唐突
第一章も予定の半分を過ぎました。
この調子で頑張っていきたいと思います。
では第十八話どうぞ!
竜というのを知っているだろうか。
伝承や神話に出てくる、トカゲやヘビに似た伝説上の生き物の事である。
竜は他の生物を超越した力を有しており、その力は絶大、人間を遥かに上回る頭脳と力を有した世界最強の種族であり、生態系の頂点に君臨している。
中には環境にさえ影響を与える竜もいるという伝説がある。その伝説によれば、竜はたった一度の攻撃で大陸全土を氷の世界へ変えたという。
絶対的にして、圧倒的にして、最強、それが竜。であると、カレンは以前、オルドからそう話を聞いていた。
竜はこの世界の各地に生息している。その種類は大きく分けて四つに分ける事が出来る。
まず一つ目、前脚が翼と一体化し"翼脚"と呼ばれる器官へと進化。スリムな体格をしており、空を飛ぶことを得意とする、飛竜種。
次に二つ目、陸上での生活に適応する為に翼が退化し、ずっしりとした体型をしている、恐竜種。
三つ目、海や湖、川など、水辺での環境に合わせ、手や足、尻尾などに水掻きやヒレが発たちした海竜種。
そして最後が、腕や脚とは別に背中に別に翼があり、体格は大きくがっしりとした筋肉質、ただ存在するだけで環境にさえ影響を与えると言われる天災、竜王種。
この四つの中でも竜王種は、ありとあらゆる生物の頂点に君臨しており、その力は他を圧倒している。
絶対に手を出してはいけない禁忌の存在とされていて、別名、"生きる天災"と呼ばれている。
万が一その逆鱗に触れようものなら、国は滅びるどころか存在そのものが消滅するだろう。
まさに天災だ。
そんな天災と呼ばれる最強の存在たる竜王種が今、この村に向かって、その大きな翼をはためかせ、ゆっくりと迫る。
一体何故、竜王種がこんな所に? 何の用で来た? と竜が近づくにつれ、頭に"?"マークが浮かび上がる。
(デカいな……!)
その竜は巨大だった。全長はおよそ四十メートル近いだろう。これだけ大きければかなりの年月を生きているはずだ。
竜の成長は少し特徴的で、最初の百年の成長は早い。しかし、そこからの成長はゆっくりとなる。なんでも寿命が関係しているとのことだが、詳しいことは分かっていないそうだ。
徐々に竜が近づくにつれ、心臓の鼓動が早まる。剣を持つ手に汗が滲み、カレンに緊張が走る。
(黒い……黒竜か……)
その竜の体は漆黒の鱗や甲殻に覆われ、頭には目を奪われるような六本の赤い角が生えている。瞳は美しい真紅で、その眼差しは知性を感じさせるものがある。
竜は四足歩行で、足には角と同じように、宝石のような赤くて大きな爪が生えている。
一言で言えば、その竜はとても美しかった。まるで夜を身に纏ったようなその姿は、まさに芸術と言っても過言ではないだろう。
カレンはつい、竜に魅入ってしまう。
カレンが竜に魅入っていると、竜は村中央の少し外に降下し、ゆっくりと降り立った。
竜、しかも竜王種が現れた事で村の人たちや兵士は、顔を蒼白にし歯をガチガチと鳴らす。
中には膝をつきながら、手を合わせ、神に助けを求める者までいた。
それは、団長のオプナーも例外ではなかった。
オプナーはいきなりの竜出現に動揺し、完全に身体が硬直していた。
額からは汗が滝のように流れ、顔は青を通り越して白くなっていた。
"生ける天災"と呼ばれる竜王種、その中でも目の前の竜は間違いなく最上級の存在だろう。竜から放たれるその圧倒的な存在感は、今まで出会った魔物たちとは、格がちがう。別次元と言ってもいい。
それ程の竜が唐突に現れでもすれば、恐怖のあまり動けないのも仕方ない。
あの調子なら、あまりの恐怖に言葉を発する事も出来ないだろう。
カレンも似たようなもので、雄叫びを聴いた瞬間から、生物的本能による恐怖で先程から身体の震えがとまらない。
冷たい汗が頬を伝い、本能が逃げろと叫んでいる。
だが、カレンは逃げる事が出来ない。
出来るはずがない。家族を置いて逃げるなど、絶対に。
というか、足が竦んで動けない。
カレンは肩越しに後ろへ視線を向けた。そこには三人で身を寄せあい、小さくなって身体を震わすオルドたちの姿が目に映る。
ユルトは引き攣った笑顔のまま完全に動きを止めている。
(いきなり竜が現れれば無理ないか……なんとかしないとな)
カレンは竜へ視線を戻した。すると、竜がカレンに気づき、視線が合う。気のせいではなく、完全にカレンだけを見ている。
(オレこいつに何かしたっけ?)
竜はカレンと目を合わせたまま、ゆっくりとカレンに向かって歩き出した。一歩、一歩と確実に。
竜が近づくにつれ、周りの兵士や村人たちは身を固くしていった。もう助からない、ここで全員皆殺しにされる、とだれもがそう確信にも似た表情を浮かべる。
しかしそんな中、カレンだけが竜の異変に気づき、怪訝な表情になった。
竜が雄叫びを上げたのは最初の一回だけ、今はそれどころか唸り声一つ上げず、不気味な程おとなしいぐらいだ。それに、なぜこの竜はカレンに向かって来るのか。
カレンが身構えると、竜は十メートルの距離を開けて立ち止まり、真っ直ぐにカレンだけを見つめた。
「……!」
それに対して、カレンも見上げるように竜を見つめ返す。
「………」
「………」
見つめ合う一人と一体に、周りが騒つき始めた瞬間、カレンは刀を抜き、竜に向かって構えた。
戦う意思を見せるカレンに、周りからは驚愕に目を見開き「正気か?!」みたいな顔でカレンに視線が殺到する。
後ろからは、オルドたちが悲鳴に近い声でカレンを呼び止めようとしていた。
「カレンよせっ! 敵いっこない!!」
「あなただけでも逃げなさい、カレン!!」
「カレン!!」
こんな状況でカレンの心配をする三人には感謝しかない。
だが、もう遅い。
賽は投げられた。
「グルルルルル……!」
心胆から震え上がる、低い唸り声を上げ、竜は戦闘態勢に入る。
ビリビリとした空気が漂い始め、カレンは改めて身を引き締める。
険しい視線で目の前の竜を見据えた。
(デカい……対峙しただけで分かる。オレとこの竜の、圧倒的格の差……)
震える脚を意思の力で捻じ伏せる。
すると、竜は後ろ足二本で立ち上がり、天に向かってその巨大な顎門を開き咆哮をあげる。
「グルァァァァァァァァァァァ!!」
思わず耳を塞ぎたくなるような巨大な咆哮。それは木々を、大地を、空をも震わす。
体の芯にまで響く大咆哮、それは自身と相手に圧倒的な差を見せつけるとともに、戦闘開始の合図でもあった。
強烈すぎる咆哮に三半規管が僅かに影響を受け、一瞬目眩を起こす。だが、カレンは歯を食いしばってそれを耐えると、ふらつく脚を無理矢理動かして竜へ突貫する。
「オォォォォォォ!!」
駆け出したカレンに対し、竜はその巨大で岩のような前脚を振り下ろす。
まるで壁のようにぶ厚く大きなそれは、周囲の空気を巻き込み、轟っ! と言う音をたててカレンに迫り来る。
直撃を受ければ全身の骨が砕けるのは間違いない。それどころか地面とサンドイッチにされてハムのようにぺしゃんこだろう。
そんな事つい想像してしまい、背筋を気味の悪いものが這い上がる。
(ミンチになんのはごめんだっ!)
上から迫る黒い壁を、身を低くして横に飛び、ギリギリのところで回避する。
頭の上を巨大な黒い壁が通り過ぎ、一瞬その場の空気が持っていかれる。
黒い壁は吸い込まれるように地面に叩き下され、軽い地震を起こす。振り下ろされた地面は無惨に砕かれ村の外にまで亀裂が走る。
(今の食らってたら……!)
カレンは地面を砕いた竜の一撃に戦慄を覚えながらも、振り下ろされて地面に突き刺さった前脚目掛けて刀を横に振る。
ガキンッ!!
しかし、鉄の剣をも容易く切断する刀は、竜の鱗にいとも容易く弾かれた。
「ちっ!!」
(硬いっ! なんつう硬さだ、傷一つ付いてねぇ! )
鱗のあまりの強度に内心で悪態をついていると、竜は反対側の前脚を持ち上げ、羽虫でも振り払うように横薙ぎに振るう。
大きな体に似合わず、動きが早い。カレンはすぐさま避けきれないと悟り、内心で舌打ちをする。
まさかこんなに早く次の攻撃が飛んでくると思っていなかったカレンは、竜の攻撃を避けきれずに左の肩からモロに直撃を受ける。その際、肩どころか腕の骨と鎖骨、そして肋骨も全て砕け、ついでに内臓も破裂する。
巨大な岩石がぶつかったような衝撃を受け、地面を転がるように吹っ飛ぶ。
「ぐあっ!……ゴホッ、ゴホッ……」
内臓破裂による吐血と呼吸困難、数カ所同時の複雑骨折による鈍痛に声もなく苦しむ。
たった一撃で満身創痍。
シーマは声が出なかった。見ることしか出来なかった。
カレンが苦悶の表情で苦しんでいるところへ、竜が容赦なく追い打ちをかける。
竜その場で体をくるりと回し、勢いをつけたその強靭な尻尾は、地べたで苦しむカレンの胴体に吸い込まれるように直撃、その場の空気ごとなぎ払う。
「グルァァァァァァァ!!」
「ガッ!!」
大木と見ま違えるような尻尾による強烈な一撃。直撃を受けた小さなカレンの体は、ボキッ、バギッ! と骨が折れる音を鳴らして血を吐き出し、流星の如く凄まじい勢いで民家へ吹っ飛ぶ。
家は衝撃でガラガラと音を立てて崩れ、カレンは瓦礫の下敷きになる。
その場が静まり返る。
カレンが民家の下敷きになる瞬間を目の当たりにしたシーマは、両手で口元を覆い悲鳴混じりの声をあげる。
「カレンッ!!」
シーマはカレンが血を吐き出しながら吹き飛んだ光景に、恐怖などどこかへと吹き飛び、瓦礫の下敷きになったカレンを助けようと崩れた家に向かって走り出す。
オルドとセラはそんなシーマを止めようとするが、今のシーマに二人の声は届かなかった。
「シーマよせっ!!」
「お母さん、動いちゃダメだよ!!」
シーマは倒壊した家に辿り着くと、瓦礫を必死な形相で掻き分けた。
皮が向けようが爪が剥がれようが関係ない。助けなきゃ、だだその一心で掘り進める。
瓦礫をどかすたびに手から血が滲みだす。だが、今のシーマにそんな事をいちいち気にかける余裕はない。
シーマは泣きそうな声で必死にカレンに呼びかける。
「カレンどこ? 返事して、お願いだから! カレン! カレン!」
シーマが必死に瓦礫を掻き分けていると、セラの切羽詰まった叫び声が届く。
「お母さん後ろっ!!」
セラの叫びに黒い大きな影がシーマを覆ったことに気づき、はっ、としたように後ろを振り返った。
「グルルルルルッ!!」
振り返ってみれば、竜の赤く鋭い眼光がシーマを射抜いていた。
「っ!!」
竜に睨まれたシーマは完全に足が竦んでしまい、完全に硬直する。、
竜という絶対的強者と、人間という弱者の、圧倒的格差。その差が、逃げると言う選択肢を諦めさせる。
体が心胆から震え上がるり、叫びたくとも喉に何か詰まっているかのように声が出ない。
射殺すような眼光に射抜かれたその時から、目を晒すことさえ叶わない。
時に人間とは、本当の恐怖に直面した時、動くことも、声を上げることも、目を晒すこともできない。何故なら、恐怖は全てを支配するからだ。
竜はカッ! と目を見開く。そして、咆哮を上げながら、鋭い牙の並ぶ口を大きく開けて、シーマに襲いかかる。
「グルァァァァァァァァァァ!!」
村人たちからは悲鳴が、オルドとセラからは叫び声が。
「シーマ!!」
「お母さんっ!!」
ダメだ、助からない、そう覚悟を決めたシーマは両目ぎゅっと閉じる。
そして、心の中で家族に分かれを告げる。「あなた、セラ……今迄、ありがとう!」と。
巨大な顎門が目の前まで迫る。音は遠のき、遠くで叫ぶオルドたちの声も届かない。
死ぬ、そう頭に浮かんだ瞬間、足元の瓦礫が爆ぜる。
衝撃で瓦礫は舞い上がり、土煙の中からボロボロの姿のカレンが飛び出す。
折れた骨は未だ治っておらず、体を襲う鈍痛に脂汗が流れる。
正直意識を保つだけでも辛い、立っているだけでも辛い。
だが、カレンは手を伸ばす。
母を、家族を助けるために。
「母さんっ!」
瓦礫から飛び出したカレンは、入れ替わるようにシーマを突き飛ばした。
「っ!!」
突き飛ばされたシーマは地面を転がる。
突然の事で何が何だかわからないが、カレンの声がしたのは分かった。
シーマはすぐに体を起こし、ぎゅっと閉じていた目を開き、先程自分が立っていた所へ顔を向ける。
「あっ……!」
その瞬間、血が逆流するような感覚に襲われる。
それを視界に捉えた瞬間、シーマの頭の中が真っ白に染まり、思考が停止する。
シーマが向ける視線の先、それは、今まさに自分を助けるため飛び出した義息子が、竜に喰われる姿だった。




