 家で待ってるね!」


 アイナが坂道を下り始めた。僕はその後ろ姿が見えなくなるまで見守った。


---


 仕事が終わって、僕は村の中を歩いた。この小さくて静かな村……『デイル』の夕暮れはいつも平和で綺麗だ。


 柔らかい風が吹いて来て、僕の髪を揺らした。気持ちのいい風だ。そして風と共にパンの焼ける匂いがした。村のみんなが食事を準備している匂いだ。


「アルビン」


「村長」


 平和な道を歩いている途中、村長に会った。僕は杖を脇に挟み、両手を胸の前で合わせて頭を下げた。


「どうだ、元気にしているか?」


「はい」


 村長は白髪の老人だけど、まだ現役でみんなから慕われている。この村が平和なのは村長の力があってこそだ。


「今日は金曜日だっけ。今週の給料は明日あげるよ」


「分かりました」


「じゃ、また明日」


「明日もよろしくお願いします」


 僕は村長と別れて、村の西の隅っこにある小屋へ向かった。


 藁と木でできた、小さくてボロボロな小屋。ここが僕とアイナの家だ。生活するに必要最低限のものと、村長から借りてきた何冊の本、そしてベッド二つを除けば何もない。しかし僕はここで安らぎを感じる。


「お兄ちゃん!」


 家の中からアイナが飛んできた。僕は思わず笑ってしまった。


「早くリンゴ食べましょう!」


「分かったよ」


 アイナの笑顔を見るだけで疲れが癒される。それで僕はまた一日を生きていける。今までも、これからもずっと。


---


 その日の夜は月が明るかった。弓の練習にはちょうどいい。


 弓にはちょっと自信があるけど、練習を怠るわけにはいかない。弓は狼から羊たちを守る唯一の手段なのだ。


 当然の話だけど、羊たちは僕のものではない。村長を含めた村の人々のものだ。もし羊が狼にやられたら僕の責任になる。それに、そもそも羊を守ることができなくては羊飼いとして失格だ。


 僕は弓を構えて30歩くらい離れたところの木を狙った。そして狙いが定まった瞬間、矢を放った。


「凄い!」


 傍で見ていたアイナが叫んだ。


「流石村一の弓使いね!」


「実はもうちょっと上を狙ったけどな」


 僕はもう一度矢を放った。今度は狙ったところに命中した。


「凄い!」


 アイナがまた叫んだ。


「お前はもう寝ろよ。明日も村長の仕事を手伝うんだろう?」


「うん、でもお兄ちゃんともうちょっと一緒にいたいの」


 アイナは意地を張ったが、僕が首を横に振るとすぐ家に入った。本当に素直な子だ。


 一人になった僕は弓の練習を再開した。そして腕が疲れ切るまで、矢を放ち続けた。


「ふう」


 ちょっと暑くなった。今日はこれくらいにしよう。僕は木に刺さった矢を回収して家に入った。


 アイナはもう寝ているようだった。僕は大きな木の桶に溜まった水で体を洗ってから、ベッドで横になった。すると月明かりがアイナの寝顔を照らしているところが見えた。


 妹の寝顔は可愛いけど、流石に小屋が小さすぎる。まだ子供だけどアイナも女の子だし、日々成長しているんだ。別部屋が必要だ。しかしこんな小さな小屋ではどうしようもない。もうちょっと広い家が必要だけど……そんな悩みをしているうちに、僕はいつの間にか眠ってしまった。


 デイルの羊飼いである僕の一日はこうして終わった。狼さえ現れなければ、静かな日々だ。貧乏だけどどうにかやっている。何より僕にはアイナがいるから幸せだ。


 しかしその日、夢の中では……僕は立派な騎士になって、王様とお姫様を守るために戦っていた。

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