名指しの依頼 その2
「先に言っておきます、私達は既に別の依頼を受けております。ですので話を聞くだけです。つまり、公爵がどんなに頼み込んだとしても、私たちは貴方の依頼を受ける事はありません」
「報酬を言い値で払うと言っても?」
レングリットは無言で頷く。
「ふむ……この私の宰相としての権力を駆使して、君達を王国から追い出す事は容易だ。それでも断るのかな?」
「ええ、お断りします。仮に貴方が権力にものを言わすのであれば……」
「であれば?」
「王国を消し炭にしてあげますよ」
僅かな威圧と殺気の篭った言葉は、この部屋にいる全員を飲み込む。
シェイバはどこ吹く風と呆れたように受け流し、ギルドマスターとソフィーは息を呑み、体をぶるりと震わす。
そして、真正面から威圧を向けられた公爵は、体をガタガタと震わせ、額から冷たい汗を滝のように流す。
冗談でも言うような軽い口調で言っているが、レングリットにはそれが出来るだけの力がある。特に、実際にレングリットの強さを目の当たりにして来たシェイバは、少なくとも今の言葉が冗談でもなければ虚勢でもない事を知っている。
(カレンなら本当にやりかねないぞ……)
未だ部屋の中にはレングリットの殺気が充満していて、ギルドマスターは脚を僅かに揺らし、公爵とソフィーは少しずつ呼吸が荒くなる。
レングリットからすれば、雀の涙程度の威圧と殺気ではあるが、常人からすれば常に竜に睨まれている状態に等しい。そんな緊張状態でシェイバのように飄々と平静を保っていられる方がどうかしているのだ。
(この殺気の暴風雨の中で平静を保つとは! シェイバと言う男、やはり只者ではない! 何よりこの殺気を飛ばすレングリットはそれ以上の存在である事はまず間違いないだろう! 成る程、これが"天使と悪魔"か!)
現在王国で活動する冒険者、約一万八千人の中でも一、二を争うと言われる"天使と悪魔"。この殺気、この威圧、成る程と納得した。
"災害級"、厄災級を単独で撃破したと言う話がまんざら嘘でもない事を悟った瞬間である。
(やはり"天使と悪魔"の力が必要だ……)
時は少し遡る。
現在王国で起こっている事件解決のため、"天使と悪魔"に協力を要請する為に、わざわざ王都からこの城塞都市ドルトンまで足を運んで来たのだが。実際彼らの実力は噂でしか知らない。やれ"災害級"を倒しただの"厄災級"を倒しただの、どれもまゆつば物だった。故にホーエンハイム公爵はギルドマスターと相談し、テストも兼ねて"天使と悪魔"に"厄災級"の名指しの依頼を出した。
正直なところ、"厄災級"の依頼など死にに行けと言っているようなものだ。
ホーエンハイム公爵は内心で少しやり過ぎたのではないかと思っていたが、自信満々に大丈夫と太鼓判を押すギルドマスターを信じることにした。
あとは彼らがギルドへ来て、ギルド職員から依頼書を受け取るだけとなった。
しかし、冒険者というものは朝早くからクエストに行っていることが多い。その為、ホーエンハイム公爵は、"天使と悪魔"も同様に、すでにクエストに行っているだろうと踏んでいた。そのため、彼らが戻るまでの間、宿でゆっくり紅茶でも飲みなから待とうと思っていたのだが、先程依頼書を持って行ったギルド職員が慌てて戻ってくる。
どうしたのかと尋ねてみたところ、なんと"天使と悪魔"が来たと言う。
ホーエンハイム公爵はすぐ二人を呼ぶよう伝え、服装に変なところがないかを確認して、身だしなみを整える。
その直後、ドアをノックする音が鳴り、正面に座るギルドマスターが入るよう返事をする。すると、扉がゆっくりと開き、白と黒の冒険者が入ってくる。
(この二人が、"天使と悪魔"……!)
どちらも仮面や兜で顔を隠し、身に纏う装備はどれも一級品。歩く姿もなんと堂々としたことか。
(白と黒、正反対の格好をしていますね……成る程、それで天使と悪魔……)
ここからが正念場。この後ホーエンハイム公爵は彼ら二人に実力を知るためのテストとして"厄災級"の依頼を受けて貰わなくてはならない。だが、既に彼らは別の依頼を受けており、ホーエンハイム公爵による名指しの依頼を断ってしまう。ならばと思い、報酬を言い値で払うと提案したのだが、これも効果はなかった。
(ふむ、困りましたね……仕方ありません、あまり気は進みませんが、この手で行くしかありませんね)
ホーエンハイム公爵は最後の手段とばかりに自らの地位と権力を振りかざし、半ば脅すように告げた。しかし、ホーエンハイム公爵は選択を間違えてしまった。
曰く、レングリットは穏やかで優しい性格をしている。曰く、レングリットは正義の味方。曰く、レングリットは争いを好まない。曰く、レングリットは困っている人を見捨てておかない。曰く、レングリットは英雄の器である。
この曰くと言う噂を無意識の内に信じてしまっていた。故に、少しぐらい脅しても大丈夫だろうと、高を括ってしまったのだ。
結果は、消し炭にしてやると言う一言と、叩きつけるような殺気。レングリットの怒りを買ってしまった。
そして、今に至る。
未だ重くのしかかる威圧と叩きつけられる殺気は消え去る気配はない。
ギルドマスターから人間ではないと聞いてはいたが、それにしてもこの威圧と殺気は尋常ではない。それに、おそらくではあるが、レングリットは殺気を抑えているはずだ。でなければ、ホーエンハイム公爵はその強烈な圧に耐えきれず、意識を手放してしまうだろう事は想像に難くない。
しかし、いくら殺気を抑えていようと、殺気は殺気。公爵や受付嬢といった者がそうそう受けるものではない。
これ程の殺気を浴びて、最早意識を保つのも限界だ。特にギルドマスターの後ろで控えていたソフィーは、とうに限界を超え、腰を抜かしてその場にへたり込む。
そして、元白金ランク冒険者であるギルドマスターですら、汗でびっしょりとなっていた。
彼らを試す為の脅しだった。だが、今になってどうして自分はあんな馬鹿な事をしてしまっただろうかと、ホーエンハイム公爵の頭の中には後悔の二文字が浮かび上がる。
レングリットからすれば、脅されたのだから脅し返しているだけの感覚なのだろう。しかし、殺気を向けられた本人達にとっては、最早脅しでもなんでもない。
本当に殺されるのではないかと、死を覚悟した。その直後。
「レングリット、それぐらいにせぬか。このままでは三人共意識を手放してしまう」
レングリットの隣に座るシェイバが、流石にやりすぎではないかと、レングリットを諌める。
すると、つい先程まで殺気で充満していた室内は嘘のように晴れ、荒い息遣いだけが部屋に響く。
その後、息を整えた三人は視線だけをシェイバに向け、感謝の気持ちを心の中で伝える。すると、視線に気づいたシェイバがおどけるように肩を竦める。その仕草を言葉で表すなら「どういたしまして」だろう。
三人はそんなシェイバに苦笑いを浮かべ、レングリットに向き直る。
「すいません、あからさまに脅されたので、少し脅し返したつもりだったのですが、少しやり過ぎたようです」
(((あれで少しとか……!)))
「さて、依頼は受けるつもりはありませんが、一応内容は聞いておきます。ホーエンハイム公爵、お聞かせ願いますか?」
「えっ、あ、そ、そうですな、分かりました。では詳しい話をさせて頂きます」
まるでさっきまでの事が無かったかのような、突然の切り替わりの良さと、ここで何か言い返せばまたあの殺気が飛んで来るという恐怖により、今回の依頼内容が"天使と悪魔"に対してのテストも兼ねていた事を洗いざらい伝える。だって怖いもの……
今回の依頼内容は王都よりそう遠くない山脈地帯で活発化が確認されている"軍団蟻"の殲滅である。
軍団蟻。大きさは一匹、一・五メートルから二メートルぐらいあり、個々の強さはDランク程度。"厄災級"に該当するのが不思議なほどだ。しかし、軍団蟻は名前の通り、その弱さを補えるほどの軍団を成している。それも尋常ではない数でだ。
個々の実力が乏しくとも、数の力は強大、その気になれば"災禍級"に該当する魔物でさえ餌とする。
そんな軍団蟻、普段は大人しくて、人のいる領域まで出てくる事は滅多にない。しかし、ここ数ヶ月で軍団蟻の目撃情報が多発。原因も不明であり、現在王都周辺の村や町では避難活動が実施されている。
このままでは民に被害が出るのは時間の問題、王は直ちに軍団蟻の殲滅を命じた。
しかし、相手は"厄災級"。王国の騎士や兵士をありったけかき集めたとしても不安が残る。そこで、ホーエンハイム公爵は、軍団蟻殲滅のための軍備を整える中、ある提案を出した。
それが、白ランク冒険者パーティ"天使と悪魔"への協力要請だった。
"天使と悪魔"とは当分の間、不干渉で行くつもりだった国王も、今回の事態では仕方なしと判断し、ホーエンハイム公爵の提案を受け入れた。そして、誰が彼らを呼びに行くという話になり、公爵自ら赴くこととなったのだ。
「成る程、そういう事だったか……しかし、軍団蟻とはまた厄介な!」
「ええ、ぶっちゃけ時間もなくて、テストとかどうでもいいから、マジでどうにかして欲しいです」
真剣な表情で地味に口調が変わったホーエンハイム公爵に対し、「あの、さっきと口調変わってるんですけど?」というレングリットのツッコミが入るが、聞いていないのか、はたまた聞こえていないのか、ホーエンハイム公爵はシェイバと会話を続ける。
「ふむ、今回は仕方あるまい、先程受けた依頼は後に回して、此方を優先するとしよう!」
「えっ、マジッ?! 来てくれんの?!!」
「うむ、我々に任せよっ!!」
グッと親指を立て、キレのあるサムズアップで答えるシェイバと、これで助かるとほっと息をつくホーエンハイム公爵。そして、うんうんと頷き、いいものを見たという表情のギルドマスターとソフィー。そして、置いてけぼりのレングリット。
「ちょっと?! 公爵キャラ崩れてるんですけど?! ていうかシェイバ、貴方何を勝手な事を言ってるんですか?!!」
パーティ仲間に相談もなく、トントン拍子で話が進み、いつの間にか軍団蟻殲滅の依頼を勝手に受ける事を承諾したシェイバ。それに対し、レングリットは断固拒否する。
「私はお断りします」
「む、何故だ? 何か理由でもあるのか?」
「いえ、大した理由ではありません。シェイバ、貴方こそどうしてそちらを優先するのですか?」
「そんなもの決まっているだろう。困っている人がいるのだ、助けるのは当然だろう?」
首を傾げ、当然とばかりにそう解答するシェイバ。レングリット以外の三人は、清々しい程に真っ直ぐなシェイバの心に感嘆の息を漏らす。
「レングリットさん、この話を断ると言った時に、先程大した理由ではないとおっしゃってましたが、それはいったい……」
「ああ、それですか。本当に大した理由はないんですよ、強いて言うなら下らない意地です」
「意地、ですか?」
「ええ、そうです。私、貴族が嫌いなんです」
三人は唖然とする。
「そうだったのか……なんで嫌いなのだ? 昔嫌な思いでもしたのか?」
「いいえ、されてませんが、嫌いなのはなんとなくです」
ソフィーとギルドマスターはレングリットの断る理由に驚き、それと同時にどうしようもない怒りを表す。
「貴族が嫌い」「なんとなく」、聞けば聞くほど本当に下らない。これは意地というよりただの子供の我儘だ。
「それに、王侯貴族と関わるのは御免です。色々と面倒事に巻き込まれるのも疲れますし、良いように使われるのも嫌ですからね」
顔を真っ赤にしたギルドマスターが強くテーブルを叩き、レングリットを怒鳴り散らす。
「レングリット、貴様そんな理由で何千何万人の命を見捨てるのかっ!! 見損なったぞ!!」
続いて眉間に皺を寄せたソフィーが怒気を含んだ静音で口を開く。
「レングリットさん、今ギルドマスターが仰ったように、そんな子供のような我儘で多くの人の命を見捨てるのですか?! 貴方には人々を救える力があるじゃないですか? レングリットさん、救えるはずの命が無残に散っていって、貴方は何とも思わないんですか?!」
「微塵も思いません」
キッパリと何の感慨も無く、ただ淡々と言い放つレングリット。
ソフィーはそんなレングリットに、悲壮感の漂う表情と視線を向ける。
今迄、何度もこの国を救ってきた。登録してすぐに"災害級"の凍空竜の討伐、その数ヶ月後には、五百近い魔物大進行を退けもした。そして、数々の"災害級"、"厄災級"の依頼を受け、その全てを完遂して来た。
"災害級"や"厄災級"は、時に国を滅ぼす。だから、国を救ったというのは、大げさでも何でも無く、事実なのだ。
最初に依頼は受けないと言ってはいたが、詳しい内容を聞けば、今回も何やかんやで引き受けてくれると、そう思っていた。だが、現実は違った。
「ど、どうして……」
「はっきり言いましょうか……どうして私が知りもしない赤の他人に、そこまでしてやらねばならないのですか? もしかして、力ある者の義務とか、そんな事を考えていませんよね? もしそうなら厚かましいにも程があります」
ソフィーは目の前が真っ暗になった。どうして? 何故? という言葉が、何度も頭の中をグルグルと回り続ける。
レングリットが続けて話す。
「何ですかその顔は? 酷いとか、人でなしとか思ってますか?
私は今迄、目の前にあった依頼をこなして来ただけです。その結果が人助けになりましたが……。
そもそも貴方がたは私という者を理解していない。私は貴方がたが思っているよりずっと残酷で冷酷で、酷い男です」
仮面で表情は伺い知ることはできないが、今はきっと、冷酷な表情で笑っているだろう。
(誰? 誰なのこの人は? 違う……違う! こんなのレングリットさんじゃない! こんなの……人の皮を被った悪魔だ!)
ソフィーは下唇を噛み締め、拳をぎゅっと握る。それはギルドマスターとホーエンハイム公爵も同じようで、手に視線を向けてみれば、二人とも拳を強く握りしめた事で白く変色している。ギルドマスターに限って言えば、固く握った拳から赤い血を流していた。
どうしようもない怒りがドロドロとお腹の中を巡回する。
最早、何を言っても目の前の男は動かない。誰もがそう思った、その瞬間。
「レングリット、我に提案がある」
シェイバが動き出す。




