最強への道 その3
彼は心より歓喜した。
今迄、彼はこの機会をずっと待ち望んでいた。
この小さな悪魔と、全力で戦える機会を。
この悪魔の存在を知ったのは四ヶ月前だ。彼はいつものように自由気ままに大森海を彷徨っていた。
この大森海において、彼の右に出るものはおらず、戦いのない退屈な日々を過ごしていた。
彼自身、そろそろ大森海の最奥、"深淵"へ向かおうか思い悩んでいた頃、それは現れた。
同族と互角以上に渡り合い、他の強力な魔物達を倒していく小さな悪魔の姿を。
それを目の当たりにした瞬間、まるで雷に撃たれたかのような衝撃が彼に走る。
ーー素晴らしい。
彼は感謝した、この小さな悪魔を生んだ、この世界に。そして悪魔と巡り会わせてくれた自らの人生に。
彼は気配を消し去り、悪魔へと近づく。気持ちが高ぶり、溢れんばかりの衝動が彼を支配する。
だが、彼の高ぶった闘争の炎は、悪魔の姿を見た瞬間、一気に鎮火していく。
彼の視線の先にいる悪魔は見事に同族を倒したものの、ボロボロで疲弊していた。
ーーアレではダメだ。まだダメだ。
だから、彼は待つことにした。悪魔が強くなるのを、自らの命を脅かす存在へと成長するのを。
彼は待った、待ち続けた。
それから悪魔は彼の期待に応えるように、異常という速度で成長した。
次々と出会う大森海の強者達をばっさばっさとなぎ倒してゆく。
ーーもうすぐ。もうすぐだ。
悪魔の強さは、もう時期彼に迫ろうかとしていた。だが、ここで異常事態が発生する。
"凶竜 ジャバウォック"が悪魔の前に立ちはだかったのだ。
世界最強の七体の内の一体。勝ち目などある筈もない。しかし、あの小さな悪魔は無謀にも、最凶最悪の竜に戦いを挑んだ。
ーーああ、いけない。このままでは獲物を横取りされてしまう。
ダメだ、許さない。それだけはさせない。
戦いは一方的だった。いや、戦いというのもおこがましい。あれはただの蹂躙である。
悪魔は凶竜に挑むも、まるで歯が立たず。たった二撃で戦闘不能に陥った。
そして、ジャバウォックが悪魔にとどめを刺そうとした時。彼は飛び出せるよう、脚に力を入れる。
しかし、それも杞憂に終わる。神滅竜が悪魔を助けにやって来たのだ。
凶竜と同じく世界最強の一角である神滅竜が助けに来たのだ、悪魔は確実に助かるだろう。
彼は背を向けるとその場から立ち去って行った。
それから数日、悪魔は森に姿を現さなくなった。もしやあの後、悪魔は死んでしまったのではないだろうか、と彼は不安になる。しかし、その三日後、悪魔は再び森に現れた。
前よりずっと強くなって。
ーーあと少し。あと少しだ。
彼は心より喜んだ。悪魔が生きていたことに。そして以前よりずっと強くなっていた事に。
だが、悪魔は動きに違和感があった。おそらく身体が鈍っているのだろう。
現に悪魔は、一向に深層域へと来ない。
ーーよかろう。では、悪魔が万全の状態になるまで、待とう。
彼は再び待った。悪魔が来るのを。
そして、遂にその時が来た。
ーー嗚呼、やっと、やっとこの時が。待ち望んでいたこの時が来た。
ーーさぁ、始めよう。
ーー開戦だ。
彼は悪魔の前に躍り立つ。
悪魔は彼を見るや否や武器を構え、臨戦態勢に入る。同時にビリビリとした空気が悪魔から発せられる。
悪魔が構えると、彼は腰を低くし、脇をキュッと締めると、小さくコンパクトに構える。
この構えは誰かに教えて貰った訳ではなく。彼自身、このほうが効率よく戦えると思って始めた事だ。
悪魔は彼めがけて駆け出した。その瞬間、彼もまた、悪魔に向かって駆け出した。
悪魔の持つ剣が彼の緑刃とぶつかり合い、火花を散らした。
それから彼と悪魔は文字通り一進一退の攻防を繰り広げ、命を賭けた戦いを演じた。
激しい剣戟を繰り返し、緑刃が弾かれ、彼は驚愕に目を見張る。その直後、悪魔は脚に魔力を集中すると、彼の顔面目掛けて膝蹴りを叩き込もうとする。
彼は反射的に上体を反らし、悪魔の攻撃を躱す。そして緑刃を深々と悪魔の腹に突き刺した。
「ぐっ!!」
「ギシャァァァンッ!!」
彼は片手を地につけ、体をよじると悪魔の顔に蹴りを叩き込んだ。
今のは致命傷だっただろう。しかし、悪魔はなおも立ち上がった。
その戦意は衰える事なく、寧ろ滾っていた。
彼の喜びは最早天元を突破した。
今迄彼とここまで戦い抜いた者がいただろうか。否、そんな者はいなかった。
ーー楽しい。これが戦いというものか。命のやり取りか。
彼は両手を交差させると、頭の中で唱える。
ーー発動。
途端、頭に直接、無機質な声が響く。
『特殊能力【斬風の刃】を発動します』
風が彼の腕を包み、緑刃へと集約される。
コレは、彼のとっておきの一つだ。
ーーさぁ、ここからが本番だ。
ーー始めよう、楽しい戦いを。
♢♢♢♢
目の前の光景に戦慄が走る。
只でさえ、知覚すら困難な速度で走りまわる神速黒皇が特殊能力持ちだ。ましてや目の前の奴は神速黒皇という種族の中でも、間違いなく最上位に入る個体。まったくもって冗談がキツイ。
オレが苦笑いを浮かべていると紅姫が声をかける。
『お前様、このままではちと不味い。魔法の制限を無視して戦うべきじゃ。環境破壊だの何だの言っとる場合ではないぞ!』
『そうみたいだな……エスタロッサ、巻き込まれないようにもっと遠く、中層域まで避難しておけ!』
『ギャウ!』
紅姫の進言を受けて了承すると、まずエスタロッサを遠くへと避難させた。ここで巻き込んで殺してしまっては、後味が悪いとかそんな言葉ではすまない。
ここからは加減無しの本気の戦いだ。一瞬の隙が命取りとなるだろう。特殊能力【再生】があるからと言って死なない保証はない。それはジャバウォックの時に証明済みだ。
「厄介だな……」
神速黒皇の緑刃に集約されていた風が勢いを増していく。
そして、完全に緑刃と一体となる。
緑刃と一体となった風の刃でリーチが延長、付け加えるなら斬れ味も段違いだろう。
見るだけで分かる、あれに触れた物は全て断ち切られるだろう。オレの刀も例外ではない。
つまりここからは、神速黒皇の攻撃を全て受けずに交わし切らなければならない。無理じゃね。
「ここからが本番か……そんじゃ、いっちょおっ始めるか!」
これまで神速黒皇と戦ってきて分かった事が二つある。一つは神速黒皇相手に受け身になるのは愚の骨頂だということ。
二つ目、神速黒皇は神速で移動する際一定の歩数がある。
神速黒皇が獲物に近づく迄の歩数、その数七歩。
これはどれだけ距離が開いていようが、どれだけ近かろうが関係なく、必ず七歩で攻撃を仕掛けてくる。
ここで歩数以外にもう一つの加える。それは歩調だ。神速黒皇は独特の歩調がある。それは、一歩から六歩目は必ず両足で移動するという事、そして七歩目は必ず片足で跳ぶ。この二つが分かっていれば神速黒皇の神速にギリギリ対応できる。
だが、これはあくまで受け身になった時の対応だ、今回はあまり使えないだろう。
よって、今回オレが取るべき方法は、兎に角攻めまくる。後手に回ればそれだけで死ぬ確率が上がる。それだけは避けなければならない。
オレは気を引き締め直し、刀を構え直す。
その直後、全身に悪寒が走り、背中を嫌な汗が流れる。
オレは直感に従い、上半身を前へ倒す。その瞬間頭の上を風刃が凄まじい速度で通り過ぎ、オレは転がるようにその場を離れる。
後ろの髪が少し持って行かれた。もう少し遅ければキレイに首をチョンパされていただろう。
「っぶねぇ!!」
「シュロロロロロ」
神速黒皇は初撃を避けて態勢の崩れたオレに追撃を加える。
神速黒皇は一瞬でオレの前に現れると、最初に振り切った風刃とは反対側の風刃をまるでアッパーのように斬り上げた。
「うおっ!!」
大気を切り裂く斬撃が迫り来る。
オレはギリギリで横に跳ぶ事で回避する。その直後、先程までオレのいた場所がパックリと開き、後方の樹々を縦に分断していく。
神速黒皇は風刃を回避したオレに一息つかせる暇を与えず、再度追撃に出る。
神速黒皇の動きを何一つ見逃すまいと意識を集中するが、次の瞬間にはその姿がまたしても搔き消える。そして――
「シュロロロロ」
「ッ?!」
――オレが気付いた時には既に神速黒皇は背後に立ち、風刃を振り下ろしていた。
避けようと体を動かすが、先に風刃を振り下ろした神速黒皇の方が早い。オレは避けきれないと悟り、風刃が接触するであろう部位に〈魔力障壁〉と〈魔力硬化〉を最大限で発動する。しかし――
「っつ!!」
――神速黒皇の風刃はオレの防御魔法を豆腐のように切り裂き、左肩の付け根を切り飛ばした。
「まずった!!」
切断された左肩から血が噴き出す。が、瞬時に血は止まる。特殊能力【再生】による効果で切られた端から腕が元に戻りつつあるからだ。
しかし、それを見逃すほど相手は甘くない。
「ギシャァァァンッ!!!」
神速黒皇はチャンスとばかりに風刃を前方に構え、ジグザグに走りながらオレに迫り来る。もう勝ったと言わんばかりだ。
「ちっ! ちょっとは休ませろ!!」
そんな神速黒皇の姿を視界に捉え、オレの額に青筋が浮かび上がり、怒声を飛ばす。
「調子こいてんじゃねぇ!!」
オレは刀を地面に突き立て、右腕を前に向ける。そのまま一気に魔力を集約し練り上げる。
オレの中に眠る莫大な魔力が、前に突き出した右腕に集まり、同時に術式が完成する。その時間、僅か〇.二秒。驚異的な速さだ。
眼前に迫り来る神速黒皇に向かって手加減なしの本気の魔法を放つ。
「〈拡散魔導衝撃波〉!!」
その瞬間、想像絶する轟音が大森海全体に響き渡り、大気が爆ぜる。そして、深層域の約五分の一が文字通り消し飛んだ。その威力はまるで核弾頭でも落とされたかのような衝撃だ。
一気に大量の魔力を使った為、呼吸が乱れる。大気中に漂う魔素を出来るだけ早く、そして多く取り入れようとしているからだ。つまり、残り魔力はあと僅かだろう。
「はぁっ! はぁっ! はぁっ!」
目の前の惨状に普段ならやり過ぎたと頭を抱えるところだが、今はそんな事はどうでもよかった。寧ろ命が助かったとに安堵の息をつく。
そんな中、オレは視線を一点に固定し、引きつった笑みを浮かべる。
「マジかよ……」
そこには腕を交差させ、防御の構えをとった神速黒皇の姿があった。
「……アレを食らって殆ど無傷かよ。冗談きついぞ!」
「シュロロロロロッ!!!」
神速黒皇の甲殻の強度は魔物の中でも間違いなく最上位に入るだろう。それ故、オレの放ったバカみたいな威力の〈拡散魔導衝撃波〉が直撃しても罅一つなく、外傷は皆無だ。
しかし、内部は違う。〈拡散魔導衝撃波〉は魔力を音へと変換して放つ魔法だ。
音とは振動である。振動というものはいくら外が硬く鉄壁であろうが、それを突き抜ける。ましてや近距離で直撃を受けたのだ、防げるはずもない。
外から見れば無傷に見えるが、その実、神速黒皇の内部はズタボロだろう。現に膝が笑っているのが見て取れる。
オレはしてやったと、いたずらっぽい笑みを浮かべ、地面に突き立てた刀を引っこ抜く。同時に切断された左腕が完全に元に戻った。
警戒を怠らず、神速黒皇に視線を向けながら、切り飛ばされた腕と一緒に落ちている鞘を回収する。
「流石のお前も、今のは相当効いたようだな。脚が震えてるぞ。まぁ、オレも同じようなもんだがな。さっきので魔力が底をつきかけてる、正直立ってるのもかなりキツイ」
そう言って、オレは刀を鞘へと戻し、抜刀術の構えをとる。
「これで終いにしよう」
オレの言った事を理解したのか、それとも本能で次が最後だと判断したのか。神速黒皇はゆっくりと両腕を前で交差させる構えをとる。
「シュロロロロロ……」
両者の距離、十メートル。
オレはゆっくりと息を吐き、体の力を抜いていく。
集中力を高め、感覚を研ぎ澄ましていく。
「ふぅ……」
「シュロロロロロッ」
そして、両者同時に駆け出し、離れた距離を一瞬で潰す。
「ギシャァァァンッ!!」
接近した直後、神速黒皇は風刃をオレ目掛けて斬り上げる。
身をかがめる事で回避。
斬り上げを回避したオレに、神速黒皇は流れた体を独楽のように回転させ、反対側の風刃をこちらに向け刺突する。
これも、体を捻る事で回避する。
そして、この戦いで初めての刃尾による、音速を優に超えた薙ぎ払い。
勝った。
この時、神速黒皇はそう確信した。尾による攻撃はコレが初めて、ましてや攻撃を回避した直後だ、いくらこの悪魔でも、このタイミングで避けることなど不可能。だが――
「甘ぇよ、バカ野郎」
――躱す。
「ギシャッ?!」
まさか最後の一撃をも躱すとは夢にも思っていなかった神速黒皇は、動揺してほんの一瞬硬直してしまう。
そして、その一瞬が命取りとなる。
神速の三連撃を避け切ったオレは、刀の鍔を親指で弾き、柄を掴むと勢いよく抜き放ち、斬り上げる。
狙うはガラ空きの胴体。
神速黒皇は後ろへ跳んで避けようとするが、間に合わない。
いや、そもそも避ける必要はない。この剣では自分を斬れない。
たとえ斬れたとしても、それは関節や首の付け根などの僅かな隙間のみ。目の前の敵が攻撃を向けた場所は硬い鎧に守られた胴体だ。斬れるはずがない。
この剣が弾かれた時、それはこの悪魔が死ぬ時だ。
刀は吸い込まれるように、一瞬のブレもなく胴体へと流れる。
刀が神速黒皇に触れるその瞬間、オレは凶悪な笑みを浮かべ、刀に高密度の魔力を走らせる。
神速黒皇は驚愕と痛みに顔を歪め、悲鳴を上げる。
「ギシャァァァンッ?!!」
オレの放った一閃は、見事に神速黒皇の装甲を深々と切り裂いた。
「何度も言わせんな。甘ぇんだよ、テメェは!」
この瞬間、オレはまた一つ強くなった。




