異変
バレット家に住み始めて今日でちょうど一週間たった。
まだ肌寒さの残る外の空気を、太陽の光が突っ込む。どこからか鳥のさえずりが耳に届き、一日の始まりを告げる。
オレは先日分け与えられた部屋にある椅子に座って、ゆったりと寛いでいた。
目を閉じる。六日前、つまりこの村に来た次の日のことを思い出す。
オルドさんにオレのことを村の人たちに紹介してもらったのだが、村の人たちはオレが魔族だということを特に気にせず、普通に接してくれた。
案外拍子抜けであった。
それに、色々なことを教えてもらった。まず、この世界には様々な種族がいるらしい。人間、獣人、ドワーフ、小人、エルフ、精霊、天使、そして魔族。
まず魔族と獣人という呼び方は総称だということらしい。
例えば、魔族というカテゴリーの中には色々な種族が入り混じっている。吸血鬼、竜人、鬼人、悪魔、不死者などだ。
獣人も似たような感じで、猫人、犬人、狼人、兎人、虎人などが存在しているそうだ。
オレは魔族の中のどの種族に当てはまるのかおじさんに聞いてみたが、おじさんも詳しくは知らないらしく、分からずじまいだ。
あと教えてもらったことは、この国。つまりアルフォード王国の周辺には、この王国を加えた"七大国家"といわれる大国があるらしい。
まず、今現在、オレのいる"アルフォード王国"。
その東に位置する、"ユージオン帝国"。
帝国のさらに東にある"ロックダウン地下王国"。
真偽は不明だが何処かに存在していると言われている、"妖精国家 アルヴヘイム"。
王国の西にある、獣人達の小さな国が集まってできた、"アルビオン獣人連合国"。
王国、帝国、連合国の三ヶ国の間に位置する、"ゴルドラン評議国"。
そして王国の南にある魔族の作った国、"デモナス魔導国"。
他にも大小様々な国があるのだが、説明していてはキリがないのでここは割愛させてもらう。
ちなみにここ数年、王国と魔導国とで睨み合いが続いているらしく、帝国に至っては何やら戦争の準備をしているという噂まである。
まったく、戦争とか物騒な話は勘弁して欲しいものだ、面倒事はゴメンだからな。
オレはただ悠々自適に暮らしたいだけだ。
そもそもなんだ戦争って、バカじゃねぇのか? そんな非生産的なことしてる暇あんなら、各国で貿易なりなんなりして国がより豊かに成るようにしろよ! 国のトップ共の下らねぇ意地の張り合いで、なんで下のもんが尻拭いしなきゃいけねぇんだ! 税金はそんなもんに使うために払ってんじゃねんだよ! 頼むから戦争なんかすんじゃねぇ!
話ずれた。
この他にも知ったことがある。
実はおじさんが鍛治師でハーフドワーフだとか、シーマさんがもう四十歳に近いとか、オレが最初にいた場所にあった大樹はやはり"世界樹"という名前だとか、魔物の種類とか、この世界には魔剣や聖剣があるとか、そんなことだ。
魔剣と聖剣か、なんか少年心をくすぐるな。叶うなら是非一度見てみたいものだ。
まだ他にも沢山あるが、オレはそろそろセラと一緒に森へ薬草採取に行かなければならない。なので説明会はお終いだ。
子供二人で森に行くのは危険ではないかとも思うかもしれないが、薬草を摘むポイントは浅い場所で、比較的安全とのこと。今まで一度も魔物は出た事がないらしい。
それで安全と言い張るのはどうなのかと思うが……。
仮に魔物が出たとしても、この周辺には温厚で人間に害を与えるような魔物はいないという。
どうりで村の周りに柵がないわけだ。まぁ、それだけ平和って事なんだろうな。
さて、そろそろ準備でもしよう、と言ってもするほどの事もないのだが。
ただ、部屋の外から足音が聞こえるのでそろそろだと思っただけだ。
ドン!
勢いよくドアが開き、セラがオレを呼びに来た。
「カレーン! 薬草摘みに行くよー!」
「ああ、今行く……ていうかノックぐらいしてくれないか」
そういってオレは立ち上がり、昨日おじさんから借りた護身用の剣ーー長さ約五十センチの短剣ーーを手に持ち、おじさんとシーマさんに出かけることを伝えると、セラと共に家を出た。
家を出たタイミングで一人の青年が声を掛けてきた。
「おはよう、セラ、カレン」
「おはよう! ユルトお兄ちゃん!!」
「おはよう、兄さん」
声を掛けてきたのはこの村の青年で、名前を"ユルト・ギルマ"。年齢は十七歳で、セミロングの銀髪を後ろで三つ編みにしてまとめている。
身長は百七十センチくらいで、超が付くほどの美青年だ。ちなみに顔立ちが綺麗過ぎて、たまに村に来る商人に女と間違われる事が多々あるそうで、本人は良くそれを利用して値切っているらしい。
兄さん曰く、使えるものは使え、とのこと。ただ、時折目が怖い時があるので、女と間違われるのはあまり好きじゃない様子である。
オレとセラはこの人を兄と呼んでいる。
ユルト兄さんはこの村でおじさん達を除けば、一番オレのことを気にかけてくれている。要するにすごくできた人なのだ。
他の村人達はオレに話しかけたりはしてくるが、やはり魔族だからか、少し壁があるというか溝がある。それは世の中の常識を考えれば仕方のないことだと思う。でも、ユルト兄さんはそんなこと全く気にしていないようで、オレの事を本当の弟のように思ってくれている。
正直、オレもユルト兄さんのことは実の兄のように慕っていた。
「二人は今から薬草採取?」
「そうだよ!!」
「そう。二人とも、怪我のないよう気をつけて行くんだよ」
そう言うと兄さんはニッコリと笑顔を浮かべ、オレとセラの頭を撫でて去って行った。
オレとセラは兄さんの背中を見送ると、薬草採取の為、森へ向かって歩を進める。
薬草採取をするポイントは村から――子供の足で――約二時間ぐらいのところだ。浅いと言っても、それなりに距離がある。
森は木の根や石が地面から突き出し足場が悪い。そのため慎重に歩く故に移動速度はどうしても遅くなる。
ポイントに着くと、早速作業に取り掛かった。
今いるポイントは高い草木が多く、中には人間の大人ーーだいたい百七十センチーーぐらいの高さのものもあった。
隠れるにはうってつけである。
魔物とか飛び出してこねぇだろうな。
ちなみに今回取りに来た薬草は《リコス草》と言うものらしい。
回復薬の材料になり、高く売れるとのこと。
しかし、オレにはどれが薬草でどれがただの草なのか全然見分けがつかず、ほとんどセラ一人で薬草を摘んでいる情況が続いている。
「どれが薬草とか、よく分かるな。オレにはどれも同じに見えるが……」
「簡単だよ。ほら! この葉がギザギザしたやつが《リコス草》だよ!」
オレの目は並べられた薬草と草を何度も往復する。どちらも同じに見える。
目を細めてよ〜く見てみるが、やはり分からん。
「……やっぱりどっちも同じに見える」
「……カレンて役立たずだね」
「そんなはっきり言うんだな……」
結局セラに付きっ切りで教えてもらい、お昼を回る頃にはなんとか見分けがつくようになった。
それでも五回に一回は間違えるが。
薬草って奥が深い。
昼が過ぎ、そろそろ日が傾き始める頃。薬草もかなり集まった。これ以上はおじさんとおば……じゃなかった、シーマさんが心配するので、そろそろ帰宅の時間だ。そう思いセラに声を掛ける。
「セラ、薬草も十分集まったし、そろそろ帰ろう」
「うん、そうだね。もう鞄もいっぱいになっちゃったし帰ろっか」
セラが立ち上がり鞄を背負おうとした瞬間、後ろの茂みから大きな影が、ぬっと飛び出してくる。
オレはすぐさま短剣を引き抜き、セラを後ろへ隠した。
(ちっ! 薬草採取に夢中になって気付かなかった! 勘が鈍ったか?!)
「セラ退がれっ!」
「な、なに?!」
「魔物だ!」
「でもここら辺に出る魔物は温厚で大人しいって」
「オレもそう聞いてたが、今目の前にいるのは別だ! とにかく退がれっ!」
「どういうこ……ひっ!!」
振り返ったセラは、魔物を視界に捉えると、小さな悲鳴をあげる。
オレとセラの目の前に現れた魔物は、悍しい姿をしていた。
目は正面を向いており、大きくぎょろぎょろと動き、白く濁っていた。
人間のような歯が剥き出しの状態になっていて、四足歩行。身体中に暗い緑色の鱗をまとっている。
足の関節と尾にはヒレがあり、足の先は三本に分かれ、カエルのような水掻きが付いている。尾の先は扇型に広がっており、魚のようなヒレを思わせた。
目の前の魔物は身近な動物で例えるなら馬が近いだろうか。大きさも丁度それぐらいだ。
オレは意識を正面の魔物に向けたまま、セラをゆっくりと魔物から遠ざける。
「コイツは"川馬"だ。本来なら湖や川なんかの水辺に生息する魔物で、しかも攻撃的だ。オレが森を彷徨っていた時、よく出くわした」
「な、なんでこんな魔物がここにいるの?! ここには出ないって言ってたのに!!」
「オレが知るか!」
そう、セラの言う通りおかしいのだ。今オレとセラがいる場所は近くに湖や川は無く、水辺に生息する魔物である川馬とは本来出会うはずがなかった。
(どうなってやがる。世界樹近くの川にも川馬はいたが、水辺から十メートル以上離れるなんて事なかったぞ?!)
川馬は鼻を鳴らし、こちらの様子を伺う。そして、睨み合うことに飽きたのか、とうとう川馬がこちらに向かい攻撃を仕掛けようと、ゆっくり口を開いた瞬間。
ビュン! ゴトッ………ブシャー!!!
攻撃を仕掛けようとした川馬に、オレは持っていた短剣を横に一閃。川馬の首を刎ねた。
首を刎ねるとそこから大量の血が噴水のように噴き出し、オレと地面を赤く染め上げた。
驚くほど呆気なく終わった。その事に疑問が浮かぶ。
(川馬ってこんな弱かったか? 鱗ももっと硬かったような? もしかしておじさんの短剣のおかげか?)
オレが短剣をまじまじと見つめる中、セラが恐る恐る呼びかける。
「カ、カレン?」
「ん? ああ、悪い。大丈夫かセラ」
「うん、あたしは大丈夫だけど、カレン……血が」
「これはオレの血じゃなくて返り血だ。だから心配する必要はない」
「ならいいけど……すごく生臭い」
そう言ってセラは手で鼻を抑えた。オレは慣れているので気にならなかったが。それにしても、みなまで言われると少しショックだ。
続いてセラの言ったことにオレは冷や汗を流す。
「こんなに血だらけになって、お母さんに怒られないかな?」
「……いや、ないない。流石に怒られたりしないだろ………たぶん」
以前シーマさんのことを勢いあまって「おばさん」と呼んでしまった時は、マジで漏らすかと思った。「だれがおばさんだ?! 殺すぞテメェ!」みたいな目で睨まれた時はホント、蛇に睨まれた蛙だった。
怖い怖い。
さて、いつまでもこの場にいるわけにはいかない。血の匂いを嗅いで肉食の魔物が出てくる危険性がある。
オレとセラ薬草を詰め込んだ鞄を背負い、急ぎ村に戻る事にした。
「いつまでもここにいるのは危険だ、急いで村に戻ろう」
「うん分かった!」
その時、村に引き返すオレの耳に、何か小さな音がとどく。オレは後ろを振り返った。
「……?」
「カレンどうしたの?」
「……いや、何でもない。行こう」
この時、オレは気のせいだと思って特に気にする事はしなかった。
それから程なくして、オレとセラは出会う事になる。
まるで何かから逃げるように押し寄せる大群と。