フルール村
無謀なロッククライミングをした滝から歩き始めて今日で三日目、相変わらず同じような景色が続いていた。
あの滝からは本当に何も無かった。目を引かれるような自然の景色がなく、ひたすらに木だけが並んでいる。
だから、期待するのはやめて、ただただ無心でひたすら歩き続けていた。
さらに付け足せば、魚以外の野生動物や魔物の影も見なくなった。
これでは格闘術や剣術が試せそうにない。正直少し行き詰まってしまっている。と言っても、毎日鍛錬はやっている。
だが、はっきり言えば退屈だ。
「……なんだろうな、こう同じ景色をずっと見ていると退屈だな。それに疲れてくる。もっと心踊るイベントとか無いのか? ていうか今まで随分移動したが本当に人里とかあるのか? ちょっと心配になってくるな」
オレが最初に目覚めた場所から移動を開始して今日で二十日目。いくら子供の足とはいえ、かなりの距離を進んだはずだ。
にもかかわらず、未だ森を抜け出せずにいる。
確かに一度森の規模を確認した際、想像以上に大きいとは思ったし、その大きさ故にまだ森を抜け出せないのにも理性では納得がいく。
だが、感情ではそうはいかない。いつまでも同じ景色が続くと不安になってくるものだ。
「一体いつまで歩けばいんだ? もしかして森の中心に向かってるんじゃないだろうな? もしそうなら最悪だな……いや、それなら動物や魔物が出ないのは不自然か。生き物というのは森の奥深くに多く生息しているはずだしな」
そんな考察をしていると、少しひらけた場所に出る。
周りは相変わらず岩などでゴツゴツしており、川幅が少し広くなっていた。木々の密度も減少し、多少見晴らしも良くなっている。
だが、そんな事を気にも留めない。ただ、視線がある一点に固定されていた。
それは、人が川や崖などを渡るために道と道を繋ぐもの、"橋"である。ちなみに吊り橋だ。
今でも使われているのだろう。損傷もなく、ちゃんと整備されている。数カ所ほど修繕された形跡もあることから、今でも使われているという証拠である。
ここまで長かった。やっと人の気配のする所までやってきた。人里まであともう少しだろう。
だが、油断してはいけない。帰るまでが遠足だ。
帰る場所ないんだけどな。
「周辺に人が住んでいる確たる証拠。このまま道を辿れば村か街に、いずれは出れるはず」
なんだが……まいったな。どっちに行けば人里に出られる? 最近降った雨の影響で足跡が消えてやがるな。
どうする……。
いや、考えるのはやめだ。どっちに行ったところで結果は同じだろう。
「こっちに行くか……確率は二分の一。もし無ければ引き返せばいいし、最悪ここで人が来るのを待つのも一つの手だ」
根拠などはないが、来た方向から見て右の道を選んだ。あとは運任せである。
それから何事もなく道を進むと、徐々に木の密度が減少する。出口が近いのだろう。
そして、しばらく道なりに歩き続けると、森の終わりが見えて来る。
確かな期待を胸に、森に差し込む光に目を細め、オレはーー
「はっ……ようやくかよ」
ーー森を抜けた。
森を抜けた場所は平原になっており、髪を靡かせる心地よい風が吹き抜けていた
暖かい陽の光が体を包み、森を抜けた事を実感させてくれる。
「ああ、あったけぇ……ん?」
前方を見渡して見れば、小さく家のようなものがちらほらと建ち並ぶのが見えた。おそらく村だろう。
オレは駆け出したい気持ちを抑え、ゆっくりと村に向かう事にした。というか走る元気がもう無い。
まだ少し距離はあるが、村に人影が見え始めた。数頭の家畜を連れている者や、農具を背負っている者がちらほら見える。
「どうやら廃村とかじゃないようだな……それにしても小さい村だ」
村人の顔が判別できるぐらいの距離まで近づくと、何人かの村人がオレの存在に気づき始め、こちらを指差していた。何やら慌てているような気もする。
それを視界に捉えたオレは、少し嫌な予感がしたと同時に、人がいる安心感から今まで張り詰めていた緊張の糸が切れーー
「あっ……や………べ」
ーーそのまま意識を手放した。
♢♢♢♢
体が重い。まるで鉛に繋がれたまま暗い深海に沈められたようだ。
暗い。一寸先は闇だ。
光はない。だがこの暗闇の中にあって、自身の姿はハッキリと見えている。不思議な感覚だ。
あてもなく闇をかき分けながら、道無き道を歩き、彷徨う。
一歩、また一歩と確実に脚を動かした。そして、光が見えた。小さく、頼りなく、か細い光だ。
オレは光に魅入られた羽虫の如く吸い寄せられ、手の届く距離まで近づく。
光はちょうど胸の高さで朧気に点滅を繰り返し、時折艶やかな紅を放つ。
美しい。
そして、なんとも愛おしい。
欲しい。この光が欲しい。
オレはその光に手を伸ばし、指先がそっと触れた瞬間…………目が覚めた。
まどろむ意識の中、まず視界に入ったのは天井だ。どうやら気を失った後ここに運び込まれ、そのままベットで寝かされたらしい。
最悪の気分だ。またベットかよ。
ベットは小さく、子供が寝るには丁度いい大きさだった。他にも周りに視線を向ければ、机や椅子、本棚もあったが、どれもサイズは小さめである。
どれも家具が小さいし子供部屋か?
ベットから起き上がると、近くの窓を覗き込んだ。外はまだ明るく、オレが倒れてからまだそれほど時間が経ってないようだった。いや、もしかしたら数日寝込んでいたという可能性もあるが、そこは正直どうでもいいだろう。気にする程の事でもない。
外では村人が数人ほど集まり和気藹々と談笑したり、駆け回る子供のはしゃぎ声もちらほらと聞こえる。
遠くからも見て思っていたが。見た限りこの村はそれほど規模は大きく無いだろう。どちらかというとかなり小さそうだ。日本でいうところの限界集落に近いかもしれない。
オレは窓から視線を外すと、横にある机に目を向けた。
そこには一冊の本が置いてあった。本のタイトルは【竜騎士の英雄 レングリット】というもので、おそらくこの世界の御伽話、英雄譚のようなものだろう。
そう思いながら本を手に取ろうとしたその時、コンコンとドアをノックする音がして、オレはビクッ! と肩を跳ねあげた。
森で魔物が突然飛び出して来たとしても、まったく動じる事もなかったのだが。どうやら人のいる領域に来た事で気が緩んでいるようだ。
正直、安心するにはまだ早い。気を引き締めなければ。
オレは森にいた時のように神経を研ぎ澄ませ、他に気配がないかを確認する。
扉の向こうには一人。他に気配はないか……いや、もしかしたら気配を消して、近くに潜伏している可能性もなくはないか。なら、寝たふりでもするか? いや、相手がどんな奴でもまずは礼を言わないとな。判断するのはそれからでもいい。それに、この気配からしておそらく子供だな。よっぽどでもなければ大丈夫だろう。
「どうぞ」
そう返事をすると、入って来たのは、オレと同じ歳ぐらいで、金髪のストレートを背中辺りまで伸ばした碧眼の可愛らしい少女だった。
普通の子供だな、特に戦闘経験なんてものは無さそうだ。
「もう起きて大丈夫なの?」
「ああ、体だけは丈夫だからな。問題ない」
「そう、でもあんまり無理しちゃダメだよ。あなた村の外で倒れていたらしいし。お父さんがあなたを抱えて大慌てで帰って来た時、何事かと思ったわ」
どうやらオレが倒れる寸前、オレの存在に気づいて指を指していたのはこの子の父親のようだ。
少し迷惑を掛けてしまったらしい。とりあえず謝罪とお礼を言った方がいいか。オレは元日本人だ、常識は弁えている。
「それは迷惑をかけたようだな、すまない。それと気を失ったオレを看病してくれてありがとう」
「別に謝る事無いと思うけど。それよりあなたの名前はなんて言うの? あたしはセラだよ!」
名前か……正直に話していいのか? もしかしたらこの肉体の奴は追われているかもしれないし、不用意に名前を教えていいものか……というか、オレこの肉体の名前しらねぇし、そもそも"カレン"ていう名前は誰もしらねぇか。なら教えても大丈夫だな。
「オレの名前はカレンだ。よろしくなセラ」
「うん、よろしくねカレン!」
満面の笑みで返事をするセラに、将来は美人になるなと思いつつ、自己紹介を終えたオレは、ずっと気になっていた事を聞いてみる。
「ところでセラ、聞きたいことがあるんだけど。ここはなんていう村で、どの国の何処にあるんだ?」
「知らないの? ここはフルール村っていって、アルフォード王国の最南端の村だよ」
「……そうか、ありがとう助かった」
「どういたしまして!」
「あ、それとセラの両親にもお礼を言いたいんだが、今大丈夫か?」
「うん、わかった! ちょっと待っててね!」
そう言ってセラは勢いよく部屋を後にした。
一方、部屋に残ったオレは、情報の整理をした。
まず、ここがアルフォード王国という国で、この村はその王国の最南端の位置する村だということ。
やはり地球ではない。ていうか魔物のいるファンタジーな世界が地球であってたまるか。
別の世界。つまり異世界と考えるのが妥当だろう。いや、魔物がいた時点でそうなんだろうとは思っていたがな。
さて、ならばオレはこれからどうするか、そんなの決まっている。生きる事が第一で最優先事項だ。
しかしここは前の世界とは全く違う異世界だ。なら。まずオレに必要なのは情報だろう。それとこの世界には魔物がいる。ならばある程度戦う技術が必要だ。それは今特訓中の格闘術と剣術をさらに磨けばいい。魔物に食われて死ぬなんざごめんだ。
まぁ、でかい街なんかに行けば安全だろうし、後者に関しては必要になるか分からない。だが、一応優先事項に入れておく。あって損する事はない。
それにしても、セラやその両親は森から突然出てきた怪しさ満載のオレをこうして看病するのに抵抗はなかったのか? 何か目的でもあるのか?
本当に感謝はしているのだが、初めて訪れた場所で安心するなど愚か者の極みだ。
そう、ここはオレの知る世界とは違う。もしかしたらオレを売って金にするとか、そんなことを考えているかもしれない。
アルフォード王国。つまり王を筆頭に貴族がいるのだろう。こういった貴族がいる国では大抵"奴隷"なんてものがある。
ようやく人里に出られたんだ、油断して奴隷になりました、なんて笑えねぇ。油断大敵ってやつだな。
「警戒は必要か……」
正直オレの考えすぎだろうとは思う。こうして保護してくれたのも、ただ単純に善意からやってくれたのかもしれない。だが、さっきも言った通り。知らない土地で助かったと安心しきって気を緩めるのは、愚か者のする事だ。
「結局、森にいる時とあまり変わりねぇか」
それから間も無くしてセラが両親を連れてオレの元へと戻って来るのだった。