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悪魔がカレンにわらうとき  作者: 久保 雅
第3章〜天空の巨獣〜
93/201

二回戦

 身体中を突き刺す殺意の嵐が吹き荒れる。


 対峙しているだけで心臓がバクバクと音を鳴らし、精神をガリガリと削り取る。


 先程までの触手の動きは、ただ捕まえるだけの行為であった。つまり、敵としてすら見られていなかった。


 そして、そんな相手に対して優勢に立ち、後退させた事に恥ずかしいぐらいに喜んだ。だが、それが出来たはのは相手が決して本気ではなかったからであり、戦う意志すら持ち合わせていなかったからだ。


 だからこそ、今のところ死者が一人も出ず、怪我人だけで済んでいるのである。


 なら、先程までとは比べ物にならない殺意を剥き出しにした"人喰い"を前に、これから始まる二回戦目はどうか……


「流石に本腰入れないと死ぬぞ!」


 そう言ってシェイバは首を左右に振ってポキポキと音を鳴らす。


 一見冷静そうに見えるが、実際は"人喰い"から放たれる猛烈な殺気に冷や汗が止まらず、震える手を意志の力でねじ伏せていた。


 日常的にカレンやギレン、エスタロッサと撃ち合いをして、その殺気を浴びて来たが。それはあくまでも修行の一環として向けられたものだ。

 ビリビリと肌を粟立てさせる空気は漂うが、当の本人達に本当にシェイバを殺す気がない為に無意識下で加減がされている。


 しかし、目の前を悠然と佇む"人喰い"からは、遠慮なしの本気の殺気が叩きつけられる。

 "災害級(ハザード)"や"厄災級(カラミティ)"の魔物に殺気を向けられる事は多々あるが、それとはまるで比べ物にならない重圧(プレッシャー)がある。

 これはかつて、初めてカレンとクエストを共にして出会った、"災害級(ハザード)"の凍空竜(グラキエースドラゴン)の時の状況に少し似ていた。


 生物的格の違いを見せつけられ、今更ながら思い知らされる。自分達が対峙しているのは、本当の化け物なのだと。


「やれやれ、私は本当に生きて帰れるのやら……」


「ならば死に物狂いで戦う事をお薦め致します。私自身、そうでもしなければ命を落とすと判断しました」


「はははっ、ならばせいぜい足掻いてみようか!」 


 ガルフォードの剣を握る手に自然と力が入る。


 これから起こる事が分かっているからか、その場を漂う空気が嫌に重く感じ、荒い呼吸をする音が何処からか聞こえてくるだけだった。


 静寂が王都を支配する。


 クラリスは自分の体が強張っていくのが分かった。これから行われるのは"人喰い"による殺戮ショーである。


 勿論、そう易々と殺されるつもりはない。ないのだが、それでも、もしかしたらと言う不安は拭えない。


「嫌ね、悪い事ばかり考えちゃうわ、人生ポジティブを信条にしてるのに……」


「激しく同意します!」


 クラリスのぼやきに返答する声につられて、横に視線を向ければ、そこには、今し方城壁の階段を上がって来たロリちゃんの姿があった。


「あら、ローリエちゃん前衛(ここ)に来ていいの、貴女後衛が担当でしょう?」


「あちらは別の方が指揮を代わってくれました。そもそも、私は指揮官には向いていませんし、前衛(ここ)で戦う方が性に合ってます」


「……確かに、言われてみればそれもそうね。ローリエちゃんって魔導師としては少し変というか、特殊よね」


「褒め言葉として受け取っておきます!それより、()()()()()()()()?」


「まだね、〈念話〉も繋がらないわ」


 クラリスからの返答に、ロリちゃんは表情を険しくする。


 これから本番が始まる。死者が出るのは必至であり、その分戦力の増強をしたいところ。しかし、ロリちゃんとクラリスの所属する冒険者パーティの残り二人は以前として音信不通。

 今のところ現れる気配はなく、ロリちゃんの中で焦燥感が膨らむ。


「お二人が戦線に加わってくれれば文字通り百人力なんですけど、"ヨルズ山脈"から王都(ここ)までの距離を考えると仕方ありませんね」


「ええ、でもあの二人の脚ならもうじき着くはずよ、アタシ達に出来るのは二人を信じて待つことだけ、そうでしょ?」


「……はい、そうですね! 今は二人を信じましょう!」


 仲間がもう時期来てくれる事を信じ、互いに笑い合う二人は、会話をする事で幾分か緊張を解した。


 それは二人だけではなく、周りの兵士や冒険者も同じで互いを励まし合っていた。

 しかし、それでも不安と緊張の糸はピンと張ったままであり、全員の表情は未だ堅い。


 そんな中、この男だけは違った。


「いよいよって感じだね。殺気もバリバリ感じるし、これはきっと荒れるかな。はははっ!」


 シェイバでさえ冷や汗ものの殺気を浴びても尚、その様子は変わる事はなく、寧ろ最初より少しテンションが高くなっているような気さえしてくる。それもそのはず、ユルトはその昔、魔物の頂点に君臨していると言われる"七災の怪物"の一体、"神滅龍"を目の当たりにしている。

 その存在感、重圧(プレッシャー)、どれをとっても"人喰い"比ではない。

 ユルトからすれば自身の実力は関係なく、"人喰い"は少し強い魔物程度の認識でしかないのだ。

 それは、決して虚勢や強がりではなく、紛れもない本心である。


「それにしても、ああして空に浮かばれるとやっぱり厄介だね、どうにかして地上に降ろせれば良いんだけど……()()()()()()、どうしようか……」


 言っている内容は真面目なのだが、その場違いな程緊張感の無い様子に、シェイバやクラリス、ローリエ、そしてユルトの人柄を知っているガルフォードとメービスでさえ流石に困惑の表情を隠しきれない。

 本人はそれを知ってか知らずか、無駄に晴れやかな笑顔を周囲に撒き散らしす。


「ん? みんなして僕の事見つめてどうしたの?」


「「「「「いや、何も……」」」」」


 不思議そうな顔で問いかけるユルトに、五人示し合わせたかのように同時に首を横に振る。


「そう、じゃあ"人喰い"も準備出来たみたいだし、そろそろ二回戦始まるかな。皆んなも死なないように頑張ろうね!」


「「「「「お、おぉ〜〜!」」」」」


 ユルトの雰囲気に呑まれた為か、いまいち締まらない空気が周囲に漂い始める。

 それは何も悪いことではなく、寧ろ緊張で固くなりすぎた体を解す良いきっかけとなった。


 確かに緊張感を持つ事は戦いにおいて重要な事だ。しかし、緊張し過ぎればそれは逆効果となる。

 本来出来るはずの動きが思うように出来なかったり、状況判断が鈍ったり、固くなりすぎるとそれだけ単調になる。

 その為、今回ユルトのおかげで多少堅かった空気が和らいだのは寧ろ僥倖と言える。


「よ、よし、とにかくあと二百メートルは"人喰い"を後退させて欲しいぞ!

 その為には触手だけではなく、なんとかして攻撃を本体に届かせないといけないぞ!」


「それもそうだが、どうするのだ? 先程ユルト殿が言ったように、奴は中空に浮いている為に剣では攻撃が届かない。

 地上に落とすにしても、魔法という手段でなければ不可能だ。それを実現するには最早魔導師隊の魔力も心許ないのが現状つまり――」


「直接本体に乗り込んで斬り刻んでやれば良いわけだな!」


「………は?」


 シェイバに言葉を遮られ、その内容を理解した途端、間抜けな声を上げてしまうメービス。しかし、それも無理はない、そもそもあの触手を掻い潜って、本体に乗り込み斬り刻む、なんて思いつくほうがどうかしている。ましてや"人喰い"と城壁は既に百メートルの距離を開けている上に、標的は空の上だ。斬り刻む以前にどうやって乗り込むつもりなのか、皆目見当もつかない。


「本体に乗り込めばゼロ距離で攻撃が出来るし、それなりのダメージも与えられる。まぁ後退させるには何か方法を考えないとだけど……」


「あー、言いたい事は分かるんだがね、シェイバ君はどうやって"人喰い"の本体に乗り込むつもりだい?」


 ガルフォードが困惑気味な表情で問いかける。


「ん、それはだな――」


「はいはーい、そこまで。触手が来たよー!」


 ユルトの呼びかけに全員が一斉に前を向く。百メートルの距離がありながら、触手はぐんぐんと伸び、確かな殺意を持ってこちらへ迫る。


「みんな気を引き締めろっ! ここからが本番だぞ!」


 シェイバの怒号にも近い叫びに、全員がスイッチを切り替え「おうっ!!」と答える。


 触手は先程まで比べ物にならない速度で迫り、そして、死を撒き散らす死の嵐が城壁にぶつかる。


 固く握られた拳は兵士の胴体を軽く貫通し、瞬きする暇もなく絶命させる。


 触手は死んだ兵士をゴミのように投げ捨てると、次は近くにいた冒険者の頭を鷲掴みに、ゆっくりと握り潰す。


 先端が鋭利な刃物になった触手は、鎖鎌のように乱れ狂い、周囲にいた者達を無差別に斬り刻むと、その場を一瞬で血の海へと変える。

 首の動脈を斬られ血が吹き出す者や上半身と下半身が分かれる者、縦に真っ二つにされる者。

 何がなんだか分からない内に、次々と死体の山が積み上がる。


 そして一際大きな触手は、まるで破城槌のような鈍器で、剣を振るって抵抗する兵士や冒険者達を、まるでモグラ叩きのように一瞬の内に圧殺。

 ぺしゃんこになった冒険者、兵士からは、潰された勢いで周囲に肉片が飛び散る。


 そのあまりに凄惨(せいさん)な光景は、正しく地獄絵図と言うに相応しい。


 約三万の戦力はこの時、一瞬で二万までその数を減らし、同時に、近くの戦友達が無惨に殺されていく様を見せつけられ、冒険者や兵士たちの間に恐怖が伝染し始める。


 士気はガリガリと削られるように落ちてゆき、遂には剣を投げ出して逃げ出す者が現れる。


「い、嫌だっ! 死にたくないっ!!」


「た、助け……助けてっ!」


「こんな所で死にたくねぇよ!」


 最早恥や外聞も無い。ただ生きる事だけを考え、背中を向けて走り出す。だが、それをおいそれと見逃す"人喰い"ではなかった。


 明らかな戦意を見せる相手は躊躇(ちゅうちょ)なく殺していく。なら、逃げ出す者達は……


「なっ、嫌っ! は、離してっ! 離してってば!!」


「クソッ! 離せ、離しやがれ!」


「やめろっ! やめてくれっ!」


「誰かっ! 誰か助けてぇぇぇぇ!」


 触手に捕まり、まるで断末魔のような叫びを上げて助けを求める。しかし、触手による猛攻により、自分達だけで手一杯なこの状況では、最早助けに入る余裕はない。


 触手に捕まった者達は、助けを求めて必死に手を伸ばすが、誰も掴み取ってはくれない。

 悲しいかな。戦闘中故に、誰も見向きもしなかった。


 城壁まで伸びた触手は、元に戻るよにその長さを縮めていく。

 長さが縮まっていく度に、捕まった者達の絶望の色は濃くなる。


「ひっ!!!!!」


「うぁっあっ……」


「いや……お願い………誰か……」


「っ!!!!」


 触手は"人喰い"の()()()()()()()()()()


 そして――





 グシャッ!





 ――喰った。


 "人喰い"の口から血飛沫が上がり、ゆっくりと味わうように咀嚼(そしゃく)を繰り返す。

 百メートル離れたこの城壁(ばしょ)でさえ、生々しい音が聴こえるような、そんな錯覚を起こすほど、強烈な光景である。


 城壁の上では、触手による猛攻が尚も続く中、一瞬、全員の視線がその衝撃的な光景に釘付けとなった。


 "人喰い"が人間を喰う事は報告には上がっていた。それは魔物であれば、ごくありふれた報告である。しかし、実際にその様子を目の当たりにするのは話が別である。


 冒険者や兵士達の間に、自分もああなる、と言う底知れぬ不安と恐怖が激流のように押し寄せる。

 呼吸は荒くなり、歯はガチガチと音を鳴らし、脚は震え、思考でさえ恐怖に塗り潰されて言うことを聞かなくなる。


 さっきまでの威勢は何処へ行ったのか、最早戦意喪失する者が後を立たない。


 食べる事に集中し始めたのか、いつのまにか触手の動きは止まり、"人喰い"の「ウマイ、ウマイ……」と言う(つたな)い人語だけが風に乗って運ばれる。


 その言葉を皮切りに、城壁の空気は絶望に染まる。


「はっ……ははっ、ひはははははっ!」


 一人の冒険者が狂ったように笑い出す。


「お、おい、しっかりしろっ!!」


「初めから無理だったんだよ!! "災禍級(ディザスター)"相手にするなんてなぁ!!

 俺達は全員"人喰い(アイツ)"に喰われて死ぬんだぁっ!!」


「「「「「「…………!!」」」」」」


 恐怖と絶望に染まった絶叫が、冒険者や兵士達の間に伝播(でんぱ)する。


 この世界において、魔物のに喰われて命を落とすというのは珍しいことではではない。寧ろ人間という劣等種族が上位種族である魔物に喰われるのは、世界の摂理としては当たり前である。

 街道を進む商隊、人々を守る兵士、未知を求める冒険者。

 毎年、数百、数千の死者が出ており、その殆どが魔物による被害であり、食い散らかされて原型を留めていない。

 こういった事件は最早日常茶飯事的に繰り返されており、特に冒険者や兵士は慣れっこ、のはずなのである


 しかし、いざ自分達と同じ人間が、目の前で無惨にも喰われる光景を見ると、慣れなど役には立たない。というより、所詮は報告に上がった話を伝え聞くだけだった為、寧ろ慣れなどではなく、自分達は大丈夫、と言う根拠の無い自信が形成され、それが精神の防御壁となっていたのだ。

 その為、目の前の捕食シーンは彼らの防御壁を崩す最高の攻撃と言え、絶望と恐怖のどん底に突き落とす、良いデモンストレーションでもあった。


 大丈夫、自分は助かる、と言う現実逃避した自信はいとも簡単に崩れ去る。

 そこからは負の連鎖が頭の中をぐるぐると回り、"人喰い"に喰われる、というそんな事ばかりを考え、体の震えと共に強烈な吐き気と目眩(めまい)に襲われる。


 そんな絶望の空気の中、何処からかバキバキと何かが砕ける様な音が響き渡る。

 音につられて発生源に全員が揃って視線を向けると、拳をこれ以上ないほど固く握りしめたシェイバがいた。


 強く握られすぎた拳は着用している鎧に罅を入れ、その破片がポロポロと足元に落ちる。


 周囲に威圧を与える程の、どうしようもない怒りが白金の魔力となって体外へ溢れ出る。


 絶望の真っ只中にあっても、その白金色の魔力は見惚れる程美しく、そして、荒々しく怒りに染まっていた。


「もう、容赦しないぞ!!」


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